シーン52 切り札
「これは驚きました」
孤児院の前に集まった魔族たちの中で、貴族のような身なりの一体が口を開いた。
「まるで我々が来ると分かっていたみたいじゃないですか。どうやって気づいたのですか?」
穏やかに微笑んでいるのに、向かい合っているだけで強烈な圧迫感を覚える。
間違いない。あいつが親玉だ。
その余裕たっぷりの顔に対抗して、俺もあえて笑顔を作った。
「このまま大人しく帰るんなら、教えてやってもいいぞ」
「ふむ、そうですか。でしたら結構です」
魔族は片手を胸に添え、もう片方を背に回すと、優雅に一礼した。
「申し遅れました。私はパラポラ。空賊カランコラン様のもとで幹部を務めております。本日は、主たっての希望により、リオレスの姫君をお連れしたく参上した次第です」
「そりゃ、ご丁寧にどうも。悪いが、今はみんな戦い疲れて眠ってるんだ。しょうもないことで起こすわけにはいかないな」
「先ほどのギースさんたちとの戦いですね。いやぁ、驚きました。まさか、子供たちばかりで勝ってしまわれるとは」
「なんだ、知ってたのか。あいつら、戦う前は全員、足がぶるぶる震えてたんだぞ。それなのに、誰一人逃げなかった。本当によくやってくれたよ」
思い出すと、口元がふっと緩んだ。
「全部あいつらのおかげだ。俺なんて、偉そうなことを言ってただけで、何もしてなかった。情けないったらありやしない。このままじゃ格好つかないよな」
俺は用意しておいたオーブを取り出した。陽光を受けて金色に輝く球の中で、星が瞬いている。
「……そんな訳だから、今回は、俺も少ーしだけ、頑張ってみるかな」
にやりと笑って、オーブを頬張った。
ほどなく心臓がどくどくと脈打ち始めた。胸が苦しくなり、思わず身体を丸める。全身から汗が噴き出し、ぐらりと視界が揺れ、目の前が真っ白になった。
やがてめまいが収まると、俺はふぅと大きく息を吐いた。
「突然どうしたのですか? 随分と苦しそうでしたが」
「なに、オーブを使って脳のリミッターを外しただけだ。ほら、さっさとかかってこい」
手をくいくいと動かして挑発すると、パラポラは一瞬、眉をひそめ、無言のまま右手を上げた。それを合図に魔族たちが前へ出てくる。
「何だ。お前が戦うんじゃないのか?」
「勿論です。あなたたちが戦っている間に、私がリオレスの姫君をお連れする。その方が効率的でしょう?」
パラポラがさも当然のように歩き出そうとしたところで、俺はその行く手へ蹴りを放った。衝撃波が地面を走り、孤児院の前を横一文字に深くえぐる。
「言っておくが、その線より前に出た奴は、全員ぶっ飛ばすからな」
「なるほど……」
パラポラは涼しい顔で溝の際にある切り株へ近づき、ゆっくりと腰を下ろした。
「なら、待ちましょう。ぶっ飛ばされてはかないませんからね」
そう言って、にこりと笑った。
***
一体の魔族が羽根をはばたかせて飛びかかってくる。鋭い風切り音とともに、槍の穂先が迫った。
普通なら目で追うこともできない速さだろう。だが、身体能力を引き上げた今の俺には、やけにゆっくりと動いているように見える。
俺は槍をかわして身を沈め、拳を突き上げた。その一撃に腹を貫かれた魔族は、紫の血を吐いてその場に崩れ落ちた。
後ろに控える魔族たちは一瞬ひるんだものの、すぐに宙へ舞い上がり、次々と襲いかかってきた。
だが、今の俺の相手ではない。迫る攻撃をかわして拳を叩き込むたび、足元に魔族の死体が積み重なっていく。次第に魔族たちの顔に怒りや焦り、恐れが浮かび始めた。統率が崩れ、一体一体の動きも雑になっていく。
このまま一気に片をつける。そう思った矢先だった。
「ストップです!」
