シーン47 おいろけ大作戦
洞穴の奥に広がる円形の空間の中央で、イオンは座って待っていた。周りには大量の藁が敷き詰められ、不自然なほどに盛り上がっている。
辺りを見回すと、白い岩壁には等間隔に灯りが取りつけられていた。珍しいピンク色の光が、こちらに向けられている。これも作戦のためだというけれど、何の役に立つのだろう。
何の気なしにその灯りを眺めていると、遠くの方でバキッと何かを砕く音が響いた。
あの音……滝のそばに設置した偽の壁が破られたんだ。
もうすぐここに来るかもしれない。敵が来る前に、最後の確認をしておこう。
手鏡を覗き込み、おでこが見えるように髪を横に分けた。唇には、普段はつけない赤い口紅が塗られ、頬にはチークも入っている。どちらもオビィさんのものだ。
何だか、別の人みたいだ。
手鏡を置き、今度は羽織っている灰緑色のマントに目を落とした。
大丈夫、肌は見えていない。でも、これを取ったら……そう考えると、胸がどきどきしてきた。
そのときだった。
「……ここにいたか」
低い声に、心臓がどきんとひときわ大きく鳴った。入口に目を向けると、茶色のスーツがはちきれそうなほど大柄な黒人が、気絶した男二人を両肩に担いで立っていた。
あれは、ドリントンさん!
慌てて青いオーブを口に含む。
「なかなかやるじゃないか。こいつらも、このざまだ」
そう言ってドリントンは二人を壁際に横たえると、ゆっくりこちらへ近づいてきた。足取りも口調も落ち着いているのに、その無表情はなぜか怒っているように感じられた。
恐怖で身体が震える。
けれど、バンさんも、子供たちも、私のために頑張ってくれている。私だけ逃げるわけにはいかない。
よし!
意を決してマントを脱ぐと、薄手の白いレースの服があらわになった。胸元は広く開いているし、スカートの丈も短い。服というより、まるで下着だ。イグナイトのピンク色の明かりのせいか、肌まで妙に色っぽく見える。
男の人はエッチなことに弱い。油断させて十秒間肌に触れ、オーブで身体を入れ替える。上手くいけば、相手になりすまして自由に動けるようになる。そうなれば勝利は確実だ。
名付けて、おいろけ大作戦。
バンさんは自信満々だったけれど、本当にうまくいくのかな。
気がつくと、ドリントンは目の前に立ち、こちらの顔や身体をじろじろと見ていた。
……見られると、やっぱり恥ずかしい。でも、ここでためらっていたら始まらない。しっかりしなきゃ。
そう思い、意を決して話しかけた。
「今日は暑いですね……」
肩ひもを少しずらし、露出した肌を手でぱたぱたとあおいでみる。ところが、ドリントンは眉を寄せ、「何をしてる」と返してきた。
あ、あれ? 何だか喜んでないみたい。
もう少し肌が見えた方がいいのかも……と、スカートの裾を少しめくる。
あとは、バンさんに教えてもらったセクシーな台詞を……あれ、何だっけ。
……どうしよう。緊張で忘れちゃった。
と、とりあえず今覚えている言葉だけでも――。
「本当に暑いですね。とっても暑くて……もう、すごく暑いです」
両手で必死にぱたぱたとあおいでいると、ドリントンはおもむろにサングラスのフレームを操作した。
「気温十度、湿度九十パーセント。むしろ肌寒いくらいだが」
「えっ? ……そ、そうですね。少し寒いかも」
「そんな格好だからだ。これを着ろ」
そう言って茶色いスーツの上着を脱ぎ、こちらへ投げてよこした。
「ありがとうございます……」
じゃなくて!
どうしよう。全然、油断してくれない。このままじゃ入れ替われない。
そ、そうだ、思い出した。確か、褒めればいいんだ。男の人はおだてに弱いって、バンさんが言ってた。
よし!
「ドリントンさんって、かっこいいですよね。背も高いですし、おしゃれですし、サングラスもとても似合ってます」
笑顔を作って褒めてみたが、ドリントンは喜ぶ様子もなかった。
「そ、それに肌が黒いですし、Yシャツは深緑色ですし。あと、革靴も履いてますし……」
焦って思いつくことを片っ端から口にしていると、呆れた声が返ってきた。
「そいつは冗談のつもりか? 全く笑えんが」
駄目だ。全然うまくいかない。教えられた通りにやっているのに、どうして?
