シーン53 お別れ
二人を前にしたパラポラは顎に手を当て考え込むそぶりを見せた。
「さて、どうしましょうか……では、レディ・ファーストということで。ニコさん。まずはあなたからいってもらいましょうか」
ちっ、しらじらしい。下手な芝居を打ちやがって。俺とニコの関係にも、とっくに気づいてるんだろうが。
そんなことを考えているうちに、ニコが目の前までやって来た。目が合うなり、寂しげにふっと笑う。
「……ひどい顔。ぱんぱんに腫れて、風船みたい」
「誰がだ。それに、この顔はお前の連れのせいなんだぞ」
「知ってるわ。見てたもの。でも、全員返り討ちだなんて、凄いじゃない。ちょっとだけ見直したわ」
「何だよ。それなら、さっさと助けに来いよ。それともビビっちまってたのか?」
そう言って笑いかけると、ニコは顔を背けた。
「……イオンは?」
「無事だ。子供たちも全員な。今は中で眠らせてる。そろそろお前が来る頃だと思ったんでな」
「……何よ、それ。まるで初めから、知ってたみたいじゃない」
「そりゃそうだ。お前、発信機ついてるし」
「えっ?」
ニコがこちらを向いた。こわばっていた表情が、少しだけ崩れた。
「勘違いすんなよ。取りつけたのはギースたちだ。体を入れ替えたときにサングラスをいじってたら、レンズに白い点と『獣人族のガキ』って文字が出たんだ。やられちまったかと思ってたが、その点はずっと森の中を行ったり来たりしてる。それで、お前らが隠れてるって分かったから、こうして会いに来たってわけだ」
「……そう」
そっけない返事だった。できれば会いたくなかった、ってところか。
黙って様子をうかがっていると、ニコはまた顔を曇らせ、しばらくして口を開いた。
「……イオンをこっちに渡して」
「急にどうした? 何かの冗談か?」
俺は笑ってとぼけてみせた。
「残念だけど、違うわ。命が惜しかったら、イオンをこっちに渡すの」
「くだらないこと言ってないで、ほら、帰るぞ。ちょうど祝勝会やってたんだ。ちーっとも役に立ってないが、お前も特別に混ぜてやる」
そう言って孤児院へ顔を向けた次の瞬間――
頬を氷のナイフがかすめ、孤児院の壁に突き刺さった。
「ふざけないで! アタシは本気よ。早くイオンを渡して!」
ニコの目は吊り上がり、手や唇は震えていた。
……ごまかすのは無理か。だが、こっちだって簡単に引き下がるわけにはいかない。
「断る……と言ったら?」
「アンタを殺すわ」
ニコの身体が青白いオーラをまとっていく。
やれやれ、嫌われたもんだ。こんなことになるんなら、もっと好感度を上げとくんだったな。
はぁとため息を吐き、俺も腕を構えた。
「あいにくだが、殺されるわけにはいかない。俺と、お前のためにもな」
「ふん、ようやくやる気になったみたいね。いいわ。一瞬で終わらせてあげる!」
ニコは叫ぶなり、両手を頭上へ上げた。空に湧き起こった白い暴風の中に、無数の氷のナイフが浮かぶ。
その手が振り下ろされると、何本もの刃が俺めがけて降ってきた。慌てて身をひねってかわしたが、体勢を戻す間もなく、次の刃が迫ってくる。
息をつく暇もない。まるでナイフの雨だ。
必死にかわし続けていると、突然、足元がつるりと滑った。体勢を崩したところへ、最後の一本がびゅんと風を切って降ってくる。駄目だ、よけきれない。とっさにその刃をがしっとつかんだ。
握った手から血がぽたりぽたりと滴り落ちる。
危ねぇ……。ふぅと息をつき、ナイフを地面に放った。
「上に注意を向けさせておいて、下を凍らせるとはな。なかなかやるじゃないか」
「ふん。今頃気づいたの? アンタはどうしたのよ。さっきから逃げてばかりじゃない。そんなんじゃ、勝てないわよ!」
再び、無数の氷の刃が四方八方から降り注ぐ。
踏ん張ろうにも足が滑る。こうなったら払い落とすしかない。必死に腕を振るうが、刃の数が多すぎた。何本も身体に突き刺さり、痛みと疲れで動きが鈍っていく。
これ以上はもたない。そう思ったそのとき、不意にナイフの雨がやんだ。
……終わったのか?
