シーン2 ポート・ソレイユの町
抜けるような青空の下、真昼の陽光がリオレス城の白い城壁をまばゆく照らしていた。城門からまっすぐ延びる赤い絨毯の上を、ルミナスたち一行はゆるやかに進んでいく。
沿道には、西の大国オラシオンより訪れた法皇の姿を一目見ようと、大勢の人々が詰めかけていた。歓声と祝福の言葉が絶え間なく降り注ぎ、白い花弁が赤い絨毯の上へ次々と投げ入れられる。陽光を受けた花弁はきらめきながら舞い落ち、ルミナスたちの行く先をやわらかく彩っていた。
「実ににぎやかですね」
ルミナスが沿道へ穏やかに手を振ると、隣を歩くヴァルは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ルミナス様をお迎えできる喜びに、リオレスの者たちも気持ちを抑えきれぬようです。いささか騒がしく、面目ない限りでございます」
「いいえ。これほど温かく迎えていただけること、心よりありがたく存じます」
微笑みながら答えたそのとき、ヴァルの肩に一枚の葉が乗っているのが目に留まった。
「失礼」
一言断って、そっと葉を払うと、ヴァルは驚いたように目を見開き、すぐさま深く頭を下げた。
「これは……ルミナス様のお手を煩わせてしまい、申し訳ございません」
「お気になさらず」
そう言うと、ルミナスはゆっくりと視線を上へ向けた。
城の背後には、巨大な樹が悠然とそびえ立っていた。大きく広がった枝は町全体を覆うように張り出し、青々とした葉を幾重にも茂らせている。その枝葉が真昼の陽光を遮り、町のあちこちに影を落としていた。
頂は雲に隠れ、ここからでは見通すことさえできない。あまりの巨大さに、まるで空そのものを支えているかのようだった。
「リオレスが誇る世界樹。まことに見事なものです」
感嘆を含んだ声で呟くと、ヴァルの表情にかすかな誇らしさが浮かんだ。
「かの大樹は遥か昔よりこの地に根を張り、今なお絶えることなく成長を続けております。ルミナス様の婚姻の儀は、その頂に設けられた祭壇にて執り行われる予定です。そこからは、世界の端まで見渡せると伝えられております」
「それは楽しみです」
ルミナスは優しく微笑むと、もう一度、世界樹を見上げた。
霞みがかった幹の周りを、巨大な青白い鳥がゆったりと旋回している。あのあたりに巣を構えているのだろうか。天を貫く大樹と、その周囲を巡る巨鳥。その雄大な光景は、この土地に満ちる生命の息吹を思わせた。
ルミナスはしばし、その眺めに目を奪われていた。
すると突然、巨鳥の動きが変わった。優雅に空を巡っていた鳥たちは一斉に翼を打ち、慌ただしく上空へ舞い上がっていく。
――どうしたのでしょうか。
首を傾げた直後、足元の石畳がかすかに震え、小さな揺れが足裏へ伝わってきた。
世界樹の枝葉がざわざわと鳴り、赤い絨毯に差していた木漏れ日が波のように揺らめく。すぐそばに控えていた白銀の騎士は、ルミナスの前へ半身を入れると、兜の奥から周囲を鋭く見渡し、いつでも動けるよう身構えた。
突然の異変。
しかし、それは長くは続かなかった。揺れはほどなく収まり、微弱だったこともあって、被害が出た様子もない。沿道に広がった緊張もすぐにほどけ、通りには元の活気が戻っていった。
「……いまのは?」
ルミナスが眉を寄せると、ヴァルは落ち着いた声で答えた。
「地揺れにございます。この地では時折起こるもので、危険はございません。どうかご安心ください」
彼の言う通り、民衆はほとんど気にしていない様子だった。沿道の人々はすでに笑顔を取り戻し、こちらへ祝いの言葉を投げかけている。揺れで落としてしまった花弁を拾い、もう一度絨毯へ投げ入れている子どもたちの姿もあった。
この地に生きる者たちにとっては、日常の一部なのだろう。
そう思い、ルミナスが胸を撫で下ろしたとき、目の前にぽとりと何かが落ちてきた。
鮮やかな赤い果実だった。
どうやら、地揺れの拍子に世界樹から落ちてきたらしい。陽の光を受けたその実は、宝石めいた艶をまとい、思わず手を出したくなる美しさだった。
