シーン25 白狼
何なんだ、あの武器。
空中を漂う二本のダガーを、呆然と見つめる。
どうして浮いている。重力を無視しているみたいだ。それだけじゃない。まるで、あの男が意のままに操っているように見える。
この星にあっていい代物とは思えない。
呆気にとられる俺をよそに、細身のスーツ男は、しばらく満足げに飛び交うダガーを眺めていた。やがて煙草を床へ投げ捨て、ゆっくりと上着を開く。
すると、それを待っていたかのように、二本の刃がすうっと向きを変えた。一本ずつ男のもとへ飛んでいき、上着の内側へ滑り込んでいく。
まるで、主人のもとへ戻るペットだ。
そのままぼんやりと胸元を見つめていると、視線に気づいた男が、にやりと笑った。
「田舎者には珍しいか。こいつはエクス=マキナの最新モデルだ」
エクス=マキナ?
聞いたことのない名だ。国の名前だろうか。今の言いぶりからすると、相当進んだ技術を持っているらしい。
実際、さっきの電撃も異様だった。
カイルたちは一斉に痙攣し、その場に崩れ落ちてしまった。それきり、誰一人ぴくりとも動かない。
……というか、死んでないよな。
心配になって目を凝らすと、倒れた彼らの胸がかすかに上下しているのが見えた。どうやら、気を失っているだけらしい。
ほっと息を吐き、視線を戻す。
細身のスーツ男は床に散らばった剣やメスを拾い集め、部屋の隅にあるダストシュートへ次々と放り込んでいた。
カイルたちが意識を取り戻しても、武器を手にできないようにするためだろう。なかなか抜け目のない奴だ。
ひと通り片づけると、男はこちらへ戻ってきた。俺のすぐ前でしゃがみ込み、品定めでもするように目を細める。
「また会ったな。お前の名は?」
やはり、人違いではなかったらしい。こいつも俺のことを覚えていたのか。
「バンだ」
「俺はギース。ロベルタス・コーポレーションのもんだ」
「ロベルタス? 何だ、それ」
聞き返すと、ギースは心底呆れたように息を吐いた。
「これだから田舎もんは」
この星の人間じゃないと反論したところで、話がややこしくなるだけだ。ひとまず、そのことには触れずに話を進める。
「とにかく助かった。ありがとな」
そう言うと、ギースは意外そうに眉を上げた。
「いや、礼を言われる筋合いはねぇぞ?」
「へぇ、顔に似合わず謙虚だな」
「……そういう意味で言ってねぇ」
ギースは低く返すと、俺から視線を外し、隣にいるイオンへ顔を向けた。
その口元には薄い笑みが浮かんでいたが、目は少しも笑っていなかった。
「それじゃあ、行きましょうか。お姫様」
わざとらしくそう告げると、イオンの腰へ腕を回した。
何をするつもりだ。
そう思う間もなく、ギースは彼女の体を軽々と抱え上げ、そのまま肩へ担いだ。
あまりに唐突な出来事に、俺はただ目を見開く。
イオンもまだ何が起きたのか分かっていないらしく、担がれたまま、きょとんと目を瞬かせていた。
「お、おぉ……見た目より重いな」
そんな軽口を叩きながら、ギースは戸口へ向かって歩き出した。
そこでようやく気づいた。こいつは、俺たちを助けに来たんじゃない。
「ま、待て!」
とっさに声を上げる。だが、ギースはちらりと振り返っただけで、足を止めようともしない。
追いすがろうと必死に身をよじるが、縛られた体では思うように進めなかった。
「離して! 離してください!」
ようやく状況を察したイオンが、激しく暴れ出した。その勢いに、ギースの足取りがわずかに乱れる。
「ちっ」
鋭い舌打ちと同時に、空いた手が上着の内側へ滑り込んだ。抜き放たれたダガーの刃に青白い光が走り、その腹がイオンの首筋へ押し当てられる。
次の瞬間、ばちっ、と乾いた音が弾けた。
「――っ!」
イオンの肩がびくりと跳ね、次いでぐったりとうなだれた。金色の髪が、ギースの背中にだらりと垂れ下がる。
