シーン8 食卓でのひととき
食堂には、質素だがきちんと整えられた木製の長テーブルが置かれていた。子供たちに促されるまま、俺は少女と一緒に、その中ほどの席に座る。目の前に木製の大皿が置かれた途端、ぐう、と腹が鳴った。
この星に落ちてから、まだ何も食べていない。多少変なものでも、今なら食えそうだ。
そんな期待を胸に待っていると、皿の上に、ごと、ごとと石が置かれた。
片手で包めるほどの、角ばった水晶のような石だった。内側には淡い緑色の光が灯っている。少なくとも俺の知っている食い物ではない。
……何だ、これ。食えるのか?
隣の少女も、戸惑ったように皿を見つめている。
そこへ、先ほど壊した部屋の方からオビィが戻ってきた。肩についた木くずを払いながらこちらへ歩いてくると、俺たちの皿に置かれた石を見るなり、子供たちに向かって軽く手を振った。
「ああ、ダメダメ。こいつらは人間よ。戸棚の奥にパンがあったでしょ。それでいいわ。緑になってるところは除いてあげてね♡」
不吉なことをさらりと言って、オビィは向かいの椅子にどっかりと腰を下ろした。巨体を受け止めた椅子が、みしりと音を立てる。そのまま頬杖をつき、俺と少女の顔を見比べてから、にっこり笑った。
「その様子なら、ひとまず無事みたいね」
「お前が助けてくれたのか?」
「あら、お前だなんて、よそよそしいわね。オビィでいいわ……そうよ、アタシが運んできたの。あの森は危ないからね」
「そうか。助かった。俺は……バンだ」
「バン~~?」
オビィは不思議そうに首を傾げた。
何だ? 別におかしい名前じゃないだろ。囚人三号よりはずっとましだ――。
そう思った直後、横から小さな影が飛びついてきた。
「僕はコナー。八歳だよ!」
坊主頭の男の子が、俺の腕にまとわりついてくる。さっき腕を掴まれた時には気づかなかったが、その首筋には、黒い入れ墨のような模様が刻まれていた。
気になって周りを見れば、他の子供たちの腕や足首にも同じような黒い模様があった。神族には、体のどこかに紋章がある――という三号の言葉が頭をよぎった。
つまり、こいつら全員、神族ってことか。
このオビィとやらもそうなのか? 見た目だけなら、神族というより、魔族と言われた方が納得できる気もするが。
じっと見ていると、オビィが眉を寄せた。
「な~~に? じろじろと。やらしいわね」
「……オビィ、あんたも神族なのか?」
そう尋ねると、オビィはひらひらと手を振った。
「いや~ねぇ。妖精に決まってるじゃない♡」
すかさずコナーも胸を張る。
「そう、決まってるよ!」
決まってる、のか?
この筋肉むきむきのおじさんが、妖精? 俺の知っている妖精とは、だいぶ違う。
「妖精っていうのは、神族なのか? それとも魔族か?」
何気なく口にした途端、オビィの笑みがぴたりと止まった。まるで、そんなことも知らないの、とでも言いたげに、じっと俺を見てくる。
まずい、怪しまれているな。仕方ない。いつもの手を使うか。
こほんと咳払いをして、できるだけ明るく言った。
「実は、森に落ちたときに頭を打ったみたいでな。名前以外、何もかも忘れちまったんだ」
そう言うと、オビィの眉間に寄っていたしわがすっと消え、疑うような目つきがやわらいだ。
「あら、ドジね。道理でおかしいと思ったわ」
あっさり信じてくれたことに、ほっと息をつく。格好こそ異様だが、話は通じる。少なくとも、これまで出会った連中よりはずっとましだ。色々聞くなら、今しかない。
「そういうわけで悪いんだが、思い出すきっかけが欲しいんだ。俺の知らないこと、色々と教えてくれないか?」
「もちろんいいわよ。でも、それは食事のあとでね♡」
オビィはそう言うと、胸の前で指を組み、目を閉じた。見回せば、子供たちもすでに席につき、同じように静かに祈っている。ひとりだけ何もしないのも落ち着かず、俺も見よう見まねで手を組んだ。
オビィが祈りの言葉を口にした。
「神が遺せし恵みに感謝を。
この糧を受け、我らは今日の命を紡ぎます。
謹んで、いただきます」
「いただきます」
声がそろった次の瞬間、それまでの厳かな空気ははじけ飛んだ。
一斉に石へ手が伸びる。小さな手が皿の上で入り乱れ、「それ僕の!」「早い者勝ちだよ!」と声が飛び交う。さっきまでの静けさはどこへやら、食卓はあっという間に戦場みたいになった。
