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シーン45 決戦の朝

とうとう朝がやって来た。


孤児院では子供たちが駆け回り、あちこちから呼び合う声や慌ただしい足音が響いている。しかし、それは戦いに向けた準備などではなかった。


「おーい! どこ行ったの!」


「みんな心配してるよ。出てきて!」


探しているのはニコだ。昨日の晩、海岸でのひと騒動のあと、彼女は誰よりも早く寝床に入った。ところが朝、皆が目を覚ますと、その姿は忽然と消えてしまっていたのだった。


慌てて皆で孤児院中を探し回ったものの、寝室にも台所にも、果てはトイレの中にもニコはいなかった。


日はもう昇っていて、ギースたちがいつ来てもおかしくない。早く見つけないと。


……そうだ、昨日の海岸はどうだ。


俺は転がるように崖を下り、森に沿った道を駆け抜けた。海岸に出て、端から端まで探し回ったが、ニコの姿はどこにも見当たらない。


暖かな日差しの下、青い海には穏やかな波が寄せては返していた。いつもののどかな光景なのに、今はその波の音が余計に心をざわつかせてくる。


まったく、ニコの奴。何でよりによって、こんなときにいなくなりやがった。


いくらオーブがあるからって、俺とイオンだけで、しかも子供たちに気を配りながら奴らを追い払うなんて無理だ。


……まさか、あいつ、逃げたのか?


いや、「絶対勝つ」なんて言ってた奴が、そんなことするなんて考えられない。


「いましたか?」


突然の呼びかけに振り返ると、イオンが息を切らして立っていた。金色の髪が汗で額にべったりと張りつき、白い肌も赤くなっている。


俺が首を振ると、イオンはごくりとつばを飲んだ。「茂みの方にいるかも」と言い、息も整わないうちに駆け出そうとする。


「待った!」


俺はその腕をつかんだ。


「もう時間がない。こうなったら、緊急策だ」


銀色のライターを取り出し、桃色のオーブを出してイオンの手に握らせた。


「ど、どうしてこれを?」


「あそこの浜辺にセイリュウチョウがいるだろ。こいつをやるから、今すぐ仲間にして、イオンだけでもここから逃げるんだ」


「な、何で私だけ? バンさんも一緒に行きましょう」


「駄目だ。イオンがいないって分かったら、奴ら、腹いせに子供たちに危害を加えかねない。俺はここに残る」


イオンが目を見開いた。


「残るって、残ってどうするんですか? 今はオビィさんも動けなくて、おまけにニコさんもいなくなっちゃったんですよ!」


言葉を重ねるにつれ、イオンの声が大きくなっていく。その不安を和らげようと、俺はわざと明るく答えた。


「あんな奴ら、俺一人で余裕だろ」


「何人来るかも分からないんですよ! 無茶です! 殺されちゃいます!」


「落ち着けって。大丈夫だから」


なだめるように頭に手を置くと、イオンはその手を払いのけた。


「子ども扱いしないで!」


怒気のこもった声に、思わずたじろいだ。こんなに怒っているイオンを見るのは初めてだ。


それも当然か。イオンの言い分をまるっきり無視してるんだもんな。だが、今は一刻を争う。嘘でも何でもいいから、どうにか逃がさないと。


「分かった。みんなで逃げよう。俺たちもどこかで鳥を見つけて避難するから、ひとまずイオンは先に行っててくれ」


イオンは何も言わず、じっとこちらを見てきた。嘘だと悟られないように、俺も目線をそらさず見つめ返す。しばらくそうしていると、彼女は握っていた手を開き、オーブを口元へ近づけていった。


ほっと息をついた矢先、イオンの手が口元で止まった。その指から、オーブがぽとりと地面に落ちる。


「な、何やってるんだよ。貴重なオーブを」


俺は慌ててオーブを拾い上げ、砂を払い落とした。


「……何でそんなに慌ててるんですか? もう一つ出せばいいじゃないですか」


ぎくりとして顔を上げると、イオンが冷たい目でこちらを見ていた。


「変だと思ってたんです。効果が切れてしまうんなら、ずっと舐めておけばいいだけですもん。本当は、すぐには次のオーブを出せないんじゃないですか?」


な、何でこんなときに限って鋭いんだ。


確かに、一度オーブをライターから外すと、次を生成するまでに時間がかかる。しかも、一つのオーブで仲間にできるのは三体だけだ。全員そろって脱出するなんて無理なのは分かっていた。だが、それを正直に言うわけにはいかない。


「そんなわけないだろ。深読みしすぎだぞ」


あえて明るい声で言ってみたが、「じゃあ、出してみてください」と冷たく返された。


もう、ごまかせない。俺ははぁと息を吐いた。


「悪かった。イオンの言うとおりだ。どうしても逃げてほしかったんだ。頼むから、言うことを聞いてくれ」


そう言って、オーブをもう一度イオンの手に握らせた。だが、彼女はそれを口元へ運ぼうとはしなかった。


「バンさんや子供たちを置いて、逃げるなんてできません。私もここに残ります」


イオンの口調はやけに落ち着いていた。こちらが何を言おうと、答えは変わらないとでも言うようだった。


「分かってくれ。このままじゃイオンが危ないんだ」


「……分かりません」


抑揚のないその声に、思わず奥歯を噛みしめた。もう時間がないっていうのに、何でそこまで意地を張るんだ。


「もし捕まったら、ひどい目に遭わされるかもしれないんだぞ!」


「皆さんを置いて逃げるよりましです」


「いい加減にしろ!」


俺はイオンの胸ぐらをつかんだ。怯えたように身体を震わせる彼女に、そのまま怒鳴りつける。


「残ってどうする気だ! 考えは甘いし、戦えもしない。ここにいられたら迷惑なだけなんだよ!」


乱暴に突き放すと、イオンは力なく砂の上に尻もちをついた。


俺はあっと声を漏らしかけ、慌ててこらえた。顔を見られないように背を向ける。


「さっさと行かないと、もう絶交だからな……」


胸がぎゅっと締めつけられた。ひどいことを言ってるのは分かってる。けど、それでも今はこうするしかない。


そう自分に言い聞かせ、歩き出そうとすると、背後から震える声が聞こえてきた。


「私、行きませんよ……」


「まだ言って――」


苛立って振り返り、そのまま固まった。イオンは目元も鼻の頭も真っ赤にして、大粒の涙をこぼしていた。整った顔をくしゃくしゃにし、鼻水を垂らしながら口元を小刻みに震わせている。


