シーン38 忍び寄る影
リオレスの姫の居場所を突き止めたギースたちは、孤児院へと続く森の中を進んでいた。
前回取り逃がしたこともあり、今度は人員も装備も十分に揃えてきた。これだけの戦力があれば、失敗することなどありえない。誰もがそう確信していた――この森に入るまでは。
「ら、らめぇ~~♡!」
仲間の一人が巨大なツタに絡め取られている。
その向こうでは、見上げるほど巨大な植物が無数のツタをうねらせていた。食獣植物――ディソルビアだ。巨大な口からは溶解液が垂れ、何本もの太いツタが両腕や脚に幾重にも巻きつき、身動きを封じていた。さらに胸元や腰にも別のツタが這い回り、もがくたびにぎりぎりと全身を締め上げていく。
「あぁ~~っ、らめぇ~~♡!」
そのいかがわしい声に、ギースは思わず舌打ちした。
間髪入れずダガーを放つ。刃先がディソルビアに触れた瞬間、激しい炎が一気に燃え広がった。
「ギィィィィッ!」
耳をつんざくような悲鳴を上げ、ディソルビアはその場に崩れ落ちた。黒く焼け焦げたツタからは煙が立ち昇り、ところどころに赤い火がくすぶっている。
絡め取られていた仲間も地面へ落ちたが、怪我はないらしい。それでもギースの渋い顔は変わらなかった。
「気色悪い声出すんじゃねぇ」
吐き捨てるように言われ、のそりと起き上がったのはドリントンだった。
何事もなかったようにスーツについた土を払い、口元にかすかな笑みを浮かべる。
「……ふっ、冗談だ」
「馬鹿野郎。ふざけてる場合か」
ギースはもう一度、舌打ちした。
孤児院へ抜けるこの森は、まさに化け物の巣窟だった。
鋼鉄のような頭を持つ巨大なイノシシに、毛の抜け落ちた黒い狼。今しがた倒したディソルビアも含め、どいつもこいつも普通では考えられない大きさをしている。
すでに何人かが獣にやられ、逃げる最中にはぐれた者もいた。
「この調子じゃ孤児院に着く前に全滅だぞ。まじめにやれ」
ギースは苛立ちを隠そうともせず、ドリントンへ一歩詰め寄った。
「何言ってる。こんな時だからこそ笑いが必要だろう」
「ちっとも笑えねぇんだよ。お前の冗談は。今の状況、理解してんのか」
「当然だ。この森は激ヤバだ。そんなことは入る前から分かっていた。だが、誰かさんが海から行くのは嫌だと言ったせいで、このありさまだ」
責めるような視線を向けられ、ギースはふいと顔をそむけた。
「船は酔うから嫌いだ……」
ぼそりと呟くと、話は終わりだとばかりにタバコを取り出し、火をつけた。
深く吸い込み、ふっと煙を吐く。白い煙はゆっくりと立ち昇り、頭上の枝葉の間へ消えていった。夜空には星が静かに瞬いている。
いつの間にか、夜もすっかり更けていた。
森は不気味なほど静かだ。ときおり得体の知れない鳴き声や、ずしん、ずしんと何かが歩く重い足音だけが奥から聞こえてくる。部下たちは耳を澄ませながら、暗闇の向こうへ絶えず目を配っていた。
こんな場所、一刻も早く抜けた方がいい。だが、みなすでに疲れ切っている。かといって、今さら引き返すには、森の奥まで入りすぎた。
行くも地獄、帰るも地獄。
こんなときにできることなど、一つしかない。ギースはタバコを深く吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出した。
「宴会すんぞ、お前ら」
その口元に、にやりと笑みが浮かんだ。
***
焚き火を囲んだ男たちの笑い声が、夜の森に響いていた。火の周りでは、あるき茸の串焼きや切り分けた巨大イノシシの肉が炙られ、香ばしい匂いが漂っている。
少し前までの緊迫した空気が嘘のように、男たちは酒や食事にありつきながら、健康の話からローンの話、果ては会社の悪口まで、好き勝手に盛り上がっている。
そんな中、ドリントンは焚き火の前に陣取り、黙々と料理を焼いていた。でかい図体の割に妙なところで几帳面で、焼き加減にもこだわりがあるのか、他の者には触らせようとしない。
おまけに栄養バランスが大事だと言い張り、先ほどのディソルビアまでぶつ切りにして皿に盛っていた。皿の上では葉とも茎ともつかない何かがまだわずかにうごめき、切り口からは紫色の汁が垂れている。
ギースは少し離れた木に背を預け、片膝を立てたままタバコをふかしていた。皿の上でうごめくそれを眺め、顔をしかめる。
「全く、気色悪いな……」
ぽつりと呟いたところへ、一人の部下が近づいてきた。
「ギース様、一つ聞いてもよろしいですか?」
「どうした?」
「リオレスの姫君のことなのですが、本当に孤児院にいるのでしょうか。この森を抜けていくなんて、普通の人間には不可能だと思うのですが……」
「あぁ、無理だな」
ギースがあっけらかんと言うと、部下は目を丸くした。
「えっ、それじゃあ――」
「いいや、この先にいると思うぜ。奴らの仲間に獣人族のガキがいる。でかい白狼に化けて空中を走ってやがったから、空から向かったんだろう」
