シーン14 はじめての町
右手に広がる海を見下ろしながら、崖沿いの道を下っていく。
頭上では、世界樹の巨大な枝葉が空を覆っている。けれど、その隙間から差し込む日差しは強く、額には汗がにじんでくる。時折海から吹いてくる風が、火照った肌に心地いい。
町が近づくにつれ、道幅は少しずつ広がり、行き交う人の姿も増えていった。荷を背負った旅人や荷車を押す商人に混じって進んでいくと、やがて前方に木材で組まれた大きなアーチが見えてきた。上部には「ようこそ、ポート・ソレイユへ」と刻まれている。
ようやく着いたな。
ふぅと息を吐き、額の汗をぬぐう。
「イオン、疲れてないか?」
そう聞くと、彼女は「大丈夫です」と返し、俺の袖をぎゅっとつかんできた。
「はぐれないように気をつけろよ」
軽く声をかけ、人の流れへ足を踏み出す。
アーチの先には、露店がずらりと並んでいた。見たことのない果物や色とりどりの魚、みずみずしい野菜がぎっしりと並べられている。
あちこちの店先から威勢のいい呼び込みが飛び、通り全体が熱気に包まれていた。
隣では、イオンが落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見回していた。誰かが近くを通るたびにびくりと肩を跳ねさせ、そのたびに袖をつかむ手に力がこもる。
ゆっくり見て回りたいところだが、この人ごみじゃ無理か。
ひとまず人の少ない方へ抜けよう。そう思って足を速めかけたところで、ふいに袖がくいっと引かれた。
振り返ると、イオンが土産物を並べた露店の前で足を止めていた。
白い花の髪飾り、貝殻のアクセサリー、小さな置物。無造作に並べられた品々に、すっかり目を奪われている。
「イオン、行くぞ」
声をかけてみるが、返事はない。
無理に引っぱるのも気が引けて、俺はそのまま待つことにした。
手持ち無沙汰に辺りを見回していると、少し離れた露店の前に、淡く光る緑の石が木箱いっぱいに積まれているのが見えた。
あれは、キカイ石か。
店主が天秤で石の重さを量り、大きな袋へ詰めていく。孤児院で子供たちが摂っていた量より、ずっと多い。客は手際よくそれを荷車に積むと、人混みの中へ消えていった。
その後も客足は途切れず、袋いっぱいの石が次々に売れていく。
あんな大量に使っていて、この星のキカイ石はなくならないのか?
そんなことを考えていると、背後から「バンさん」と小さな声がした。
どうやら、もう満足したらしい。
俺たちは再び、人でにぎわう通りへ戻った。
イオンはまだ袖を握っているが、さっきほど力は入っていない。どうやら、少し人混みに慣れてきたらしい。
それはいいのだが、余裕が出たせいか、今度は店先を通るたびに足を止めるようになってしまった。目を離すと、すぐに別の露店へ吸い寄せられていく。
おいおい、このままだと日が暮れちまうぞ。
そんな調子でなかなか進めないまま、ようやく通りの角までたどり着く。
そこを曲がった瞬間、思わず足が止まった。
「何だ? あれ……」
桟橋に、桁外れに大きな船が停泊していた。
白く塗られた木製の船体には豪奢な装飾が施され、甲板の左右から張り出したいくつもの支柱には、巨大なプロペラが規則正しく取り付けられていた。鋼の羽根が、陽光を受けてぎらりと光っている。
「あれは……オーシアスですね」
イオンは船を見上げたまま答えた。
「オーシアス?」
「はい。リオレス唯一の飛空艇です」
「飛空艇? へぇ、あんな馬鹿でかいのが空を飛ぶのか? なかなかすごい技術を持ってるじゃないか。飛んでるところは見られないのか?」
「普段は飛ばないんです。お祝いの時だけ。次に飛ぶのは……五日後です」
「五日後? 何かあるのか?」
イオンは小さく「はい」とだけ答え、うつむいてしまった。
いや、何の祝いなんだ?
もう一度聞こうとしたが、その横顔が妙に沈んでいるのを見て、言葉を飲み込んだ。
「そうか」
とだけ返し、もう一度オーシアスを見上げる。
よく見ると、支柱とプロペラをつなぐ部分には、大きな透明の球体がはめ込まれていた。淡い緑色の光を放ちながら、ゆっくりと脈打つように輝いている。
――あれって、もしかしてイグナイトか?
