第25話 ドルゴラッヘ火山-4
夜。麓の食堂で、一行の帰りを待っていたスミンとカロータおばさんが、夕飯を振る舞ってくれることになった。
二階のテーブル席では明日の準備を進めつつ、無事に戻ってきたマノに、カナたちが和気藹々と話を聞いている。
一方、アイとガリュマ、そしてジフはベランダのテラスに出る。
外に広がる空は、菫色と紺碧を帯びて宵の帷に染まりつつある。
テラスには、先客の人影――手すりに腕を組んでしょげているラルの背中があった。傍らには、彼を背に乗せて空を駆けた一体のワイバーンが佇んでいる。
「あれ、ラル。ここにいたのか。マノも中でみんなと話してるし、一緒に混ざればいいのに」
「まぁ……な。一日街中を駆け回ってたらな、さすがに少し……くたびれちまってさ」
「さっきのワイバーンだりゅ!」
「クゥア」
アイの頭の上に乗っていたガリュマが、コウモリのような翼でパタパタと浮遊し、ワイバーンのほうへ飛んでいく。ワイバーンは長い首をしなやかに動かすと、ヒョイとガリュマを頭に乗せた。
見た目は哺乳類の小動物に近いガリュマだが、こう見えて竜獅子という種族なので、竜同士のワイバーンと親近感があるのかもしれない。
魔獣たちの微笑ましいじゃれ合いを見て、少し表情が和らいだラルだが、まだ陰が残っている。
「お前ら、俺よりも年下なのに、しっかり仕事してるみたいですごいよな。
アイは運び屋で、ジフは教団の兵士か……火山の異変について、大人とまともに話せてたし。
俺なんて今日やったこと全部空回りだったから」
「そんなことは……」
「そうだよ、ラルがマノを探してるのについてったおかげで、俺たちも受付所の騒ぎに気付けたんだし」
アイたちを褒める一方で、自分を卑下するラルの様子に、ジフとアイは労いの言葉をかける。俯いていたラルが、不意に宵の空を見上げた。
「……俺んちさ、少し前に母さんに病気が見つかったんだ。こんなご時勢だろ? 黒影病が併発してないか調べるために、今は父さんが大きい都会の病院に連れて行ってるんだ。
だから今は俺とマノだけで、親方の家に世話になってるんだけど……」
問わず語りを始めたラルだが、そこで言葉を詰まらせる。
「〝一緒に行けないなら、俺が父さんの仕事を代わりにやるよ〟って言ったら、〝お前は何もしなくていい〟って言われて……
仕方ないのはわかってるんだ。けど、一緒に都会に行くのもただのお荷物、仕事するのもダメ、って言われると……俺、父さんに信用されてないのかなって」
そして、ラルは胸のうちにつかえていたのであろう出来事を打ち明けた。
「父さんが帰ってきた時に、どんな気持ちで会ったらいいんだろう、とか……そもそも、母さんが帰って来なかったら……とか……
疑ってる場合じゃないのに、何をどこまで信じていいのかわからなくなってて……
そうやって俺がウダウダ考えてるうちに、マノは一人で火山に行っちまうし」
気の沈んだ声で吐露されたラルの本音に、静かに聞いているアイとジフも少し胸が痛む。
「……家族を……疑う……」
その傍ら、ジフはラルが口にした感情が、不意に自分の心を掠めるのを感じた。
「それに、親方もさ……実は親方になったのは最近なんだ。
その前にお頭って人がいて、その人たちが炭鉱のリーダーだったんだけど……前に、火山で仕事中に突然起きた地震に巻き込まれて……なんとか助け出されたけど、怪我の治りが悪くて、その後すぐ……」
さらにラルの口から語られたのは、彼ら兄妹や炭鉱夫たちの面倒を引き受けている、ボルツの件だ。
「親方はお頭の一番弟子で、父さんもずっとお世話になってたし、俺にとってももう一人のじいちゃんみたいな人でさ。最後まで明るかったんだ。
本当なら父さんが次のリーダーになる予定だったけど、母さんのことがあってしばらく街にいられないから、親方に任せていったんだけど……
親方本人は、親方になってから、ろくに火山に行かなくなっちまったんだ」
明かされたのは、かつて彼らをまとめ上げていた、前任のリーダーの存在。
この街の人々も例外ではなく、大陸中で起こる異常現象によって、大切な人物を失っていた。そのせいで以前とは変わってしまうことを、余儀なくされていたのだ。
「せっかく結婚したのに、スミンさんもずっと心配そうな顔してるしさ。
だからなおさら俺が何か手伝いたいって思ってるんだけど……今日のあんな弱腰な親方なんて、お頭が見たらどう思うか……」
それを聞き、今朝初めてあの夫婦と会った時のそれぞれの雰囲気を、アイたちは思い出す。ボルツは消極的に、スミンは物憂げに見えたのは、元々の人柄だけでなく……そういった事情が、二人の間で今も尾を引いているからなのだろう。
