表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/23

シーン15 円形闘技場①

「なかなか立派な建物じゃないか」


円形闘技場の前に立ち、俺は思わず感嘆の息を漏らした。


白い石造りの巨大な建物が、目の前にそびえている。外周には太い柱と半円のアーチが幾重にも連なり、上部には獅子のレリーフが彫り込まれていた。だが、その荘厳な造りとは裏腹に、出入りしているのは目つきの悪い荒くれ者ばかりだった。


……どうやら、上品な場所ではなさそうだな。


「イオン、大丈夫か?」


俺の心配をよそに、彼女は怯えるどころか、どこか嬉しそうに闘技場を見上げていた。


「大きいですね……」


どうやら、建物にすっかり目を奪われているらしい。ガラの悪い男がすぐ近くを通り過ぎても、ちらりとも見ようとしない。怖がって立ち止まられるよりはましだが、危ない人間かどうかの見分けはまだつかないようだ。これはこれで心配だ。


それに、この綺麗な顔立ちは嫌でも人目を引く。面倒な連中が寄ってきては困る。


俺は孤児院で借りてきたフード付きの灰緑色のマントをイオンに羽織らせ、フードを深くかぶせた。その影に顔が隠れたのを確認し、小さく息を吐いた。


「よし。これで準備は万端だ。じゃあ、行くか」


多少の荒事は覚悟しながら、闘技場の中へ足を踏み入れた。


――が、中に入った途端、拍子抜けする。


円形の舞台の中央で、男二人が白い台を挟んで手を組み合っていた。なんてことはない。ただの腕相撲だ。


「なんだ。緊張して損した」


思わずため息が漏れた。だが、それを見守る観客の熱気は、普通ではなかった。舞台を囲む観覧席からは、「ぶちのめせ!」だの「叩き潰せ!」だの、物騒な罵声が飛び交っている。


そこへ、勝敗を告げる鐘がカン、カン、カンと鳴った。


「リクノ選手の勝利ィィィ!」


舞台上のレフェリーが、声を張り上げる。


「強い! これで九十九勝無敗! 誰か、この男を止められる者はいないのか――!」


会場全体が一気に沸き立つ。席などないも同然で、観客のほとんどが立ち上がり、腕を突き上げる。地鳴りのような歓声が、空気そのものまで震わせているようだ。


この騒ぎ、イオンにはきついか?


いや、待てよ。さっきもガラの悪い奴をまるで気にしていなかったし、案外平気かも――と思って隣を見ると、彼女はフードの端を握りしめ、すっかりうつむいてしまっていた。


……そりゃそうか。


賞金十万セルをもらったら、こんなところすぐに出よう。そう決めて周囲を見渡すと、闘技場の奥に受付らしき場所が見えた。その横には、数字の並んだ大きな木板が掲げられている。前には人だかりができ、跳び上がって喜ぶ者や、頭を抱える者までいた。


……なるほど。賭けもやっているのか。こいつはラッキーだ。うまくいけば大儲けできる。


とりあえず、まずはエントリーだ。俺はうつむいたままのイオンを気にしつつ、受付らしき場所へ向かった。


そこでは、小太りな男が帳簿をつけていた。


「なぁ、エントリーって、ここでできるのか?」


「あぁ、そうだよ。挑戦希望者かい?」


俺がうなずくと、男は細い目でこちらの身体を品定めするように見てきた。


「大丈夫なのかい、そんな腕で。相手は九十九連勝中の化け物だよ。悪いことは言わない。やめときな」


九十九連勝か。ずいぶん派手に勝ってるな。そう思いながら舞台上に目をやる。上半身裸の大柄な男が、勝ち誇るように右腕を掲げていた。二メートルを優に超える巨体に、ライオンのたてがみのように逆立った金髪。あの体を見れば、腕力に自信があることだけは嫌でも分かる。


だが、見た目がどれだけ強そうだろうと、俺には関係ない。


「大丈夫だ。参加させてくれ」


そう言うと、男は呆れたように肩をすくめ、帳簿をこちらへ押し出した。


「怪我しても知らないよ。参加料一万セルだ」


「えっ? 金を取るのかよ」


「当たり前だろう。こっちは商売でやってるんだ」


「分かったよ」


ふう、と息を吐いてイオンへ目を向ける。


「一万セルだって。悪い、財布を貸してくれ」


イオンは財布を取り出したものの、胸元に抱えたまま、不安そうに俺を見上げた。


「バンさん、本当に参加するんですか?」


「あぁ。もちろんだ。十万セル、欲しいからな」


「でも、危ないんじゃ……」


「ただの腕相撲だ。心配いらないって。それに、俺にはこいつがある」


そう言って懐から銀色のライターを取り出し、蓋をキンとはじいて開けてみせる。だが、それでイオンの不安が消えるわけでもなかった。


納得しきれない顔の彼女をどうにかなだめ、俺は財布を預かった。紙幣の価値がよく分からず、中身をまとめて差し出すと、男は眉をひそめ、一枚だけ抜き取って残りを突き返してきた。