「お前!」
「いちいちわめくな。死んじゃいねぇよ」
足を止めることなく、ギースは口の端を吊り上げた。
「――まあ、引き渡したあとにどうなるかまでは、知らねぇがな」
そう言い残すと、イオンを担いだまま通路の奥へ消えていった。
***
遠ざかっていく足音は、屋敷の奥から響く轟音に紛れ、やがて聞こえなくなった。
どうする。早く縄を切らないと。
周囲を見回しても、使えそうなものは何もない。さっき刃物を捨てていったのは、こういうことか。
くそっ、ふざけやがって。
こうなったら、這ってでも追いかけるしかない。
縛られた体に力を込めた、その時だった。
「待って!」
部屋の端から声が飛んできた。
ニコだ。
口を塞いでいた布をどうにかずらしたらしい。作業台の上で拘束具をぎしりと軋ませながら、顔だけをこちらへ向けていた。
「悪い! 後にしてくれ。今はイオンを助けないと!」
「無理よ! その体じゃ追いつけないでしょ!」
お前だって動けないだろ。
そう返すより先に、ニコが顎をしゃくった。
「そこにラクリマが落ちてるでしょ。アタシに持ってきて!」
彼女が示した方へ目を向ける。倒れたリースのそばに、淡い緑色に光る石が転がっていた。
小石というには大きいが、口にくわえられないほどではない。
「何だよ。もう腹が減ったのか?」
「バカ、違うわよ! 急いで! イオン助けたいんでしょ!」
キカイ石を運ぶことと、イオンを助けることに何の関係があるんだ?
そう問い返したいところだったが、ニコの剣幕に押され、仕方なく床を這い始めた。
腕ごと胴を縛られているため、手は使えない。肩を床へ押しつけ、腰をひねり、曲げた膝で少しずつ体をずらしていく。
「何もたもたしてるのよ! 早く!」
「この縄が見えないのか? 無茶言うな!」
「イオン行っちゃうじゃない! このグズ! のろま!」
「そう思うんなら、自分で取りに来い!」
互いに怒鳴り合いながら、どうにか石のそばまでたどり着いた。
顔を近づけ、石を横向きにくわえると、すかさずニコが声を張り上げる。
「それよ! 早く持ってきて!」
なんて人遣いの荒い奴だ。
だが、いちいち反論している暇はない。こうしている間にも、イオンが危険な目に遭っているかもしれない。
石をくわえたまま、今度は作業台を目指す。口が塞がっているせいで、息を整えることもできない。
その間も、何度となく「遅い!」と声が飛んでくる。
さっきまで死にそうな目をしていたくせに。まったく、元気そうで何よりだ。
ようやく作業台へたどり着いた。どうにか身を乗り上げると、俺のくわえたキカイ石を見たニコが、すぐさま声を荒らげた。
「ちょっと! 涎ついてるじゃない。汚い!」
どうしろっていうんだ。
文句を無視し、くわえていた石をニコの体の上へ落とす。
すると、間髪を入れずに再び怒鳴り声が飛んできた。
「何してるのよ! 直接触れなきゃ吸収できないでしょ!」
「そんなこと言ったってな……」
ニコは全身を布と拘束具でがっちりと固定され、露出しているのは顔くらいだ。石を触れさせるとすれば、そこしかない。
だが、涎のついた石を押しつければ、何を言われるか分かったものじゃない。
どうしたものかと考えあぐねていた、その時だった。
遠くから、ドン! とひときわ大きな轟音が響いた。
もう迷っている場合じゃない。
「怒るなよ!」
そう断って再び石をくわえ、ニコの頬へ押し当てようと顔を寄せる。
「や、やめ――」
逃れようとニコが身をよじる。途端、作業台が大きく揺れた。乗り上げていた俺の体も、その反動でぐらりと前へ傾く。とっさに踏みとどまろうとしたものの、縛られた手足では支えきれなかった。
キカイ石が、ニコの口元へ押し当たる。
近い。近すぎる。
間に石があるとはいえ、互いの息がかかるほどの距離だった。