ルミナスがそれを拾い上げようとすると、ヴァルが慌てて声を上げた。
「ルミナス様、お待ちください!」
その声音には、先ほどまでにない緊張があった。
「見た目こそ美しいものですが、その果実は猛毒です。ひとたび口にすれば、一日と持たず命を落としてしまいます。すぐに回収させますので、どうかお手を触れられませぬよう」
その言葉を裏づけるように、すぐさま籠と長柄の鉤具を携えた兵士がやってきた。兵士は恐縮した様子でルミナスへ深く一礼すると、慣れた手つきで赤い果実を鉤具で引っかけ、籠の中へ収めていく。周囲に落ちていた実も手早く集め終えると、再び頭を下げ、足早に去っていった。
ヴァルは申し訳なさそうに頭を下げる。
「世界樹の果実は、先ほどのような地揺れの際や、実が熟した折に落ちてまいります。子どもや動物が誤って口にせぬよう、兵たちがあのように定期的に回収しているのです。この地ではあまりに馴染み深いことゆえ、申し上げるのを失念しておりました。大変申し訳ございません」
「承知しました。肝に銘じておきましょう」
ルミナスが静かにうなずくと、ヴァルはほっとしたように表情を和らげた。
「ルミナス様にご滞在いただく屋敷は、高台にございます。この先に迎えを用意しておりますので、そちらまでご案内いたします」
そう言って、ヴァルが再び歩を進める。ルミナスたちも、それに続いた。
***
祝賀の通りを抜け、坂を下っていくにつれ、風に潮の香りが混じりはじめた。日差しは強いものの、暑さはさほどでもない。風もさらりとしていて、心地よかった。
白い石畳の道を進んでいくと、やがて陽光にきらめく水路の町が姿を現した。
リオレス国内で最も美しいとされる町――ポート・ソレイユだ。
海抜の低いこの地は、縦横無尽に巡る運河によって形づくられている。水路に沿って美しい石畳の道が続き、幾筋もの橋が町のあちこちを結んでいた。白壁の建物が水辺に立ち並び、陽光を受けた水面が眩しくきらめいている。
水路の上では、洒落た木製のボートが行き交っていた。船頭がオールを漕ぐたびに小さな波紋が広がり、世界樹から落ちた葉が、その波に合わせてゆらゆらと揺れている。
リオレス国最大の町だけあって、人通りは多い。他国から来たと思しき観光客の姿も見えた。前方の白い橋の上では、ルミナスの姿を一目見ようとする人々が集まっていた。こちらに向かって笑顔で手を振り、祝福の声を投げかけてくる。
これほど人が集まる中を、このまま進んでもよいものか。
ルミナスがわずかに不安を覚えた矢先、先導していたヴァルが足を止めた。
そこには、小さなレストランがあった。水路に面して建つその建物も、周囲と同じく白壁の造りだった。店に人影がないのは、今日だけ貸し切られているためだろう。店先には水辺を望むテラス席が設けられ、白いテーブルと椅子が整えられていた。日差しを避けるための橙色のパラソルが開かれ、風を受けてかすかに揺れている。
「ルミナス様、こちらで少々お待ちくださいませ。迎えを呼んでまいります」
ヴァルはそう告げると、足早に店の奥へと消えていった。
ルミナスは椅子に腰を下ろし、ほっと息をついた。城門からここまで、常に多くの視線を浴びていた。知らず知らずのうちに気を張っていたのだろう。水辺を抜ける風が頬を撫でると、少しだけ肩の力が抜けていく。
傍らには、白銀の鎧をまとった騎士が静かに佇んでいる。
「あなたも座ってはどうですか」
そう声をかけた矢先だった。
「遅くなりました」
その言葉に似つかわしくないほど早く、ヴァルが駆け戻ってきた。
だが、どこか様子がおかしい。顔はルミナスへ向けているものの、視線だけがせわしなく周囲をさまよっている。先ほどまでの落ち着きは、すっかり失われていた。
「どうかなさいましたか?」
ルミナスが問いかけると、ヴァルは気まずそうに眉を寄せた。
「も……申し訳ありません。ここから先、高台の屋敷までは、迎えを用意していたはずなのですが……」
そう言って、通りの方へ目を向ける。
「……マンドラン、何をしている」
低くこぼれた声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
