シーン12 星々の記憶
「無理です!」
思いがけないほど強い返事に、俺は思わずたじろいだ。
ことの始まりは、今日の朝食まで遡る。三号との約束を思い出した俺は、金と地位と女を手に入れるにはどうすればいいか、できれば一週間以内で、とオビィへ相談した。だが、返ってきたのは「舐めんじゃないわよ」のひと言だけだった。
それでも食い下がると、「町で仕事でも探すのね」と冷たく突き放されてしまった。働くなんて、まっぴらごめんだというのに。
とはいえ、このまま何もしないわけにもいかない。面倒だが、手がかりを探すなら町へ行くしかなさそうだった。ただ、俺はこの星のことを知らなすぎる。ひとりで町へ出るには、さすがに心許ない。
オビィには忙しいからと断られ、子供たちを連れて行くわけにもいかない。となれば、残る候補は一人だけだった。そういうわけで、浜辺に腰を下ろしていたイオンを見つけ、声をかけたのだが――返ってきたのが、今の「無理です!」だった。
「そんなこと言わずにさ。イオン、暇だろ?」
「無理です。怖いです」
イオンは膝を抱え、胸元のロケットをぎゅっと握っていた。こちらを見ようとせず、視線を砂浜へ落としたまま、小さく肩を縮めている。
「昨日、あんな危ない崖を通って洞窟まで行ったじゃないか」
「それは……人が、少なかったから。町は、無理です」
なるほど。町自体ではなく、人の多い場所が駄目なのか。だが、こちらにも事情がある。ここであっさり引き下がるわけにはいかない。
仕方ない。いつもの手を使うか。交渉に必要なのは、理屈でも金でもない。粘り強さだ。
俺はそっとイオンに顔を寄せ、耳元で囁いた。
「お願い、お願い、お願い、お願い、お願い、お願い……おねがーーい」
「や、やめてください。無理です。無理ですから」
イオンはますます身を縮めた。
くそっ、なかなかしぶとい。ならば、もう一度だ。今度は砂浜に膝をつき、そのまま深々と頭を下げる。
「お願い、お願い、お願い、お願い、お願い、お願い……」
「無理です、無理です、無理です、無理です、無理です、無理です……」
まさか、同じ手数で返してくるとは。意外と頑固だな。
しょうがない。少し時間はかかるが、腰を据えて説得するしかない。俺はその場にあぐらをかいた。
「昨日も言ったけど、俺、記憶喪失なんだ。町がどっちにあるのかも分からないし、たどり着いたところで、どこに何があるのかさっぱり分からない。ひとりじゃどうしようもないんだ」
「わ、私も……町なんて、行ったことないです」
「でも、話で聞いたことくらいならあるんじゃないか? どこに何があるかとか、町では何に気をつければいいとか。それだけで十分助かるんだが」
「無理です。怖いです」
イオンは大きく首を振った。
「怖いって、町に行くだけで何がそんなに怖いんだ?」
「そ、それは……怒鳴られたり、連れていかれたり……最悪、こ、殺されたり……」
どんな町だよ。
「大丈夫だって。変な奴が来たら、俺が追い払ってやる。化け物が出る洞窟よりは、まだ安全だろ?」
「……ごめんなさい」
それきり、イオンは唇を引き結び、砂浜を見つめたまま黙り込んでしまった。
思っていた以上に、怖がってるな。考えてみれば、十八年も城の外に出たことがなかったと言っていたしな。いきなり人の多い場所へ行くと思えば、身構えるのも当然か。
……ここまで嫌がっているのに、無理に連れていくわけにもいかないな。
「分かった。外の世界に興味があるように見えたから、一緒に来てくれると思ってたんだ。しつこくして悪かった」
そう言って腰を上げ、その場を離れようとしたところで、袖が後ろへぐっと引かれた。振り返ると、イオンがうつむいたまま俺の袖を掴んでいた。
「どうした?」
返事はない。
「イオン? 離してくれないか?」
もう一度尋ねると、少し間を置いて、か細い声が返ってきた。
「……私も、行ってみたいです」
「なんだ。そうか。じゃあ、一緒に行こう!」
「無理です」
えっ?
「じ、じゃあ、やめておくか?」
彼女は小さく首を振った。
「それじゃあ、一緒に行くか?」
今度も、彼女は黙って首を横に振った。
どういうことだ?
