シーン48 化け物の巣
「遅ぇ!」
洞窟の入口に苛立った声が響く。あれからもう一時間。先へ行かせた部下たちは、リオレスの姫を連れ帰るどころか、連絡すらよこさない。白岩に腰かけるギースの足元には、大量のタバコの吸い殻が散らばっていた。
「あの馬鹿どもが……。何を遊んでやがる」
「どうします? まだ、このまま待機しますか?」
「……いや、もう時間がねぇ。そこの三人、ついてこい。あとはここで待機だ。一匹たりとも逃がすなよ」
ギースはため息まじりに立ち上がり、洞窟へ入った。そこには人が通れそうな横穴が二つ並び、それぞれに『当たり』『外れ』と書かれた札が掛かっていた。困惑する部下たちをよそに、ギースは迷わず『外れ』の穴へ入っていく。
その先に続く広い通路は、陽の光も届かず、不気味なほど静まり返っていた。ダガーを取り出して刃に炎をともすと、照らされた壁のあちこちに、白い糸のようなものが浮かび上がった。
これは……クモの巣か? それにしてはでかいな。
首をかしげたそのときだった。
「あそこ、見てください!」
部下が指さす先の突き当たりに、明かりが揺れていた。目を凝らすと、その横の通路から、松明を持った栗色の髪の男の子が姿を現した。まだ小さな子供だ。こちらに気づくなり「あっ!?」と声を上げ、慌てて逃げ出す。
「待ちやがれ!」
我先に後を追おうとする部下たちの行く手を、ギースは腕で遮った。
「な、何ですか?」
「まあ、見てろ」
炎をまとったダガーを地面へかざす。足元に、ぽっと小さな火がともったかと思うと、その火がぶわっと広がり、幾筋にも分かれて地面を走っていく。張り巡らされていた糸が次々と焼け落ち、残された細い道の両側に、ぽっかりと深い穴が開いた。
「クモの巣の落とし穴だな。あのガキ、舐めた真似しやがる」
その穴を覗き込んだ部下たちは、深さに身をすくませた。
「あっ、あいつら!」
突然、部下の一人が声を上げた。穴の底には、先に行かせた部下たちが転がっていた。かすかに身じろぎし、呻いてはいるものの、呼びかけても返事はない。
「生きてますね。どうします?」
「ほっとけ。先を急ぐぞ」
ギースはそう吐き捨て、細い道へ踏み出した。大人一人がやっと通れるほどの幅しかなく、少しでも足を踏み外せば真っ逆さまだ。慎重に足を運び、中ほどまで来たところで、何かの気配に顔を上げた。
さっきの男の子だ。道の先で、自信満々に腕を組んで立っている。なぜか今度は女の子も引き連れていて、その腕の中では赤ん坊がすやすやと眠っていた。
武器は持ってねぇようだが、何を仕掛ける気だ? この足場じゃ、逃げ場もねぇぞ。
ギースが身構えた直後――
「エド、お願い!」
女の子の声に、赤ん坊がはっと目を開いた。小さな顔がくしゃりと歪んだかと思うと、ギャンと泣き声が上がる。
バリバリバリバリッ!!
まばゆい光が目の前で弾ける。一瞬で視界が真っ白に染まった。
「ギース様!」
背後で部下たちの声が重なる。
やがて白い光が薄れると、今度は子供たちから「そんな……」と声が漏れた。
雷撃は間一髪、ダガーで受け止めていた。
「残念だったな……」
ギースがにやりと笑ってみせると、男の子の顔が一瞬引きつった。それでも「逃げろ!」と女の子へ叫ぶ。女の子はためらうように男の子を見たが、腕の中の赤ん坊に目を落とすと、ぎゅっと抱き直して駆け去った。
それを見届けた男の子は、こちらへ向き直って手をかざした。その腕を赤いオーラが包み込んでいく。
「ぼ、僕が相手だ」
声は震え、腰も引けている。威勢のいいことを言っても、やはり子供だ。
だが、ギースはためらわずダガーを放った。刃は生き物のように男の子の頭上へ回り込み、ぐるぐると回りだす。
男の子は慌てて頭上へ炎を放った。回る刃を追って腕の向きを変え、立て続けに撃ち上げるが、かすりもしない。
「だ、だめだ。うわぁーっ!」
とうとう男の子が逃げ出した。その姿が見えなくなった直後、ばちっと何かが弾けた。
それきり、声は聞こえなくなった。
「……行くぞ」
細い道を渡りきり、突き当たりを曲がると、男の子が倒れていた。ギースがそばへ屈み込んで様子を確かめていると、遅れて来た部下の声がかかる。
「……し、死んでますか?」
「いや、気絶させただけだ。だが、俺らに舐めた態度を取るようなら、ガキだろうと容赦はしねぇ。それがロベルタスのルールだ」
男の子の胸ぐらをつかみ、バチバチと放電するダガーをその頬へ近づけた。部下たちは固唾をのんで、その手元を見つめる。
ところが、ギースは動かない。
長い長い沈黙のあと、胸ぐらから手を離した。そのまま立ち上がると、部下たちに背を向け、低く告げる。
「……ってなわけで、お前ら、始末しろ」
「ちょっと!!」
一斉に声を上げられ、ギースはぎくっとして振り返った。
「な、何だ……?」
「何だ、じゃないですよ! 自分がやりたくないからって!」
「ギース様がやってくださいよ!」
詰め寄ってくる部下の胸を、ギースはぐいと押す。
「馬鹿やろう。上司命令だ。部下は黙って従いやがれ」
なおもぶうぶうと文句を言ってくる部下たちに、ギースは知らんふりを決め込んだ。ごまかすようにタバコを取り出そうとしたそのときだった。
「助けて!」
悲鳴じみた声を上げながら、先ほど逃げた女の子が駆け寄ってきた。「エドが、エドが!」と顔を引きつらせ、ギースのスーツをぎゅっとつかんでくる。
エド? さっきの赤ん坊のことか。
「アメの効果が切れちゃったの! 助けて! 早くしないと、食べられちゃう!」
女の子はそう言うなり、ギースをぐいぐいと引っ張り始めた。
何を言っているのか、さっぱり分からねぇ。それに、俺は敵だぞ。罠か?