切り株に座って戦いを見守っていたパラポラが声を上げた。その声に我に返ったように、魔族たちは攻撃の手を止め、一斉に退いて列を整えていく。
パラポラはわずかに首をかしげ、じっと俺を見つめた。
「おかしいですね。これはおかしい……」
くそっ、もう少しだったってのに。
俺は悔しさを悟られないよう笑みを浮かべた。
「簡単に勝てると思ったか? とんだ誤算だったな」
「いえ、それもそうなのですが……。おかしいのは、あなたの様子です」
パラポラは顎をさすりながら、言葉を続けた。
「あなたは強い。とても人間とは思えません。我々を完全に圧倒してしまっています。……ですが、どういうわけでしょう。なぜか焦っているようにも見えるのです」
思わず口元が引きつる。
図星だった。今の俺には時間がない。オーブの効果が切れるからというのもあるが、問題はそれだけじゃない。
脳のリミッターを外すと、身体には異常な負荷がかかる。このオーブは、しょせん力の前借りでしかなかった。
現に、もう全身が痛いわ、寒いわ、息は苦しいわで、立っているのもやっとだった。
「それだけの力があるのなら、もっとどっしり構えていればいいはずです。何か、長引かせるとまずい理由でもあるのですか?」
「……気のせいだよ。いちいち聞くな」
「そうですか。ですが、念のため……」
パラポラは手下たちの方を振り向いた。
「ここはいったん様子を見ましょう。何事も慎重に、慎重に進めることが成功の秘訣ですので」
「そうはいくかよ!」
そう叫ぶなり魔族たちに襲いかかった。
だが、さっきまでとは状況が違った。魔族たちは冷静に引いて守りを固めてくる。早く倒さなければと気ばかり急くが、全身が痛んで思うように動けず、攻撃も次第に雑になっていった。
槍の穂先が身体をかすめ、傷口から血が滴り落ちる。致命傷を避けるだけで精いっぱいだった。それでも、必死で拳を振るい続けた。
自分が息をしているのかも分からない。もはや目に入るのは、敵の姿だけだった。
あと、十体、九体、八体……。
骨がきしみ、筋肉がちぎれていく。身体がばらばらになりそうだ。
七体、六体、五体……。
目がかすむ。頭がくらくらする。寒くてたまらない。
あと、四体、三体、二体……。
「舐めるな!」
一瞬の隙を突いて、魔族が俺の頭めがけて槍を振り下ろしてきた。
俺は必死でその刃をがしりとつかむ。手から血が滴るが、構わず槍を奪い取って相手に突き刺した。魔族は短く呻き、その場に倒れた。
あと一体……!
そのときだった。
心臓がずきりと痛んだ。
同時に足からふっと力が抜け、その場に崩れ落ちた。起き上がろうにも、身じろぎするだけで全身に激痛が走る。
あまりの痛みに吐き気がこみ上げ、四つん這いで地面に吐いた。そのまま、はぁ、はぁと荒い息をつく。
くそっ、あと少しだってのに……。
ふいに、目の前の地面に大きな影が落ちた。
「どうやら限界みてぇだな」
何とか顔を上げると、ひと際大柄な魔族が拳を振り上げていた。
構える間もなく重い一撃を食らい、俺の身体は後ろへ吹き飛ばされた。受け身も取れず、地面を削りながら滑り、ようやく止まった。
まずい……早く立ち上がらないと。
地面に手をついたが、腕に力が入らず、身体が持ち上がらない。
何か、使えるものは……。
痛みをこらえてどうにか顔を巡らせると、すぐそばに銀色のライターが転がっていた。
もう、これしかない。
とっさに手を伸ばしてつかみ、どうにか着火ホイールを弾く。現れた金色のオーブを取り、口へ運ぼうとした。だが、そこで手が止まる。
こんな状態でもう一つ食ったら、どうなる……? 一瞬で効果が切れて、痛みでショック死なんてこともありうる。
そんなことを考えていると、意識が薄れ、まぶたが重たくなっていく。
……もういい。もう、疲れた。俺だって、結構頑張っただろ?
