シーン58 ホーソーン
「さて、どうしたもんかな……」
セイリュウチョウに乗ってポート・ソレイユまでやって来た俺は、桟橋に積まれた荷物の陰から、巨大な船の様子をうかがっていた。甲板の両脇にずらりと並んだ白いプロペラが、朝日を受けてまぶしく光っている。
確か、オーシアスとかいったな。イオンの婚姻の儀が行われるっていう船だ。さっきから兵士たちが慌ただしく出入りしている。明日の準備でもしてるんだろうか。
イオンのいる城に潜り込むには、あの兵士たちの誰かと身体を入れ替えるのが手っ取り早い。だが、問題はその後だ。相手を動けないようにしておかないと、俺の身体でどこかへ行かれちまう。そうなったら最悪、元に戻れないぞ。
こんなことならオビィも連れてくるんだった。先走っちまったな。他に何か良い方法は――
何気なく岸の方へ目をやると、人けのない岩場に白銀の鎧がちらりと見えた。桟橋から少し離れた大岩の陰で、誰かが海に向かって腰を下ろしている。
あいつは……!
俺は積み荷の陰を飛び出し、その人影に駆け寄った。
「よぉ」
後ろから声をかけると、鎧姿の女性が驚いたように振り返った。澄んだ青い瞳が印象的な、相変わらず綺麗な顔だ。
「これは、バン殿。お久しぶりです」
彼女が深々と頭を下げると、栗色の長い髪がさらりと揺れ、陽を受けて柔らかく光った。ふと目を落とすと、その手の先には、鎧姿にどうにも不似合いな釣り竿が握られていた。
「あぁ、久しぶりだな、オルカ。また釣りか?」
「はい。この前バン殿に教えていただいた通りにやっているのですが、いまだに一匹も釣れておりません。お恥ずかしい限りです」
「一匹も!? もう三、四日は経ってるのにか?」
照れくさそうに笑うオルカの横で、俺は竿先から垂れた糸を目で追ってみた。前はそもそも針が海に届いてなかったが、今度はちゃんと水の中まで伸びている。
「何でだろうな。エサもつけてるよな?」
「無論です。きらきら光る食べ物がよいと教えていただいたので、ラクリマをつけているのですが、一向に食いつく気配がなく――」
「食いつくか!」
俺はびしっと片手を上げた。
「ラクリマって、神族のメシじゃないか。魚がそんな石ころに食いつくわけないだろ」
「なんと……! 道理でいくら待っても釣れないわけですね」
そう言って穏やかに笑うオルカに、俺は思わずため息をついた。まったく、のんきな奴だ。神族は寿命が長いっていうし、時間の感覚も人間とは違うのかもな。
「もっと魚が食いつきそうなものをつけるんだよ。虫とか……いや、虫は売ってないかもな。まあ、人間の食い物でも大丈夫だと思うぞ。ほら、港で売ってるエビだの貝だの……」
「バン殿、少しお待ちを。メモしますので」
オルカは釣り竿を足元に置くと、自分の頭に人差し指を向けた。しばらく待ってみたが、その格好のまま動かない。思わず眉をひそめた俺を見て、オルカがはっと目を見開いた。
「説明が足りず、申し訳ありません。私は波動の力で脳に直接信号を送り、情報を記録できるのです。ですから、もう続けていただいて大丈夫ですよ」
……相変わらず便利な力だな。ノート要らずじゃないか。
呆気に取られてオルカを見ていた、そのときだった。彼女の足元で、釣り竿が海の方へずるっと滑った。
「おい、釣れてるぞ!」
「な、なんと!」
オルカは慌てて振り返った。だが、手を伸ばす暇もなく、竿はあっという間に海の中へ吸い込まれてしまった。
岩場から身を乗り出したオルカは、それが沈んだあたりをしばらくのぞき込み、やがてため息をついた。
「ああ、私の竿がまた……」
「悪い。まさか釣れるとは思わなくて」
「いえ、バン殿が謝ることはありません。私の不注意でした」
その声は寂しそうだ。どうにかしてやりたいけど、海に潜って拾ってくるなんて無理だしな。それに、早くイオンのところに行かないと手遅れになっちまう。悪いが、ここはひとまず退散して――
んっ……?
