シーン18 カイル邸
水鯢車を降りると、目の前には城と見間違うほど立派な屋敷が建っていた。夕日を受けた白壁が橙色に染まり、広い庭の中央では、噴水が水しぶきを上げている。
想像していた以上の豪邸だ。
その迫力に気圧されながら、俺たちは屋敷の中へ入った。玄関ホールには赤い絨毯が敷き詰められ、天井には大きなシャンデリアが吊るされていた。だが、屋敷が広すぎるせいか、その光は隅々までは届かず、中はどこか薄暗かった。
どうにも落ち着かず、辺りを見回していると、リースがふいに足を止め、階上へ向かって恭しく頭を下げた。
「カイル様、ただいま戻りました」
その声につられて見上げると、階段の踊り場に一人の男が立っていた。
あいつがカイルか。
丸眼鏡をかけた、知的そうな男だった。ブラウンの髪は短く整えられ、グレーのベストを身につけている。予想していたよりも若く、四十には届いていないだろう。
「そちらの方々は?」
戸惑いを含んだ視線が、俺たちに向けられる。
「新たに警護に加わっていただく方々でございます」
リースがそう答えると、カイルは困ったように目を細め、ゆっくりと階段を下りてきた。そのまま目の前までやって来ると、胸に手を当て、丁寧にお辞儀をした。
「私はこの屋敷の主、カイルと申します」
「俺はバンだ。こっちはイオンと、ニコ」
せっかく紹介したのに、二人は警戒しているのか、上目がちに相手を見るだけだった。それでもカイルは嫌な顔ひとつせず、にこりと微笑んだ。
「この度は、わざわざお越しいただきありがとうございます。爆弾魔の件ですね」
「ああ。狙われているんだって?」
「はい。そのようです。もっとも、私は心配いらないと言っているのですが」
カイルは苦笑した。
「でも、万が一ってこともあるし、備えておくに越したことはないんじゃないか?」
俺がそう言うと、カイルは口元の笑みを少し深め、指をぱちりと鳴らした。
すると奥の部屋から、深緑の服を着た男たちが姿を現した。肩当てと胸当てが銀色に光り、腰には剣を帯びている。立ち居振る舞いにも隙がなく、ただの使用人ではなさそうだった。
「この屋敷の私兵です。三十名おります」
「そんなにいるのか? 用心棒なんて雇う必要あるのか?」
「ええ、私も必要ないとは言ったのですが、それでも心配だということでして。まったく、リースには困ったものです」
呆れたように目を細めながらも、その口調はどこか優しかった。
いや、ちょっと待て。
護衛が足りているなら、俺たちの報酬はどうなる。
「まさか、今から追い返すつもりじゃないだろうな」
疑わしげにそう言うと、カイルは軽く肩をすくめた。
「ははっ、まさか。わざわざご足労いただいたのですから、依頼料はきちんとお支払いいたしますよ」
そう言って、カイルは懐から銀色の懐中時計を取り出した。
「おや、もうこんな時間ですね。すぐに客間へご案内させますので、夕食まではそちらでゆっくりおくつろぎください」
そう告げると、懐中時計の蓋をぱちんと閉じた。
***
案内された客間は、まるで高級ホテルの一室のようだった。
ふかふかのベッドに身を預けていると、やがてリースが迎えに来た。面倒ながらも体を起こし、促されるまま部屋を出る。
廊下に出ると、待っていたのはイオンだけだった。ニコの姿は見当たらない。まぁ、いたらいたで騒がしいし、今はいいかと考え、そのままリースの後についていく。
ダイニングへ続く薄暗い廊下には、生き物の剥製がずらりと並べられていた。頭が鋼鉄のように光るイノシシや、恐ろしい形相で牙を剥くオオカミ。中には、見覚えのあるセイリュウチョウの剥製まであった。
まるで博物館だ。
金持ちの考えることはよく分からん。