だんだん怖くなってきて、俺はそっと袖を引いてみた。けれど、イオンの指は布地に食い込んだまま離れない。
「あ、あの、イオンさん? 結局……どうしたいの?」
恐る恐る聞くと、彼女はぽつりと答えた。
「町は……怖いです。でも……行ってみたいんです。一度だけでいいから……」
……どうしろと。
そう言いかけて、口をつぐむ。
まあ、行きたいって言うなら、何とかしてやりたいところだ。
問題は、人が多いことじゃない。人が多くても大丈夫だと、イオンに思わせられるかどうかだ。
だったら、その不安を吹き飛ばしてやればいい。こんな未開惑星で使うのは本来なら御法度だが、ばれなきゃいいよな。
「よし、分かった。それじゃあ、特別にいいものを見せてやる」
怪訝そうに首を傾げるイオンを横目に、懐へ指を滑り込ませる。取り出したのは、表面に細かな傷のついた銀色のライターだ。
「それ……なんですか?」
「まあ、見てな」
蓋を弾くと、きんという乾いた音が浜辺に小さく響いた。
さて、どの星にするか。町へ行くなら移動手段がいるな。なら、あれがちょうどいいか。
側面の目盛りを合わせ、親指で着火ホイールを弾く。
しゅぼっ。
ライターの先に、黒い空間がふわりと広がった。その中で無数の星がまたたき、中心から、直径一センチほどの淡い桃色の球体が浮かび上がる。
「う、浮いてる……」
イオンは目を丸くし、ライターの上に現れた球体をじっと見つめた。
「こいつはスター・オーブという。舐めると、別の星で起きたことを、自分の記憶みたいに追体験できるんだ」
「追体験……」
「ああ、そう言われてもピンとこないか。そうだな……物語やおとぎ話の中に、自分が入り込むようなものだ。だが、作り話じゃないぞ」
イオンは何か言いかけて、唇を閉じた。聞きたいことが多すぎて、どこから聞けばいいのか分からない。そんな顔だった。
「まあ、見せたほうが早いな」
宙に浮かぶスター・オーブへ顔を寄せ、そのまま口に含む。
舌の上に甘さが広がる。それとほとんど同時に、桃から生まれ、鬼退治の旅へ出て、犬と猿と鳥を仲間にした記憶が、一気に頭へ流れ込んできた。
……相変わらず、こいつら団子一つで命張りすぎだろ。
そんな突っ込みを入れつつ、しばらく待つ。
そろそろいいか。
周囲を見渡すと、少し先の浜辺で巨大な鳥が羽根を休めていた。昨日断崖で見た、あの美しい鳥だ。陽光を受けた青と白の羽根が、波打ち際できらきらと光っている。
あの大きさなら二人で乗っても十分そうだな。
「ちょっとここで待っててな」
呆然としているイオンをその場に残し、足音を殺して鳥に近づいていく。幸いこちらを気にする様子はない。
手が届くところまで来て、青と白の羽根へそっと手を伸ばす。柔らかな羽毛に指先が触れた、その瞬間、鳥が勢いよく振り向いた。その目には、はっきりと怒りが浮かんでいる。
まずい。なんで効かない。
巨大なくちばしが開き、ばさりと翼が広がる。
やられる――
そう思った矢先、その目つきがふっと和らいだ。広げていた翼もゆっくりと畳まれ、そのまま大人しく頭を下げる。
なんだ、驚かせやがって。
「よしよし。いい子だ」
首元を軽く撫で、そのまま羽毛を掴んで背中へまたがる。脇腹をかかとで軽く叩いてみると、鳥は素直に歩き出した。
元来た方へ戻っていくと、彼女はぽかんと口を開けてこちらを見ていた。
「ど、どうやったんですか、それ……」
「驚いたか? これがスター・オーブの力だ。星の記憶を追体験すると、そこに結びついた力も少しの間だけ使える。今なら、たいていの生き物は手なずけられるってわけだ」
「あ……ありえません……」
「そうか? この世に、ありえないなんてことはないぞ。例えばこの星では、人間、神族、魔族が同じ世界で暮らしているだろ? イオンには当たり前でも、他の星の奴から見れば、それだって十分ありえない話かもしれない」
イオンの目が、鳥と俺の間を何度も行き来している。
まあ、理解できなくても構わない。今大事なのは、そこじゃない。
「どうだ、すごいだろ? オーブは他にもいろいろある。文字通り、星の数ほどな。たとえ町で何が起ころうと、この力で何とかしてやれる。もう怖くないだろ?」
「……はい」
声は小さかったが、確かに頷いた。
「じゃあ、決まりだ!」
鳥に合図すると、巨大な首がイオンへ伸びた。そのまま襟をくちばしでくわえ、小さな体を軽々と持ち上げる。
「きゃっ!? お、下ろして……下ろしてください……!」
宙ぶらりんになったイオンが慌てて手足をばたつかせる。だが、鳥は意に介さず、そのままひょいと背中へ乗せた。
「大丈夫だ。もう味方だから」
「み、味方……?」
彼女はおそるおそる鳥の目をうかがった。鳥は喉の奥で小さく鳴いた。まるで褒めてもらうのを待っているようだ。
「な? 悪いやつじゃないだろ?」
「……はい」
「それじゃ、出発だ! しっかり掴まってろよ!」
「えっ、私、まだ行くなんて――」
彼女が言い終えるより早く、鳥が大きく翼を広げた。
次の瞬間、体がふわりと持ち上がる。足元の砂浜がみるみる遠ざかり、頬を撫でる風が一気に強くなった。そのまま岸辺を離れ、俺たちは朝日にきらめく海へ向かって飛び立っていった。




