第15話 チョコシューをどうぞ
「はい七海さん」
「ありがと」
空になった七海さんのグラスにサイダーを注ぎ足すと、氷の溶け切ったグラスの中でシュワシュワと控えめに音を立てながら気泡が弾けていく。
「ハル、わたしも」
「まだ残ってるだろ」
「……ん」
「麻央。あんま飲み過ぎると——」
「重くない」
「まだ何も言ってないだろ……」
身体冷やすから心配してんのにいつまで根に持ってんだ。
小柄でも中学生女子が全力で体重をかけたら誰だって重く感じるだろうに。
リビングの時計に目を向ける。夕方五時を回っていて、あともう一頑張りしたら解散と言ったところだろう。遅くなる前に七海さんを家まで送らないといけない。
「何時から再開する? 帰りの時間も考えるとゆっくりし過ぎると遅くなっちゃうし……それとも今日はこれ食べたら解散する?」
「私は大丈夫。さっきお母さんに遅くなるって電話したから」
「こんなに早く解散って、ハルやる気ある?」
「勉強道具も出さずにゲームしてたのはどこのどいつだっけ?」
ゲームをしながら散々妨害してきた奴には絶対に言われたくない。
「じゃあこれ食べ終わったら勉強再開で。麻央は今度こそ真面目に勉強するんだぞ」
スナック菓子の袋を開け広げて何個か口に放り込む。濃いめの味のスナックとサイダーはよく合う。
「……」
「……」
「これおいしいな。スモーキーベーコンだって」
「知ってる」
「私も後でもらうね」
「お、うん……」
「……」
「……」
僕が早く勉強を再開したいのにはもう一つ理由がある。
勉強中は夢中で全く気づかなかったが、何故かとんでもなく空気がピリついているのだ。
こうして二人に話題を振っても、返ってくるのは最低限だけでちっとも場が盛り上がらない。勉強で疲れた頭をリフレッシュさせるための時間のはずなのに、普通に勉強する何倍も精神的に疲れる。
七海さんはともかく、好き勝手し放題の麻央も機嫌が悪いのは理解不能。普段ポーカーフェイスのくせして身に纏う空気で不機嫌を主張してやがる……。
お菓子もジュースもあるのに一体何が不満なんだ。
「楠君は引退してから環境委員会に顔出した?」
「へ? 環境委員会?」
「そう。委員会」
思わぬタイミングで想定外の話題を振られたので間の抜けた返事をしてしまった。
任期を終えてから結構経っているのに、なんで今更委員会の話題を?
ものすごく明るい調子で話しかけてきたのに妙な迫力があるというか……圧迫感を感じるのはどうしてだ?
「顔は出してないかな。後輩とすれ違うと挨拶されるから返す程度だよ」
「あ、そうなんだ〜。私も引退してから全然顔出せてないんだよね〜」
七海さんが食い気味で応える。なんか物凄く被せてきたな。まるで僕がどう答えても次を準備していたかのようだ。
「それでね。二年生の女の子達が会いたがってるんだって」
「誰に?」
「私達に」
てことは僕達三年生か。
「会いたがってるねえ……行くとしても冬休み明けのテストが終わってからかなあ」
「うん。私もそれでいいと思う。時間合わせて二人で行こうよ。二人で」
ん? なんで二人って二回言ったんだ?
