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蟲姫エリンヴェルデとカゲロウの聖夜

 今日は12月24日、世間一般的にはクリスマスイブという日。常ならば、僕は一人スーパーでクリスマス用のチキンを買い、友人の親が経営しているケーキ屋にホールのチーズケーキを頼んで取りに行き、カップルや家族連れを少しだけ、少しだけ羨ましく感じながらとぼとぼと家まで帰る日であった。


「クリスマスイブ?なんぞ記念日でもあるのか、カゲロウ?」


 そう言ったのは12月に入ってから炬燵から一歩も出なくなり、一段とクリスマス特集が増えたテレビを見るとはなしに見ていたこたつむりのリンさんだった。僕は中学校の期末試験も終わり、どことなく気が抜けていて、適当にミカンを剥きつつ応えを返した記憶がある。


「あぁ、12月24日の夜はクリスマスイブって言って、キリスト教、確かリンさんの世界の統一教に近い宗教かな、その開祖の誕生日を祝う日の前日なんです。まあ日本では単にカップルとか家族連れで一緒に過ごして、チキンやらケーキを食べる日なんです。毎年友達のケーキ屋さんで買ってるので今度カタログ貰ってきますよ」


「ほぉ…ケーキか!いいのう、楽しみだのう。甘いモノは人生を豊かにする気がするからの」


「後は、なんだっけなあ、一番カップルがアツアツな日らしいです、ナントカの六時間とかなんとか…」


「ふむ………、そりゃあ、オモシロイのう」


 その時は特に考えもせず、リンさんもそれ以上は詳しくクリスマスについて聞かなかったので、僕はそれきりその話を忘れていたのだった。その時に、炬燵の向こう側で随分と悪い顔をしていた彼女の顔を見られない位置に座っていたのは良かったのか、悪かったのか。

 その後数日して友人の岸田君がクラスに配った今年のケーキカタログ、それを家でリンさんと一緒に炬燵に潜り込んで、あーだこーだ言いながら選んで彼女のお気に召したのが僕の好きなチーズケーキで、少し嬉しかったのは内緒の話。


 大分寒くなり、年末に向けてのセールなどの声が響く商店街でクリスマスの買い出しを終えた僕は、雑貨屋さんでリンさんへのプレゼントとして可愛らしいスノードームを見繕い、大急ぎで家まで戻る事にした。彼女は、ゆっくり行ってきやと言って、チェシャ猫みたいに笑っていたのだけれど意外とアレで寂しがり屋だ。

 リンさんは認めないけれど、大分長い間付き従う蟲たちだけを伴にして孤独な森の中で暮らしていた彼女は寂しがり屋と言うか、かまってちゃんと言うか、何百倍も年上とは思えないような幼い一面があってなんだか可愛らしい。

 12月に入ってからは期末テストがあって構えなかった分を取り戻すように随分と振りまわされたけれど、最近ではそれも段々落ち着いてきて、逆に物足りなくなっていた。

 商店街から歩いて20分ほどで、我が家が見えてきた。三階建てで結構大きかったりするが、父さんも母さんも居付かないので、もったいない。今ではリンさんと、その他彼女と契約をした蟲たちの部屋としていくつか部屋を使っていたりする。普通なら、蟲たちに部屋を使わせるなんて以っての外なんだろうけれど、そこは両親が昆虫学者なのもあって、目をキラキラさせて部屋を提供したのだ。

 僕は未だにセンさん以外の部屋に入りたくない。色々あって入りたくない。


 頭を振って家の扉を開けると、珍しくリンさんが玄関先まで出てこなかった。代わりに、彼女のよく通る声と、センさんが出迎えてくれる。


「カゲー!御帰り、はよ買ってきた物の準備しぃ、他の準備は出来とるぞ!」


 リビングの奥の方から聞こえてくるリンさんの声。とりあえず、ペルビアンジャイアントオオムカデ、世界最大のムカデを軽く二十倍から三十倍くらいに大きくしたサイズの彼女の護衛蟲、センさんの頭にケーキを載せて顎にビニール袋を引っ掛けて、僕は彼女の元へ向かった。

 リビング、炬燵やテレビが置いてある横には、小さな和室スペースがあり、普段は開け放たれている。そこが珍しく閉められて、その中からごそごそと言う物音とリンさんの声が聞こえてきた。


「リンさん!なんでそんな所に居るの?開けていい?」


 声を掛けて、返事を待つ。一度着替え途中のリンさんの部屋に入って、ぶん殴られて覚えたのだ。普段からほとんど裸の癖に、そういう所は気にするタイプなのだ。


「ダメだ、ホレ、ご飯のさっさと準備を終わらせんか。それまでここから出んから、はようせい」


「天岩戸じゃないんだから…じゃあ、早く出て来てくださいね」


 何がしたいのか、良くわからないリンさんを置いておいて、センさんに持って行ってもらった袋からまだ温かいチキンと、ほうれん草のキッシュを皿に移して、彼女に焼いておいてもらったピザも切り目を入れて、まとめてテーブルに並べる。

 こまごま作っておいた惣菜を並べて、冷やしておいた、リンさんが楽しみにしていたシャンメリーもグラスと一緒に置いて準備完了。二人きりだからそんなに品数は無いけれど、今までのケーキとチキンだけに比べると随分と豪華。久しぶりの誰かとのクリスマスイブを、僕自身、今までになく楽しみにしていた。