こんなにぼろぼろになるまで戦ったんだ。あいつらだってきっと許してくれる。悔しいが、今回だけは勝ちを譲って――。
そのときだった。頭の中で「バンさん」と声が聞こえた気がした。
目を開けると、食堂で勝利をたたえ合っていたイオンと子供たちの姿が見えた。嬉しそうで、誇らしげで、ほっとした表情。俺がいなくなったら、その顔はどんな風に変わるだろう。思わずオーブを握る手に力がこもる。
せっかくのハッピーエンドを台無しにしてたまるかよ。
俺は意を決して、オーブを口に放り込んだ。
忽ち全身に激痛が走り、身体が勝手にのけぞった。息もできずに身をよじっていると、あの魔族が近づいてきた。
「……あ、あぐっ、うぅ……」
俺は必死に地面へ手をつき、這って逃れようとした。
「何てしぶとい奴だ。ローチ族並みじゃないか」
そう吐き捨てると、魔族は俺の顔を蹴りつけた。血を噴きながら、後ろへ吹き飛ばされる。
逃げようにも、身体が言うことを聞かない。何度も蹴り飛ばされ、顔が腫れ上がっていく。もうどんな顔になっているかも分からない。
やがて魔族は身をかがめ、俺の肩をつかんだ。強引に引きずり倒し、仰向けにひっくり返すと、そのまま上からのしかかってきた。逃れようともがく俺を押さえ込み、巨大な拳を構える。その顔には苛立ちが浮かんでいた。
「いい加減に、死ね!」
重い拳が、顔面めがけて振り下ろされる。
ところが――。
その拳が、ぴたりと止まる。
「なっ……!?」
魔族が目を見開いたその直後、俺の全身から白いオーラが噴き出し、目の前の巨体が吹き飛んだ。
間に合った……。
俺はゆっくりと立ち上がり、ふぅと息を吐いた。痛みはない。いや、感じなくなっただけかもしれない。それはそれで好都合だ。口元にふっと笑みが浮かぶ。
「な、何で動ける……?」
地面に尻もちをついた魔族が、怯えた声を漏らした。
「俺は負けない。何でか、分かるか?」
魔族は声もなく、手を地面についたまま、じりじりと後ずさった。
「俺は死なない。何でか、分かるか?」
一歩ずつ近づいていくと、魔族は「ひぃ……」と声を上げ、身を翻して逃げ出した。
「……もし、俺が負けたり、死んだら――」
身を沈めると、握り締めた拳が白く輝く。
「あいつら、びぃびぃ……泣いちまうからだ!!!」
一気に間合いを詰め、魔族の身体に拳を叩き込んだ。白い閃光がほとばしり、一瞬にして巨体は跡形もなく消し飛んだ。
しんと静まり返る中、自分の荒い呼吸と、脈打つ心臓の音だけが聞こえる。
終わった。いや、まだ肝心な奴が残ってる……。
目を向けると、パラポラが感心したようにゆっくりと首を振りながら、ぱち、ぱちと手を叩いていた。
「素晴らしい。まさか、たった一人で百体全てを倒してしまうとは。感動してしまいましたよ」
「そりゃどうも。後はお前だけだぞ。もう降参したらどうだ?」
「いえ、そうはいきません。こちらも切り札を使うとしましょう」
そう言うと、パラポラはにこりと微笑み、手を上げた。
森の方でがさりと音がする。そちらへ目を向けた瞬間、思わずため息が漏れた。
「……やれやれ、ようやくお出ましか」
「おや? またしても気づいていましたか。本当に驚かされます」
茂みの中から現れたのは、赤い目をした六本腕の男と、それに付き従う、獣耳を生やした水色の髪の少女だった。




