第14話 邪魔 邪魔
人間誰しも変わりようのない日々の中で、ちょっとした感動や喜びを感じ取るのが、生きていく上で大事だと文化祭が終わったあたりからよく考えるようになった。
例えば夕ご飯を少し奮発したりとか、早朝にジョギングする日課だったり、とにかくなんでもいいからプラスな気持ちになれるものが必要だと。
受験勉強に追われ続けるように、社会人になったら何十年も仕事に追われ続けなければならない。
何か一つでも自分らしくなれる時間、羽を伸ばせる瞬間さえあれば、勉強づくめの毎日とも正面から向き合える気がするのだ。
僕も何気ない毎日のちょっとした感動や楽しみを大切にしなければと思う。
「楠君、そこ漢字間違ってるよ」
「ね〜。ハル〜」
「……なぜだ」
どうしてこうなったと頭を抱えずにはいられない。
失ってから気づく平凡の大切さ。
僕は今、平凡とはあまりにかけ離れた状況に置かれている。
「ここの問題大事だよ。これからの基礎になるから」
端的に纏めると、放課後に僕の家で七海さんに勉強を教えてもらうはずだったんだけど、麻央がいきなり押しかけて来たのだ。
『じゃあわたしも』と有無を言わさず上がり込んできて、問題集どころか教科書も出さずにゲームを始める始末。
「楠君?」
「あ、ごめん……」
七海さんから並々ならぬプレッシャーを感じる。それも当然か。
勉強するためにここまで来てくれたのに、無理やり押しかけといてゲームを始める場違いな奴がいるのだから。
麻央には後でキツめの説教をしなければならない。反省するかは別として……。
「ちゃんと集中して?」
「は、はい」
「楠君のためにやってるの。わかってる?」
「それはもう」
でもなぜか七海さんの矛先が僕にしか向いてない気がする……幼馴染なら麻央のことちゃんと管理しろって思ってんのかなあ。
そんなの絶対無理に決まってるのに。
「ハル〜。こっち、ちょっとこっち来て」
「ごめん麻央、今難しい問題解いてるから構ってられない」
「あ、そうそう! さっきの公式を使って解くんだよ。邪魔な記号をどかせばさっきの問題にも応用できるから」
「おー! なるほど!」
問題集の上をスラスラと軽快にペンが走る。
七海さんの教え方がとても的確だからいつも以上に勉強が捗っている。なんというか、頭の中に直接学力を注ぎ込まれているというか、植え付けられている感覚だ。正直、学校の先生なんかより全然わかりやすい。
「次の問題は二ページ前の問題と逆のことをするんだよ。ほらここ」
「そっか!」
「楠君その調子! 邪魔な数字や記号が消えてスッキリするでしょ?」
七海さんが嬉しそうに手を叩く。
麻央のゲーム音がかなり大きいけど、そんなのは気にならないほど勉強は順調だ。
今日は人数が多いのもあって、僕の部屋じゃなくて一階のリビングで勉強会を開いている。
客人の七海さんと麻央は背もたれのあるソファーで、僕は背もたれのないクッション性の高い椅子に座っている。二人と向かい合うはずだったんだけど、麻央はリビングの隅に座ってゲームに没頭している。
せっかく準備したってのに、本当に何しに来たんだと呆れてくる。
結局七海さんとのワンツーマン。麻央はもうゲームでもなんでも好きにさせとけばいいだろう。
こっちから邪魔をしなければ危害は加えてこないだろうし——。
「ハル、少し詰めて」
「ま、麻央!?」
「っ!」
次の問題に取り掛かろうとした途端、背中全体に何かが押し付けられた。
「座れないから詰めて」
「おい、座るならこっちじゃなくてソファーにしろ。こっち一人用で狭いんだって」
「わたしとハルなら大丈夫」
「んなわけあるか!」
僕の言い分もお構いなしに麻央が背中をグリグリ押し付けてくる。
時折髪が首筋や身も元に当たってくすぐったい。何が目的なのか知らないけど、僕の唯一の領域に入り込まないでほしい。
「あ。宝珠ドロップした」
「知るか! いいからやめろって! 重い!」
