シーン23 ドリントン
「な、何なのです? この音は」
立て続けに伝わってくる振動に、カイルが目を見開いた。
「……分かりません。玄関ホールからのようです」
いつも冷静なリースの声にも、戸惑いが滲む。周囲に控えていた兵たちは息を呑み、揺れる照明を緊張した面持ちで見上げていた。耳を澄ませば、何かが砕ける音に混じって悲鳴まで聞こえてくる。
そんな張り詰めた空気の中で、俺はわざとらしく笑ってみせた。
「どうやら、来ちまったようだな」
「……来ちまった? 何のことです?」
「忘れたのか。ポート・ソレイユの爆弾魔だよ」
その言葉に、カイルの目の色が変わった。
「ありえません。爆弾魔は神出鬼没で、誰も姿を見たことがないと言われています。それが、こんなあからさまに襲ってくるなど――」
「さあな。ターゲットが見当たらないから、怒っちまったのかもな」
「そんな馬鹿な……」
呆然とするカイルに、リースがなだめるように声をかけた。
「ご心配には及びません。ここには兵に加えてガロン殿やモル殿もおります。侵入者など、すぐに取り押さえられるでしょう」
だが、その直後――リースの言葉を打ち消すように、玄関ホールからさらに大きな破砕音が轟いた。床を伝ってくる振動に、壁際の剥製がかすかに揺れ、二人の顔が同時に強張る。
「ずいぶん派手にやってるな。まずいんじゃないか? 大切な剥製が壊されちまうぞ」
俺の煽りを受け、カイルはすぐさまリースへ向き直った。
「ホールの様子を確認してきてください」
「かしこまりました」
リースは短く頭を下げると、数人の兵を連れて慌ただしく部屋を出ていった。その足音が遠ざかると、カイルは眼鏡の縁に指を添え、呆れたように息を漏らした。
「やれやれ。勝手に人の屋敷を壊すとは、礼儀を知らないにもほどがありますね。噂通り、爆弾魔というのはろくでもない輩のようです」
どの口が言うんだ。
そう毒づきたいのをこらえて睨んでいると、カイルがこちらの視線に気づいた。先ほどまでの動揺はもう薄れ、いつもの調子でにこりと微笑む。
「さて。あまりお待たせするのも悪いですね。今のうちに、ニコ殿の皮を剥いでおきましょうか」
言い終えると、カイルはその柔らかな表情のままメスを握り直し、再びニコの方へ歩み寄っていった。
***
荒れ果てた玄関ホールでは、倒れた兵たちがあちこちでうめいていた。砕けた木片や石が床に散らばり、壁や柱には三日月を思わせる傷跡がいくつも刻まれている。
その中央で、ドリントンが腰を落としてブラスターを構えていた。砲身には、白い光が脈打っている。
「……もう終わったで? はよ行こうや」
ステラが声をかけると、ドリントンはしばらく沈黙したあと、低く口を開いた。
「せっかくチャージが済んだのに、お前のせいで台無しだ」
「仕方ないやろ。向こうが勝手に襲ってきたんやから。ほら、行くで」
そう促しても、ぴくりとも動かない。なぜか、臨戦態勢のまま、誰もいない空間へブラスターを向け続けている。
「……ど、どうしたん?」
ステラが怪訝そうに横から顔をのぞき込む。するとドリントンは正面を向いたまま、かすかに口元を緩めた。
「こんな情けない姿、誰かに見られたらどうする」
「戻ればええやろが! 何しとるんや、さっきから」
苛立ち混じりに、ステラがその腕を無理やり下ろした――その時だった。
ホール奥の大扉が、バン、と乱暴に開いた。
「こいつは珍客だ」
太く低い声が響き、黄緑色の巨体がぬっと姿を現した。背負った巨大な甲羅が、天井の照明を受けて鈍く光る。背後では、蟻の姿をした魔族たちが耳障りな鳴き声を上げていた。
「……ガロンか」
ドリントンの顔つきが、わずかに引き締まる。
「なぜお前がここにいる」
「なに、ちょいとした暇つぶしよ。爆弾魔に命を狙われているから守ってくれ、と頼まれてな。まさか、その正体がてめぇらだったとはな」
「はぁ? 何言って――」
反論しかけたステラの口を、ドリントンの大きな手が塞いだ。
「そうだ。ここの貴族を恨む奴に頼まれた。目障りだから消せ、とな」
「がはは、そいつは奇遇だったな」
豪快な笑い声が、荒れ果てたホールに響く。
だが、それはすぐに途切れた。
「――なーんて言うとでも思ったか、馬鹿が。てめぇらがリオレスの姫を狙ってるのは、知ってるんだぜ」
「な、なんでや?」
言った瞬間、ステラの顔が強張った。しまった、とばかりに慌てて口を押さえる。
その反応を見て、ガロンの口元がにやりと歪んだ。
「へっ、やっぱりそうか。さては、あの小娘が姫だな。偶然ここに来てみりゃ、カランコラン様にいい手土産ができたぜ」
そう言うと、ゴンと両拳を打ち合わせた。
「はん。何言うとんねん。アンタごとき、うちのクレセント・ムーンで――」
ステラが得意げに踏み出そうとした瞬間、ドリントンの分厚い背中が行く手を塞いだ。