「空から、ですか……」
「あぁ。それに、ここまで来て分かったぜ。こんな森をわざわざ通る馬鹿なんていねぇ。逃げ隠れるにはうってつけの場所だ」
「なるほど……」
感心したように頷く部下の横から、今度は別の男が口を挟んだ。
「それでは、私からもいいですか?」
妙に改まった口調だった。何事かとギースが眉を寄せると、部下はわざわざ顔を寄せてきて、声を潜めた。
「リオレスの姫君が美人というのは本当ですか?」
ギースは一瞬、返す言葉を失った。あれだけ真剣な顔をして、聞きたいことがそれか。
「ったく、何を言うかと思えば」
呆れたように吐き捨てたが、いつの間にか他の連中まで会話をやめ、期待に満ちた目を向けている。
全く、こいつらは。
ギースはふぅと煙を吐き、仕方なく口を開いた。
「社長の言う通りだ。白い肌に、輝く金髪。華奢な身体かと思えば、出るところは出てて、おまけに柔らかいときた。まさに絶世の美女ってやつだ」
部下たちが揃ってごくりと喉を鳴らした。
「それに、左右で色の違う瞳。まるで宝石みてぇで、吸い込まれそうなくらい綺麗だったな。あんな目でじっと見られたら、さすがに調子が狂うぜ」
「ギース様がですか?」
「あぁ。だが、所詮はただのガキだ。お前らだけでも十分対処できる」
「なら、姫君を攫う役目は私に!」
男が勢いよく身を乗り出した途端、周りから一斉に声が飛んできた。
「何言ってる。俺がやる!」
「いいや、俺だ!」
「お前は既婚者だろうが!」
あっという間に取っ組み合いが始まり、それを囃し立てるように周囲からも笑い声が上がった。
「ったく、馬鹿どもが」
騒ぐ部下たちを横目に、ギースはどこか満足げにタバコの煙を吐いた。そんな中、少し離れた茂みから、がさりと音がする。
「ん?」
目を凝らすと、葉の隙間に甲羅のようなものがちらりと見えた。
……まさかな。
正体を確かめようと、ギースは腰を上げる。短くなったタバコを足元に落として踏み消し、そのまま茂みへ向かおうとしたところで、背後から声がかかった。
「ギース、ちょっといいか」
振り返ると、薪を抱えたドリントンが立っていた。
「何だ?」
「焚き火が弱くなってきた。ダガーを貸してくれ」
「はぁ? ったく、俺のダガーは料理用じゃねぇぞ」
文句を言いながらも渡してやると、ドリントンは薪へ刃先を近づけた。
だが、刃先に小さな火が灯っただけで、すぐに消えてしまう。
「おい、点かないぞ」
「獣を追い払うのに散々使ったからな。燃料切れみてぇだ。キカイ石は誰が持ってる?」
「ステラに運ばせていたが、途中ではぐれた」
「あぁ、そういや姿を見ねぇな。道理で平和だと思ったぜ」
ギースはそれ以上気にする様子もなく、新しいタバコを咥えて火をつけた。すると、ドリントンの視線がその手元のライターに止まった。
「……あるじゃないか。そいつでいい」
「馬鹿野郎。こいつは俺にとって命の次に大事なもんだ。簡単には貸せねぇ」
そう言ってライターをさっと懐へしまい込む。
「少しだけでいい」
「駄目だ。無くしたらタバコが吸えなくなっちまうだろうが」
「……いいから貸せ」
「……断る」
互いに譲らず、二人はしばし無言で向かい合った。
そこへ――
「おーい! お前らー! 助けてやー!」
森のずっと奥から、聞き覚えのある声が飛んできた。切羽詰まりながらもどこかのんきなその声はみるみるこちらへ近づいてくる。
「ちっ、ステラの野郎。生きてやがったのか」
呆れながら声の方へ目を向けた途端、ギースは思わず目を見開いた。
「なっ……!」
ステラの背後で、巨大な炎が揺れている。
いや、違う。
炎じゃない。
全身を火に包まれた、とてつもなく巨大な熊だった。
熊は怒りの咆哮を上げながら、ステラを追ってものすごい勢いでこちらへ迫っていた。その炎が周囲の木々へ次々と燃え移り、さっきまで闇に沈んでいた森が赤々と照らし出されていく。
隣で、ドリントンの口元がふっと緩んだ。
「おぉ、火だ」
「言ってる場合か! 逃げるぞ!」
ギースが叫ぶや否や、宴会は一瞬で崩壊した。部下たちは酒も料理もその場に放り出し、我先にと森の奥へ駆け出した。
「どこ行くねん! 助けろや!」
「来んじゃねぇ!」
ギースは怒鳴り返すなり、部下たちとともに森の奥へ一目散に逃げ出した。ステラも必死にあとへ続き、その背後からは、炎をまとった熊が咆哮を上げながら猛然と迫っていく。
やがて彼らの姿が見えなくなると、辺りには燃え移った木々がぱちぱちと爆ぜる音だけが残った。
「……行ったな」
茂みから姿を現したのは、甲虫のような巨大な甲羅を背負った、黄緑色の肌の魔族だった。森の奥を見つめながら、ぎらついた黄色い目を細める。
「いいこと聞いたぜ」
小さく呟くと、魔族は再び茂みに身を沈め、そのまま森の奥へ消えていった。