小さく息をついた、その瞬間――
ドンという音とともに、何かが顔をかすめ、背後でバキバキバキッと激しい音が響いた。
振り返ると、木々が幹の途中でへし折られ、左右へなぎ倒されていた。その跡は、森の奥深くまで一直線に続いている。
「どう、驚いた?」
ニコは右腕をこちらへ突き出していた。革製のリストバンドに、小さな射出機のようなものがついている。
なんだ、あれは……。
呆然としていると、ニコは得意げにその腕を掲げてみせた。
「イグナイトで氷の球を熱して、蒸発した勢いで打ち出すのよ。シンプルだけど、人型で使える攻撃なら、これが最強よ。いくらアンタでもこれは避けられないでしょ。反撃しなきゃ、本当に死ぬわよ」
「……ふっ、それはどうかな。こっちは目だって強化されてるんだ。そんな攻撃、全部防いで――」
「いい加減にして!」
ニコの怒声が飛んできた。琥珀色の目が、きっと吊り上がっている。
「さっきからなんなのよ! ただ逃げてるだけじゃない! アンタ、やる気あるの!?」
「やる気、大ありだぞ。負ければイオンが攫われちまうんだからな」
「だったら何で……!」
俺は答えず、あっちを見ろ、と目配せした。彼女がそちらへ目を向けると、切り株に座ったパラポラが穏やかに微笑みかけた。その表情とは裏腹な凄まじい威圧感に、ニコの顔がさっとこわばる。
「もし俺が勝ったら、お前、あいつに殺されるぞ」
「……そんなの、アンタに関係ないでしょ」
「関係あるさ。できれば死んでほしくないからな。当然俺も死にたくはない。だから、ここはひとつ、引き分けってことでどうだ?」
「引き分け?」
「ああ。俺とお前が手を組んで、あのいけ好かない蟻野郎をぶっ飛ばすんだ。どうだ? いい考えだろ?」
そう言うと、ニコはなぜか蜘蛛男へちらりと目をやった。だが、男は感情の読めない赤い目をこちらに向けたまま、何の反応も見せない。ニコは諦めたように一度目を閉じ、こちらへ振り向いた。
「ごめん……」
くそっ、何でだ。あいつに脅されてるのか? この状況を打開するには、もうこの方法しかないっていうのに。
「頼むから言うこと聞け。お前だって本当は戦いたくないんだろ?」
「うるさい!」
放たれた氷の球は、明後日の方向へ飛んでいった。
ニコの手は震えている。やはり迷ってるみたいだ。ここはなんとか説得して――
「ストップです」
パラポラが不満げな顔で口を挟んできた。
「ニコさん。あなた、やる気はあるのですか? さっきから一発も当たらないじゃないですか。もし次に外すようなら、あなたには死んでもらいますからね」
そう言うと、パラポラは今度はこちらを振り向き、穏やかな笑みを浮かべた。
「口を挟んでしまい、申し訳ありません。さぁ、遠慮なく続けてください」
くそっ。顔に似合わず、頭が切れる奴だ。今のはニコに言ったんじゃない。俺への脅しだ。次に弾が外れれば、ニコを殺す。それが嫌なら避けるなってことか。
ニコもその言葉の意味に気づいたのだろう。怯えた顔に無理やり笑みを浮かべ、右腕をこちらに向けた。
「今の聞いた? アタシはこんなところで死ぬわけにはいかないの。次はもう外さないわ」
ニコが射出機に氷の球をあてがうのを見て、俺は構えを解き、その場に仁王立ちした。こっちからは手を出さないし、避けもしない。それがニコにも伝わったのだろう。彼女の手の震えが、いっそう大きくなる。
「大丈夫かよ。そんなんじゃ当たるもんも当たらないぞ」
「うるさい! 偉そうに指図しないで!」
震える右腕をこちらに向けたまま、ニコはきっと俺を睨みつけた。
……はぁ。何でこんなことになっちまったんだろうな。
これまで一緒に頑張って、いろんな苦労も乗り越えてきたっていうのに、今じゃそいつに殺されかけている。何とか説得しようにも、口を開けば怒鳴られる。……いや、待て。それは前からか。
何だか懐かしさがこみ上げてきて、思わずふっと笑ってしまった。
「なに笑ってるのよ!」
「いや、なんかな。お前って、いつもつんけんしてるよな。奴隷商人から買ってやったときも、カイルの屋敷から逃げ出すときも、帰らずの森をさまよってたときもだ」
「……全部アンタが悪いのよ。こっちはアンタと会ってから、ろくな目に遭ってないんだから」
「ははっ、そうか。俺は結構楽しかったんだけどな」
ニコは黙り込んだ。
「それに、結構頼りにしてたんだぞ。文句を言いながらも、何だかんだで助けてくれるし。俺はともかく、他の奴らには優しいし。イオンが嫌がるくらい、面倒見もいいしな」
「……最後のは余計でしょ」
そう言うわりに、ニコの口元はわずかに緩んでいた。
「ああ、それともう一つ。記憶喪失だとかいう得体の知れない俺にも、普通に接してくれた。だからまあ、何だ、その……感謝してる」
「……アンタだって、獣人族のアタシに普通に接してくれたじゃない」
「ふっ、当たり前だろ。会って間もないが、俺たちはもう――仲間なんだからな」
そう言って笑いかけると、ニコはすっと顔を上げた。その表情からは、なぜか怒りも怯えも消えていた。急な変わりように、俺は思わずたじろいだ。
その後もニコは何も言ってこない。さすがに気になって「どうした?」と声をかけたところで、パラポラが再び割って入る。
「早くしてくださいよ。もう待ちくたびれてしまいました。三分以内に撃たないと、死んでもらいますからね」
その言葉に、ニコは口元を引き締め、再びこちらに照準を合わせた。その手はもう震えていない。
話しているうちに、緊張が解けたんだろうか。恐らく次は外さないだろう。
「最後に一つだけ、頼んでもいいか?」
「何よ、今さら助けてくれとでも言う気?」
言い返してくる声に、震えはなかった。
「いや、イオンのことだ。お前に任せる。守ってあげてくれ」
「馬鹿ね。そんなお願い、聞けるわけないでしょ」
「いいや、聞くさ……だって、お前、そこまで悪い奴じゃないしな」
にっと笑いかけると、ニコはふんと鼻を鳴らした。
「これでお別れよ」
ドンと音を立てて放たれた氷の球が、俺の身体を貫いた。