だが、ルミナスは少しも気を悪くした様子を見せず、穏やかに微笑んだ。
「構いませんよ。ここで少し待たせていただきましょう」
「しかし――」
「せっかくです。この美しい町を、もう少しゆっくり眺めてみたいと思っていたところですから」
その言葉に、ヴァルは恐縮したように深く頭を下げた。
「寛大なお言葉、痛み入ります」
ルミナスは軽くうなずくと、脇の水路へ目を向けた。
水は驚くほど澄みきっていた。色とりどりの魚が大小入り混じって群れをなし、鱗をきらめかせながら滑るように泳いでいく。
「おや?」
ふと水底へ目を凝らしたルミナスは、思わず首を傾げた。
「これは……水の底に、建物が」
澄みきった水の奥には、あるはずのない光景が広がっていた。
白い柱、石畳の階段、崩れかけた壁や屋根――まるで町の一角がそのまま水底に沈んでいるかのように、水越しに揺らめいて見える。
ヴァルは静かに頷いた。
「はい。リオレスはかつて、大戦の折に大洪水に見舞われ、一度は水の下へ沈みました。いま我らが暮らしている国は、その上に新たに築かれたもの。あそこに見えるのは、旧き町並みの名残でございます」
「それは……なんとも壮大な話ですね」
ルミナスは感嘆の息を漏らすと、再び水中へ目を向けた。
水底に佇むかつてのリオレスは、沈んだ今もなお、どこか厳かな気配を帯びている。まるで長く続いてきたこの国の歴史を、無言のまま語っているようだった。
「沈んだ土地の上に、新たな町を築く。苦難を越えて歩み続けるリオレスの民の力には、心より敬服いたします」
敬意を含んだその言葉に、ヴァルは胸に手を当て、静かに頭を下げた。
***
ルミナスは椅子に腰掛けたまま、しばらく静かな水辺の景色を眺めていた。水面には世界樹の葉がゆるやかに浮かび、白い橋の影をくぐっていく。
耳を澄ませば、遠くからかすかな葉擦れと、運河を流れる水音が聞こえてくる。行き交う人々の声さえどこか遠く、あまりに穏やかな午後の空気に、まぶたが少しずつ重くなってきた。
その静けさを「きゃあっ!」という鋭い悲鳴が切り裂いた。
ルミナスたちは反射的にそちらへ顔を向けた。
橋の上にいた人々が、一斉に水路を見下ろしている。
その視線の先で、小さな子どもが水に沈みかけていた。
「誰か! 助けて!」
母親らしき女性の叫びが響いた。
「まずい!」
駆け出そうとしたヴァルを、ルミナスが片腕で制した。驚いて振り向くヴァルをよそに、水路を見据えたまま静かに告げる。
「――オルカ」
その名が呼ばれた瞬間、傍らに控えていた白銀の騎士が動いた。
弾かれたように飛び出し、驚く人々の間を一気に駆け抜けると、水路の縁で片膝をつく。
ほどなく鎧の継ぎ目から、淡い黄金の光がにじみ出した。
それは白銀の装甲の上を細く走り、やがて右腕へと集まっていく。騎士が光を宿した右手を水面へかざすと、指先からこぼれた輝きが水の上を走り、瞬く間に水路全体へ広がっていった。
次の瞬間、水面が大きくうねった。盛り上がった水が、子どもを岸へ向かって高く跳ね上げる。陽光の中に飛沫を散らしながら宙を舞った小さな体を、白銀の騎士は両腕でしっかりと受け止めた。
一瞬、辺りが静まり返った。
直後、橋の上からどよめきが湧き、それはたちまち歓声へと変わった。母親は急いで駆け寄ると、助け出された子どもを強く抱きしめ、涙ながらに何度も頭を下げる。白銀の騎士は静かに一礼を返すと、何事もなかったかのように踵を返し、ルミナスのもとへ戻ってきた。
「濡れてしまいましたね、オルカ」
ルミナスは白銀の騎士に優しく語りかけた。
すると、騎士は両手を兜へ添え、静かにそれを外した。
露わになったのは、息を呑むほど美しい女性の顔だった。濡れた栗色の長髪が陽光を受けてきらきらと輝く。端正な顔立ちと、澄んだ青い瞳。その凛とした立ち姿からは、気品と芯の強さが感じられた。
西の大陸最強と謳われる、オラシオンが誇る聖騎士――オルカ。
その神々しい姿を前に、ヴァルはただ呆然と立ち尽くすしかなかった。