「先に行ってろ。ここは俺が相手する」
「でも――」
「行け」
いつになく低い声に、ステラは言い返しかけた言葉を飲み込んだ。
ドリントンはその横を無言で進み出ると、ブラスターの砲口を、ゆっくりとガロンへ向けた。
それでもガロンは、余裕ぶった笑みを崩さない。
「いいのか? お前一人で。そいつを使うなら囮がいるだろう?」
「心配いらん。もうチャージは済んでる。しかもフルパワーだ」
「えっ?」
その口元から、笑みが消えた。
砲口を向けられた途端、蟻の魔族たちはざわめきながら、じりじりと後ずさった。ガロンもつられるように一歩退きかけたが、すぐに踏みとどまり、口元を歪める。
「ふ、ふん。またキカイ頼りか。人間らしいぜ。生身じゃどうすることもできねぇヘタレどもが」
その煽りを受け、ドリントンのこめかみがぴくりと動いた。
手応えを感じたのか、ガロンの笑みが深まる。畳みかけるように、さらに声を張り上げた。
「そのでかい体は飾りか? 図体ばかりの臆病もんが」
そう言ってわざとらしく笑い飛ばすと、周囲の蟻の魔族たちも調子を合わせるようにキィキィと鳴き出した。嘲るようなざわめきが、ホールに広がっていった。
ドリントンは、一言も返さなかった。
やがて、顔色ひとつ変えないまま、ブラスターの光をふっと消し、内側のグリップから手を引き抜く。巨大な武器は支えを失い、ずしん、と大理石の床へ落ちた。
「何しとるん。アホか!」
ステラが怒声を上げる。
「……まだいたのか。さっさと行け」
「そいつ使えば一瞬やったやろ? 何で使わんの」
「奴らに筋肉の価値を分からせる必要がある」
「逆に分からせられたらどうするん。魔族に生身で向かうなんて、最悪、殺されるで?」
「……そうだな」
ドリントンは重々しくうなずいた。
そして、まるで今生の別れでも告げるような穏やかな口調で続けた。
「残念だが、俺は負ける。これが最後の戦いになるだろう」
その言葉に、ステラは思わず声を荒げた。
「……ふ、ふざけんな。そんなの、絶対許さんで。うちも一緒に――」
「冗談だ」
その瞬間、ドリントンは真顔に戻った。
数拍遅れて意味を理解したステラの頬に、かっと赤みが差す。
「……あほくさ。ほな、うちは行くで。嘘から出た真にならんよう、せいぜい気ぃつけや」
それだけ言い残し、彼女は床を蹴った。大階段の手すりを足場に二階の回廊へ跳び上がり、そのまま奥の廊下へ消えていく。
その姿が見えなくなるのを待ってから、ドリントンは上着を脱ぎ捨てた。深緑のシャツの袖を肘までまくり上げると、ガロンへ向かって歩き出した。
ガロンも不敵な笑みを浮かべて前へ出る。一歩踏み出すたび、重い足音が大理石の床を打ち、散らばった木片がかすかに跳ねた。
数歩の距離を残して、二人が足を止めた。
その周りを、蟻の魔族たちが取り囲む。
ざわめきが少しずつ小さくなり、荒れ果てたホールに重い沈黙が落ちた。
「まさか、この俺様に生身で向かってくるとはな。その度胸だけは褒めてやる」
言い終えるなり、ガロンの口元が獰猛につり上がった。
「だが、馬鹿だな!」
丸太のような拳が、ドリントンの腹へ叩き込まれる。
ズドォォンッ!
地鳴りのような衝撃が、玄関ホールを揺らした。ドリントンの巨体が後方へ弾かれ、靴底が大理石を削って白い傷を残す。
それでも、膝は折れなかった。息を詰まらせながら、わずかに口元を緩める。
「なっ……!?」
ガロンが目を見開く。
次の瞬間、ドリントンが床を蹴った。
大理石に亀裂が走るほどの踏み込みで、一気に間合いを潰す。懐へ潜り込むなり、拳を下から跳ね上げた。
ドゴォォンッ!
その一撃が、ガロンの顎を打ち抜いた。黄緑色の巨体が、背中の甲羅を揺らして仰け反る。
だが、ガロンも倒れない。数歩よろめきながら首を振り、ずれた顎を確かめるように動かした。
そのまま口の端から垂れた緑色の血を、ぺっと床へ吐き捨てる。
「……なかなかやるじゃねぇか」
ガロンはにやりと笑った。だが、その目の奥には、さっきまでになかった苛立ちが滲んでいた。
「手加減して悪かったな。こっからは本気で相手してやる」
「俺もだ」
言葉はそこで途切れた。
次の瞬間、二つの巨体が真正面からぶつかり合う。
ズドォォンッ! ドゴォンッ!
重い打撃音が、玄関ホールに響き渡った。ガロンの拳がドリントンの頬をえぐる。負けじと、ドリントンの一撃がガロンの腹へめり込んだ。
それでも、どちらも倒れない。
蟻の魔族たちは細い腕を突き上げ、ぎぃ、ぎぃと耳障りな声で囃し立てた。最初はガロンをけしかけるだけだったが、やがてドリントンにも声援を飛ばす者まで現れ始める。
一撃ごとにその声は膨れ上がり、重い打撃音さえ呑み込むほどの熱を帯びていく。玄関ホールはいつの間にか即席の闘技場へと変わっていった。