奪い合っている緑色に光る石――あれがキカイ石だ。あんな硬そうなものを、どうやって食べるのか。気になって目で追ってみるが、誰も口には運ばない。小さな手の中で、内側の光だけが少しずつ薄れていく。
やがて光を失ったキカイ石は、ただの透明な石のようになっていた。
なるほどな。食べるというより、吸収する感じなんだな。
つい見入っていると、オビィがこちらを見た。
「アンタたち、食べないの?」
「いや、いただくよ」
そう言って、自分たちの皿に目を落とす。乗っていたのは何の変哲もないパンだった。ただし、端の部分が少しえぐり取られている。
……緑のところを除くって、冗談じゃなかったのか。
まあいい。空腹には代えられない。
俺はパンを手に取り、そのまま口へ運びかけて――ふと、あることに気づいた。
「これ、何もかかってないじゃないか。ジャムとかないのか?」
当然のように聞くと、オビィは呆れたように半目になった。
「ごちそうになっておきながら、図々しいやつね。ほら」
そう言って、瓶を渡してくる。中には、真っ赤なジャムがぎっしり詰まっていた。
「ありがとな」
迷わずふたを開け、瓶を逆さまにする。赤いジャムがどろりと一気に流れ落ち、あっという間にパンに山を作った。
「アンタ、何してるの!」
驚きの声が飛ぶ。
「えっ? 何が?」
「何が? じゃねぇよ……」
オビィは低い声で吐き捨てるなり、すっくと立ち上がり、つかつかと俺の背後に回った。背筋がぞくりとした次の瞬間、太い腕が首に回る。
「もったいないだろがぁぁ!」
怒号と同時に、丸太みたいな腕がぎり、と喉元を締め上げた。
「あ、待っ、ギブ! ギブギブギブ!」
容赦のない絞め技をかけられ、俺は情けない声を上げるしかなかった。
***
食事が終わり、ようやく喧騒も落ち着いた。子供たちは、皿を運んだり、透明になったキカイ石を片付けたりしている。
そんな中、隣の少女は、いまだに何ひとつ口にしていなかった。オビィや子供たちが声をかけても反応せず、ただ金のロケットを握りしめ、自分の殻に閉じこもってしまっているようだった。
気になって横目で様子をうかがっていると、向かいに座るオビィが口を開いた。
「それで、アタシに何が聞きたいの?」
はっとして視線を戻す。オビィは頬杖をつきながら、ご機嫌そうにこちらを見ていた。
そうだった。すっかり忘れていた。何を聞くかな。まあ、とりあえず――。
「さっきの石、あれがキカイ石なんだよな。ってことは、ここにいる子供たちはみんな神族なのか?」
「当たり前でしょ。アンタ、そんなことまで忘れたの?」
オビィは呆れきったようにため息を吐いた。だが、俺は構わず続ける。
「便利な身体だよな。触るだけでエネルギーを摂取できるなんて。摂りすぎても問題はないのか?」
「あるに決まってるでしょ。人間が食べすぎたときと同じよ。具合が悪くなって動けなくなるわ。まあ、人間みたいにお腹がパンパンになることはないけどね」
「味は?」
「味なんてないわよ。ただのエネルギー補給って感じね」
「なんだ、それはつまらないな」
「あら、アタシたちだって、人間の食べ物を食べることはできるわよ?」
オビィは肩をすくめた。
「そうなのか?」
「ええ。ただ、栄養にはならないわね。味を楽しむだけ。吸収されないから、ほとんどそのまま、うんことして出るわ」
「へぇ、面白いな」
純粋に感心して、隣の少女に笑いかける。
「なっ、面白いよな」
しかし彼女は答えるどころか、さらにうつむいてしまった。しまった。今のは少し、いや、かなり下品だったか。どうにか取り繕おうとして、慌てて別の話題を探す。
「そういえば、君の名前は?」
問いかけても、彼女は答えなかった。声が届いていないわけではないはずだ。けれど、いまだ怯えが抜けないのか、肩を小さく震わせるだけで、こちらを見ようともしない。
駄目そうだな、諦めかけたその時だった。
「イオンちゃんよ。でしょ?」
オビィがにこっと笑って口を挟んだ。
少女がはっと顔を上げる。驚いたような目が、オビィへ向けられた。
この反応を見る限り、間違いではなさそうだ。この娘、イオンっていうのか。それにしても、なぜオビィが知っている?
