シーン39 カランコラン
「ふぅ、ようやく戻ってこれたぜ」
茂みから出たガロンは、きょろきょろと周囲をうかがった。背後にも目を向け、誰もついてきていないことを確かめると、木々の間に口を開けた洞窟へ足を踏み入れた。
中は広く、ひんやりとした空気には苔や湿った土の匂いが混じっている。
松明の類はない。その代わり、岩壁のあちこちから突き出したキカイ石が淡い緑色の光を放ち、洞窟内をぼんやりと照らしている。
その薄明かりの中を、アンツ族がキィキィと声を上げながらせわしなく行き交っていた。それぞれ袋や木箱、武器や資材を抱え、次々と奥へ運び込んでいる。いくつもの横穴や通路が複雑に入り組んでいることも相まって、そこはまるで巨大な蟻の巣のようだった。
そんな迷路のような洞窟の中を進んでいると、不意に声をかけられた。
「おや、ガロンさんじゃないですか」
振り向くと、仕立てのよい服に身を包んだアンツ族が立っていた。腕は四本あり、背中からは四枚の翅が伸びている。背筋をすっと伸ばした立ち姿も、どこか上品だった。
「パラポラ様!」
ガロンが慌てて頭を下げると、パラポラは穏やかに微笑んだ。
「急にいなくなって、みな心配していたんですよ」
「すいません」
「いえ、お気になさらず。船長にもご挨拶した方が良いでしょうね。私が案内してさしあげましょう」
「ありがとうございます」
ガロンはパラポラの後について、洞窟の奥へ向かった。無事に戻れたとはいえ、勝手に出ていったことには後ろめたさがある。奥へ進むにつれ、それがじわじわと込み上げ、足取りが重くなっていった。
やがて両側に迫っていた岩壁が途切れ、視界が一気に開けた。
そこは巨大な円形の空間だった。壁から天井にかけて無数のキカイ石が突き出し、その光の下には、略奪してきた金貨や宝石、壺や調度品が無造作に積み上げられている。さらに、さまざまな魔族たちが次々と宝を運び込み、その上へ積み重ねていく。
中央では、ひときわ豪華な椅子に腰を下ろした巨大な魔族が、大皿に盛られた肉をむさぼっていた。身の丈は五メートル近くあり、黄緑色の肌を豪奢な青色の衣装で包んでいる。腰回りには金や宝石をふんだんに使った装飾品がぶら下がり、背中にはトンボを思わせる薄い翅が二対伸びていた。
「カランコラン様、仲間が戻りましたよ」
パラポラが声をかけると、顔の半分を占めるほど大きな黄色い複眼がこちらを向いた。
「おぉ、ガロンじゃないか。よく戻ったな」
しわがれた声が、広い空洞に響いた。
カランコランは白髭を蓄え、手足も細く、見るからに年老いていた。だが、その姿からは想像もつかないほどの威圧感があり、向き合っているだけでガロンは身がすくんだ。
「今までどこに行ってたんだ?」
低い声に問い詰められ、ガロンは慌てて前まで駆け寄り、ひれ伏した。
「勝手に出て行ってすいません。婚姻の儀までまだ間があったんで、お宝でもかっぱらってこようかと、ちょいとこの町の貴族の屋敷に忍び込んでました」
「ほぉ、そいつは仕事熱心じゃないか。それで、宝は手に入ったのか?」
「いえ、それが……おかしな黒いローブの野郎に邪魔されちまって。あいつ、とんでもねぇ化け物で、仲間はみんなやられちまいました。俺も命からがら逃げてきたんです」
「……そうか、そいつは災難だったな」
カランコランは傍らの大皿へ手を伸ばした。その中から人間の腕を掴み上げ、おもむろにかじりつく。ばきり、と骨の砕ける音が響いた。
そのまま手にした肉を食らい続ける。怒っているのか、それとも気にしていないのか。いつまで経っても何か言う気配はなく、たまらずガロンは顔を上げ、大げさな笑みを浮かべた。
「で、ですが、ただ逃げ帰ってきたわけじゃありません! 耳寄りな話を仕入れてきました!」
「耳寄りな話?」
肉を持った手が止まる。
「はい! ザイカスの手下どもが森に入ってくのを見かけたんで、後をつけたんです。そしたら、あいつら、この先の孤児院にリオレスの姫君がいるって話してました。おまけに空飛ぶ白狼と一緒だとか」
「……ほぉ、なかなか有益な情報じゃないか。でかしたぞ、ガロン」
カランコランの口元に笑みが浮かんだ。
「あ、ありがとうございます……!」
ガロンの肩から力が抜け、ほっと息が漏れた。
「褒美をやらんとな。そうだ、腹ぁ減ってねぇか?」
「は、はぁ……まぁ」
「待ってろ」
カランコランは再び大皿へ腕を突っ込み、肉をぐちゃぐちゃとかき回した。やがてその中からひとつ掴み上げ、ガロンの前へ放り投げた。
目を落としたガロンの顔が強張る。
それは子供の足だった。
「どうした、遠慮すんな。人間のガキは柔らかくてうまいぞ。お前の腹には、ちと足りねぇかもしれんがな」
カッカッカッ、と笑い声が聞こえてくる。
ここで断れるはずもない。ガロンは意を決して足を拾い上げ、かじりついた。
カイルの屋敷からここまで、ろくに休まず森を突っ切ってきたせいで、腹はすっかり空いていた。最初こそ顔をしかめていたが、二口、三口とかじるうちに躊躇もなくなり、やがてむさぼるように食らい始めた。
「……うまいか?」
「はい!」
「そいつは良かった。よく味わえよ。最期の飯なんだからな」
「――えっ?」
ガロンが顔を上げた、その直後。
ドンッ――!