イオンはそれが怖いのか、俺の袖をぎゅっと握り、なるべく視界に入れないように顔を背けている。その様子に気づいたリースが、優しく声をかけてきた。
「カイル様はコレクターでございまして、こうした剥製を集めておられるのです。少々迫力はございますが、動き出したりはいたしませんのでご安心ください」
だが、それでイオンの恐怖が和らぐことはなかった。
やがて、装飾の施された巨大な木製の扉の前に着いた。リースがそれを両手で押し開けると、豪華なダイニングが姿を現した。
長いテーブルには見たこともない料理が所狭しと並び、壁際では白い前掛けをつけた給仕たちが静かに控えている。
だが、それ以上に気になったのは、席に陣取っている連中の方だった。
体つきは人間に近い。赤いバンダナを巻き、擦り切れた上着をまとった姿は、どこか海賊の手下のようだった。何より異様なのはその顔だ。黄緑色の肌に、蟻を思わせる輪郭。口元からは鋭い牙まで覗いている。
そんな連中が、十人――いや、十匹いる。
どう見ても魔族だ。分かりやすいにもほどがある。
「キィッ、キィキィッ!」と何やら楽しげに話しているが、何を言っているのか、さっぱり分からない。
その姿に呆気に取られていると、突然「邪魔だ」という低い声とともに、肩を乱暴に突き飛ばされた。
「うおっ!」
足がもつれ、体が傾く。踏ん張る間もなく、尻から床に落ちた。
痛みに顔をしかめながら見上げると、甲虫のような巨大な甲羅を背負った男が立っていた。黄緑色の体に、ぎらついた黄色い目。口元から牙を覗かせた顔つきは、いかにも荒くれ者といった感じだった。
男は俺を見下ろし、「ふっ」と鼻で笑うと、蟻の魔族たちの中央の席へどかりと腰を下ろした。
「バン様、大丈夫でございますか?」
慌てて駆け寄ってきたリースの手を借り、俺はどうにか立ち上がった。
なんなんだ、あいつは。
尻の痛みをこらえながら甲羅の男を睨んでいると、リースがそっと身を寄せ、声を潜めた。
「ガロン殿です」
「ガロン?」
「はい。私が街で声をかけた警護役のおひとりでございます。周りの方々は、彼のお仲間とのことです」
あいつらが用心棒?
腕っぷしは強そうではあるが、どう見てもまともじゃないぞ。盗賊と言われた方がしっくりくる。
俺が怪訝な顔をしていると、リースがさらに言葉を続けた。
「それと、もうお一方……。おや、モル殿のお姿が見えませんね」
リースが首をかしげた、その時だった。
「ここだ」
壁際の柱の陰に、漆黒のローブをまとった男が立っていた。フードを目深にかぶっているせいで顔は見えない。ただ、白く丸い目だけが、薄闇の中で不気味に光っていた。
「光は好かぬゆえ、このまま失礼する」
低く、感情の読めない声だった。
あんな場所に一人で、変な奴だな。
あいつも用心棒なのか。どいつもこいつも、守る側というより、襲う側にしか見えない。
とはいえ、どうせ今日だけの付き合いだ。そう割り切って、俺はリースに案内されるまま席についた。
ガロンたちは、こちらを見ながら、にやにや笑っている。
それを無視して料理に目を向けていると、ほどなくしてカイルが姿を現した。小さく会釈して席につくと、料理の並ぶテーブルへ軽く手を差し出す。
「皆さん、お待たせしました。どうぞ、遠慮なくお召し上がりください」
その言葉を合図に、ガロンたちは一斉に料理へ手を伸ばした。肉をかじり、骨をテーブルに放り、下品な笑い声を響かせる。ダイニングは、たちまち収拾のつかない騒がしさに包まれた。
他人の屋敷だっていうのに、遠慮の欠片もない。
さすがのカイルも顔をしかめているかと思いきや、彼は少しも気にした様子を見せなかった。
「やはり、食事は賑やかな方がいいものですね」