……分かった。私においろけが足りないからだ。子供のおままごととでも思われているんだ。
こうなったら――と、白いレースの服の裾をつかみ、脱ごうと引き上げた。
そのときだった。
いきなり、がしりと手をつかまれた。藁の中から現れたバンが、呆れた様子で「ストップだ……」と言った。
「ど、どうしたのですか、バンさん。私、合図を出していませんけど」
「やり過ぎだ。全部脱いじまったら、そんなのもう、おいろけじゃなくて変態だろ」
「へ、変態?」
顔がかっと熱くなった。
「ご、ごめんなさい」
「いや、俺も悪かった。もっとちゃんと――」
言い終えるより早く、ドリントンの拳がバンを捉えた。ドゴンッと重い音が響き、吹き飛ばされた身体が岩壁に叩きつけられる。周囲の岩ががらがらと崩れ落ちた。
「バンさん!!」
バンは「だ、大丈夫だ……」と苦しげに返してきたが、身動きもままならないようだった。
「お前のせいで部下がやられた。覚悟はできているんだろうな」
ドリントンは冷たい表情を浮かべ、倒れたバンにのしのしと近づいていく。
さっきまでと雰囲気がまるで違う。このままじゃ殺されちゃう。
「待って!」
立ち上がってあとを追い、その腕にしがみついた。だが、「邪魔だ」と振り払われ、その場に尻もちをついた。
ドリントンは馬鹿にしたようにふんと鼻を鳴らすと、バンの方へ向き直り、再び歩き出した。
駄目だ。私じゃ全然かなわない。こうなったら、何とかおだてて、気をそらさないと。
すぐに立ち上がり、思いつくまま矢継ぎ早に言葉を投げかけた。
「ドリントンさんの――頭つるつる! スーツぴちぴち! ……サングラス!!」
もう、褒めているのか自分でも分からない。
「不愛想!! 筋肉ムキムキ!! 変な人!!」
直後、ドリントンの足がぴたりと止まる。
「今、何て言った?」
「えっ、あの……変な人って」
「違う。その前だ……」
その低い声に、思わず身がすくんだ。
「き、筋肉ムキムキですけど……」
そう答えると、ドリントンは黙り込んだ。
何だろう。怒っているのかな。
怯えながらその背中をじっと見つめていると、ドリントンがゆっくりとこちらを振り返った。顔つきはほとんど変わらないけれど、口元だけはわずかに緩んでいる。
「ふっ、なかなかやるじゃないか。筋肉の良さが分かるとは」
あれ? 何でだろう。喜んでいる気がする。それなら、今がチャンスだ。
「はい、すごい筋肉ですね。胸板なんて私の二倍以上ありますし、その腕も、丸太かと思っちゃいました」
「ふっ、褒めても何も出んぞ」
「じ、じゃあ、触るのは駄目ですか?」
「……仕方ない奴だ」
ドリントンが「むん!」と力を込めた。
途端に、深緑のシャツが弾け飛んだ。そのまま両腕を上げ、無言でポーズを取る。
「あ、ありがとうございます」
その腕に触れ、心の中で秒数を数え始めた。三つ数えたところで、「どうだ」とドリントンが尋ねてきた。
「は、はい。すごいです。とっても……」
言葉をつなぎながら、頭の中では数え続ける。七、八、九――。
「ふっ、そうだろう」
その得意げな声が聞こえた直後、視界が突然真っ白になった。
この感覚、あのときと同じだ。
やがて白い霞が少しずつ薄れ、目の前に自分の姿が見えてきた。その口から、「何だ、これは……」と鈴のような声が漏れる。
「やった!」
思わず上げた声は、野太い男の声だった。
「できた! 私、やったんだ!」
あまりの嬉しさにぴょんぴょんと飛び跳ねると、どしん、どしんと重たい音が洞内に響いた。
ドリントンは、まだ何が起こったのか分からない様子だった。自分の細い手を見つめ、頬に触れたかと思うと、今度は胸や腕を確かめるようにさすっている。やがて、事態を察したのか、きっとこちらに目を向けた。
「返せ! 俺の筋肉!」
そう言って襲いかかってきたが、その背後からバンが麻布をかぶせた。ドリントンは抵抗したものの、私の身体ではどうにもならない。そのままロープでぐるぐる巻きにされてしまった。
「どうでした!」
野太い声を弾ませて尋ねると、バンはにこりと笑った。
「上出来だ」
そう言って手を上げたバンと、私はぱちんと手を打ち合わせた。




