シーン42 悪党
孤児院を見下ろせる崖へ戻ると、ギースはその縁に身を伏せた。背後の森から張り出した枝葉が身体を隠してくれるため、向こうに気づかれず様子を窺うにはうってつけだった。頭に上げていた特注のサングラスをかけ、フレームの脇を押して倍率を合わせる。
建物の外にはテーブルと椅子が並び、その間を子供たちが駆け回っていた。中には両手を上げて飛び跳ねる子までいる。獣耳の少女が一人を呼び止め、何やら叱りつけていたが、ここまで声は届かない。何を騒いでいるのかと眺めていると、背後からドリントンに声をかけられた。
「予定と違うが。なぜ手ぶらで戻ってきた?」
「……少しぼやけるな。もう寿命か?」
ギースは聞こえないふりで呟き、サングラスのフレームをいじり続けた。
「まさか、子供がいたからか?」
再び問われたギースは孤児院に目を向けたまま鼻で笑った。
「そんなわけねぇだろ……俺たちは悪党だぞ? ガキなんてどうなろうと知ったこっちゃねぇ。散り散りになってた連中が今こっちへ向かってる。そいつらを待った方が確実だからだよ」
「相手は子供ばかりだ。待つ必要ないだろう」
「いや、奴らの中にでかいオカマがいたろ。俺の勘だが、奴は相当できる。あのまま本気でやり合ってたら、下手すりゃ返り討ちになってたかもしれねぇ」
「……それなら、多少仲間が増えても同じだろう」
「それも計算済みだ。見てみろ――」
ギースの指示に、ドリントンは怪訝そうにしながらも隣へ伏せた。眼下では食事の支度が整い、子供たちが次々と席についている。
「別に何もないが」
「もうすぐだ。よく見てろ」
ギースは口の端を上げ、食卓の様子を見守った。
やがて全員が席につき、揃って手を合わせた。ひとしきり話したのち、例のオカマがスープに口をつけた。すると、なぜか急に怒り出し、そばの男の首を絞め上げ始めた。
何をやってやがるんだ?
予想外の事態にギースは眉をひそめた。だが、ほどなく首を絞めていた腕が緩み、大きな身体がぐらりと傾いた。そのまま地面へ倒れ込むのを見て、ギースはようやく肩の力を抜いた。
「どうやら効いたみてぇだな」
腕をついて上体を起こすと、懐から草を一本取り出した。細い茎の先には紫色の小さな花が穂のように連なっている。
「何だそれは?」
「こいつはネム草だ。うっかり口にしようもんなら、丸一日は目を覚まさねぇ。俺が時間を稼いでいる間に、スープにこいつを仕込むよう命じておいたんだ」
「さすがだな」
ドリントンが感嘆の声を漏らした。
「だが、お前のダガーでまとめて痺れさせれば済む話じゃないか?」
その指摘に、ギースは言葉に詰まった。ドリントンが探るようにこちらを見つめてくる。
「子供が心配だったのか?」
「……違ぇって言ってんだろ。この森で随分キカイ石を消費しちまったからな。節約だよ、節約。それに、ただ寝るだけなら怪しまれねぇ。現にほら、見てみろ」
眼下では、子供たちが倒れたオカマをほったらかしにして、食事を続けていた。
「言った通りだろ? 誰も気にしてねぇ。これであいつらは全滅だ」
にやりと笑ってみせたが、ドリントンは何も答えず、疑わしげにじっとこちらを見てくる。ギースはごまかすように一つ咳払いをして、孤児院へ向き直った。
子供たちは隣同士で笑い合い、パンをちぎっては口へ運んでいた。リオレスの姫によそってもらった料理を、嬉しそうに受け取る子もいる。少し離れたところでは、何をやらかしたのか、先ほどの男が獣耳の少女の前に正座させられていた。
少々妙なところもあるが、のどかな光景だ。ただ、いくら食事が進んでも、スープだけは減らない。
「何であいつら、口をつけねぇ」
ギースは苛立ちながら吐き捨てた。
「まさか、勘づいたのか? いや、だとしたら、何のんきに食ってやがる……」
「問題ない。一番厄介な奴は排除できた」
ドリントンはそう言って立ち上がり、大きく背伸びをした。ギースは釈然としない顔で「まあ、そうだな」と応じた。そのまま何の気なしに子供たちの様子を眺めていると、突然背後の茂みががさりと揺れた。
何だ?