穏やかに微笑みながら、何事もないようにそう言った。
いや、賑やかすぎるだろ。
その下品な食べっぷりに眉をひそめていると、ガロンがぎろりとこちらを睨んできた。
「何見てやがる」
「別に」
俺は視線をそらし、目の前に置かれていた一口大のステーキに手を伸ばした。
何の肉かは分からない。港で食べた肉串も美味かったが、こちらはもっと上品だった。口に入れると柔らかくほどけ、香草の香りがほんのり広がる。
「美味いな」
そう言って隣のイオンを見る。
だが、彼女は料理にまったく手をつけていなかった。なぜか青ざめた顔で、皿の上の肉をじっと見つめている。
「どうした? 食べないのか?」
声をかけると、イオンは小さく震えながら答えた。
「……わたし、分かっちゃいました」
「何が?」
「ニコさんがいないの、気づいていますか?」
「ああ、一応な。でかい家だし、迷子にでもなってるのかもな」
「……違います」
イオンは真剣な顔で首を横に振ると、フォークで皿の肉を刺し、ゆっくりと持ち上げた。その手が小刻みに震えている。
「……このお肉、ニコさんです」
「いや、怖っ。そんなわけないだろ」
「いいえ、間違いありません」
何を根拠に。
そう思ってイオンを見るが、彼女の目は本気だった。
次の瞬間、勢いよく立ち上がり、名探偵ばりにカイルを指差した。
「あなたが犯人です!」
ダイニングに大きな声が響いた。
カイルが目を丸くする。あれだけやかましかった魔族たちも、肉を手にしたまま固まった。
さっきまであんなに怯えていたのに、急にどうした。怖すぎてテンションがおかしくなったのか?
しばしの沈黙のあと、カイルが困惑したように口を開いた。
「犯人? な、何のお話でしょうか……?」
「このお肉、ニコさんですよね!」
「えっ? いや、そのようなことは……」
「じゃあ、ニコさんはどこです!」
「そ、それは――」
カイルが言葉に詰まった。
何で詰まるんだ。
もしかして、本当に。
妙な不安が胸をよぎる中、イオンは自信満々に言い切った。
「ほら、やっぱり! しっぽと耳が生えていたから、動物と勘違いしたんです。間違いありません!」
その言葉を遮るように――。
「そんなことあってたまるか」
呆れた声が、ダイニングの入口から飛んできた。
振り返ると、ニコがじとりとこちらを見ていた。
「あれ……?」
イオンはぽかんとした顔で固まった。
生きてたか。まぁ、そりゃそうか。
「どこ行ってたんだ?」
そう聞くと、ニコはふん、と鼻を鳴らすだけで、そのまま俺の隣に腰を下ろした。
ふわりと、いい香りが漂ってくる。頬はほんのり赤く、髪も少しだけしっとりしていた。
なるほど、風呂に行っていたのか。
大方、さっき臭いと言われたのを気にしていたんだろう。カイルが言葉に詰まったのも、ニコに口留めでもされていたからか。
やれやれと小さく息を吐く。
その横で、イオンが消え入りそうな声でつぶやいた。
「に、偽物です……」
あれだけ自信満々に言ってしまったせいで、もう引き返せなくなっているらしい。
「ニ、ニコさんは、こんなにいい匂いじゃありません!」
とんでもないことを言い出した。まずいんじゃないか。
ちらりとニコの様子を窺うと、彼女は「うっ」と声を漏らし、目に涙を浮かべていた。
だが、イオンは気づいていないのか、さらに追い打ちをかける。
「ニコさんは、もっと臭……えっと、動物みたいな匂いで――」
「もうやめたれ……」
さすがにいたたまれなくなって、俺はイオンを止めた。
カイルもリースも、あれだけ騒がしかった魔族たちでさえ、気まずそうにニコから目をそらした。
こうしてダイニングには、しばらく何とも言えない沈黙が流れた。




