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NoAh  作者: ばななっとう
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7/9

シーン6 脱出②

ようやく、塔の縁へたどり着いた。腕は限界で、指先にはほとんど力が残っていない。足の裏も、もう感覚が怪しい。だが、ここから無警戒に乗り上げるわけにはいかない。見張り塔なら、上に兵士がいると考えるのが普通だ。


縁からほんの少しだけ顔を出し、頂上の様子を窺う。思っていたより、ずっと静かだった。人の声も、足音も、金具が擦れる音すら聞こえない。妙な静けさに眉をひそめながら、もう少しだけ身を乗り出したところで、思わず目を疑った。


見張り台の上に、二人の兵士が倒れていた。痩せた男と、やたら大柄な男。どちらも地面に突っ伏したまま、ぴくりとも動かない。


「……何だあれ?」


しばらく様子を窺ってみる。だが、起き上がる気配はない。身構えていた分だけ、肩透かしを食らったような気分になる。


なるほど、あの蜘蛛男の仕業か。警戒して損したぜ。全く、先に言っておけよな。ぶつぶつ文句を言いながらも、ほっと息を吐き、塔の頂上へ体を乗り上げた。


そこは、四角い石造りの平場だった。中央には塔の内部へ続く階段があり、四隅には牢屋で見たものより大きなイグナイトの明かりが置かれている。


今度は塔の外へ目を向ける。こちら側の城壁の向こうは崖になっており、向こうへ渡るのは無理そうだ。反対側へ目をやると、城内の向こうに大きな門と坂道が見えた。


明らかに、向こうが出口だな。道理で、こちら側の兵士が少ないわけだ。


見回しても、脱出に使えそうなものは何もない。どうやってここから出るつもりなんだ? まさか、城壁の外へ糸を伸ばして渡る気じゃないだろうな。そんなことをすれば、城内の兵士に丸見えだ。


まあ、それはあいつが戻ってきてから聞くか。今はそれより、こいつらをどうにかしないとまずい。目を覚ましたら、脱出どころじゃなくなる。


痩せ形の方を軽くつつく。反応はない。念のためもう一度つついてから、首根っこをつかんで階段近くまで引きずった。痩せているくせに、妙にごつい服を着込んでいるせいで見た目よりずっと重い。


続いて巨体の兵士に取りかかる。こっちは見た目通り洒落にならなかった。文句を言いながら、どうにか二人を中央の階段付近まで引きずったところで、ふと気づく。


連れてきたのはいいが、ここからどうするか考えていなかった。いっそ、この階段から突き落として――いや、よそう。


深いため息が漏れる。


……何やってるんだ、俺は。ただ無駄に疲れただけじゃないか。


そう思って立ち上がり、こわばった背中を伸ばした直後だった。先ほど登ってきた塔の縁から白いものが放り込まれた。幾重にも白い糸を巻きつけられたその姿は、繭のようだった。しかも、荷物にしては妙に大きい。


呆気に取られて見つめていると、続いてあの蜘蛛男が現れた。まるで苦もなく塔の上へ上がってきた姿は相変わらず不気味だったが、無事だったことに少しだけほっとした。


「よぉ、遅いぞ」


声をかけても、当然のように無視される。男は鋭い視線で周囲を見回すと、白い繭の前で足をかがめた。


「そのでかいの、何だ? 城のものでも盗んできたのか?」


返事を期待せずに問いかけると、意外にも赤い目がこちらを向いた。


「そいつらは、お前がやったのか?」


そいつら? 予想外の返しに、一瞬、何のことか分からなかったが、すぐに思い至る。ああ、この兵士のことか。


いや、待て。蜘蛛男がやったんじゃなかったのか?


そんな疑問が頭をよぎった直後、頬に冷たいものが触れた。遅れて、それがナイフの刃だと分かる。


息が止まった。


顔を動かせないまま、目線だけを横へ流す。肩口から回された腕が、俺の体をがっちり押さえ込んでいた。その腕の主が、さっき階段近くまで引きずってきた痩せ形の兵士だと気づくのに、時間はかからなかった。


「何なんだ、お前?」


そう言うと、視界の端で、男の口元がにやりと歪んだ。


「見りゃ分かんだろ。リオレス兵だよ」


いや、その笑い方で兵士は無理があるぞ。


そう言い返したいところだが、頬に当たる刃のせいで余計な口は挟めない。男は刃を押しつけたまま、俺の肩越しに蜘蛛男へ声を飛ばした。


「その白いぶつを渡せ。じゃないと、こいつがどうなるか分かってるよな?」


刃が頬に食い込む。薄い痛みが走り、喉の奥がきゅっと狭くなった。このままじゃ、まずい。


思わず蜘蛛男を見る。何とかしろ、という目を向けたつもりだった。だが、当の本人はまるで動じていない。白い繭のそばからゆっくり立ち上がると、冷めた声で言った。


「好きにしろ。そいつにそこまでの価値はない」


おい。


思わず心の中で突っ込む。


しばらく、痩せ形の兵士の視線がこちらの顔に留まった。人質として使えるのかどうか、値踏みしているような目だ。やがて、ちっと舌打ちした。


どうやら、今のセリフを本気にしたらしい。どっちもひどくないか?


