第4章:震えるリスト
立花菊の魂を送り届けてから
どれほどの時が流れただろう。
天界や霊界には地上の「時間」の概念は希薄だ。
だが、俺の手元にある『死神のノート』は
数百、数千という名を刻み
そのたびに俺とマルルは地上と霊界を往復した。
漆黒のマントを纏い
銀髪をなびかせ
背中の黒翼で夜空を駆ける。
未練を残した魂の言葉に耳を傾け
やり残したことを手伝い
時には共に涙し、最期の瞬間に安らぎを与える。
マルルはその愛らしい姿で死者の心を解きほぐし
紅色の目で迷える魂を導いた。
「ジェードとマルルのコンビに任せれば間違いない」
いつしか俺たちは、
閻魔大王や天使セフィエス
そして他の死神たちからも
一目置かれる存在になっていた。
あの日も、いつも通り任務を終えて霊界へ戻り
閻魔大王から新しい死者リストを受け取った。
「ふぅ……次は東京か。マルル、準備はいいか?」
『ワンッ! いつでもいけるよ、お兄ちゃん!』
マルルが元気に尻尾を振る。
俺は何気なく、ノートの新しいページを開いた。
一番上に書かれた名前を確認する。
その瞬間、世界が止まった。
「……あ」
心臓が、存在しないはずの心臓が
早鐘のように打ち鳴らされる。
指先が凍りついたように動かない。
そこに記されていたのは
俺が天界に来てから一時も忘れたことのない
愛しい恋人の名前だった。
『相澤杏奈。享年29。
死亡日時:2週間後の11時13分。
場所:東京都足立区……』
「なんで……なんで杏奈が……っ!」
俺が死んだ時、彼女は20歳だった。
まだ29歳だ。
これからもっと楽しいこと
幸せなことがたくさん待っているはずの年齢なのに。
視界が滲む。俺は震える手で
彼女の『死因』の欄を確認した。
そこには、病気でも事故でもなく
おぞましい言葉が並んでいた。
『死因:夫によるドメスティックバイオレンス(DV)に起因する急性硬膜下血腫』
「夫……? 杏奈、結婚……してたのか?」
俺を忘れて、新しい幸せを掴んでくれていたなら
それはそれで良かった。
俺が迎えに行けるのは嬉しい。
だが、こんな死に方、あんまりだ。
『幸せにしてるって……信じてたのに……っ!』
「……ジェード」
隣にいた天使セフィエスが
沈痛な面持ちで俺の肩に手を置いた。
「……ワン」
マルルが俺の足元に寄り添い
悲しげな声を上げる。
その紅色の瞳は、霊界にいながらにして
地上の杏奈の「現在」を視ていた。
『お兄ちゃん……杏奈お姉ちゃん
まだお兄ちゃんのこと好きだよ。
……お姉ちゃんの今の旦那さん、すごく怖い人。
お姉ちゃん、お兄ちゃんの形見を処分できなくて
隠してたんだけど……
それを見つけられて
暴力振るわれてたみたい……』
「俺の……形見?」
マルルの言葉が
ナイフのように胸に突き刺さる。
彼女は俺を忘れられず、そのせいで、今の夫に……。
「……うおおおおおおおおおっ!」
俺は絶叫した。
銀髪が逆立ち
黒翼からおぞましい殺気が溢れ出る。
愛する女が、俺のために苦しみ
殺されようとしている。
それを「死神」として
指を咥えて見ていろと言うのか。
「閻魔大王ッ!!」
俺は大王の執務室のドアを
蹴破るようにして入った。
デスクについていた閻魔大王は
眉をひそめて俺を見る。
「……騒々しい。
ジェード、リストは受け取ったはずだな」
「ええ、受け取りましたよ!
……杏奈の名前が書いてありました!
俺の、杏奈の名前が!」
俺はデスクを両手で叩き
大王を睨みつけた。
「死因がDVだと!?
……なんで神は、こんな理不尽な死を許すんだ!
杏奈が何をしたっていうんだ!
杏奈を殺すくらいなら
俺がそいつを……その夫を殺してやるッ!!」
死神が現世の人間を殺すことは、絶対の禁忌だ。
そんなことをすれば
俺の魂は消滅し、二度と天界へは戻れない。
だが、今の俺にはどうでもよかった。
「落ち着け、ジェード」
閻魔大王の声は、驚くほど冷静だった。
「……ワシが、そんな理不尽な死を
喜んで決定したと思うか?」
「……え?」
大王の言葉に、俺の殺気が少しだけ削がれる。
「……彼女の運命を決めたのはワシではない。
主だ。
だが……ワシも
彼女の現状はあまりにも悲惨だと思っていた」
閻魔大王は溜息をつき
隣にいたセフィエスを見た。
「セフィエスに頼んで、主へ直訴させたのだ。
……『彼女をこれ以上、現世に留めておくのは残酷だ。
いっそ早めに、こちら(天界)へ
呼び寄せるべきではないか』とな」
セフィエスが頷く。
「神様は当初、彼女の寿命はまだ先だ仰いました。
……彼女は何度も、自分から命を絶とうとした」
「……っ!」
杏奈が、自殺を……。
「けれど、そのたびに神様は『まだ時期ではない』と
彼女を生き長らえさせてきた。
……現世の夫、龍矢という男は
杏奈様の両親の借金を肩代わりする条件で
杏奈様を『買った』のです。
両親のために妻を演じていた彼女でしたが……
貴方の形見を見つけられ
嫉妬に狂った男の暴力は
日に日にエスカレートしていった」
セフィエスの語る真実に
俺は崩れ落ちそうになった。
「感情的に動かされない閻魔大王様からの
異例の直訴……。
それを受け、神様もようやく事態の深刻さを悟られました。
……これ以上の現世での苦痛は
彼女の魂を汚してしまう。
……それ故、2週間後の死を、許可されたのです」
閻魔大王が、デスクから立ち上がり
俺の前に立った。
「ジェード。……いや、早見敏也。ワシからの命令だ」
大王の手が、俺の肩に置かれる。
その手の温かさに
俺の目から涙が溢れ出した。
「お前が愛した女だ。
……『死神ジェード』としてではなく
『早見敏也』として迎えに行ってやれ」
大王が再び指を鳴らした。
漆黑のマントが消え
銀髪が黒髪に戻り
青い瞳がかつての茶色い瞳に戻る。
背中の大きな黒翼も消えた。
事故に遭ったあの日の、20歳の俺の姿に。
「ワンッ!」
足元のマルルも
元の真っ白でふわふわなマルチーズに戻っていた。
紅色の目はそのままだったが。
「主からも、伝言がある」
セフィエスが言う。
「『彼女を安らかに導くためなら
私の天使を連れていくが良い』と。
……サファエル、ラファエル。敏也殿に同行せよ」
執務室に、純白の翼を持つ二人の天使が現れた。
かつて俺を案内してくれたサファエルと
もう一人の天使だ。
「……ありがとう。閻魔大王、セフィエス様。……神様」
俺は元の姿で、大王に深く頭を下げた。
「行こう、マルル。……杏奈を、助けに」
『ワンッ!』
俺とマルル、そして二人の天使は
霊界のゲートを飛び出した。
2週間後の、彼女の死の日時へ。
……いいえ、今すぐに。
神様の粋な計らいか
俺たちが降り立ったのは
杏奈が死を迎える「2週間前」の
今まさに龍矢が暴力を振るおうとしている
その瞬間だった。
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