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NoAh  作者: ばななっとう
プロローグ
8/9

シーン7 再会

いい匂いがする。


最初に感じたのは、それだった。乾いた木の香りに、花のような甘さがふんわりと混じっている。どこかで嗅いだことがあるような、包み込まれるような優しい匂いだった。


――ここは……どこだ?


重たいまぶたをどうにか押し上げると、木で組まれた天井の骨組みが見えた。粗く葺かれた茅の隙間から細い光が差し込み、その光の筋の中で、細かな埃がきらきらと舞っている。


ぼんやりと天井を眺めているうちに、意識が少しずつはっきりしてきた。それにつれて、体の感覚が戻ってくる。


「いった……」


身じろぎすると、背中や脇腹が軽く引きつった。骨が折れている感じではないが、ひどい筋肉痛に似た痛みだった。


動けないほどじゃない。ただ、今すぐ起きる気にはなれない。ふっと息を吐いて力を抜くと、体がわずかに沈んだ。どうやら、ベッドに寝かされているらしい。薄い布の下には藁か何かが詰められているのか、ざらついた硬さが背中に伝わってくる。


最初にこの星へ落とされたときのあのふかふかのベッドとは、えらい違いだ。


……あれから、何があったんだっけな。


冴え切らない頭で、気を失う前のことをたどる。確か、あのベッドに落ちたあと、うるさい白長髪の男に捕まり、蜘蛛男と一緒に牢を脱出した。ただ、どうして連れ出されたのかは分からない。


そのあと、白狼の背にしがみついて城から逃げ出した。助かった、と思った矢先だ。白狼が雷撃を食らっちまった。あれは誰の仕業だ? それも分からない。


その拍子に背から弾き出されちまって、視界がひっくり返って……。


そうだ、思い出した。真っ暗な森が見えた。あれ? だとすると、何でこんなところで寝ているんだ? 誰かに助けられたのか? でも、なんで? ――駄目だ。何もかも分からない。


くそっ、この星に落ちてからというもの、意味不明なことばかりだ。説明が欲しい。誰か、説明書をくれ!


心の中で叫ぶも、当然そんなものはない。細い光の中で、埃がゆっくり揺れている。こちらの混乱など知るはずもなく、部屋の中には妙に穏やかな空気だけが漂っていた。


「ほんと、もう。わけわかめだぜ」


諦めたように呟き、重い体を横へ向けた途端、息が止まった。


「――えっ?」


そこにいたのは、白い繭に包まれていた、あの娘だった。


目と鼻の先で、すやすやと寝息を立てている。


近い。近すぎる。少しでも動けば、唇が触れてしまいそうな距離だ。


理解が追いつかないまま、ただその寝顔を見つめる。きめ細かな白い肌。伏せられた長い睫毛。頬にかかってくる、穏やかな吐息。枕にほどけた金色の髪からは、さっき感じた花の香りがしている。


――綺麗だな。


って、そうじゃないだろ!


何を呑気に見とれてるんだ、俺は! なんで同じベッドに寝てるんだ!?


おかしいだろ! これはどういう状況だ? これで二度目だぞ。一度ならうっかりで通せたかもしれないが、今度こそ言い逃れできない。


まずい。非常にまずいぞ。こうなりゃ仕方ない。やぶれかぶれで、このまま襲い掛かって――


いや、待て待て待て。何を考えてるんだ。落ち着け、俺。幸いにも、彼女はまだ眠っている。起こさなければいい。このまま静かに離れればいいだけだ。


そうっと。そうっとだ。


息を殺し、できるだけ音を立てないように体をずらす。


よし。いける。


胸の内でそう呟いた直後だった。


伏せられていた睫毛が、ふいに持ち上がった。


蒼と緑の瞳が、ぼんやりと俺を映す。


次の瞬間、その瞳がこれ以上ないほど大きく見開かれた。


まずい。このままじゃ、また叫ばれる。


何かないか。この状況をごまかす方法。


怪しくない。怖くない。それでいて、気の利いた……ひらめいた! これしかない!


俺はできるだけ無害そうに目を丸くし、こてんと首をかしげた。


「うきゅ?」


愛らしい声を出す。


完璧だ。今の俺は、どこからどう見ても人畜無害なマスコットだ。


そう思った矢先――。


「きゃあああっ!」


悲鳴が耳をつんざく。


反射的に身を引こうとしたが、それより早く、胸をどんと押し返された。


「どわっ!」


勢いに耐えきれず、体がベッドの端から滑り落ちる。次の瞬間、床に背中をしたたか打ちつけた。


「いたた……!」


ただでさえ痛んでいた背中に、鋭い痛みが走る。

顔をしかめている間に、彼女はベッドから飛び起き、怯えたようにこちらから距離を取った。


「ま、待った、誤解だ!」


慌てて上体を起こし、敵意はないと示すため手を上げる。だが、彼女は何も言わない。警戒しきった目でこちらを見ながら身を縮め、首から下げたロケットを両手でぎゅっと握りしめている。


「話を聞いてくれ!」


一歩踏み出すと、彼女は目を逸らさないまま、一歩下がった。


「いや、その……話を――」


さらに一歩寄る。彼女もまた一歩下がる。


また一歩。また一歩。


近づくたびに、きっちり同じだけ距離を取られる。一歩寄れば、一歩下がる。もう一歩寄れば、また一歩下がる。


何度か繰り返すうち、変な悪戯心が顔を出してきた。


……なんだこれ。面白い。


駄目だと思いつつも、好奇心が勝ってしまう。じわじわと近づいていくうちに、彼女は部屋の隅まで下がってしまった。


もうこれ以上は逃げられない。ここでさらに脅かしたらどうなるんだ? 壁でもよじ登るのか?