「おい、ドリントン。いつまで寝てる。起きろ」


その声に応じるように、巨体の男がむくりと身を起こす。首を左右に鳴らし、のそりと立ち上がった。やはりこいつも気絶していなかったようだ。


「こうなりゃ力づくでいくぞ。その蜘蛛男を片付けろ」


命令を受けた巨体の男が、無言のまま歩き出す。重い足音が、ひとつ、またひとつ近づいていく。それでも、蜘蛛男に焦る様子はない。おもむろに腰の銃を抜くと、夜空へ向けて引き金を引いた。


パンッ、と乾いた銃声が夜の城に響いた。


一瞬の静寂のあと、城内のあちこちで慌ただしい声が上がる。


「何だ、今の音は!」


「見張り塔の上だ!」


「急げ!」


姿は見えない。それでも、騒ぎ声が少しずつ塔の下へ集まってくるのは分かった。


痩せ形の兵士が、ぎり、と歯を鳴らす。こちらに刃を押しつけたまま、低く唸った。


「てめぇ……何の真似だ」


蜘蛛男はゆっくりと銃口を下ろした。その口元に、かすかな笑みが浮かぶ。


「お前らの仲間を呼んでやった」


「くそが……」


男が低く毒づく。次の瞬間、頬に触れていた冷たい刃が離れた。


「一旦引くぞ!」


そう吐き捨てるなり、痩せ形の兵士は身を翻した。巨体の男もすぐに続き、二人は慌ただしく階段を下りていった。


頬に残った痛みを指先で確かめる。うっすらと血がついた。だが、傷を気にしている場合じゃない。


塔の縁へ駆け寄り、下を覗き込む。周囲には、異変に気づいた兵士たちがすでに集まってきていた。武器を手にした何人かが、入口へ飛び込んでくる。


「やばい、登ってくるぞ!」


声を上げた、その時だった。


城壁沿い、ここから少し離れた茂みが突然激しく揺れた。枝葉を押しのけて白い影が飛び出し、兵士たちの中へ突っ込む。誰かが叫ぶより早く、数人の体が宙に浮いた。星明かりを受けて、銀白の毛並みが閃く。


でかい。狼だ。いや、狼なんてもんじゃない。


巨大な白狼が、混乱の中を縫うように駆け抜け、迷いなく塔へ向かってきた。


「何だ、こいつは!」


「止めろ!」


怒号が飛び交う。だが、白狼は止まらない。立ちはだかる兵士を跳ね飛ばし、あっという間に塔の根元に達した。


その勢いのまま石壁に爪を立てると、垂直の壁を信じられない速さで駆け上がってくる。


「こっちに来るぞ……!」


銀白の毛並みが、みるみるうちに迫ってくる。


逃げないと。そう思った瞬間、背後から首根っこをがしりとつかまれた。


「行くぞ」


蜘蛛男の声が耳元で落ちた。


行くぞ?


嫌な予感がした。


「おい、待て――」


言い終えるより早く、体がぐいと引かれた。片腕で白い繭を抱えた蜘蛛男が、塔の縁を勢いよく蹴る。


「おわっ!」


体が塔の外へ放り出され、石壁が一瞬で遠ざかった。


落ちる――。


そう思った直後、塔の外壁を駆け上がってきた白狼が、鋭く壁を蹴って夜空へ躍り出た。空中でしなやかに体をひねり、こちらへ背を向ける。


蜘蛛男は迷いなく、その背中へ飛び乗った。


白狼が、何もない夜空を踏みしめた。ぱきり、と澄んだ音が鳴る。


飛んでる……いや、走ってるのか、これ……?


その足元に、細い氷の道が次々と生まれていく。白い巨体はそれを足場に、さらに高く駆け上がっていった。


何が起きているのか、頭が追いつかない。


蹴られた氷の道はすぐに砕け、散った氷片が星明かりを受けて背後へ流れていく。はるか下では兵士たちが騒ぎ、いくつもの明かりが右往左往していた。けれど、怒鳴り声はもう遠い。


助かったのか。そう思い、ふぅ、と息を吐いたところで、蜘蛛男が白い繭を押しつけてきた。


「持ってろ」


「うおっ……!」


想像以上の重さに、上体が大きくのけぞった。慌てて落とさないように抱え込む。


白い巨体はなおも空を駆けていく。氷の道を蹴るたびに背中が大きく揺れ、強い風が正面から叩きつけてくる。その風にあおられ、腕の中の繭が大きく揺れ、糸の一部が、ふわりとほどけた。


隙間から、何かが見えた。白い頬。かすかに開いた唇。


――さっきの女の子だ。


どういうことだ。何でこの娘が、こんなところにいる。


最初に目を覚ました、あの部屋。そこで眠っていたはずの少女が、どうして白い繭の中にいる。


訳が分からなかった。けれど、ほどけた糸の奥にいる少女から、どうしても目を離せなかった。


そのとき、視界の端で青白い光が膨らんだ。


光は一本の雷撃となって夜空を裂き、白狼の横腹を打った。


「ギャンッ!」


衝撃で、白狼の体が大きく跳ねた。足元の氷の道が、音を立てて砕け散る。


驚く暇もなかった。俺の体はその背から弾き出され、漆黒の森へ真っ逆さまに墜ちていった。

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