シーン59 梟の長話
「……足元をよくご覧くだされ。敷石の表面がごつごつしておるじゃろう? これのおかげで摩擦が大きくなり、濡れても足が滑りにくいのですじゃ」
嬉しそうに白い石畳を指し示すホーソーンを見て、俺は思わずため息をついた。
まだ続くのかよ……。
かれこれ一時間、生地の柄がどうだとか、道に敷いた石がどうだとか、ずっと一人でしゃべりっぱなしじゃないか。
目的地にさえ着けば、この退屈な話も終わる。そう期待してるのに、少しでも長くしゃべっていたいのか、ホーソーンの歩みは遅くなる一方だ。
あれだけはしゃいでいたシードルまで、耳をぺたりと伏せ、とぼとぼ歩いている。
早くイオンのところに行かなきゃならないってのに。ちらりと振り返れば、さっき通り過ぎた獅子の石像がまだすぐそこに見えて、俺はもう一度ため息をついた。
「……それと、この道には水路に向かって少しばかり傾斜がつけてありましてな。水が自然とそちらへ流れていくのですじゃ。海抜の低いここポート・ソレイユでは、浸水に備えて、あちこちにこういった工夫が施されておりますのじゃ」
そこでホーソーンの話が途切れた。ようやく終わったかと、ほっとしかけたのも束の間だった。
「では次に、バン殿も気になっておられるじゃろう、リオレス特有のガラス細工の作り方についてじゃが――」
「ストップ!」
俺がたまらず声を張り上げると、ホーソーンは目を真ん丸にした。
「ど、どうなされたのかな、急に」
「あっ、いや、ええと。探し物があるって言ってたよな。具体的に何なのか、そろそろ教えてくれないか?」
「おお、そうじゃった、そうじゃった。どんなものか分からんことには、探しようもありませんからのう。ただ、困ったことに、それをお話しするには、まずこの星の成り立ちから説明せねばなりませんのじゃ。少し長くなりますが、よろしいですかな?」
よくねぇよ! 俺は心の中で突っ込んだ。
なんで探し物の特徴ひとつ聞くのに、この星の歴史まで教わらなくちゃならないんだ。
「ありがたい話だが、形とか色とか、特徴だけでいいんで――」
「これは、はるか昔のことですじゃ」
ホーソーンは俺の言葉などお構いなしに語り始めた。まったく、人の話を聞かない奴だ。どことなくオビィと同じ匂いがする。
まあ、この国の工芸品の話よりはいくらか興味がある。それに、イオンに会いたきゃ、こいつの機嫌を損ねるわけにもいかないしな。
仕方ない。俺はホーソーンに歩調を合わせ、その話に耳を傾けた。
「かつて、この星アークは神族の楽園でしたのじゃ。争いごとひとつなく、皆が穏やかに暮らしておりました。けれど、そんな日々にもいつかは終わりが来る。星そのものが、崩壊の危機を迎えつつあったのですじゃ」
「崩壊の危機? 何か災害でも起きたのか?」
「いえいえ。星が老いたのですじゃ。長い長い年月のうちに、星のエネルギーであるラクリマが少しずつ失われていきましてな。ご存じの通り、ラクリマは神族にとって命の源。ゆえに神族もまた、絶滅の危機に瀕しておったのですじゃ」
ラクリマ? その呼び方が少し引っかかって、ホーソーンの手元にちらりと目をやった。思った通り、手の甲にはフクロウの姿を崩したような紋章がある。
やっぱり、こいつも神族か。ニコもキカイ石のことをラクリマと呼んでいたし、案外、呼び方で見当がつくもんだな。
ついまじまじと見ていると、ホーソーンは丸眼鏡のレンズが縦に並ぶほど首をかしげた。
「どうされましたのじゃ?」
「悪い、なんでもない」
そう答えると、ホーソーンは首を元に戻し、話を続けた。
「それが、今からおよそ二千年前のことですじゃ。滅びかけておった神族のもとへ、空から一人の救世主が現れましてな。彼は自らの力で膨大なラクリマを生み出し、なんと、崩壊しつつあったこの星をよみがえらせてしまったのですじゃ。こうして絶滅の危機を逃れた神族は、やがてその救世主を《神》と崇めるようになりましたのじゃ」
「神族が《神》って呼んだのか。なんだかややこしいな」
「ホッ、ホッ。その辺は少し複雑でしての。《神族》というのは、後の時代に人間がつけた呼び名ですじゃ。太古より存在する神に仕える種族を、自分たちと区別するためにそう呼んだのですじゃ」
「なるほどな。二つの種族がいれば、呼び分ける必要もあるか。……いや、待てよ。もうひとつの種族、魔族はどうしたんだ? それに、今の話だと、その頃は人間もいなかったみたいじゃないか」
「気になりますかな?」
眼鏡の奥で、ホーソーンの目がきらりと光った。
「……だが残念。すぐにでもお教えしたいところじゃが、少しばかり話し疲れてしまったようじゃ」
そう言って、ホーソーンはコホッ、コホッとわざとらしくせき込んだ。
嘘つけ! こっちが聞きたくもない話は延々としてたくせに。ちょっと興味を持った途端、もったいぶりやがって。
