↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/38

シーン26 黒衣の男

 ニコの奴、変身できたのか。


 この姿には見覚えがある。城から逃げ出したあの夜、蜘蛛男と一緒にいた奴だ。初めて会ったときから俺を知っているようだったのも、これで腑に落ちた。


 そのまま白狼の姿をまじまじと見ていると、ふいにその巨体が沈み、こちらへ飛びかかってきた。


「うおっ!?」


 避ける間もなく牙が迫り、反射的に目を閉じる。直後、直後、ぶちぶちっと縄の切れる音が響き、手足を縛っていた力がふっと緩んだ。


 どうやら、食おうとしたわけではなかったらしい。


「助けるつもりなら、せめて合図くらいしろよ。脅かせやがって」


 鼓動の収まらない胸を押さえながら睨むと、白狼は悪びれもせず「ガウ」と鳴き、琥珀色の目をいたずらっぽく細めた。


 変身すると喋れなくなるのか。それでも、俺のことはちゃんと覚えているらしい。これからは下手に怒らせない方がよさそうだな。


 自由になった手足を軽く動かしながら立ち上がり、こわばっていた体を大きく伸ばす。すると目の前の巨体は俺に横腹を向け、乗れと言わんばかりに身をかがめた。


 そうだった。今はのんびりしている場合じゃない。早くイオンを助けに行かないと。


 大きな背によじ登り、銀白色の毛をしっかりとつかむ。俺が体勢を整えると、白狼は天井を仰いで口を開いた。


 直後、轟く咆哮とともに白い衝撃波が放たれた。


 天井は一瞬で凍りつき、上方へ粉々に吹き飛んだ。その破片が落ちてくるより早く、白狼は床を蹴り、開いた大穴を抜けて一階の廊下へ躍り出た。


 イオンはどこだ。


 周囲へ目を走らせると、廊下のはるか先に人影が見えた。


「いた!」


 気を失ったイオンが、壁にもたれかかっていた。そのすぐそばでは、ギースが両手にダガーを握り、腰を落として身構えている。


 だが、白狼はそんなギースに目もくれず、イオンへ向かって駆け出した。


 その直後、二本のダガーが同時に放たれた。互いに絡み合って螺旋を描く刃は、バチバチと青白い閃光を散らしながら、みるみる速度を上げて迫ってくる。


「おい、避けろ!」


 俺が叫んでも、白狼は少しも速度を緩めない。


 やられる――そう思った瞬間、白狼がわずかに首を振った。大きく開いた口から、凍てつく咆哮波が放たれる。


 二本のダガーが、真正面から呑み込まれた。


 刃は激しい電光を散らしながら、一気に押し戻される。なおも勢いを失わない白い暴風は、イオンの脇を抜け、ギースをまともに捉えた。


 その体は廊下の奥まで吹き飛ばされ、背中から壁へ激突した。鈍い音とともに、そのまま壁際へ崩れ落ちる。


 それを確かめた白狼はようやく速度を落とし、イオンの前で足を止めた。ふっと白い息を吐くと、背中の俺を振り返り、急かすように「ガウ」と鳴いた。


「ああ、分かってる!」


 銀白色の毛をつかんで背から下り、イオンのそばに膝をつく。息があることを確かめてから、その体を抱き上げ、白狼の背へ横たえた。


「よし。これでひとまず安心だ」


 肩の力を抜いた、そのときだった。廊下の奥から低い声が聞こえてきた。


「てめぇら……」


 ギースが壁に手をつき、よろめきながら身を起こした。乱れた髪の隙間から覗く鋭い眼光が、こちらを射抜いている。


 まだ動けたのか。だが、今は相手をしている暇はない。


「悪いな。続きはまた今度だ」


 再び背によじ登り、横たえたイオンを腕で支える。


「行くぞ!」


 首筋を軽く叩くと、白狼は横手の窓へ顔を向け、低く身を沈めた。次の瞬間、床を蹴った巨体が窓を突き破り、砕け散るガラスとともに庭へ飛び出した。


 涼しい風が頬をなでる。夜はすっかり更けており、世界樹の枝葉が揺れるたび、その隙間から覗く星々がちらちらと瞬いていた。私兵が待ち構えていないか周囲に目を凝らしたが、人影はどこにもない。