耳をつんざく銃声とともに、ガロンの腹へ凄まじい衝撃が走った。呆然と自分の腹を見下ろすと、傷口から紫色の血が溢れていた。
「そ、そんな……」
声を漏らした途端、がくんと全身から力が抜ける。
撃ち込まれたのは、イグナイトだった。
「た、たすけ――」
手を伸ばした瞬間、巨体が腹の傷口へと引き込まれ始めた。肉も骨も巨大な甲羅も、すべてが渦を巻くように、体内のイグナイトへ吸い込まれていく。
悲鳴を上げる暇すらなく、ガロンの姿は跡形もなく消え失せた。
あとには、淡い緑色の光を灯したイグナイトだけがぽつんと宙に残った。それもすぐに、かつんと地面へ落ち、ころころと転がっていく。
カランコランは足元までやって来たそれを無造作に踏みつけ、ばきりと粉々に砕いた。
「馬鹿が。一人でおめおめ戻ってきやがって」
そう吐き捨て、手にしていたピストルを地面へ放り捨てると、何事もなかったかのように再び大皿の肉へ手を伸ばした。その様子を静かに見ていたパラポラは、さも当然のように近くの手下へ破片の片付けを命じ、カランコランのもとへ歩み寄った。
「カランコラン様」
「どうした?」
「これからいかがいたしましょうか。婚姻の儀で姫君を攫う手はずでしたが、ガロンさんの話が本当でしたら、婚姻の儀自体が中止になってしまうかもしれません」
「いいや、姫が行方知れずなら、もっと騒ぎになってるはずだ。一度攫われかけてるからな。恐らくその孤児院にかくまってるんだろう。まぁ、確証はないが」
「……どうでしょう。確認がてら、私が行ってお連れしてきましょうか?」
「ふむ、そうだな……。よし、お前に任せよう。好きなだけ手下を連れて行っていいぞ。だが、姫だけは間違っても殺すなよ」
「ふふっ、お任せを」
パラポラはにこりと微笑み、優雅に一礼した。
「あぁ、それと――」
カランコランは何かを思い出したように、岩壁の方へ目を向けた。
「白狼もいたとか言ってたな。雷に撃たれたと聞いて、死んだかと思ってたが、どうやら無事だったみたいだ。良かったじゃないか。なぁ、バンビーノ?」
その先では、黒い服に身を包んだ六本腕の蜘蛛男が、岩壁に背を預けていた。赤い目を地面へ向けたまま、黙っている。
「勝手に先走ったあげく失敗しやがったからな。挽回しようと一人で姫を追ってたってわけか。主と違って仕事熱心じゃねぇか」
カランコランは肉をひと口噛みちぎると、ゆっくりと言葉を続けた。
「……だが、見つけたんなら、さっさと連れ帰ればいいものを。なぜ戻らない。不思議だなぁ。お前もそう思わないか?」
返事はなかった。
それまで続いていた肉を噛む音が、ふっと途切れる。
「裏切ってたりしなけりゃいいんだが……」
カランコランの声が、低く沈んだ。
バンビーノは岩壁に背を預けたまま、赤い目だけをカランコランへ向けた。互いに視線を外さないまま、長い沈黙が流れる。
やがて、カランコランがカッカッカッと声を上げて笑った。
「なんてな、冗談だ。俺たちは仲間だ。裏切るわけがねぇよな。きっと何かトラブルでもあったんだろう。お前も一緒に行って、連れ帰ってやったらどうだ?」
カランコランが言い終えると、バンビーノは無言のまま岩壁から身体を起こし、踵を返した。周囲の魔族たちからいくつもの視線が向けられる中、構わず出口へ向かって歩いていく。
そのまま通路へ足を踏み入れようとした、そのとき――
「そうだ、バンビーノ……」
空気が変わる。
「腹ぁ、減ってねぇか?」
その言葉に、バンビーノの足が止まった。
背後からは何も聞こえてこない。それでも、凄まじい威圧感が伝わってくる。ぽたり、とどこかで水滴の落ちる音が、やけにはっきりと響いた。
バンビーノはゆっくりと手を腰元へ下ろし、ピストルの握りに手をかけた。しばらく背後の気配をうかがったあと、肩越しに振り返る。
「……どうした?」
カランコランは肉を片手に笑っていた。ほれ、とでも言うように、それを軽く持ち上げてみせる。
バンビーノはその姿をじっと見つめたあと、ピストルから手を離した。
「……いや。腹は空いてない」
「そうか。この森は危険だ。背後から襲われんよう、十分気をつけてな」
カッカッカッと、上機嫌な笑い声が広い空洞に響いた。