孤児院で見せてもらったものとは全然違う大きさだ。
この星の技術でどうやって船を浮かすのかと思ったが、なるほど、あの超文明の代物のおかげか。
技術が進んでいるんだか遅れているんだか、分かったもんじゃない。
やっぱりおかしな星だな。
そんなことを考えながら巨船を眺めていると、不意に、ぐぅ~~、という音が聞こえてきた。
隣に目をやると、イオンがお腹を押さえたまま俯いていた。耳まで赤くして、こちらと目を合わせようとしない。
重い空気が少しだけほどけた気がして、思わず笑みがこぼれた。
「腹が減ったな。何か食べないか?」
イオンは何も言わず、小さく頷いた。
***
さて、どこにするか。
食べ物の屋台がずらりと並ぶ通りを、あれこれ目移りしながら歩いていく。すると、イオンが一軒の屋台の前で足を止めた。
網に並んだ肉串がじゅうじゅうと音を立て、焼き色のついた表面から脂を滴らせている。香ばしい煙の向こうでは、眉間に皺を寄せた大男が、無言で串を返していた。
「ここでいいのか?」と聞くと、返事の代わりに、ぐぅ~~、という腹の音が返ってきた。
またか、とつい頬が緩む。
そのまま立っていると、大男がこちらを見た。
「……買わねぇのか?」
「ああ、悪い。そうだな……」
屋台の横の札には、「シードルの串焼き」と書かれている。
シードルって何だ? 牛か? 鳥か?
名前だけでは、どんな生き物なのかさっぱりだ。
とりあえずイオンの分だけでいいか。
「一本くれ」
「……六百セルだ」
セル。
この星の通貨単位か。もちろん、聞いたことはない。
だが、こんな時のためにイオンを連れてきたんだ。
「イオン、支払いお願いできるか?」
「は、はい」
慌てて財布を開いたイオンは、硬貨を一枚つまみ上げたところで固まった。首をかしげ、別の硬貨を手に取るが、それも違うらしい。
おいおい、大丈夫なのか?
「分からないなら、いっそ全部渡しちまえばいいんじゃないか?」
小声で助言すると、彼女ははっとして財布を逆さまにした。受け皿に散らばった硬貨を一瞥し、店主がぼそりと言う。
「足りねぇな」
なに? 肉串一本も買えないのかよ。
オビィの野郎、騙しやがったな。なーにが「せっかくだから楽しんできなさい」だ。こんなはした金で何を楽しめっていうんだ。
内心で文句を言っていると、イオンが財布の奥から一枚の紙を取り出した。
「これは……どうですか?」
おずおずと差し出されたそれを、店主は無造作に受け取り、釣りらしき硬貨を数枚返してくる。
……なんだ。ちゃんと入ってたのか。
へぇ。あんな薄い紙切れが、重たい硬貨より高いのか。材料だけ見れば、硬貨の方がよほど価値がありそうなもんだが。
そんなことを考えていると、店主が肉串を二本差し出してきた。
「あれ? 一本って言ったはずだが」
「サービスだ」
店主は表情を変えずに言った。
「へぇ、見た目の割に、気が利くじゃないか」
ありがたく肉串を受け取り、一本をイオンに渡す。嬉しそうに目を細めた彼女は、さっそく串を口へ運ぼうとした。
「いただきます」
「ああ、違う違う。こういう時はな。いただきマンモスって言うんだ」
「ま、マンモス……?」
聞き慣れない言葉に、イオンが目をぱちぱちさせる。
「そうそう。今はやりの言い方だぞ。知らないのか?」
「わたし、あまり外に出たことがないので……」
「そうだったな。じゃあ、今のうちに覚えておくといいぞ。いただきマンモスだ。さぁ、言ってみな」
少し迷ったあと、イオンは「いただきマンモス……」と遠慮がちに口にした。
「そうそう。いい調子だ。あとは、もっと元気よく言えると完璧だ」
彼女は恥ずかしそうに小さく頷くと、肉串を頬張った。途端に、その口元がふわりとほころぶ。
「美味しいです」
「良かったな」
そう言って、俺も肉串にかぶりつく。焼けた表面がぱりっと裂け、熱い肉汁がじゅわっと口の中に広がった。
美味いな。だが、何というか、何かが足りない。
ふむ、何だろうな……そうだ。甘みだ。甘みが足りないんだ。
俺は屋台の奥にいる店主へ目を向けた。
「なあ、これにつける甘いシロップとかないのか?」
「あるわけねぇだろ」
即答だった。
「砂糖でもいいんだが」
「さっさと失せろ」
店主の眉間の皺が、一段と深くなる。
何だ、変な奴だな。
これ以上言っても無駄そうだ。
「イオン、行こう」
振り返ると、彼女は肉を頬張ったまま、店先の張り紙に目を留めていた。
「何だ? それ……」
横から覗き込むと、そこにはこう書かれていた。
――円形闘技場・挑戦者募集――
本日より二週間、当日参加可能。
勝った者には十万セルを進呈。
―――――――――――――――
「十万セル!?」
大きな声に、イオンがびくりと肩を震わせた。
「いいじゃないか!」
「でも、何をするのか書いてません……」
「何だっていいさ。行ってみようぜ」
「えっ?」
イオンの目が丸くなる。手にしていた肉串を落としかけ、慌てて握り直した。
「行くんですか? 闘技場なんて、危ないんじゃ……」
「大丈夫、大丈夫。俺に任せろ。あ、いや、任せてちょんまげ」
「ち、ちょんまげ……?」
「これも流行りの言葉だ」
俺はにやりと笑い、残りの肉串を一気に食べ終えると、気が進まなさそうなイオンを促し、円形闘技場へ向かって歩き出した。