それなのに、笑っていた。


「バンさん、言ってくれましたよね。自分の意志で生きろって。……だから、たとえ足手まといでも、たとえ嫌われても、私、絶対行きません」


「イオン……」


もう、てこでも動きそうにない。こうなったら、何とかして奴らを追い払うしかない。けど、どうやって。


考えあぐねていた、そのとき――


「僕らがいるよ!」


背後からの声に振り返ると、コナーやサラをはじめ、孤児院の子供たちが立っていた。


「悪い奴らなんて、僕らが追い払ってやるんだ」


「お前ら……」


見れば、子供たちは木の棒や、板を張り合わせただけの盾を手にしていた。あんな粗末な装備じゃ、とても戦えるとは思えない。だが、皆の決意に満ちた顔を見ていると、胸に熱いものがこみ上げてきた。


「言っとくけど、バンが何て言っても聞かないからね」


コナーがきっとした目を向けてきた。イオンも涙に濡れた目で、すがるようにこちらを見つめている。


皆の視線を受けながら、俺はとうとう、はぁと息を吐いた。


「……まったく。どいつもこいつも、分からず屋ばっかりだ。こんなんじゃ先が思いやられるな」


「えっ、それじゃあ?」


「急ぐぞ。戦いの準備だ」


そう言って、俺はにやりと笑った。


***


孤児院を見下ろせる崖の上で、ギースは苛立っていた。


「ちっ、ガキどもが。何でさっさと逃げねぇ」


誰にともなく呟き、サングラス越しに下の様子を窺う。子供たちは孤児院の裏手、断崖の方へと慌ただしく資材を運んでいた。どう見ても逃げ支度ではない。その中にはリオレスの姫まで混じり、長い髪を後ろで結んで、額に汗を流しながら駆け回っている。


おとなしく捕まる気なんて、さらさらないらしい。


とはいっても、あの厄介なオカマはおろか、獣人族のガキの姿も見えない。いるのは、あの貧相な男と姫、それに子供たちだけだ。こちらの相手になるとは到底思えない。


「どうする? 準備はできているが、もう少し待つか?」


声をかけてきたドリントンの後ろには、黒いスーツの男たちが集まっていた。まだ連絡の取れない二人を除き、総勢十八名。あの恐ろしい森を無事に抜けてきた精鋭だ。今は誰一人口を開かず、出発のときを待っている。


ギースはちらりと空を見た。陽はもうすっかり昇っている。これ以上待てば、たとえ姫を攫えても、森を抜ける頃には夜になってしまう。


「……時間切れだな」


ギースは立ち上がった。サングラスを頭に上げ、背伸びをしたところで、ドリントンが「ガキどもはいいのか?」と問いかけてきた。


途端に、ギースの目つきが鋭くなった。


「もう十分、猶予は与えてやった。それでも歯向かうっていうなら、容赦はしねぇ」


そう言って腰のダガーを抜き、確かめるように一瞬、ばちっと雷撃をまとわせた。


「行くぞ、お前ら。仕事だ」


黒いスーツの男たちが「はっ!」と声をそろえた。


***


同時刻、孤児院から少し離れた森の中で、パラポラは優雅にティーカップを傾けていた。そこへ、一匹のアンツ族が意気込んだ様子で駆け寄ってくる。


「ギースの野郎が動きました」


「ようやくですか。時間がかかりましたね」


パラポラはそう言って、自分で作った即席のテーブルにカップを置いた。


「こちらの状況はどうなっていますか?」


「アンツ族、総勢二百。皆、配置についています。いつでも動けます」


「……そうですか。それは何より」


パラポラは再びカップを手に取り、鼻先へ寄せた。「うーん、やはり人間の血の匂いは最高ですね」と呟き、味わうようにちびりと飲む。


そのまましばらくたっても指示はない。手下はとうとうしびれを切らし、おずおずと口を開いた。


「あの、パラポラ様。動かないので?」


パラポラはちらりと手下に目を向けた。


「当然です。下手に動いて返り討ちにでもなろうものなら、大変ですから」


「えっ? いや……この人数で、パラポラ様もいて、負けようもないと思うのですが」


パラポラは小さくため息をついた。


「駄目ですよ、そんな驕った態度は。常に最悪を考えて動かないと。何事も、慎重に慎重に進めるのが成功の秘訣ですよ」


「……は、はぁ。それでは、我々はどうすれば?」


「そうですねぇ――このまま孤児院の方々とギースさんたちの戦いを見守りましょう。まぁ、勝つのは十中八九ギースさんだと思いますが、多少は手傷を負ってくれるかもしれません。そうなれば儲けものです。弱ったギースさんから、リオレスの姫君をお譲りいただきましょう」


パラポラがポットを傾けると、どす黒い血がカップへ注がれていく。


「というわけで、しばらく待機です。皆さんにもそう伝えてきてください。あっ、そこ、気をつけてくださいね。根が張っていますので。足を引っかけて転びでもしたら大変です」


そう言い添え、パラポラはカップの血を優雅にすすった。

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