だが、ここで素直に教えてくれってのもしゃくだ。俺はわざと気のない調子で言ってみた。
「まぁ、ずっとしゃべりっぱなしだったからな。また今度でもいいぞ」
ホーソーンが真ん丸な目で、こちらの反応を窺っている。俺は素知らぬ顔で前を向いたまま歩いた。
しばらくして、ホーソーンはホーッ……と鳴きながら、がっかりしたように首を振った。結局、向こうから話し始めた。
「実は、その救世主とほぼ時を同じくして、厄災もまた姿を現しましたのじゃ。かの者は自らの僕を生み出し、世界を滅ぼそうとしましたのじゃ。その僕というのが、残虐で狡猾、まるで悪魔のような種族でしてな。これが、のちの魔族ですじゃ」
「へぇ、なるほどな。魔族はもともとこの星にいなかったのか」
「その通りですじゃ。こうして、のちに《千年戦争》と呼ばれる長い長い戦が始まりましたのじゃ。ラクリマを駆使して並外れた力を振るう神族に対し、魔族は驚異的な身体能力と繁殖力を誇っておりました。両者の力は拮抗し、なかなか決着はつきませんでしたのじゃ。星は荒れ、神族も魔族も次第に疲弊し、もはやこの戦いに終わりはないと思われた。そこで神が思いついたのが、とっておきの秘策でしてな」
「とっておきの秘策?」
俺はつい食い気味に聞き返してしまった。
「……気になりますかな?」
またしても、眼鏡の奥で目がきらりと光った。
こ、こいつ……。
思わず手が出そうになったが、そこはぐっとこらえた。
「気になる。気になるから、もったいぶらずに教えてくれ」
悔しさを押し殺してそう言うと、ホーソーンの顔にホワッと嬉しそうな笑みが浮かんだ。
「神族にとって何より厄介だったのは、魔族の数の多さでしたのじゃ。一対一なら神族のほうが強くとも、大勢で押し寄せられては太刀打ちできませぬ。そこで神は、その数に対抗するため、新たに兵士を作ることにしたのですじゃ。その兵士こそ、何を隠そう――」
「人間か……!」
俺が口を挟むと、ホーソーンはいかにも残念そうな顔をした。
「バン殿は察しがよいですのう……。その通りですじゃ。神が魔族に対抗するために生み出した兵士、それが人間ですじゃ。ただ、彼らには魔族ほどの身体能力までは与えられませんでしたのじゃ。これでは、せっかく作ってもたちまち魔族にやられてしまう。困った神は、人間に知恵を授けたのじゃ。自ら考え、行動できるようになれば、生き延びる者も少しは増える――そう思ったんじゃろう。ところが、その知恵が予想以上の効果を生みましてな」
「予想以上の効果?」
聞き返すと、ホーソーンは衣の内側に手を差し入れ、小さな透明の球を取り出した。球の奥からにじむ淡い緑の光が、指先をうっすらと照らしている。
「……イグナイトか」
「いかにも。当時は今のように管理されておらず、各地に散らばっておりましてな。命の源であるラクリマを吸い取ってしまうので、神族からは忌み嫌われておりましたのじゃ。ところが、人間は知恵を絞り、イグナイトから力を取り出す方法を考えついた。こうして生まれたのが、今のキカイですじゃ。そのおかげで、非力だった人間は神族に匹敵する力を手に入れましたのじゃ」
「魔族並みの個体数と、神族並みの力。その両方を手に入れたってわけか」
俺が感心して言うと、ホーソーンは満足そうにホーッ、ホーッと笑った。
「そういうことですじゃ。そのうえ人間は、イグナイトに魔族の命を奪う力があることまで突き止めましたのじゃ。こうなっては、さしもの魔族も太刀打ちできませぬ。たちまち追い詰められ、哀れ、魔族の王はイグナイトに命を吸い取られてしまいました。こうして長きにわたる戦は、人間の助けを得た神族の勝利に終わった、というわけですじゃな」
「……はぁ、なるほどな。三つの種族にそんな歴史があったんだな。思った以上にためになったよ。長々とありがとな」
「いえいえ、これくらいお安い御用ですのじゃ」
そう言って、ホーソーンは口をつぐんだ。陽射しに汗ばんだ頬を、涼しい潮風がすっとなでていった。
「――って、ちょっと待て!」
俺の大声に、ホーソーンはまた目を真ん丸にした。
「ど、どうされましたかな?」
「どうした、じゃねぇよ。探し物の話はどうなったんだよ」
「ホッ、ホッ、ご心配なさらず。まだ話は終わっておりませんのじゃ。ここからが本番ですからの」
「はぁ? じゃあ今までの話はなんだったんだよ。もういいから、さっさと探し物の特徴をだな――」
「これは、神族が勝利を収め、平穏な暮らしを取り戻したあとの話ですじゃ」
またしても俺のことなどお構いなしに、ホーソーンは語り始めた。ちらりと振り返れば、あの獅子の石像が、さっきとほとんど変わらない大きさで見えている。
一体、いつになったら終わるんだ……。
俺は、はぁ、と深い深いため息をつくしかなかった。




