シーン24 ギース
ニコの皮を剥ぐと告げて作業台へ向かったカイルは、メスを握ったまま固まっていた。視線は定まらず、天井で揺れる灯りを何度も追っている。
無理もない。さっきから一段と激しい轟音が、玄関ホールの方から立て続けに響いている。カイルの周囲では、護衛たちが無言で身構え、その音に耳を澄ませていた。
俺たちは手足を縛られたまま、床に転がされていた。隣ではイオンが身を縮め、小さく震えている。
心配になって、小声で「イオン」と呼んだ。少し遅れて、彼女は顔だけをこちらへ向ける。涙をためた瞳が揺れ、強ばった唇はきゅっと結ばれていた。
「大丈夫か?」
そう尋ねると、彼女はぶんぶんと首を横に振った。
いや、そこは普通、強がって頷くところなんだが。
あまりに素直な反応に、悪いとは思いながらも、ふっと笑ってしまう。
とはいえ、怖がるのも無理はない。さっきイオンに迫ったカイルは、自分の意思で動いているというより、何かに操られているように見えた。
目をよこせ、だったか。
まあ、確かにあの瞳は綺麗だ。だからといって、えぐり取ろうとするのはやり過ぎにも程がある。
だが、その狂気じみた表情も、轟音に引き戻されたせいか、今はだいぶ薄れていた。
これも全部、爆弾魔のおかげかと思うと、いいんだか悪いんだか分かりやしない。
あわよくば、予告通りあのにせ眼鏡野郎をやっちゃってくれると助かるんだがな。けれど、轟音はまだ遠く、こちらへ向かってくる気配はない。
何を手間取ってるんだ。早く来い。
そう思って通路へ目を向けた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
戸口の陰に、人影があった。
リースか?
ぐったりと首を垂らしたまま、反応がない。その体を抱え込むように、茶色いスーツをだらしなく着崩した細身の男が立っていた。
何なんだ、あいつは。リースをやったってことは味方か?
いや、そんなわけがない。あの面構えはどう見ても悪者だ。なら、やつが爆弾魔か? だが、轟音はまだ止んでいないぞ?
訳が分からず固まっていると、男がこちらへ顔を向けた。
俺を一瞥し、口の端を吊り上げる。
その笑みに、妙な引っかかりを覚えた。こんなスーツ姿の男に、この星で会った覚えはない。それなのに、なぜか知っている気がする。
「おやおや、皆さんお揃いで――」
その声に、はっとする。
こいつ、確かリオレスの城にいた――。
「ようやく見つけたぜ」
茶色いスーツの男――ギースは、低く呟いた。
***
カイルたちは一斉に振り返った。
部屋の空気が一瞬で張り詰める。そんな緊張など気にも留めず、ギースは抱えていたリースを床へ放り出すと、そのまま中へ踏み込んできた。
彼が足を止めたのは、美しい女性の剥製が収められたガラスケースの前だった。そのケースに手を添えると、苦悶に歪んだ顔を面白がるように眺める。
「おぉ、おぉ。たいそうな趣味をお持ちのようで」
「誰です、貴方は。汚い手で、私のコレクションに触らないでください」
嫌悪を隠そうともしないその声に、ギースはゆっくりと振り向いた。
「お前がこの屋敷の主だな。とんでもない屑じゃないか。俺の部下にしたいくらいだぜ」
「申し訳ありませんが、お断りです。貴方のような礼儀知らずの下につくつもりは、毛頭ありませんので」
カイルの目は冷えきっていた。そのまま、ぱちりと小さく指を鳴らす。
その音を合図に、護衛たちが一斉に剣を抜いた。灯りを受けた白刃がぎらつき、いくつもの切っ先がギースへ向けられる。
「ポート・ソレイユの平和を脅かす爆弾魔など、私が始末して差し上げます」
「爆弾魔? 何のことだ?」
「とぼけないでください」
そう言うと、カイルは返事を待たず、もう一度指を鳴らした。
次の瞬間、左右に控えていた二人の護衛が同時に床を蹴った。鈍く光る二本の刃が、一気にギースへ迫る。