足に何かもふもふしたものが触れた。見下ろすと、小さな犬が一匹、舌を出してうれしそうにじゃれついていた。
水色と白の毛並みで、身体のわりに耳と尻尾がやけに大きい。どっちも魚のえらみたいな形だ。
「なんだ、こいつ……」
「シードルですね。リオレスではよく見かける水陸両生の哺乳類です。肉が柔らかくておいしいらしいですよ。人懐こくて捕まえやすいこともあって、リオレス全土で食べられているそうです」
「食うのかよ……。この見た目で食材って……」
「可愛らしいので、ペットにする人もいるのだとか。……ちょうどよかった。新しい竿を買っても、エサがなくては釣れませんからね。この子なら問題なさそうです」
オルカはそう言って剣を抜いた。白銀の刃が陽を受けてきらりと光る。
「……ち、ちょっと待った!」
「何ですか?」
「いや、何ですかって……。そ、そうだ。こいつなら海に潜って、竿を取ってきてくれるかもしれないぞ」
「ふふっ、人懐こいとはいえ、さすがにそこまで言うことは聞いてくれませんよ」
オルカは剣を手にしたまま、おっとりと微笑んだ。
「それが大丈夫なんだな」
俺は銀色のライターから桃色のオーブを取り出し、口に放り込んだ。しばらく待ってからシードルの頭に触れると、さっきまであんなにじゃれついていたのが、急におとなしくなった。試しに「お座り」と言ってみると、俺の足元にちょこんと座った。
「こ、これはいったい……」
呆気に取られているオルカをよそに、俺はしゃがんでシードルと目を合わせた。
「いいか、海に落ちた竿を取ってこい。分かったな?」
そう言うと、キャンとひと声鳴いて、海へ飛び込んでいった。澄んだ水の中を一直線に潜っていくうちに、水色と白の身体はたちまち小さくなり、やがて見えなくなった。
ほどなくして、シードルが岩場に上がってきた。濡れた身体をぶるぶるっと振ると、辺りに水しぶきが飛び散った。その口には、ちゃんとオルカの釣り竿がくわえられている。
「でかした!」
俺は竿を受け取って立ち上がり、オルカに手渡した。
「あ、ありがとうございます」
「どうだ、すごいだろ? これくらい俺にとっちゃ朝飯前――んっ?」
また足にふさふさしたものが。シードルか?
見下ろして、ぎょっとした。今度は紺色のローブを着た毛むくじゃらの生き物が、俺の足をつかんでいる。
「……見たのじゃ。見させてもらったのじゃ」
そいつは笛の音に似た少し高めの声でそう言うと、顔を上げた。鳥……いや、フクロウか?
目は真ん丸で、黄色のくちばしには小さな丸眼鏡がちょこんと乗っていた。鼻の下には、いかにも偉そうな口髭まで生えている。体つきは小柄な人間とそう変わらない。帽子といいローブといい、まるで学者みたいだ。
なんだ、こいつ。人間……なのか?
まじまじと見ていると、オルカがそいつに声をかけた。
「これは驚きました。ホーソーン殿ではございませんか」
「おや、そういうあなたはオルカ殿。こんなところで奇遇ですな」
フクロウ男が立ち上がってホーッ、ホーッ、ホーッと笑うと、オルカも穏やかな笑みを返した。
「昨日はリオレスの町をご案内いただき、どうもありがとうございました。ここで何をされていたのですか?」
「ホッ、ホッ。ちょっと探し物をしておりましてな。それが水の中にあるようで、どうしたものかと困っておったのじゃ。そんな折、そこの御仁を見かけましてな。もしや、わしの力にもなってくださるのではと思ったのじゃ」
そう言って、ホーソーンは俺に顔を向けた。
なるほどな。シードルに探させれば、見つかるかもしれない。だが――
「悪い。今は急いでるんだ。どうにかしてイオンに会わなきゃならないんでな」
「ホッ? イオンと言いますと、もしやリオレスの姫君、イオン・ハートレット様のことですかな?」
「ああ、そうだが。それがどうした?」
「では、わしを助けてくだされば、お礼にイオン様にお引き合わせしましょう。いかがですかな?」
「はあ? おっさん、何言ってるんだ。そんな簡単に会えりゃ苦労しないっての」
「そうでもありませんよ」
オルカが横から口を挟んだ。
「≪静梟賢≫ホーソーン殿は、リオレス国の大隊長ですから」
「……大隊長? なんだ、それ。偉いのか?」
「ええ、もちろんです。リオレス王家が誇る家臣団、その頂点に立つ八人の大隊長のお一人ですよ」
「はあ!? こんな小太りで毛むくじゃらのおっさんがか?」
ホーソーンは目を真ん丸にしたかと思うと、ホーッ、ホーッ、ホーッと楽しそうに笑った。
「これは、なかなか正直な御仁ですな。さて、どうじゃろう? わしの探し物、手伝ってはくださらんかの?」
「なんだよ、そういうことなら早く言ってくれよ。任せろ、俺がすぐに見つけてやる」
「ホッ、ホッ。それは助かりますぞ。そうじゃ、せっかくですから、オルカ殿もご一緒にいかがですかな? 昨日は少しお話ししただけで、まだまだ話し足りませんからのう」
ホーソーンがにこやかに誘うと、オルカは「うっ」と声を漏らし、一歩後ずさった。
「た、大変ありがたいお申し出なのですが、今はルミナス様の命を受けておりまして。またの機会にぜひ」
オルカはてきぱきと釣り道具を片づけ、竿を手に歩きだした。俺の横を通りがけに、声をひそめる。
「ホーソーン殿は、かなりのお話好きです。どうかお気をつけて」
そう言ってそそくさと去っていくオルカの後ろ姿を見ながら、ホーソーンはホーッ、ホーッ、ホーッと愉快そうに笑うのだった。




