シーン50 形勢逆転
ギースは大男にダガーを突きつけたまま、空いた手でもう一本を抜き、姫へ向けて放った。狙いどおりに縄が切れても、姫に逃げるそぶりはない。口元の布を外してゆっくりとこちらへ近づいてくると、大男に向かって「よこせ」と鈴のような声で言った。
渋る大男であったが、ギースが「おい」と刃をちらつかせると、観念したようにポケットから青い飴を取り出した。姫はそれをひったくって口へ放り込み、大男のスキンヘッドに手を乗せた。
ほどなくして大男が「ふぅ」と大きく息を吐き、入れ替わりに姫が「バンさん!」と声を上げた。藁の山へ駆け出そうとしたところで、ギースが慌ててその腕をつかみ、引きずり倒した。
どうやら、嘘ではなかったらしい。
あんな飴一つで人の身体が入れ替わるとは。目の前で見ても、まだ信じられねぇ。
「体は何ともないのか?」
「あぁ、大丈夫そうだ」
ドリントンが手を開いたり握ったりして身体の具合を確かめる間に、ギースは飛ばしたダガーを手元に戻し、二本とも腰に収めた。それからイオンを地面に座らせ、腕ごと身体を縄で縛り直す。
「……ったく、驚いたぜ。てっきり変装でもしてるのかと思いきや、まさかの入れ替わりだもんな。にしても、十秒触ってなきゃいけねぇんだろ? 随分と油断したな」
「こいつが俺の筋肉をほめるもんだから、触らせてやったらこのざまだ」
「そんなこったろうと思ったぜ」
ギースは呆れてため息をつくと、イオンの前にしゃがみ込み、その顔を覗き込んだ。
「さて、これで形勢逆転だ。敵になり替わるたぁ、なかなかいい作戦だったな。が、あと一歩及ばずってところか」
「……いつから気づいてたんですか? 私がドリントンさんじゃないって」
「割と早くからだ。あんた、明らかに様子がおかしかったからな」
「ど、どうして? 記憶喪失だと言ったときには、疑ってなさそうだったのに」
「初めはな。だが、一つ妙なことを言ってたんで、そこで気づいた」
「妙なこと?」
ギースはゆっくりと立ち上がり、タバコをくわえて火をつけた。ひと吸いして煙を吐くと、イオンを見下ろす。
「オビィ、っていうんだな。あのでかいオカマ」
「そ、それが何か……?」
ギースはにやりと笑った。
「……残念ながら、俺らはあのオカマ野郎の名前なんて知らねぇんだな」
イオンはしばらく黙り込んでいたが、やがてはっと顔を上げた。
「ふっ、気づいたか。あるはずのねぇ記憶を持ってるなんて、記憶喪失じゃ説明がつかねぇだろ? そのあとの言動を見りゃ、疑いようもなかったが、あえて泳がせたんだ。自分が圧倒的に有利だと思ってる奴を騙すのは簡単だからな。こっちは警戒心MAXで動いてたおかげで、あんたがちらちら藁の中を気にしてるのにも気づけた。感謝するぜ」
「そんな……私のせい……」
「そう落ち込むな。まだ奴も死んだわけじゃない。だが――」
ギースの目つきが変わった。
「俺らを舐めるような奴には、容赦はしねぇ」
そう吐き捨てると、タバコを地面に落として踏み消し、腰からダガーを抜いた。「待って!」と慌てて前に回り込んできたイオンを払いのけ、薄い煙を上げる藁の山へ歩き出す。
ところが、その足はすぐに止まった。ドリントンが行く手に立ちはだかったからだ。
「どうした?」
「俺にやらせろ」
怒気を帯びた低い声とともに大きな手が差し出され、ギースは思わずたじろいだ。表情こそ変わらないが、相当頭に来ているらしい。断れば何をしでかすか分からない。
「いいだろう」とダガーを渡してやると、ドリントンは礼も言わずに振り返り、藁の山へ歩き出した。
「バンさん!」
身を起こし、その後を追おうとするイオンの首根っこを、ギースは「おっと」と言ってすかさずつかむ。
「お願いします! あなたたちに従います。ついていきますから、バンさんを殺さないで!」
すがるような声を無視し、ギースはドリントンの背中を目で追った。
ドリントンは藁の山の前で足を止め、中に埋もれたバンの身体を藁ごと蹴り出した。あちこちが黒く焦げ、ぴくりとも動かない。その身体をさらに蹴って仰向けにすると、身をかがめた。ダガーを構え、その顔に狙いを定める。
「やめて!!」
イオンの叫びもむなしく、刃が振り下ろされた。
ところが――
バキッと音を立ててダガーが叩きつけられたのは、バンの顔のすぐ脇の岩盤だった。折れた刃が宙へ弾け飛び、岩壁に突き刺さる。
なにっ……!?
呆然とするギースをよそに、ドリントンはゆっくりと立ち上がると、悪びれる様子もなく振り向いた。
「悪いな、外した。もう一本貸してくれないか?」
……はっ? 何の真似だ。こんなときに冗談か?