「釣りだ」


「あ、そう」


返された紙幣を受け取り、帳簿に自分の名前を書く。これでエントリーは済んだ。


となれば、次は肝心の話だ。


「なぁ、ここでは賭けもやっているのか?」


「あぁ。だが、参加者本人が賭けるのは禁止だぞ」


「知り合いが賭けるのは?」


「それなら問題ない。ただし、少しでも手を抜いたように見えたら、両方とも罰を受けてもらうことになる」


なるほど。なら、イオンに頼めば問題なさそうだ。


「ちなみに、今のオッズは?」


男は面倒くさそうに倍率表を顎で示した。


「リクノが一・〇一倍、挑戦者が百倍だ。奴が勝ちすぎて、もう賭けになってねぇ」


「百倍か」


俺は返された紙幣を男に見せる。


「じゃあ、仮に知り合いがこの手持ちを全部俺に賭けたら、いくらになる?」


「それくらい自分で計算しなよ……六百四十万セルだ」


「ろ、六百四十万!?」


思わず大きな声が出た。とんでもない額だ。これで、三号に約束した金と地位と女のうち、金は解決だ。まさか、こんなに早くうまくいくとはな。


そう思った矢先。


「さぁ、本日最後の試合だ! 挑戦者、バン選手! 対するは絶対王者、リクノ選手! リクノ選手、これに勝てば百勝達成だ!」


レフェリーの声が響いた。


やばい、もう行かないと。


俺は慌ててイオンに紙幣を握らせる。


「悪いけど、賭けの方頼む。もう全ぶっぱでいいからな」


そのまま舞台へ向かおうとしたところで、そっと袖をつかまれた。振り返ると、イオンが何か言いたそうに俺を見上げていた。


「バンさん……」


「そんな心配するなって」


俺は笑って、彼女の指をそっとほどいた。


「絶対勝つから。もちろん……パーペキにな」


俺は親指を立ててみせ、そのまま舞台へ向かった。


***


さて、どのオーブを使うか。


階段の手前で、俺はライターを取り出した。


腕力を上げるものはいくつかあるが、やりすぎれば目立つし、手加減して負ければ一文無しだ。


なら、あれがちょうどいいな。


側面の目盛りを合わせ、親指で着火ホイールを回す。ライターの先端に、淡い青色の球体が浮かび上がった。周囲をうかがいながら、それをこっそりつまんで口へ放り込む。


「おい、おやつ食ってんじゃねぇ。さっさと上がってこい」


ばれていた。だが、怪しんでいる様子はなさそうだ。


「悪い、悪い」


軽く片手を上げて舞台へ上がる。そのまま中央の白い台の前に立つや、リクノが鼻で笑ってきた。


「やれやれ……記念すべき百勝目の相手が、こんな貧相な男とはな。これじゃ盛り上がらねぇ」


ずいぶんと余裕だ。


「そういう偉そうなことは言わない方がいいぞ。負けた時、恥ずかしいから」


「はっ。最強の俺様が負ける? 笑わせるな。てめぇごとき、軽くひねりつぶしてやる」


「はぁ……いかにも、ぽっと出の噛ませキャラが言いそうなセリフだな。むしろ、すがすがしいまである」


その一言で、リクノの目尻がぴくりと動いた。


「何だと?」


鋭い視線がこちらへ突き刺さる。


そのとき、レフェリーが割って入った。


「さぁ、話はそこまで! 両者、手を組んで!」


リクノは舌打ちし、丸太のような腕を台へ叩きつけた。みしり、と嫌な音が鳴る。


「てめぇなんぞ、一秒で片づけてやる」


一秒。


……まずいな。煽りすぎたか?


このオーブは、相手に触れてから効果が出るまで時間がかかる。まともに始められたら、効く前に負けちまう。


勝負が始まってから、ほんの少し待ってもらわなくては。


だが、素直に言うことを聞くような奴じゃないしな。


俺がなかなか腕を出さず、周囲をきょろきょろしていると、観客席から「何やってんだ!」だの「早くしろ!」だのと容赦ないヤジが飛んできた。


その中で、リクノだけは余裕たっぷりに笑っていた。負けることなど、これっぽっちも考えていない顔だ。


待てよ……こいつなら、もしかして。


俺は両手を上げ、指を十本立ててみせた。


「十秒だ」


「あ?」


「俺に十秒だけくれ。それだけあれば、お前に勝ってみせる」


「ふん。たった十秒でどうにかなるわけねぇだろう」


「いーや、勝てるね。それとも怖いのか? 最強の男が聞いてあきれるな」


リクノの眉間が、ぴくりと跳ねた。笑みが消え、鋭い視線がこちらへ突き刺さる。


「舐めんじゃねぇ。いいだろう、待ってやる。だが、勝てなかった時には覚悟しろよ。その腕、へし折ってやる」


馬鹿で助かったぜ。


ほっと息をつき、俺はリクノの手を握った。その瞬間、とんでもない圧迫感が掌から腕へ伝わってくる。まともにやれば、まず勝てなかっただろう。


レフェリーが俺たちの手に軽く触れ、位置を確かめる。


闘技場のざわめきが、少しずつ引いていく。さっきまで飛び交っていた罵声も、足を踏み鳴らす音も止み、会場中の視線が台の上へ集まった。


「それでは参ります――」


「レディィィ……ゴー!」


次の瞬間、闘技場が爆ぜるような歓声に包まれた。俺は全身の力を腕に込める。だが、思った通り、リクノの腕はびくともしなかった。


「どうした! もう始まってるぞ!」


リクノは涼しい顔で、こちらの力を軽々と受け止めていた。わざと俺の腕を少し押し倒しかけては戻し、余裕を見せつけてくる。


「おいおい、相手になってねぇぞ!」


「リクノ、さっさと終わらせろ!」


観客席からは、俺を笑いものにする声ばかりが飛んでくる。

誰も俺が勝つとは思っていない。むしろ、どれだけ無様に負けるかを楽しんでいるようだった。


「――もうすぐ十秒だ。覚悟はいいか?」


リクノはにやりと笑い、勝負を決めにかかる。


しかし、次の瞬間、組み合った腕がぴたりと止まった。


ほんのわずか、会場の空気まで止まったような間。


そして――


ぱたり。


リクノの腕が、後ろへ倒れた。


「……え?」


しんと静まる観客席のあちこちで、そんな間の抜けた声が上がった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