炭鉱夫としての胆力を取り戻すどころか、ふりとは言えよそ者に腰を低くしていたボルツを見れば、あの後ラルが反発したのもわかる気がした。
「今の俺にできるのは、このワイバーンたちの世話くらい。こいつらが街から火山に飛んで、炭鉱の人たちに物資や飯を運んでるんだ。その合間に俺が餌やりや寝かしつけとかしてて……
特にこいつ――グラジは子供の頃から仲が良いから、それを見込んで頼まれたんだけど……」
「えっ! 全然すごいじゃん! ラルももっと自信もって良いって!」
ラルからこぼれた卑下に、アイが声を大にして鼓舞する。
その直球の励ましに、無意識に自分がアイたちの肯定を求めていることに気づいたのか、ラルは沈んだ気持ちを振り払うように顔を上げる。
「……いや、俺、何やってんだろうな。会ったばっかのアイたちにこんな話して……」
「お母さんが病気なら、不安で落ち着かないのも当然だろ。ラルが自分を責めてたら、お母さんも悲しむって」
「クァウ」
アイに同意するように、ラグジが短く鳴き、鼻先でラルの顔を軽くつつく。付き合いの長いラグジからの仕草には、より響くものがあるのだろう、ラルは今一度思案する。
「そうだよな……俺が腐ってても何にもなんねぇ」
ラルは手すりの上に組んでいた腕を解き、アイたちのほうへ向き直る。
「明日は火山の調査に行くんだろ。俺もできることは手伝うからさ。アイたちも今日はゆっくり休めよ。あと一方的に話しといて何だけど……今の話はあんま気にしないでくれ」
「……ああ」
「うん。俺たちも頑張るよ。ラルもあんま無理すんなよ」
ラルは気さくな笑みを見せているものの、まだ少しの疲れを滲ませている。そんな彼を、アイとジフは心配に思いながら頷いた。
「ラル坊ー!! ちょっと来てくれー!」
「はーい!! 行くぞ、グラジ。じゃあまた後でな」
「クーァ」
下の階からラルを呼ぶ炭鉱夫仲間の声が響き、ラルはラグジを連れてその場を後にした。
「ラル……大変そうだな」
去っていったラルの背中を、アイはいつまでも案じるように見つめていた。そんなアイを隣で見ているジフもまた、何かを看破したかのように目を細めた。
「お前、今の話を聞いてもうすでに肩入れしてるんじゃないだろうな」
「えっ?」
「自分の力で何か成し遂げたいだとか、役に立ちたいだとか、そういう話を聞くとお前はいつも過剰に共感し過ぎるからな」
「ん……んぐ……」
「一概に悪いと言ってるんじゃない。会ったばかりの相手の悩みを、お前が抱え込む必要はない。毎回のように言ってるだろうが」
「図星の顔だりゅ」
畳みかけるようなジフの指摘に、アイは苦々しくきゅっと口をつぐむ。パタパタと羽で移動してきたガリュマが、ぽふりとアイの頭に乗る。
「まあいい。……それにしても、家族か……。血の繋がった家族でも、信じていいのか悩むことがあるんだな……」
「ん?」
いつものように事務的な忠告で終わるかと思いきや、珍しくラルの話に引っかかりを感じている様子のジフを、アイは意外に思う。
「まあ今日はジフも大変だったよな。なんか……教団同士ですげー揉めてて……リオウがあんなに怒ってるの初めて見たかも……」
「あいつはよそ行きの顔が上手いだけで、教団でずっと一緒にいればあんなもんだ。
ただ……市民を不安から守るはずの教団が、この街の人たちの不信感を煽ったうえ、スレトニウス公務官が本当に隠蔽行為をしていたなんて……」
すでに何年も兵士として働いているジフには、他者と衝突する状況には慣れているのだろう。だが、今回直面した出来事はそれ以上に、人々を不安から救う教団に強い誇りを持っている彼に、少なからずショックを与えたことがうかがえる。
「それだけじゃない……この前の王国の資料館で説明された教団の成り立ちも、リオウが何をどこまで知っているのかも……本気で信じるためには、もっとはっきり確かめる〝べき〟なんだろうが……」
感情に流されず、事実をはっきりとさせて判断しようとする、ジフらしい考えだ。と思ったのだが、不意にジフはそこで言葉を詰まらせる。
「俺にとって教団は、物心ついた時から育ってきた場所で……つまり……家族みたいなものだから……
自分を育ててくれた場所に、そんな仇で返すような疑いを向けていいものなのか……」
そして吐露されたのは、兵士としてではなく――彼の心の中だけにある、ありのままの感情。等身大の少年の、心許なく揺れる想いだった。
「何より、今日のラスティの行動……なんなんだあれは……。
