シーン21 絶体絶命
イオンを人質に取られた以上、うかつに動くことはできない。
俺は黙って手を上げ、リースを睨みつけた。
「ニコの代金を肩代わりするって言ってたな。あれは嘘だったのか?」
「ええ。その通りです。獣人族は、カイル様が前々からお望みでしたので」
悪びれる様子のない答えに、思わず奥歯を噛む。
「爆弾魔の件もか?」
「まさか。護衛役を探していたのは事実です。それが偶然にもニコ殿を手に入れることができた。とても幸運でした。あなた方にとっては災難でしょうが」
最後まで、リースの表情は穏やかなままだった。
このままだとまずい。何とかしないと、全員やられる。
できるだけ平静を装いながら、手をゆっくりと下ろしていく。
「バン殿」
リースはイオンの頬にメスをあてがったまま、空いた手の指を小さく左右に振った。
くそっ。
俺は小さく舌打ちをし、下ろしかけた手を戻す。
ほどなく、リースが軽く目配せをした。どこに潜んでいたのか、物陰から私兵たちが姿を現す。抵抗する間もなく腕をねじ上げられ、そのまま床へ押さえつけられた。
「いだだだっ、離せ!」
叫んだところで、そいつらが聞くはずもない。乱暴に腕を上げられ、肩が外れそうな痛みに顔をしかめる。視界の端では、イオンが二人の私兵に両脇を押さえられていた。
スター・オーブさえ出せれば――。
何とか逃れようと身をよじる。だが、押さえ込む腕はびくともしない。
どうする。どうすればいい?
そうこうしているうちに、俺が身動きできないと見たカイルが、こちらへ向かってきた。目の前で膝を折り、顔を覗き込んでくる。
「残念ですが、あなたは私のコレクションにはふさわしくありません」
その口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「ですが、淑女たちの前でむごたらしいことはできません。処分は後ほどにいたしましょう。少々そのままでお待ちください」
そう告げると立ち上がり、メスを手にしたままイオンのもとへ向かった。
「さて、あなたはどうでしょうか……私のコレクションにふさわしいでしょうか」
品定めするような視線が、彼女の足元から顔へと、ゆっくり上がっていく。やがて顔まで上がったところで、その視線がぴたりと止まった。
「これは……」
カイルは思わず息を呑んだ。
「ニコ殿に気を取られて、見落としておりました。なんとも、美しい……もっとよく顔を見せてくれませんか」
その言葉に、イオンはふいと顔をそらした。せめてもの抵抗だったのだろう。だが、すぐにカイルに顎をつかまれ、無理やり引き戻された。
「あっ……」
という苦痛の声が漏れる。それでもカイルは、気にすることなく、さらに顔を引き寄せた。
「特に、その右の瞳。淡い緑の中で、光が揺れている。まるで、星のようです。……おや? これは――」
何か言いかけたところで、ふっと言葉が途切れた。
どうしたんだ、急に。止まっちまったぞ。
瞬きもしない。呼吸すら忘れたように、イオンの右目を見つめ続けている。
リースにとっても、カイルのその変化は予想外だったらしい。私兵たちも困惑したように、互いに顔を見合わせている。
しばらくして、ようやくカイルが口を開いた。
「……欲しい」
その一言とともに、メスを握る手がゆっくりと持ち上がった。
何をする気だ。
「おい、待て!」
叫んでも、こちらを見るどころか反応すらしない。
明らかに様子がおかしい。どうにかしないと――。
その時、俺の腕を押さえる私兵の力がわずかに緩んでいることに気づいた。カイルの異様な様子に気を取られているのだろう。
今しかない。
床に押さえつけられたまま体をねじる。だが、すぐに私兵が我に返り、背中に体重を掛けてきた。
「動くな!」
さらに腕をねじ上げられ、痛みに息が詰まる。
駄目だ。抜け出せない。
他に手はないかと、必死に周囲へ目を走らせる。
すると、作業台の上で、呆然とこちらを見つめているニコと目が合った。
「ニコ! 何とかならないか!?」
俺の声に、彼女が我に返ったように身をよじる。拘束具が軋み、台が大きく揺れた。
それでも、抜け出せる気配はない。
その間にも、メスの切っ先はイオンの右目へ迫っていく。かすかに震える顔の前で、銀色の刃が鈍く光った。
「……私に……よこせ」
カイルは今までとはまるで違う、低く不気味な声で言った。狂気じみた表情に、イオンの顔から血の気が引き、見開かれた瞳に涙が滲んだ。
「バンさん……」
かすれた声で、イオンが俺の名を呼ぶ。
「やめろっ!」
そう叫んだ瞬間――
ドンッ――!
腹の底に響くような轟音が、屋敷を揺らした。
***
「開いたぞ」
ドリントンは低く呟いた。
玄関ホールの巨大な扉が、金具ごと吹き飛んで床に倒れ、砕けた木片の上を、舞い上がった埃が白く漂っている。
「え、ええの? ギースには、なるべく静かにって言われとったけど……」
たじろぐステラをよそに、ドリントンは右腕の黒鋼色のブラスターへ目を落とし、軽く手を添えた。
「心配いらん。お前がやったことにする」
「それなら安心――って、はぁ!? ふざけんな!」
ステラがドリントンの胸ぐらをつかんだ。
その時だった。
「誰だ!」
鋭い声とともに、屋敷の内外から私兵たちが駆けつけてきた。二人の姿を見るなり、剣を抜いて左右へ回り込み、あっという間に取り囲む。
ずらりと立ちはだかる私兵たちを前に、ステラはにやりと口元を吊り上げた。
「おぉ、おぉ。ぞろぞろと。こりゃ、絶体絶命やな」
そう言うと、どこか嬉しそうに、ぽきぽきと指を鳴らした。