馬鹿げた好奇心に引っぱられるように、俺はゆっくりと腕を持ち上げていた。


大きく息を吸い込み、口の端をつり上げる。


そして――。


「――があっ!」


獣の真似をして、思いきり声を上げた。


その瞬間だった。


バン、と扉が開いた。


そこに現れたのは、小さな男の子だった。坊主頭の、いかにもわんぱくそうな子供だ。


獣のポーズのまま固まった俺と、男の子の目が合う。その子は一瞬きょとんとしたが、すぐにぱっと顔を輝かせた。


「起きた!」


その声に続いて、外からどたどたと足音が近づいてくる。


ほどなく、子供たちがなだれ込んできた。甲高い声が一斉に弾け、部屋はたちまち騒がしさに包まれる。


「わっ、本当だ。起きてる!」


「お姉ちゃんもだ!」


「もう平気なの!?」


明るい声が、波みたいに押し寄せてくる。腕をつつかれ、服の裾を引っ張られ、痛む背中まで容赦なく押された。


「いたっ。おい、やめろ」


そう言って振りほどこうとしても、小さな手は俺をつかんだまま離れない。むしろ、さらにぐいぐい引っ張ってくる。


このままじゃ、身がもたない。何でもいい。とにかくこいつらの注意を逸らさないと。そう思い、目についた坊主頭の男の子に声をかける。


「よ、よぉ、お前らが俺らを助けてくれたのか?」


「ううん、僕たちじゃ重くて無理だよ。オビィが連れてきたんだ」


オビィ? また知らない名前だ。


「えっと……ここはどこなんだ?」


「トレーボル孤児院に決まってるよ!」


「孤児院……?」


「うん!」


なるほどな。だから子供が多いのか。ざっと見ただけでも十人はいる。年も背丈もばらばらだが、どいつもこいつも騒がしい。


そういえば、あの娘は?


ふと気になって視線を向けると、彼女もまた子供たちにまとわりつかれていた。


袖やスカートを引っ張られ、怯えたまま身を縮めている。


さすがに気の毒だ。手を貸すか。


そう思った矢先、今度は俺の腕がぐいと引かれた。


「ご飯行こ!」


「は?」


返事をする間もなく、腕を引っ張られ、思わず足がもつれそうになる。


「おい、ちょっと待て。少し落ち着け――」


そう言っても、子供たちはきゃっきゃと騒ぐばかりで、誰も聞いちゃいない。


半ば引きずられるように扉へ向かっていた、その時だった。


ふいに、背筋がぞくりと冷えた。


「マジカルチャージ、十パーセントォ……」


向かいの壁の向こうから、地の底を這うような声が響いてくる。


途端に、子供たちの顔色が変わる。


「伏せて!」


叫ぶなり、小さな手がぱっと離れた。子供たちは一斉に頭を抱え、床へ身を投げた。


「は?」


わけも分からず立ち尽くした、その直後だった。


「フェアリィィィ・ボンバァァァ!!!」


空気が震えた。


向かいの壁が内側へ弾け飛ぶ。


板壁が砕け、乾いた木片が一気に吹き込み、破片が頭上をかすめていく。


何が起きた。爆発か? 襲撃か? 訳も分からず、ただ立ち尽くす。


埃が舞う部屋の中で、巨大な影がゆらりと揺れた。


黒くカールした髪。つるりと光る頭頂部。頬から顎にかけて広がる、青々とした髭の跡。そこまでは、まだ人間に見えなくもなかった。


問題は、その下だ。


服の上からでも分かるほど盛り上がった筋肉。部屋が狭く見えるほどの巨体。そのくせ、身にまとっているのは、草を編んで作ったような、ひらひらしたドレスだった。


体格と服装が、何ひとつ噛み合っていない。


人、なのか?


俺が言葉を失っていると、その横で子供の怒鳴り声が飛んだ。


「何してるんだよ、オビィ! 壁が壊れちゃったじゃん!」


こいつがオビィなのか?


この、妙な服を着た筋肉の塊が?


その異様な男は、聞いているのかいないのか、大きな体を小刻みに震わせながら、おずおずと自分の肩を指さした。


「……み、見なさい」


子供たちの視線が、その肩へ集まる。俺の目も、自然とそこへ吸い寄せられた。


盛り上がった肩の上に、小さな虫がぺしゃりと潰れて張りついていた。


オビィは震える声で告げる。


「虫よ」


……虫?


虫一匹潰すために、壁をぶち抜いてきたのか?


その図体で。その筋肉で。そんな小さな虫が怖いのか?


いや、怖いのはお前だろ。


俺は何も言えないまま、そのあまりにも不可解な光景を見つめ続けるしかなかった。

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