シーン41 オイシイ話
こいつ、確かギースとかいったか。屋敷でイオンを攫おうとした奴だ。何でこの場所が分かったんだ?
状況をのみ込めないまま周囲をうかがうと、壁際にはあの図体のでかい黒人の姿も見えた。茶色のスーツが、盛り上がった筋肉ではちきれそうだ。
そのそばでは、子供たちが興味深そうに大男を見上げている。人質にされている訳じゃなさそうだ。だが、こんなところで何かあったらまずいぞ。
警戒していると、ギースがタバコの火を消し、おもむろに立ち上がった。
「さて、揃ったようだし始めるか。そんな構える必要はねぇぞ。今日はビジネスの話をしにきたんだ。お前らに――」
そう切り出した矢先、坊主頭の男の子――コナーが、あろうことかその腕に抱きついた。
「ねぇねぇ、おじさん、何話してるの?」
ばかっ、そいつから離れろ。
止めに入る間もなく、他の子供たちまで寄ってきて、ギースにまとわりつき始めた。当人は構わず話を続けようとしたが、両側からぐいぐいと腕を引っ張られ、眉間にしわを寄せて口をつぐんだ。
「おじさん、目つき悪いね。悪い人なの?」
「お洋服のボタン外れてるよ。なんでちゃんと着ないの?」
「タバコくさーい。体に良くないってオビィが言ってたよ」
好き勝手なことを言う子供たちに、ギースはとうとう痺れを切らし、壁際を振り返った。
「おい、ドリントン。話の邪魔だ。このうるせぇガキども、ちと可愛がってやれ」
「了解」
短く答えたドリントンが、ネクタイをぐいと緩め、腕を回して関節を鳴らした。
子供たちに何をする気だ――。
「よせ!」
俺が叫んだ直後、ドリントンは平然と床に手をついた。四つん這いになり、周りに集まってきた子供たちへ顔を向ける。
「乗りな」
……は?
耳を疑っていると、子供たちは目を輝かせ、競うようにその背中へよじ登っていった。
「ブロン、ブロロン……行くぞ。振り落とされるなよ」
ドリントンが低く唸りながら進み始めると、背中から歓声が上がった。揺れるたび、小さな手がスーツをぎゅっと握りしめる。そのまま四つん這いで部屋を出ていくのを、俺は呆気に取られたまま見送った。
……なんだ、あいつ。可愛がるって、そういう意味だったのか?
そう思ってギースを見ると、奴もまた呆然とした様子で扉をじっと見ていた。どうやら予想外だったらしい。やがて俺の視線に気づき、取り繕うように咳払いをした。
「そ、それじゃあ、邪魔者も消えたことだし、話を進めるぞ」
こちらへ向き直ったギースの目が、すっと細くなった。
「単刀直入に言う。リオレスの姫君をこっちに寄こせ」
やっぱりそう来たか。イオンを隠すように体をずらすと、彼女の小さな手が背中の服をぎゅっとつかんだ。
「しつこい奴だな。いい加減諦めたらどうなんだ?」
「そうはいかない。こっちも仕事なんでね。だが、今度はただでとは言わねぇ」
ギースはもったいぶるようにタバコに火をつけ、ふぅと煙を吐いた。
「二千万セルやる。それでお嬢ちゃんと交換だ」
「二千万セル!?」
ギースは驚く俺の表情をうかがいながら、話を続けた。
「社長の了承は取ってある。その気があるなら、金はすぐに持ってきてやる。ガキどもに、今よりいい暮らしをさせてやれるぞ。どうだ、悪くない取引だろう?」
子供をだしに使うとは。まったく、ふざけやがって……。
だが、二千万か……。二千万……。
俺はイオンを振り返り、おずおずと尋ねてみた。
「だ、だってさ。イオン、どうする?」
「えっ?」
イオンがショックを受けたように目を見開いた直後、「バカ!」という怒号とともに、げんこつが落ちてきた。頭を押さえて振り返ると、オビィが呆れた顔でこちらを見下ろしている。
「何ちょっと揺らいでんのよ!」
「いてぇな。じ、冗談だよ、冗談」
「嘘おっしゃい! たった二千万ぽっちでイオンちゃん売ろうとすんじゃないわよ」
「――だったら、いくらならいいんだ?」
横からギースが口を挟んできた。オビィは不安げなイオンをまじまじと見ながら、「そうねぇ」と顎をさすった。
「……一兆セル」
「はっ?」
「一兆セルくれたら、イオンちゃんを渡してやってもいいわよ」
にこりと微笑むオビィに、ギースは顔をしかめた。
「てめぇはガキか。そんな馬鹿げた額、出せるわけねぇだろうが」
「察しが悪いわね……」
オビィは呆れたようにため息をついた。かと思うと、巨体の周りに白いオーラが漂い始める。ギースを鋭く見据えたまま、親指で扉を指した。
「とっとと帰れって言ってんのよ」
「……なるほどな」
ギースも険しい目でにらみ返した。二人が無言で向かい合う中、俺は口を挟むこともできない。
おいおい、こんなところでやり合う気か?