次の瞬間、淡い緑の光が石から溶け出し、触れた口元からニコの中へ流れ込んでいく。
何が起きているのか分からず、俺は身動きもできなかった。石の輝きがみるみる弱まり、完全に光を失ったところで、ようやく我に返った。
「おわっ!」
慌てて顔を上げる。その拍子に、口元から涎が一筋、たらりと落ちた。
ニコは光を失ったキカイ石を唇に乗せたまま、きょとんとこちらを見ている。目が合ったまま、瞬きひとつしない。
さっきまであれほど浴びせてきた罵声も、嘘のように止んでいた。
まずい。
この沈黙のあとに何が来るのか、考えなくても分かる。
とりあえず、ここはこうするしかない。
俺は何事もなかったように、にこりと笑ってみせた。
次の瞬間――
「きゃあああああああっ!」
耳をつんざくような悲鳴が響き渡った。
ニコは作業台の上で跳ねるように暴れ出し、拘束具を激しく軋ませた。その勢いに耐えきれず、台がぐらりと傾く。
「うおっ――」
作業台はガタンッとけたたましい音を立て、そのまま横倒しになった。
床へ投げ出された俺は、背中を強く打ち、思わず顔をしかめる。
そこへ案の定、ニコの怒声が降ってきた。
「サイッテー! バカ! アホ! 変態! 何考えてんのよ、ほんっと信じらんない!」
倒れた作業台に縛りつけられたまま、ニコは頬を真っ赤にして、涙目でわめいている。
拘束具が外れそうなほど身をよじり、口に残った感触を振り払うように、何度も「ぺっ、ぺっ」と唾を吐いていた。
「仕方ないだろ! 顔しか出てないんだから」
「髪でいいのよ! 髪で! それくらい常識でしょ!」
そんな常識、知るわけがない。
「知るか。そういうことは先に言え!」
「嘘つき! 絶対わざとでしょ! このスケベ! ケダモノ! あんぽんたん!」
「やかましい! こんなことやってる場合か! イオンが連れていかれちまう。俺はもう行くぞ」
そう言って、再び床を這おうと身をよじった。
「待って!」
すかさず、ニコの声が飛んでくる。
「何だよ。まだ食い足りないってか? 後にしてくれ!」
「バカ、違うわよ! いいから見てなさい!」
そう叫んだきり、ニコの動きがぴたりと止まった。
何をするつもりだ。
訝しく見つめていると、ふいに冷気が頬を撫でた。
それはたちまち風となってニコの周囲を巻き上がり、水色の髪と獣耳の毛をざわざわと逆立てる。その風音に交じって、彼女の喉の奥から「うぅ……」とかすかな声が漏れてきた。
声は次第に低く苦しげなうなりへと変わり、その響きが空気を震わせる。
「……お、おい。大丈夫かよ」
心配になって声をかけるが、返事はない。
凍てつくような冷気が渦巻く中、ニコの体がみるみる膨れ上がっていく。
内側から押し広げられた拘束具が、悲鳴のような音を立てた。留め具が次々と弾け飛び、太い革帯がぶちりと千切れる。全身をくるんでいた布もその勢いに耐えきれず、裂けた隙間から銀白色の毛が溢れ出した。
せり出した口元には鋭い牙が並び、伸びていく手足の先では爪が長く尖っていく。その顔つきは、見る間に異形のものへと変わっていった。
次の瞬間――
「アオオオオオォォォーン――!」
腹の底まで揺さぶるような咆哮が響き渡る。その衝撃に弾かれたように、渦巻いていた風が四方へ散った。
轟きが途切れると、辺りは嘘のような静けさに包まれた。
俺は呆気に取られ、ただ目の前の光景を見上げる。
そこにいたのは――巨大な白狼だった。
作業台を押し潰すほどの体は、美しい銀白色の毛並みに覆われている。その輪郭に沿って青白いオーラが炎のように揺らめき、足元には凍えるような冷気が漂っていた。
琥珀色の瞳は鋭く光り、床に這いつくばる俺を射抜くように見下ろしている。
「お前、あの時の……」
その神々しい姿に、俺は思わず息を呑んだ。