いつもならむしろ、誰より真っ先にああいうのに喰ってかかるはずなのに、あんな三下みたいな機嫌の取り方をするなんて……あいつらしくない」
心細そうだった声色が一転、やけに熱のこもったものになり、ジフは手すりを握る。静かに耳を傾けていたアイも、思わず少し狼狽える。
「た、確かラスティ、前の王国のパーティであの人を探ってみるって言ってたよな」
「あの後もやっぱり付き合いを続けてるんだろう。どう見てもろくな相手じゃないから、不用意に深入りするなと言ったのに」
忠告をふいにされたジフの不満が、手すりを軋ませる指先に集まっていく。やはりいつもの怒涛の小言が始まるのかと、アイとガリュマは隣でハラハラしている。ジフ自身も言葉を探すように、しばし考え込み――そして見つかったのか、小さく息をつく。
「ラスティが……俺の知らない所で、よりにもよってあんな奴と、深い関わりを持ち始めたのかと思うと……胸がすごく、もやもやする」
いざ吐き出されたのは、ジフのものとは思えぬ、やけに幼い感情だった。
アイとガリュマは数秒ほど目を点にしていたが、次第にその顔は、何かを察したような生温かい笑みに変わる。妙に静かに感じたジフが隣を向き、ようやく気づく。
「何だその顔は」
「やっぱジフってさぁ~~ラスティのこと大好きだよなぁ~~!」
「ジフにも子供らしいところがありゅんだな~」
「はぁ!?」
真剣に話していたつもりなのに、何故か緩みきった顔で自分のことを微笑ましそうに見ている彼らに、ジフから心外の声が上がる。
「ジフがそんなにムキになるのって、ラスティのことくらいだもんなぁ~!」
「おい触るな」
「ジフとラスティの仲なんだから、はっきり言ってみたらいいのによ~」
いじらしそうにつんつんと肩を突くアイの指先を振り払い、ジフは気色の悪いその笑みに言ってやろうとする。
「それを言ったらお前だってヨータと――」
――いつもべったりだったくせに。
喉元まで出かかっていた言葉を、ジフは咄嗟に呑み込んだ。
今のアイとヨータは、いつでも会える自分とラスティとは違う。当時とは変わってしまった彼らの状況を思い出し、ジフは少し胸が痛んで冷静さを取り戻す。
幸いアイにははっきりとは聞こえていなかったようで、言い淀んだジフを不思議そうに見ている。
「ん? なんて?」
「……カナの様子が変わるたびに、チラチラ見ていたくせに。カナの身の振りのことをまだ心配してるのか」
「えぇっ!? 見てたのかよお前!」
どうにか別の指摘を引き出し、やり過ごした。アイにはまんまと効いたようで、腑抜けた笑みが吹き飛んで焦り出している。
「アイくんジフくん、カロータおばさんの晩ごはんの用意ができたみたいですよ」
テラスの入り口からショウが顔を覗かせ、穏やかな声で二人を招いた。ちょうどいいタイミングだと言わんばかりに、ジフは先に踵を返してショウの待つ室内へと向かう。
「戻るぞ」
「あっ、おい待てって!」
アイも慌ててジフの背中を追いかける。夜のテラスの静寂を置き去りにして、二人は温かな店内の明かりの中へと戻っていった。
* * *
海よりも地底よりもさらに奥底、光も音も断絶された奈落の底――
――アンダーベース。
地上でどれほど熾烈な諍いが繰り広げられようとも、この深淵にその喧騒が届くことはない。
空虚な静寂に支配された『ベッドルーム』氷柱の中で、調整を受ける氷人形たちが深く眠り続けている。
一番最初に目覚めたのはアルテノーラだった。
培養槽のごとく氷柱の内部を満たしていた水が引いていき、地に足を付けたアルテノーラは柱の外へ出る。
並び立つ氷柱。その数は四本。
ジュディエとカイルはまだ氷柱の中で無数の管に繋がれ、水に揺られている。アルテノーラを含め、使用されている氷柱は三本。何故、自分だけ二人より先に調整が終わったのか、疑問に思いながら稼働中の氷柱を見るが、そんなものは些細なこと。
一本だけ、空のままだ。
任務から帰還する前は、確かに四本全て使われていたはずだ。
ラインゼル軍機関の戦場で、撤退寸前に飛び出していった一人を静止できず、攻撃が迫ってきたため、退却するしかなかった。
目が覚めれば、なんだかんだいつも通り全員揃っていて、あれは悪い夢か何かであればいいと思っていた。あるいは、その四人目の存在自体が、眠っている間に見た夢に過ぎないのだと。
だが調整から現実に帰されれば、氷柱は四本あって、一人分使われていない。
覆しようのない現実を前に、アルテノーラの胸のコアは動悸を起こし、胃が締め付けられ、吐き気が迫り上がってくる。
メイアが戦死した。
――25 ドルゴラッヘ火山