戸惑っているうちに手が緩む。一瞬の隙を縫い、イオンが身をよじった。
「あっ! こら、てめぇ――」
制止を振り切ったイオンはバンのもとへ駆け寄ると、かばうようにドリントンの前へ立ちはだかった。縛られたまま武器も持たず、きっと睨みつける。だが、敵意を向けられた大男は、怒るでもなくなぜかふっと笑みをこぼした。
「かばってもらうのはありがたいが、もう少し後先考えてから動こうな」
その声は優しかった。
イオンはあっけに取られたように、大男の顔をじっと見つめる。
「……ま、まさか……バンさん?」
大男がにっと笑うと、こわばっていたイオンの表情がゆっくりと緩んだ。ぽろりと涙をこぼし、そのまま巨体に身体を預ける。大男はそっと彼女を抱きとめた。
ギースはそんな二人をただ茫然と見つめるしかなかった。
……今、バンと言ったか? あいつはドリントンじゃねぇのか? だとしたら、地面に転がっているのは誰だ。くそっ、何がどうなってやがる。
必死に頭を働かせていると、大男がこちらへ顔を向けてきた。
「これでまた形勢逆転だな」
「……てめぇは誰だ。本物のドリントンはどこにいる」
どうにか平静を装って尋ねると、大男は倒れているバンの身体を親指で示した。
「ここで焦げてるぞ。お前のせいでな」
「……どういうことだ」
「なに、別に難しいことじゃない。初めにイオンがドリントンと入れ替わったあと、俺がイオンの体と入れ替わったんだ。つまり、ドリントンの体にはイオンが、イオンの体には俺が、俺の体にはドリントンが入ってた。こうしておけば、万が一入れ替わりがばれて体を戻そうとしても、今度は俺がドリントンの体に入るって寸法だ。リスク管理だよ、リスク管理。イオンのことだ。また何かへまをするかもしれないと思ったんでな」
イオンは「んっ?」と、怪訝な顔で大男を見上げた。
「……馬鹿な。それがもし本当だとしたら、入れ替わったドリントンが大人しくしてるはずがねぇ」
大男は答えず、藁の山の前にしゃがみ込んだ。中を漁って取り出したのは、一本の草だった。その先に連なる紫色の小さな花を見て、ギースは目を見張った。
「そいつは、ネム草……」
「その通り。台所に落ちてたんだ。イオンに聞いたが、こいつを口にするとすぐに眠っちまうんだろ? 今度から残りはちゃんと持ち帰るように、部下に伝えるんだな」
大男は余裕の笑みを浮かべ、「まぁ、お前も大したもんだったぞ」と続けた。
「罠に気づくわ、洞窟の主は倒すわ。そのうえ入れ替わりにも気づいたんだからな。だが、最後の最後で単純な手に引っかかったな。自分が圧倒的に有利だと思ってる奴を騙すのは簡単――だったか?」
ギースはちっと舌打ちし、大男を鋭く睨んだ。
「馬鹿が! 油断してんじゃねぇぞ」
そう言うなり、もう一本のダガーを引き抜いた。だが、その直後、握った柄がぐいっと上へ引かれ、手からすっぽ抜ける。
「なに……!?」
驚いて顔を上げると、天井に三匹の巨大な蜘蛛が張りついていた。
そのうちの一匹が糸にぶら下がって大男の傍らへ降りてきた。からめとったダガーを前脚で差し出すと、大男はそれを受け取り、蜘蛛の頭を撫でた。
……くそっ。あんな化け物、どうやって手なずけやがったんだ。
これで四対一。さすがに分が悪い。ここはいったん引いて――
入口へちらりと顔を向けたギースは、思わず固まった。そこには、オーラをまとった孤児院の子供たちが腕を組み、仁王立ちで待ち構えていた。
これで十四対一……。
「お前の負けだ。いい加減諦めろ」
大男の余裕たっぷりの声がかかった。耳を澄ませても仲間の声は聞こえず、上着を探っても使えそうなものは何もなかった。ギースは唇をかみしめると、振り返って大男を睨んだ。
「舐めんじゃねぇ。てめぇらごとき、返り討ちだ!」
そう吐き捨てるなり地面を蹴り、凄まじい勢いで大男に襲いかかった。
***
「どうする? 戻るか?」
「待て。ガキや巨大グモに出くわしたらどうする」
洞窟の入口では、男たちが顔を見合わせていた。ドリントンから、ギースを連れてくるのでここで待つように言われたものの、いくら待っても二人は戻ってこない。
そんな中、C班を率いる髭の男が声を上げた。
「そうだ。ここはA班に任せるのはどうだ? 怖いもの知らずのお前らなら行けるだろ?」
話を振られ、顔に傷のある男がにやりと笑った。
「当然だ。あんなガキども、ひとひねりだ。ひとひねりだが……ちょいと今は腹が痛くてな。なぁ、てめぇら!」
強面のA班の連中が「おうっ!」と声をそろえ、一斉に腹をさすり始めた。
「そ、それじゃあ、B班はどうだ? 賢いお前らなら、あんなガキども屁でもないだろう?」
今度は眼鏡をかけた男が鼻で笑った。
「当然です。私の頭脳をもってすれば、蜘蛛ごときに後れを取ることなどありえません。ありえませんが……今は少し頭が痛くてですね。ねぇ、あなた達……」
B班の連中も、そろって頭をさすり始めた。
「情けない奴らだな」
髭の男は呆れたようにため息をつく。
「だったら、お前が行けばいいだろ」
すかさず言い返され、髭の男はたじろいだ。押しつけ合いは続き、誰一人として奥へ戻ろうとはしない。
そのときだった。
暗がりに人影が浮かび、「よぉ」と声が聞こえてきた。髭の男は目を凝らし、その正体に気づくと、顔をほころばせて駆け寄った。
「ギース様。無事でしたか!」
「あぁ、待たせて悪かった。奴ら、なかなかやるもんでな」
ギースはあちこちに傷を負っていた。
「いえ、我々の方こそ、役に立てず申し訳ありませんでした。それで、奴らは?」
「安心しろ。完膚なきまでに叩きのめしてやったぜ。パーペキにな……」
「……ぱ、ぱーぺき?」
聞き慣れない言葉に首をかしげる男をよそに、ギースはふっと笑みを浮かべ、ゆっくりと手を上げた。