押し返そうにも麻央が上を取っているせいで上手く力が入らない。不意打ちされてなければ簡単に押し返せたのに。
「小鳥遊さん、もう少しで休憩にするから邪魔しないで少しだけ待ってもらえる?」
「そうだぞ麻央、勉強しろ」
七海さんが出してくれた助け舟にすかさず乗り込む。
構ってやれないのは少しだけ悪いと思うけど、今日は元々勉強のために集まっているのだ。空気を読まずにゲームをした挙句、場を乱そうとするのであれば七海さんに注意されるのも当然だ。
「ん。ここで待ってる」
「な……! それじゃ僕が勉強しにくいだろ。邪魔ばっかしてないで大人しくしてくれ」
「邪魔じゃないもん」
指摘されても麻央は依然寄りかかったままだ。
「小鳥遊さん……」
最悪だ……七海さんめちゃくちゃ困ってるよ。
麻央の奴、文化祭以降少しは精神的に大人になったと思ったのに、根っこの部分どころか浅いところすら変わってない。
「ほらハル、勉強なんかさっさと終わらせて休憩しよ。わたしカルピスソーダがいい」
「あのな……」
僕が麻央を引き剥がそうと腕を後ろに回そうとした瞬間、一瞬空気が張り詰めたような気がした。
……ところで七海さんは麻央が邪魔に入ってからずっと僕の足を踏んでるんだけど、いつになったら気づいてくれるのかな。
「小鳥遊さんお願いだから退いてあげて? 楠君も『重い』て言ってるし。可哀想だよ」
「いや僕は可哀想では——」
「ハルがわたしを重く感じるのはパワー不足なだけ。野球やめて運動不足なの」
「なんだと! これでも休みの日は朝と夕方にジョギング——」
「仮に小鳥遊さんが重くなくとも楠君が支えられない『重さ』なら退いてあげなきゃ。ね? 楠君」
「いだだだ! 七海さん痛い痛い痛い! 踏んでる踏んでる!」
こっちから足を離そうにも体勢が不十分なせいで思ったように動かせない。
「平気。ハルはこれを糧に強くなるから」
「いて! いったいって! この体勢で暴れるな! 頭振るな!」
背中を押しつけながら麻央が跳ねているのか、頭がガンゴン当たる。これじゃあ頭突きと大差ない
「小鳥遊さん止めてあげて? 楠君本当に嫌がってるんだよ? 小鳥遊さんは聞き分けがない子供じゃないよね?」
「うん。わたしはね。でもハルが離れたくないみたい」
「おま……! 勝手なこと……マジでこの体勢キツい! だんだん椅子からずり落ちてきてるし!」
麻央がデタラメを吹聴しながら更に体重をかけたせいで僕のスペースがいよいよ危うくなってくる。
「さっきから踏んでるって。ハルが痛いって。邪魔だって」
「麻央も早くどけ!」
「ごめんなさい! 楠君大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
だって七海さん謝ってるのに足を退けるどころかグリグリしてるし。
「困った。ハルを助けたいのに、わたしじゃ何もできない」
「白々しいぞ麻央」
「どうしよう……このままだと楠君が小鳥遊さんに潰されちゃう」
「七海さんも加担してるからね?」
足を踏んで動きにくくしてるのは他でもない七海さんだ。
「あーもう! 二人ともいい加減にしてくれ!」
「楠君! こっち! こっちおいで!」
ようやく足を退けてくれた七海さんが自分の隣をポンポンと叩く。
「〜〜っ! 攣った」
「え? 麻央? 足攣ったのか?」
「うぅ〜っ……! いたい〜」
「つまらない嫌がらせするからだよ。ほら、伸ばして」
床にぺたりと座り込んだ麻央に処置を施す。
野球部で何度も見た光景だが、まさか家の中で目にするとは思いもしなかった。日頃運動なんてこれっぽっちもしないから攣りやすいのだろう。それにしたって自業自得この上ない。
「あた」
背中を軽く小突かれる。
「……ん」
「七海さん?」
「私、お家に電話してくるね」
「あ、うん」
背中を向けたまま七海さんがリビングを出ていった。
少し怒っていたように見えたのはきっと間違いじゃないのだろう。
戻ってきたら謝らなきゃな……もちろん麻央も。




