シーン54 裏切り
「えっ……?」
当たったの? どうして? 嘘、嘘よ。そんなはずがない。
心臓がどくどくと鳴り、また手が震えだす。身体から力が抜け、膝が折れそうになるのを必死でこらえた。目の前がすうっと白く霞んでいく。周りの音も遠のき、やがて何も聞こえなくなった。
夢なのか、現実なのかも分からない。ただ呆然と見つめる先で、バンがぶっと血を吐き、その場に崩れ落ちた。
「バン!!」
転げるように駆け寄ると、バンは青ざめた顔でにやりと笑った。
「……下手くそ」
「馬鹿!!」
血のにじむ腹を必死に押さえる。
なんで。なんでこんなことを……。
仲間だ――そう言ってくれたバンを、殺したくなかった。自分はどうなってもいい。そう覚悟を決めて、わざと外した。それなのに――。
バンは、わざと当たりに来た。
アタシを庇って。アタシが殺されないように。
血はとめどなく流れている。とっさにスカートの裾を破り、バンの腹に巻きつけたが、布にはすぐに血がにじんできた。赤い染みが広がる間にも、バンの呼吸はどんどん浅くなっていく。
「止まらない、止まらないよ。もう、なんなのよ。こんなこと、アタシ望んでない!」
「まーた怒ってる……」
血の滴る口元が、かすかに緩んだ。
「バン!! しっかりしてよ! イオンは、イオンはどうするのよ!」
「お前に、任せた……」
「イヤよ! 絶対イヤ!! アンタが守りなさいよ! 約束したんでしょ!」
「そうしたいんだがな……もう、時間切れみたいだ……」
「時間切れ……?」
聞き返すと、バンが一瞬目を見開き、喉の奥から絞り出すような声とともに血を吐いた。身体を大きくのけぞらせたかと思うと、今度は身を折るように縮こまり、激しくのたうち回り始める。
まるで毒でも盛られたかのような、凄まじい苦しみぶりだった。急に怖くなり、思わず腹から手を離してしまった。
このままじゃ本当に死んじゃう。
気づけば立ち上がり、パラポラのもとへ駆け寄っていた。
「アンタ、薬草持ってたでしょ。渡して!」
つかみかかった途端、身体が横へ吹き飛んだ。頬がじんじんと痛む。はたかれたのだと気づいたときには、もう地面に座り込んでいた。
見上げると、パラポラが呆れた顔でこちらを見下ろしていた。
「自分でやっておきながら、何を言ってるんですか。ほら、まだ生きてますよ。とどめを刺してきてください」
さも当然といった口ぶりに、耳を疑った。
えっ? こいつ、何を言ってるの? バンはあんなに苦しんでるのよ。もうまともに動けないのよ。それなのに、とどめを刺せって? どうしてそこまでする必要があるの。どうして、そんなひどいことが言えるの。
何も言えずに見つめていると、パラポラは言葉を続けた。
「何です? その顔は。まさか、どうせ死ぬから必要ない、なんて考えてるんじゃないでしょうね。駄目ですよ、そんな油断は。よく聞くでしょう? 殺したと思ったら実は生きていた、みたいな話。……それだけじゃありません。これはテストなんですから」
「テスト……?」
「ええ、実は私はあなたたちのことをあまり信用していないのです。ひょっとしたら、いつか我々を裏切るのではないかと疑っているのです。申し訳ありません。当方、かなりの心配性でして」
照れくさそうに笑うと、パラポラはサーベルを一本抜き、差し出してきた。
「ですが、もし彼を殺せば、私はあなたたちを仲間と認めましょう。さあ、どうか私を安心させてください」
「……そ、そんなことできるわけ――」
言い切る前に、パラポラの微笑みが消えた。
「やらないのなら、あなたには死んでもらいます。もちろんバンビーノさんも、一緒です」
……そんな、マスターまで……。
ちらりと目を向けると、バンビーノは苦しむバンをじっと見ていた。助けるそぶりもなければ、こちらを振り向くことさえない。
「さあ、どうします?」
どうするも何も、バンを殺したくなんかない。でも、ここで断ったらマスターまで殺されてしまう。自分はどうなったっていい。だけど、マスターを巻き込むことだけは絶対にできない。
選択の余地はなかった。震える手でサーベルを受け取った。
立ち上がって目を向けると、バンはいつの間にかうつ伏せになっていた。逃げようとしたのだろうか。だが、身をよじる動きはさっきよりも鈍く、静まり返った中に小さなうめき声だけが響いている。
もう虫の息だ。放っておいても死んでしまう。それだったら、これ以上苦しませるより、アタシの手でとどめを刺してしまった方がいい。
そう自分に言い聞かせても、手の震えは止まらない。落とさないようにサーベルを両手で握りしめ、重い足を一歩ずつ前へ出した。まるで自分が処刑台へ向かっているみたいだった。
バンの周りには、血の海ができていた。
お願い。もう動かないで。もう頑張らないで。今、楽にしてあげるから。
視界がにじむ中、ようやくバンのそばまでたどり着いた。動け、動けと何度も自分に命じ、サーベルを構える。自分の身体なのに、思うように動かせない。
バンはもう身じろぎ一つせず、背中がかすかに上下しているだけだった。
今からバンを殺す。こぼれそうになる涙を必死でこらえた。アタシに泣く資格なんかないんだから。
ありがとう。仲間だと言ってくれて。それと、ごめんなさい。仲間になれなくて。
もう、何を言っても聞こえないよね。後でまた謝るわ。アタシも、すぐに後を追うから。
血が出るほど唇を噛みしめ、サーベルを振りかぶる。
そのときだった。
バンが動いた。
うめきながら身体をよじり、仰向けになると、身を庇うように弱々しく手を上げてきた。
――涙があふれた。
生きようとしてる。武器もなければ、味方もいない。血まみれになりながら……まだ、生きようとしてる。
からん、と足元で音がした。気づけば、サーベルが手から滑り落ちていた。
嗚咽がこみ上げ、肩が震える。
何が「楽にしてあげる」よ。バカ!
