シーン44 仲間
「……みんな、どこ?」
孤児院の外へ出たニコは、あてもなく歩き回っていた。星明かりがあるためそれほど暗くはないものの、聞こえてくるのは遠くの波の音だけで、周囲は不気味なほど静かだ。
一体どこへ行ったのだろうか。明日に備えようということで、皆早く寝床に入ったはずだった。ところが、ふと目を覚ますと、子供たちは寝床におらず、バンもイオンも見当たらなかった。
「アタシを置いて、逃げちゃったのかな……」
孤児院の守りは任せるって話だったはずなのに、気が変わったんだろうか。それなら、どうして何も言ってくれなかったんだろう。
とはいえ、置いていかれても不思議はない。バンやイオンと出会ってから、まだ数日しか経っていないし、子供たちに至っては一日ちょっとだ。ここに来たのも成り行きで、部外者と言われればそれまでだった。
ただ、彼女の方は、バンたちを他人だとは思っていなかった。
「もう少しだけ、探してみよう……」
芝生を踏みしめ、ニコは坂を下りていく。断崖の下に広がる黒い海を横目に、星明かりを頼りに森沿いまでやってきた。
暗い木々の隙間からは今にも何かが飛び出してきそうで、つい早足になる。きょろきょろと辺りを見回していると、不意に森の奥から鳥のような不気味な鳴き声が響き、尻尾の毛が逆立った。
……もう戻ろうかな。
引き返そうと足を止めた、そのときだった。
海岸近くの茂みに、子供たちが身を隠しているのが見えた。
「いた!」
喜び勇んで駆け寄り、後ろから「わっ!」と声をかけると、子供たちが一斉にびくりと肩を震わせた。
「ニ、ニコちゃん!?」
年長の女の子――サラが振り返ると、白いリボンで結んだ長い茶色の髪が背中で揺れた。ニコは嬉しさを押し隠し、口をとがらせる。
「何してるのよ、こんなところで。勝手に孤児院を抜け出して、駄目じゃない」
「僕たちだって来たくなかったよ」
割って入ってきたのは、坊主頭の男の子――コナーだった。
「夜の海、怖いし、それに眠たいし。でも、サラが無理やり――」
「どういうことなの?」
「え、えっと――ははっ……」
取り繕うように笑うサラを、ニコは表情を崩さず、じっと見据えた。やがて、ごまかせないと悟ったのか、サラは茂みをがさりとかき分けた。
その先の浜辺では、バンとイオンが並んで座り、海を眺めていた。
「何だ、二人ともいたのね……」
「……うん。実はさっき、お姉ちゃんがバンさんに話しかけるのが聞こえちゃったの。明日が心配で眠れないって。だったら少し外を歩こうかって、バンさんが言って。それで、私たちもついていこうってなったの」
「駄目じゃない! そんな盗み見みたいなことしちゃ」
そう叱りつけると、子供たちもここぞとばかりに声を上げた。
「そうだ、そうだ!」
「サラは悪い子だ!」
うつむいてしまったサラにも構わず、ニコは言葉を続けた。
「それも、こんな夜遅くに子供たちだけで。危ない獣でも現れたらどうするのよ」
「そうだ、そうだ!」
「今すぐ戻るべきなんだ!」
皆に責められ、サラはスカートをぎゅっと握りしめた。
「でも……」
「でも、じゃないわよ。ほら、帰るわよ」
そう言って踵を返し、歩き出したニコの背中に、サラのすがるような声が飛んできた。
「でも、でも……もうすぐチューするかもしれないよ?」
ニコの足がぴたりと止まった。
少し間を置いてから、無表情のまますすすっと引き返し、茂みの前に身を伏せた。それを見たサラはぱっと顔を輝かせ、すぐ隣にかがみ込んできた。
「何してるのさ。早く戻ろうよ」コナーが文句を言ってくる。
「……うるさいわね。戻りたいなら戻ればいいでしょ」
「僕たちだけじゃ無理だよ。怖いもん」
「情けないわね。だったら、終わるまでここにいなさい」
「なんだよー、さっきと言ってることが違うじゃないか」
文句を言ってもニコが振り向かないので、コナーたちはふてくされてその場に座り込み、地面に指で模様を描き始めた。
ようやく静かになり、ニコはふぅと息をついて浜辺に目を凝らした。バンとイオンは身を寄せ合ってとはいかないものの、近い距離で並んで座っている。夜空には満天の星が輝いていて、なかなかいいムードだ。これなら、サラの言うこともあながち間違いではなさそうだ。
しばらく見守っていると、隣でサラがぽつりとつぶやいた。
「楽しみだなぁー、二人の子供。どんな子だろう……」
「こ、子供!? な、何で急にそんな話が出るのよ」
「ニコちゃん、知らないの? 大人の男の人と女の人がキスしたら子供ができるんだよ。セイリュウチョウが空から運んできてくれるの」
「ばか、そんなわけないでしょ。何おとぎ話みたいなこと言ってるのよ」
「えっ、違うの? じゃあ、どうやったらできるの?」