ギースは身を起こし、振り返りざまに腰元のダガーへ手をかけた。息を殺して茂みの奥を窺っていると、枝葉の間から見覚えのある顔が覗いた。ほっと息を吐き、ダガーから手を離す。
「なんだ、お前らか」
それはネム草の仕込みを命じていた部下たちだった。
「ギース様。様子はどうですか?」
「ああ、上々だ。よくやったな」
そう言いつつ二人の後ろへ目をやったが、もう一人の姿が見当たらない。
「ステラはどうした?」
「それが……」
部下たちは顔を見合わせ、口ごもった。やがて二人揃って茂みへ引き返すと、何かを引きずってきた。
ステラだ。
二人に両脇を抱えられ、口元から涎を垂らしながら、すやすやと寝息を立てている。
「な、何があった?」
呆然として尋ねると、部下の一人がおずおずと口を開いた。
「実は、ネム草を仕込んだ後、獣耳の少女が床でうなだれていたので、ついでに発信機もつけておいたんです。その間に、ステラ様がスープをつまみ食いしてしまいまして……」
「……馬鹿か、こいつは」
ギースは舌打ちし、ステラの脇腹を足先で蹴ってみた。だが、身体がわずかに揺れるだけで、寝息さえ途切れない。
「駄目です。我々がいくら起こそうとしても、目を覚ましませんでした」
「ちっ、しょうがねぇ。こいつは作戦から外す。邪魔だから、どっかに捨ててこい」
二人はためらうようにステラを見下ろしたが、やがて「分かりました」と答え、茂みの奥へ引きずっていった。
その姿が見えなくなると、ギースはサングラスを頭に上げ、ひとつあくびをした。
「さてと、それじゃあ俺も明日まで寝るとするか」
地面にごろりと寝転がって腕を枕にすると、ドリントンが顔を覗き込んできた。
「なぜ待つ? あのオカマはもう動けんだろう」
ギースはしばらく黙っていたが、やがて薄い笑みを浮かべて答えた。
「部下が全員集まるのは恐らく夕方だ。お姫さんを攫う頃には夜になっちまう。そこからこの森を抜けるのは無理だろ?」
「いや、今すぐ行けばいいだろう」
その正論に、ギースはちっと舌打ちし、ドリントンに背を向けた。それきり口を閉ざし、取り合おうとしない。
「ギース?」
「……ガキどもが逃げる時間が無ぇだろうが」
小さな声でぽつりと漏らすと、話は終わりだとばかりに目をつむった。
***
「早くしろ。陽が落ちるまでにここを抜けないと、また野宿だぞ」
黒スーツの男二人は、木の根をまたぎながらギースたちのもとへ向かっていた。ブラッドベアに追われてはぐれてから、ずっと飲まず食わずで歩き続けている。獣への警戒で気も張り詰め、喉はからからだった。
先を行く男が枝葉をかき分けていると、突然、連れが前方を指さした。
「見てください、水ですよ!」
木々の切れ間に、泉の水面がきらきらと光っていた。澄んだ水の底には小石が透けて見え、岸辺を覆う苔がしっとりと濡れている。
「行きましょう!」
連れが喜び勇んで泉へ向かおうとした、そのときだった。
「待て、隠れろ」
何かに気づいた男が、咄嗟に連れの手をつかみ、茂みの陰へ引き寄せた。怪訝そうに振り向いた連れに、顎で泉の向こうを示す。蟻の顔をした黄緑色の魔族たちが、木々の間を進んでいた。その数は十や二十ではきかない。
「アンツ族ですね……なんでこんなところに」
連れが声を潜めて呟いた。
「分からん。だが、見つかったらまずい。もっと身を隠せ」
さらに低く屈み、葉の隙間から隊列を窺った。前後の間隔は乱れず、足並みまでぴたりと揃っている。どの個体も通常のアンツ族より身体が大きく、背中には羽が生えていた。
「まずいな、第二形態だ」
「第二形態?」
「全く、そんなことも知らんのか。魔族は進化するんだ。そのたびに知能も身体能力も飛躍的に上がる。アンツ族なら、人語をしゃべったり、空を飛んだりできるようになる」
「そ、それはまた厄介な……」
連れがごくりと唾を呑んだ。
「とにかく奴らが去るまで動くなよ」
二人はそれきり口をつぐみ、茂みの陰で隊列が通り過ぎるのを待った。男はこめかみを伝う汗も拭わず、あれほど気になっていた喉の渇きさえ忘れていた。
やがて列の終わりが見えてきた。これでやり過ごせる。ほっと息をつきかけたところで、男は目を見開いた。
「あ、あれはパラポラ……」
列の最後尾にいたのは、貴族のような衣装をまとい、四本の腕を持つアンツ族だった。他の者よりさらに一回り大きいが、身体はすらりと細い。腰には細身のサーベルを四本下げ、背中には六枚の羽が生えている。
「誰ですか?」
「カランコランの側近だ。まさか、やつまでこの国に来てるとは……」
隊列の行く先を目で追っていた連れが、ふと顔をこわばらせた。
「待ってください。あの方角……もしかして、孤児院へ向かっているんじゃないですか?」
その言葉に、男は息を呑んだ。
「確かに。まずいぞ、あれだけの数だ。しかもパラポラまでいる。ギース様たちの身が危ない」
「急いで知らせに行きましょう」
そう言って連れが茂みから出ようとした、その瞬間だった。
パラポラがこちらを向いた――と思った直後、水しぶきが跳ね上がり、風切り音とともにその姿が眼前に迫った。四本のサーベルが抜き放たれ、隣にいた連れの身体がばらばらに斬り裂かれる。
鮮血が辺りに飛び散る。
「なっ!?」
呆然と立ち尽くす男の前で、刃が縦横に閃いた。抵抗する間もなく、その身体も細切れとなって崩れ落ちた。
散乱した肉片から血が滲み、足元の草を赤く染めていく。パラポラはそれを見下ろし、ふぅと息を吐いた。
「全く、驚かせないでくださいよ。恐ろしい獣かと思ったじゃないですか」
不満げに剣を振って血を払うと、平然と鞘に納めた。