だが、その刃先が届く寸前――ばちりと青白い火花が弾けた。
「がっ……!」
二人の体がびくんと跳ねた。振るわれるはずだった剣は宙で止まり、護衛たちは全身を痙攣させながら床へ崩れ落ちる。
ギースは一歩も動いていなかった。
いつの間に抜いたのか、両手には二本のダガーが握られている。細かな電流が、淡い光となって刀身を這っていた。
「さすが悪党だ。話が早くて助かるぜ」
そう言ってにやりと笑うと、倒れた二人には目もくれず、ゆっくりとカイルたちを見回した。
その鋭い視線に、残った護衛たちは剣を構えたまま、じり、じりと後ずさる。しかし、カイルだけは動じていなかった。やれやれとばかりに小さく息を吐く。
「どうやら貴方たちでは相手にならないようですね。私に剣を」
護衛たちは慌てて、それぞれの剣を差し出した。
カイルはその二振りを受け取ると、重さを確かめるように軽く振った。かすかな風切り音が、薄暗い部屋に走る。
その動きは滑らかで、どこにも隙がなかった。
「なかなかやるじゃねぇか」
ギースが低く呟いた。
「だが、悪いな。じっくり相手してやりたいところだが、あいにく時間がないんでね。静かにやれと言ったのに、あの馬鹿どもが。もたもたしてると、リオレスの兵が来ちまう」
「その心配は不要です。すぐに終わりますから」
「そりゃ助かる」
言うが早いか、ギースがダガーを放った。青白い光を引いた刃が、一直線に迫る。
だが、カイルは眉ひとつ動かさなかった。迫る刃に合わせて手首を返す。軌道を逸らされたダガーは、火花を散らしながら天井へ突き刺さった。
続けて放たれた二本目も同じだった。甲高い音とともに、先の刃の隣へ突き立つ。
「やれやれ。この程度でしたか。巷を騒がす殺人鬼と聞いて、どんなものかと期待していたのですが」
カイルは退屈そうに肩をすくめた。
「どうします? まだ続けますか? 今降参すれば、貴方も私のコレクションに加えて差し上げますよ。ポート・ソレイユの爆弾魔……ふふ、実に珍しい標本です。特別にケースも用意いたしましょう」
「そりゃ、どうも」
口先だけでそう返し、ギースはゆっくりと懐へ手を伸ばした。
「まだお持ちでしたか。ですが、何度やっても同じですよ」
カイルは剣を握る手に力を込める。
だが、懐から出てきたのはダガーではなかった。
煙草だ。
一本くわえて火をつけると、吐き出した煙が薄暗い室内にゆらりと広がっていった。
「な、何のつもりです。貴方、戦う気はあるのですか?」
「いや――」
煙の向こうで、ギースが静かに答えた。
「もう終わった」
「カイル様、上を!」
護衛の叫びに、カイルは顔を上げた。天井に突き刺さっていたはずの二本のダガーが、いつの間にか抜け、空中に浮かんでいた。
そのまま床へ落ちることもなく、彼らの周囲を旋回し始める。
「な、何です、これは……?」
目を見開いたまま、カイルはその刃を追うことしかできない。護衛たちも、ただ息を呑んで立ち尽くしていた。
回転はさらに速くなっていく。
最初は目で追えていた軌道が、次第に一本の線へ変わった。キィィィン、と耳障りな音が室内に満ちていく。
やがて刀身の光が幾重にも重なり、青白い輪となって浮かび上がった。
「こんなもの――」
顔を引きつらせたカイルが剣を振り上げた――その刹那、低く抑えた声が落ちる。
「……サークル・スタン」
直後、二本のダガーから電撃が放たれた。雷光が輪の内側を横薙ぎに走る。
バヂィンッ!
空気を裂くような音が室内を震わせる。カイルたちは声を上げる間もなく全身を強張らせ、その場に崩れ落ちた。
耳障りな高音が消える。
静まり返った室内には、二本の刃だけが生き物のように漂っていた。
「惜しい奴をなくしたぜ」
ギースは倒れたカイルを見下ろし、白々しくつぶやくと、ゆっくりと煙を吐き出した。