「二人? 平山もじゃない?」
「平山さんはどうせ誘っても来ないよ。サボリ魔だし」
「確かに」
ただでさえ活動中も真面目に仕事をしている方が少なかったのに、引退後にわざわざ顔を出すとは到底思えない。
「ね? テストが終わったら二人っきりで行こ。二人で」
また二回言った。
「まあ平山だしなあ……この際仕方ないか」
「仕方ない?」
「いやいや全然全然! 楽しみだなー!」
一瞬時間が止まったかと思った……よくわからないタイミングで七海さん凄むんだもんなあ。心臓に悪過ぎるよ……。
「ハルこれ見て」
「わ!? 麻央!?」
「小鳥遊さん……!」
いきなり目の前にゲームの画面が押しつけられる。
どうやら麻央が後ろから覆い被さって携帯ゲーム機の画面を見せてきたようだ。
「さっきの宝珠で作った」
「すごっ! これ動画で見たことある装備だ」
「覚醒スキル発現率二倍だって」
「マジか!」
このゲーム自体は僕はまだプレイしてないけど、同じシリーズの過去作なら二、三本やったことがある。モンスターを倒して装備を作って、さらに強いモンスターと戦っていくアクションゲーム。麻央が見せてきたのはシリーズでも屈指の強力な装備だ。
「うわ。しかも全属性耐性あんじゃん」
「宝珠集めるのちょー大変だった」
「すごいけどそろそろ勉強しような」
「これ食べたら頑張る」
ゲームがスリープモードに切り替わり、麻央がゲーム機をテーブルの上に置く。
「麻央? あのさ」
「?」
「腕外して欲しいんだけど」
ゲーム機を手から離しても麻央の腕は僕の首に巻き付かれたままだ。それどころかゲーム機がなくなって更に密着度が上がっている。
「休憩終わったらでいい?」
「よくない」
「からの〜?」
「よくないったらよくない。お菓子食べにくいから離れろ」
「そう言われると逆に離れる気なくなる」
「なんだと〜!?」
とんだ天邪鬼だ。麻央の奴、普段はベッドの上から全然動かないくせに、なんで今日はこんなに纏わりついてくるんだよ。
ただでさえ麻央の身体が昔と全然違うのを知ったばかりだし、七海さんにはずっと見られてるし……。
「ハルぅ、お菓子食べたい。あーん」
「離れて自分で食べろ!」
「たーべーさーせーてー」
「麻央なんか今日変だぞ?」
僕の言い分なんてお構いなしに麻央が口をあけて顔を近づけてくる。
根負けして適当にお菓子を手に取ろうとすると、
「はい小鳥遊さん」
「もご」
七海さんが麻央の口にチョコ菓子をプレゼントしていた。
「……ハルこのお菓子美味しくない」
「それいつも僕から奪ってるやつだろ」
僕も昔から好きでキッチンの戸棚に常備しているものだ。奪ってまで食べるくせに美味しくないと思ってたなんて、いくらなんでも嫌がらせに身体張り過ぎだろ。
「小鳥遊さん、私の方が食べさせやすい場所にいるから食べさせてあげるね」
「ハ〜ル〜」
「どうしてこのタイミングで僕に振るんだよ……」
せっかく七海さんが食べさせてくれるって言ってるのに、絶体絶命のピンチみたいな顔をする意味がわからん。
「楠君も食べさせてほしい?」
「遠慮します……」
口の中に入っていたものを飲み込むと、麻央はもそもそと僕から離れた。七海さんの遠回しな『勉強再開』というメッセージを察したのだろう。
それにしてもさっきの七海さんはとんでもない早業だった。いつの間にか麻央の口にお菓子が入ってたもんな。
「あーっん」
僕と目が合うと、七海さんは小さいチョコシュー美味しそうに食べた。どうやら七海さんはチョコレートが好きみたいで、スナック菓子にはほとんど手をつけていない。
そういえば前に何度かお菓子をもらったことがあるけれど、いずれもチョコが絡んでいたような……。今後勉強を教えてもらう時は何かかしらチョコ菓子を持っていくようにしようかな。
指についたチョコを控えめに舐め取る七海さん。意外な子供っぽい仕草を見つけてしまって、ちょっとした優越感を僕は感じていた。
学校じゃあまり目立たない女の子の素顔の部分というか、他の誰も知らないようなことを僕だけが知っている。
それだけで僕は七海さんとの間に言葉ではうまく説明できない『特別』を感じてならない。
素顔はかなり可愛いかもしれないとか、目が大きいだとか、運動神経が良くて足癖が悪くてチョコレートが好きだとか。
七海さんは僕との思い出がほしいと言ってくれたけど、これまでのことだけでも僕にとっては大切な思い出だ。
七海さんが欲しい思い出とはなんなんのか……僕の頭はそればかり考えていた。