「リンさん準備全部出来ましたよ!早く来れないと冷めちゃいますよ!」


 僕の声を聞いたリンさんの今行くとの声が聞こえた。扉を引いた彼女がとてとてと歩いてくる音が聞こえて、僕は何気なく振り返って、絶句した。


「な、なんじゃ、似合っとらんか?この衣装、わざわざこの日の為にいんたーねっとで買ったのじゃけど…」


 リンさんはクリスマス衣装、いわゆるコスプレをしていた。それも随分と布地が少ない、これはいつものことだけれど。くるりと一回転して僕にこわごわと主張する。

 

 頭にはサンタの帽子に、何故かトナカイの角。

 

 上半身はチューブタイプの少し薄手の布地でニップレスが透けている。ファーの付いたロンググローブもぬかりない。


 下半身はスカートなのか腰巻なのか分からないくらい短い薄手のファー付きのスカートに、その下からうっすら透ける布地の少ない、パンツなのか良くわからない紐状の物体。


 一瞬のうちに、目に焼き付いたリンさんはとても美しかった。何も言えないくらいに綺麗で、一瞬で顔が真っ赤になるのが見なくても分かった。


「う、のう、カゲ?しっかりせい、なんとか言わんと、分からんではないか。いんたーねっとで調べたら映っとる女子は私と違って乳も大きいし、柔らかそうだったしの…」


「あ………そ、その、良い!良いです。すごい…」


 別に普段の伝統衣装とそれほど露出度は変わらないはずなのに、今目の前に居るリンさんから目が離せない。少し恥ずかしげな彼女は顔を赤く染めて、そのまま、ゆっくりと向かいに座る。

 お互いに何も言えなくなる。彼女と目が合い、にやりと彼女の口元が月のように切れ上がった。何もかも見透かされてるような、いつもの年下の子供みたいな雰囲気が消え、そこには僕よりも何百倍も長く生きた女の顔があった。


「ははは、どうじゃ!カゲ、わざわざ二万五千円も出して衣装一揃い買うた甲斐があったじゃろ、おんしのその、だらしのない顔が見れただけで、充分元は取れた。ほれ、ご飯が冷めてしまっては困る、ささと食べるぞ!」


 一瞬だけ、僕を虜にした女の顔をしたリンさんがいつのもリンさんに戻って、一気に空気が緩んだ。見惚れた僕はきっと恥ずかしさでより一層真っ赤になっているだろう。


「ちょ、リンさん!それそんなにしたんですか!いくら父さんから御金もらってるからって、そんなもったいない使い方するのは僕が許しませんよ!」


「なんじゃ、見惚れおった癖にぃ。そんなにこの色気ムンムンの衣装が嫌なら今から脱ぐか?ほれほれ?」


 ちらちらと、チューブ状の布地を引き延ばして、胸を見せるリンさん。それをやるのはせめておっぱいが育ってからにしなよとは言わないで、最終宣告を彼女に告げる事にする。


「それ以上、くだらない事するなら、デザートのチーズケーキはお預けにしますよ!」


 むっと、した顔を僕は作ってみせる。多分、リンさんはこの誘いに乗ってくるだろう。チラチラ目線が、チキンやピザに飛んでいるのだから。結局色気より食い気が優先されるヒトなのだ。


「ぬあっ、カゲそれはひどいぞ、あれほど私にチーズケーキの美味しさを熱弁しておいて!」


「じゃあ、ほら手を合わせて、いただきます!」


「うむ、いただきます」


「ほら、シャンメリー開けたいって言ってましたよね、気を付けて、これで押さえて」


 ポンと言う気持ちの良い音とともにリンさんがシャンメリーを開けて、僕のグラスに注いでくれる。ボトルを受け取って、今度は僕が彼女にシャンメリーを注ぐ。


「乾杯!」


 グラスを重ねた後は、競争のように食い意地の張った彼女に負けないように用意したごちそうを思う存分に食べるだけ。


「あ!ちょっと、そのチキンはまるごと齧るんじゃないですよ!切り分けてあげますから!」


「ほがっ!?」


「ああ、もうリンさん…」


 始終そんな風にリンさんに振りまわされて、ようやくデザートのチーズケーキを食べ終わる頃には僕はヘトヘトになっていた。


「ごちそうさまです、ケーキの残りは明日の朝ご飯ですから、摘み食いしないでくださいよ」


「チーズケーキはカゲの言うとおり美味じゃったけど、さすがにもう入らんよ…」


 お互いに見つめ合って、どちらともなく笑い合う。こんなに楽しく過ごしたクリスマスイブは初めてかもしれなかった。


「あぁ、楽しかった。また来年のクリスマスイブが楽しみです。それまでにはリンさんにテーブルマナーを覚えてもらいますよ」


「めんどうなのは好かんよ。それにこれからがクリスマスの本番じゃろ?性の六時間なる奴は今日の午前三時までだという話であろう。何のために私がこんな衣装を来たと思っとるんじゃ、くふ」


 いつの間にか僕の傍に立ち、顔を寄せたリンさんの声が耳元にぬるり。一瞬にして燃えあがった僕の身体の熱が、手を掴んだ彼女の手に抜けて行く。

 小さく綺麗な手、けれど、僕よりも何倍も大きく感じる手に引かれて僕はリビングを後にした。

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