「待ちやがれ!」


 背後からギースの怒声が飛んでくる。


「おい、何をもたもたしてるんだ!?」


 思わず声を上げると、白狼はむっとした表情を浮かべた。だが、すぐに前へ向き直り、上空へ白く細い息を吐いた。たちまちその先に、氷の道が生まれる。


 白狼はその上へ降り立つと、さらに前方へ道を伸ばしながら、夜空へ駆け上がっていった。


 眼下の庭も屋敷はみるみる小さくなっていく。背後ではギースがなおも何か喚いていたが、その声も次第に遠のき、やがて夜風に紛れて聞こえなくなった。


 ***


「くそっ」


 ギースは窓辺に手をつき、空中を駆け上がっていく白狼を睨みつけた。すぐさま耳元へ手を当て、屋敷の周囲に配置していた部下へ通信を飛ばす。


「おい、お前ら。ターゲットに逃げられた。西の空だ。すぐに追え」


 しかし、応答はない。もう一度呼びかけても、返ってくるのは沈黙だけだった。


「……あの役立たずども、何してやがる」


 舌打ちしてその場を離れ、騒ぎの聞こえる方へ駆ける。大きな木の扉を押し開けると、激しい喧騒が耳に飛び込んできた。


 そこは玄関ホールだった。


 その中央で、ドリントンとガロンが殴り合っていた。拳がぶつかるたびに大理石の床が震え、二人を取り囲む蟻の魔族たちから歓声が湧き上がる。


 周りには砕けた木片や石片が散乱し、さらに壁際には大勢の私兵が倒れていた。


 これのどこが潜入なんだ。


「おい!」


 声を張り上げても、誰一人として振り向かない。殴り合いも歓声も、まるで止む気配がなかった。


「馬鹿が……」


 苛立ち任せに一本のダガーを天井へ放つ。天井近くまで上がった刃は、切っ先を下に向けてぴたりと静止した。


 次の瞬間――


 ピシャァン!


 まばゆい閃光とともに青白い雷が落ち、玄関ホールを揺らした。


 その瞬間、喧騒がぴたりと止んだ。殴り合っていた二人も、取り囲んでいた蟻の魔族たちも、その姿勢のまま固まる。


 一拍遅れて、ドリントンがギースへ顔を向けた。割れたサングラスの奥で、わずかに目を見開く。


「ギースか。どうしてここにいる。リオレスの姫は見つかったのか?」


「見つけたよ。たった今、逃げられたところだ」


 ギースは荒れたホールを見回し、顎で出口を示した。


「遊んでねぇで、さっさと追うぞ」


「分かった」


 ドリントンは短く答え、何事もなかったかのように出口へ向き直る。だが、背後から伸びたガロンの手が、その肩をつかんだ。


「待ちな。まだ決着はついてねぇぞ」


「……悪いが、時間切れだ。続きはまた今度にしよう。今日は俺の勝ちってことでな」


「勝手に決めてんじゃねぇ! どう見ても俺が押してただろうが!」


「つまらない冗談だな。センスのない奴だ」


 ドリントンはやれやれとばかりに小さく息を吐き、肩にかかった腕を払いのけた。そのまま振り返り、再び拳を構える。


「面白ぇ。第二ラウンドと行こうか」


 ガロンもにやりと笑い、腰を落とした。


 その瞬間――


 再び青白い雷が落ちた。


 大理石の床が黒く焦げ、焼けた匂いが辺りに広がる。


「遊んでる場合じゃねぇって、今言ったばかりだろうが……」


 呆れた視線を向けられたドリントンは、悪びれる様子もなく、親指で隣を示した。


「すまん。こいつが負けを認めないんでな」


「あぁ!?」


 怒声を上げたガロンが、ドリントンの胸倉につかみかかる。ギースは深いため息をつき、なだめるように片手を上げた。


「分かった、分かった。だったらこうしよう。先にリオレスの姫を捕まえた方が勝ちだ。それでどうだ?」


 その提案を聞くなり、怒りに歪んでいた顔に、獰猛な笑みが浮かぶ。


「ほう。そいつは面白ぇな。ただし、一つ条件がある」


「何だ?」


「姫は勝った奴のもんだ。負けた方は手出し無用。それなら乗ってやる」


「もちろん、いいぜ」


「なら、決まりだ」


 そう言うと、ガロンは仲間たちへ向き直り、高々と拳を突き上げた。


「行くぞ、てめぇら!」


 それを合図に、魔族たちは一斉にかけ出した。ところが、我先にと扉へ殺到したため、入口はたちまち蟻の群れで埋まってしまう。「何してやがる!」と怒鳴るガロン。きいきいと声を上げる蟻の魔族。互いを押しのけ、ひとしきり揉み合った末、ようやく外へなだれ出ていった。


 その有様に、ギースは頭を抱えた。


「あんなアホども相手に、何を手間取ってやがる。ブラスターは壊れちまったのか?」


「いや、使ってないだけだ。奴には筋肉の素晴らしさを分からせる必要があったんでな」


「筋肉?」


 ドリントンは何も答えず、脱ぎ捨てていた上着を拾い上げた。ぱんぱんとはたいてから、ゆっくりと袖を通す。


 続いて床に転がっていたブラスターを持ち上げると、ふと思い出したようにギースを振り返った。


「そういえば、ステラは? 屋敷の中に入っていったはずだが」


「見てねぇな。いたらいたでうるさいだけだ。放っておけ」


 ドリントンは少し考えてから「そうだな」と答え、ブラスターを腕に装着した。


 二人はガロンたちのあとを追い、庭園へ出た。


 ところが、先に飛び出したはずの一団は、なぜか庭の中ほどで立ち尽くしていた。先ほどまでの騒ぎが嘘のように、全員が前方を見つめたまま黙り込んでいる。


「どうした?」


 ドリントンが声をかけても、返事はなかった。


 ギースはその異様な沈黙に眉をひそめ、ガロンたちの視線の先を追った。次の瞬間、言葉を失う。


 正門の前に、紫色のオーラをまとった黒いローブ姿の男が立っていた。深くかぶったフードの奥は闇に沈み、二つの白い目だけが不気味に光っている。


 その片手には、襟首をつかまれた部下が力なくぶら下がっていた。頭部は何かに押し潰されたように大きくひしゃげ、もはや原形をとどめていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。