悲しさと怒りが、後から後から込み上げてきた。胸の中でごちゃまぜになって、もう抑えられなかった。
その思いが、少しずつ勇気に変わっていく。こぼれる涙をぐいっとぬぐい、バンビーノの方を振り返った。
「ごめんなさい、マスター。あたし、やっぱりできません」
つきものが落ちたようで、自然と笑みがこぼれた。
「……だって、こいつ。初めてできた友達だから」
そう言うと、パラポラは落胆したように顔を曇らせた。やれやれと首を振って立ち上がり、腰のサーベルを抜く。
「残念です。それがあなたたちの答えですか」
パラポラは冷たい目でこちらを見据え、歩きだした。一歩近づくたびに、押しつぶされそうな圧迫感が増していく。
後悔はない。きっとアタシは殺される。けれど、バンは――バンだけは死んでも守る。
そう誓ってバンを庇うように前へ出たとき、不意にバンビーノがパラポラの行く手に割って入った。
「勝手に決めるな」
その低い声に、パラポラは意外そうな顔でバンビーノをまじまじと見つめた。やがて、口元に穏やかな笑みを戻す。
「では、バンビーノさん、お願いします。ペットの不始末は、飼い主が責任を取らないといけませんしね」
バンビーノは何も答えず、こちらへ向き直って歩いてきた。いつも通りの無表情で、何を考えているのか読み取れない。
アタシが勝手なことをしたから、怒ってるのかも。でも、このまま行かせるわけにはいかない。
目の前で足を止めたバンビーノに、祈るように呼びかけた。
「マスター……」
「どけ……」
有無を言わせない口調に、思わず脇へ退いてしまう。だが、通り過ぎたバンビーノが腰のピストルを抜くのを見て、はっと我に返った。
「駄目!」
追いすがって、その腕にしがみついた。
「マスター、お願いします! その人だけは殺さないでください!」
だが、無言で振り払われ、踏ん張れずに地面へ倒れ込んだ。
お願い、やめて。
その願いもむなしく、バンビーノはピストルを持ち上げ、バンへ銃口を向けた。
やめて。やめてよ。
銃口が、ぴたりと止まった。引き金に指がかかる。
「やめて!!」
その叫びと同時に、ドンと乾いた銃声が響いた。
……だめだった。何もできなかった。助けられなくて、本当にごめんなさい。
声が聞こえない。バンはどうなったんだろう。怖くて、どうしても目を開けられない。沈黙が、やけに長く感じられた。
……長すぎる。なんで、誰も何も言わないの?
恐る恐る目を開けると、バンビーノの構えたピストルが目に入った。その銃口の先を見て、思わず息をのんだ。
……バンじゃない。バンを撃ったんじゃない!
詰めていた息が一気に漏れた。
「マスター!」
声を弾ませてバンビーノへ顔を向けたが、その表情は少しも緩まない。
「何安心してる。ここからだ」
「えっ?」
その言葉に、もう一度パラポラへ目を向けた。撃たれたはずなのに、平然と立っている。
何で無事なの……? 呆然とその顔を見つめていると、上下の歯に挟まれた弾丸に気づいた。
パラポラはそれをバキリとかみ砕き、「やっぱり……」と嬉しそうに呟いた。その顔にはこれまでにない邪悪な笑みが浮かんでいた。