だが、この慌てぶりが芝居とも思えない。ギースはその勢いに押され、ついていくことにした。
女の子を追って通路を走るうちに、壁に張りついたクモの巣が増えてきた。白い糸が幾重にも重なって岩肌を覆い隠し、奥へ進むほど嫌な予感が募っていく。
やがて前方に、ぼんやりと緑色の光が見えてきた。通路を抜けた途端、ギースは目を疑った。
ドーム状に広がる空間の中央で、大岩ほどもある黒いクモがうごめいている。壁から突き出した大量のキカイ石が、硬そうな毛に覆われた体と節くれだった長い足を淡く照らしていた。その赤い目が見据える先には、ミノムシのようにくるまれた赤ん坊が、一本の糸に吊るされていた。
巨大グモが、その小さな体へ向けて顎を開く。
まずい……!
「てめぇら、時間稼げ!」
ギースは駆け出すと同時に、ダガーを放った。狙い違わず赤ん坊を吊るす糸がぷつりと切れ、小さな体が落ちてくる。その下へ足から滑り込み、腕に抱きとめた。
間髪入れず、三方に散った部下たちが次々と氷の弾丸を撃ち込んだ。
ドドドドドッと、銃声が絶え間なく洞内に響き渡る。
猛攻を受けた巨大グモは身をよじり、苛立たしげにカチカチカチッと顎を打ち鳴らした。その音に応じるように、天井から小さなクモがぼたぼたと落ちてきた。小さいとはいえ、人ひとりを覆い尽くすほどの大きさがある。着地するなり襲いかかってくる子グモへ、部下たちは慌てて銃口を向け直した。
氷の弾丸を浴びた子グモが悲鳴を上げ、紫の血をまき散らして倒れていく。大気を凍らせて放つ弾が尽きることはない。だが、撃っても撃っても、子グモは次から次へと押し寄せてくる。
「くそっ!」
三人はとうとう取り囲まれてしまった。四方から吐きかけられた糸が腕や胴に絡みつき、その姿を白く覆い隠していく。
「お前ら!」
助けようと身を起こしたギースを、巨大グモの丸太のような足が横合いから吹き飛ばした。赤ん坊をかばったままでは受け身も取れず、岩壁に激しく叩きつけられる。頭の奥がぐらぐらし、目の前の景色がぼやけた。
まずいな……まともに食らっちまった。
ガキは……?
腕の中へ目を落とすと、赤ん坊が涙に濡れた顔できょとんとこちらを見上げていた。怪我はなさそうだ。
痛みをこらえて顔を上げた先には、体が丸ごと収まりそうな口が迫っていた。ゆっくりと顎が開いていくにつれ、突き出した牙の先が、ぼやける視界の中でも妙にはっきりと見えてくる。
「やるじゃないか……」
ギースは荒い息をつきながら、巨大グモの足へ目をやった。そこにきらりと光るものを認めると、血の垂れる口元が僅かにつり上がる。
「……アグニ・ナーガ」
そう呟き、手首をくるりと回す。次の瞬間、やられ際に突き刺したダガーが、ゴウッと炎を噴き上げた。炎をまとった刃が高速で回転し始め、そのまま体内へ潜り込む。縦横無尽に駆け巡り、巨体を内側から焼いていく。
グギャアアアアアッ!!
巨大グモはのたうち回り、振り回した長い足で岩壁を打ち砕いた。轟音とともに岩が崩れ落ちる中、炎に包まれた巨体は次第に動きを鈍らせ、ついには黒い灰となって崩れていった。
しかし、これで終わりではない。
まだ子グモが残っている。
ギースは戻ってきたダガーへ手を伸ばした。だが、指に力が入らない。つかみかけた柄がすり抜け、岩の床にカランと音が響いた。立ち上がろうとしても、体が言うことをきかない。視界の端に、こちらへ向かってくる影がぼんやりと映った。
……終わったか。
重いまぶたを閉じかけたそのときだった。
「大丈夫!?」
聞き覚えのある声に、何とか顔を上げる。目の前にいたのは、さっきの女の子だった。
……馬鹿やろう。何で来た。
ギースは重い頭をわずかに動かし、女の子の背後へ目をやった。そこでは無数の子グモが炎に包まれ、あちこちでのたうち回っている、目を疑うような光景が広がっていた。
「……あれは、お前がやったのか?」
「うん。あれくらいなら私でも」
あれくらい、だと?
女の子がギースの腕から赤ん坊を抱き取った。赤ん坊はキャッキャと楽しそうに笑っている。何事もなかったようなその声に、ギースの肩から力が抜けた。
「全く、化け物だらけだな。この洞窟は……」
呆れたように呟くと、ギースはふっと笑った。