「……オビィに聞きなさい」
そう答えると、サラは疑わしげな目で見つめてきた。ニコはその視線から逃れるように目をそらし、慌てて浜辺を指さす。
「ほ、ほら見て。何か話してるわよ」
「本当だ。でも、遠くて聞こえないね……」
「アタシに任せて」
ニコは獣耳をそばだて、聞こえてくる二人の会話をそのままサラに伝えていく。
『私、不安です。明日、うまくできるでしょうか』
『教えた通りやれば大丈夫だ。入れ替わりなんて、普通の人間には思いつきもしないだろうしな』
「入れ替わりって何?」
不意にサラが尋ねてきたが、何のことか分からないのはニコも同じだった。「さぁ? これから話すかも」とだけ答え、二人の会話に耳を傾ける。
『きっと明日は怖い人たちがいっぱい来ますよね』
『安心しろ。イオンは俺が必ず守ってやる』
『いえ、私ではなく、子供たちが……』
『大丈夫だ。あいつらには全てが終わるまで隠れててもらうからな。散々渋られて、納得させるのに苦労したぜ』
その言葉をニコが伝え終えた途端、子供たちが「やっぱりやだ!」と声を上げて立ち上がった。
「僕たちだって戦えるよ」
「そうだよ、お姉ちゃんを守るんだ」
口々に訴えながら、ニコの服をつかんでぐいぐい引っ張ってくる。
「ちょっと! アタシに言ったって仕方ないでしょ。引っ張らないで」
押し返された子供たちは、不満げに口をとがらせて手を離した。「全く、もう」とニコはぼやき、浜辺の二人へ目を戻して再び耳をそばだてた。
その途端、心臓がどきりと跳ねた。イオンの口から自分の名前が出たのだ。
動揺をサラに悟られまいと、ごほんと一つ咳払いをしてから、先ほどと同じ調子で二人の言葉を伝える。
『あとは、ニコさんですね』
『あぁ、オビィは起きる気配がないし、今頼れるのはあいつだけだ』
『でも、私のためにニコさんを危ない目に遭わせるのも、申し訳なくて……』
『大丈夫だろ。だってあいつは……』
ニコは突然、黙り込んだ。
「どうしたの? ニコちゃん。バンさん、何て言ったの?」
サラの問いかけに、ニコは少しうつむいてぽつりと答えた。
『あいつはもう、仲間だ……』
自分の口から出たその言葉が、頭の中で何度も響く。バンの言葉に喜んでしまっている自分が癪で、すぐには顔を上げられなかった。しばらくして、ふんと鼻を鳴らし、立ち上がった。
「……行くわよ」
「えっ? でも、まだチューしてないよ」
「あの意気地なしにそんなことできるわけないでしょ。それに、明日は早いのよ。今のうちに休んでおかなきゃ」
ニコの不機嫌そうな顔を見上げ、サラは開きかけた口をつぐんだ。
「ほら、アンタたちも行くわよ」
そう言って子供たちを振り返ると、海岸に目を向けていたコナーが何気なくつぶやく。
「あれ? バンとお姉ちゃん、お顔ごっつんこしそうだよ」
『えっ?』
二人は同時に声を上げた。
しばらく無言で顔を見合わせたのち、慌てて子供たちを押しのけ、茂みの向こうをのぞき込む。
浜辺では、バンが風に揺れるイオンの金色の髪をかき上げていた。コナーの言う通り、二人は今にも顔がくっつきそうな距離で、じっと目を合わせている。
な、なに。本当にやる気なの?
ニコは瞬きも忘れ、ごくりと唾をのんだ。
そのときだった。
「僕たちにも見せてよ!」
突然、背後から子供たちが押してきたのだ。ニコは「ち、ちょっと。やめて!」と声を上げたものの、受け身を取る間もなく、茂みの向こうへ前のめりに倒れ込んだ。
全身が砂まみれになり、口の中までじゃりじゃりする。身体を起こしてぺっぺっと砂を吐き出すと、服についた砂を手で払い落とした。
「もう、何するのよ。痛いじゃない!」
振り返った先には誰の姿もなかった。不思議に思いながら目を上げると、子供たちが一目散に坂を駆け上がっていく姿が見えた。
……な、何なのよ、あいつら。
その後ろ姿を呆然と見送っていると――
「何してる……」
突然の低い声に、尻尾の毛が逆立つ。恐る恐る振り返ると、そこにはあきれた表情のバンが立っていた。
「こんな夜中に、子供たちまで連れて盗み見か? 感心しないな」
「ち、違うわよ! アタシはみんなを探しに来たのよ。それに、アンタたちこそ不潔よ。こんなところでキ、キスしようとするなんて……」
「ば、馬鹿! イオンの目に砂が入ったっていうから、確認してただけだ。どうやったらそう見えるんだよ、このスケベ犬が!」
ニコの顔がみるみる赤くなっていく。
「な、何よそれ! もういい!」
勢いでごまかし、ニコは子供たちの後を追って駆け出した。だが、途中で足を止め、バンを振り返る。
「……明日、絶対勝つわよ」
それだけ言い残し、逃げるように坂を駆け上がっていった。