そう思ったとき、ギースがふっと息を吐いた。
「まぁ、急な話だ。また明日の朝に来るから、それまでゆっくり考えておいてくれ」
ギースはタバコの火を消すと、俺らの視線をものともせず歩き出した。通り過ぎる際に、怯えるイオンへにやりと笑いかけると、そのまま我が物顔で部屋を出ていってしまった。
……何だったんだ、あいつら。てっきり力づくで奪いに来るかと思ったんだが。
嵐が過ぎ去ったように、居間はしんと静まり返っていた。そのままギースが出ていった扉を見ていると、遠くから「ばかやろう。さっさと帰るぞ」と怒鳴る声がかすかに聞こえてくるのだった。
***
「ちょっと! 遊んでないでお皿並べて!」
青空の下、すっかり元気を取り戻したニコの声が高台に響く。良い天気なので、せっかくなら外で食べようということになり、テーブルや椅子を運び出したのだ。子供たちはふざけ合いながらも、食事の準備を進めている。
芝生を渡る風が心地よく、かすかな波の音が聞こえてくる。遠くでは白い鳥も舞っていた。
そんなのどかな光景とは裏腹に、隣にいるイオンは、まだ浮かない顔をしていた。
「どうしたんだ?」
「さっきの人たち。また明日来るって言ってました。私がここにいると、皆さんに迷惑が……」
「あぁ、そのことか。心配ない。俺にはこいつがあるだろ?」
銀色のライターを取り出し、キンと蓋をはじいてみせる。
「奴ら、明日出直すって言ったのは失敗だったな。こいつの弱点は、効くまでに時間がかかることだけだ。今からなら、いくらでも対策できる。だが、詳しい話は後でだ。ほら、みんな待ってるぞ」
テーブルの方を指すと、子供たちはすでに席についていた。空の皿を前にスプーンを握り、期待の眼差しをこちらへ向けている。
「ご、ごめんなさい」
イオンは慌ててテーブルへ向かい、お玉でスープをよそい始めた。たどたどしい手つきで皿になみなみと注ぐものだから、今にもこぼれそうだ。それを見たニコは何か言いかけたものの、思いとどまり、口をつぐんだ。また嫌われたくないのだろう。そのままイオンの手元をじっと見守っている。
やがて全員の分が行き渡ったところで、俺も席につき、手を合わせた。
「それじゃあ、食べるか。いただきマンモス」
「いただきマンモス!」
元気のいい声がそろった。俺が教えてやった挨拶だが、今ではすっかり気に入ったらしい。
そのまま我先に食べ始めるかと思いきや、子供たちは誰も料理に口をつけず、俺の方をじっと見てきた。なるほど、普段はキカイ石を摂っているのだし、人間の食べ物を警戒するのも無理はない。
なら、まずは俺が味見してやるか。
そう思ってスープをひとさじすくい、口へ運びかけたところで、横からものすごい圧を感じた。
振り向くと、イオンが少し身を乗り出し、息を詰めてこちらを見つめていた。初めてだし、上手くできたか不安なんだろう。こんなに見られていると、正直リアクションしづらいんだが。
どうしたものかと周囲を見渡すと、オビィと目が合った。
そうだ!
「イオンの手料理を食べたいって言ったの、オビィだよな。だったら、俺より先に食べてもらうのが筋じゃないか?」
そう言うと、オビィは驚いた表情で「あら、アンタにしては気が利くじゃない」と返し、スープをひとさじすくって口に運んだ。
よし、うまくいった。
まぁ、変なものを入れたわけじゃないし、問題ないだろうけどな。そう思った矢先、オビィの顔が、みるみる青ざめていく。
……もしかして、まずいのか?
まずくても、うまいって言えよ。
はらはらしながら見守っていると、オビィは引きつった笑みを浮かべた。
「ず、ずいぶんとろみがあるのね。でも、とーってもおいしいわ。すこーしだけ、お砂糖が多いかしら」
「えっ? 入れてませんけど。野菜の甘みでしょうか」
「……ふっ、どうやら分かっちまったか」
首をかしげるイオンの横で、俺は得意げに胸を張った。
「甘みが少し足りなかったんで、俺が最後に隠し味として砂糖を加えといたんだ」
そう言って懐から空になった布袋を取り出してみせると、イオンが目を丸くした。
「えっ? それ全部入れちゃったんですか?」
「そうだけど、それがどうかしたか?」
「い、一キロぐらいありましたけど……」
「別に普通だろ?」
そう答えた途端、背筋に冷たいものが走った。
嫌な予感――。
振り返る間もなく、背後から太い腕が首に回され、がっちりと押さえ込まれる。
「またてめぇかぁぁぁぁ!!!」
耳元で怒号が響くと同時に、思いきり首を絞め上げられた。
「あぁ~~~、ギブギブギブ!」
慌ててその腕をつかんだが、引き離そうにもびくともしない。何度叩いても緩めてくれず、もがくうちに目の前が暗くなってくる。
まずい、意識が――。
気を失いかけたその瞬間、ふっと首を絞める力が抜けた。
俺はゴホゴホと咳き込みながら、何とか息を整えた。
「ったく、俺が何をしたっていうんだ」
ぶつぶつ文句を言いながら振り返ると、オビィは芝生の上に倒れ、白目を剥いたまま、何故かぐぅぐぅと寝息を立てていた。
「おい、オビィ? 何やってる、起きろ」
そばにしゃがみ込み、肩をつかんで揺すってみた。返事がない。本当に寝てるのか。
「起きろって!」
そう言って頬をバシバシと叩き、耳元で何度も呼びかけたが、オビィは全く目を覚まさなかった。