聞きたいことが、またひとつ増えた。だが今は、それよりも、彼女が反応してくれたことの方が大きい。あと一押しで、何かしゃべってくれるかもしれない。
よし――。
「君は、どうして連れ出されたのか分かる?」
もう一度、イオンに聞いてみる。
だが、彼女は唇をわずかに震わせただけで、また視線を落としてしまった。何かを言おうとして、けれど飲み込んだようにも見える。
無理に聞くべきじゃなかったかもしれない。そう思いかけたとき、かすかな声が返ってきた。
「……分かりません」
鈴を鳴らしたように澄んだ、小さな声だった。怯えのせいか少し震えていたが、その響きは不思議と耳に心地よかった。
彼女に心当たりがあれば、俺が連れ出された理由も分かると思ったんだが――まあ、仕方ない。話してくれただけでも良しとするか。
少しでも安心させるように、俺は肩をすくめた。
「そうか。俺もまったく分からなくてな。仲間だな」
そう言って、できるだけ軽く笑ってみせる。
そこへ、またしてもオビィが割って入ってきた。
「あら、アタシは分かるわよ?」
「なに!? 本当か?」
思わず身を乗り出す。
「ええ。なんなら、アンタたちが連れ出された理由も、それを指示した奴も分かるわよ」
そう言って、オビィはにやりと笑った。
嘘だろ? 何でこいつがそんなことを知ってるんだ? いや、今はそんなことはどうでもいい!
「教えてくれ!」
「だーめ♡」
オビィはいたずらっぽく笑った。
「ふざけている場合じゃないんだ! 頼む!」
「あら、アンタだって本当は分かるはずよ。頑張って思い出すのね」
いや、思い出すも何も、俺はこの星に来たばかりで、何もかも知らないのだが。くそっ、記憶喪失なんて言ったのが裏目に出ちまった。だが、こんなことで諦めるわけにはいかない。
もう一度問い詰めようとしたところで、ことり、と目の前にカップが置かれた。
「はい、どうぞ」
顔を上げると、一人の女の子が立っていた。背中まで伸びた茶色の髪を、白いリボンで結んでいる。まだ子供のはずなのに、どこか大人びた雰囲気があり、やわらかな表情でこちらを見ていた。そのおっとりした様子に、こちらまで妙に落ち着いてしまう。
「ありがとな。えっと……」
「私? サラだよ」
サラはそう名乗ると、カップの横に砂糖の瓶をそっと置いた。透明な瓶の中には、白い砂糖がぎっしり詰まっていた。
「サラか。よろしくな」
そのまま砂糖の瓶を手に取り、ふたを開ける。カップの上で逆さまにすると、白い砂糖がどさりと一気に落ち、黒い液体の中へ沈んでいった。
「えっ?」
サラが小さく声を漏らす。
思わず、「えっ?」と聞き返した。その直後、背中に覚えのある殺気が走る。
「だからぁ……」
地の底を這うような声とともに、太い腕が首に回った。
「もったいねぇって、言ってんだろうがぁぁぁ!」
ぎり、と喉元が締め上げられる。
「あぁ~~~!」
喉の奥から、情けない声が漏れた。抵抗する間もなく視界が狭まり、俺は本日二度目の絞め技に沈んでいった。




