第29話 傍にいてね
受付の訝しげな視線が少々気になったが、僕と美咲はお金を出し合って格安のビジネスホテルに入れた。お金はかろうじて足りたが、母さんから渡されている一ヶ月分の食費がほとんどなくなってしまった。今度顔を合わせた時にどう言い訳するか、今から億劫でしかない。
おぶってくれたお礼ってことで、美咲はシャワーを先に譲ってくれた。シャワーを浴び終えた僕はこうして部屋を物色しているのだけど……。
「お茶が二人分用意されているだけ……」
当然の如く高級バイキングはおろか、モーニングサービスもない。明日の朝はチェックアウトの時間前にここを出るだけ。
文字通り寝泊まりだけを目的としたサービスだ。そのおかげで安い料金で宿泊できるのだから贅沢は言えない。
バスルームから聞こえていたドライヤーの音が止まった。どうやら美咲も一息ついたようだ。
こんな事態になるとは思っていなかったから着替えを持って来なかったが、幸い部屋には二人分のバスローブがあったので遠慮なく使わせてもらっている。
ずぶ濡れになった服は浴室に掛けはしたが、絶対に朝まで乾かないだろう。
明日は乾ききっていない服を着なければならないのが今から憂鬱だ。
「お待たせ〜」
「あ、うん……」
バスローブ姿の美咲が反対側のベッドに腰を下ろす。
……もしかしてだけど、今の僕ってかなり羨ましがられる状況にいるのでは?
冷静になって考えてみれば、シャワー上がりの女子と寝室で二人きりって普通にとんでもないシチュエーションだよな。
「明日どうしよっか?」
「午前中の電車で帰って……とりあえず着替えないと」
「まあそうだよね。その後は?」
「なんかすごく疲れたからゆっくりしたい……でもなあ」
結局のところ問題は何も解決していない。海まで来て美咲と大喧嘩してずぶ濡れになっただけなのだ。
でもそれで美咲がいつもの調子に戻ってきたから来て良かったと思う。なぜかスリッパを手に持ち替えて今にも投げてきそうなのが物騒だが……。
「とにかく陽也くんは明日も一緒にいようよ。休みなんでしょ?」
「まあ、そうだけど」
もう一度栞に会いにいくつもりなのだろう。平静を装ってはいるが、内心不安でいっぱいなのが手に取るようにわかる。
僕が美咲の立場だったらとっくに逃げ出している。家族からの拒絶がどれほど怖いか、僕には到底想像できない。
気の利いた言葉もかけてあげられないけど、僕が一緒にいることで少しでも不安が和らぐのであればいくらでも傍にいよう。
「じゃ、明日向こうに着いたらあたしのおばあちゃんの家に行ってみようよ。着替えたいし」
「だったら一旦解散でよくない? 僕も着替えたいよ」
財布の中身も心許ない。こっそり貯めていたお小遣いを回収すれば行動範囲も少しは広げられる。
美咲は今は祖父母の家に住んでるからそれでいいけど、僕はそうはいかない。
「えー……」
「僕だけ濡れた服のままってわけにもいかないだろ。着替えて落ち着いてからまた合流しようよ」
「あたしの貸そうか? ほら、身長もそこまで変わらないし」
「そんなことはない絶対に」
自分で心の中で思うにはいいが、美咲から言われたのを認めるのはありえない。そう、これは絶対なのだ。
たかだか一センチ二センチの差であれ、身長差は身長差だ。
「なんで急にキリッとしてんの?」
「いつも通りだ」
「そうだ。あたしが陽也くんの服借りるのはどう?」
「……だめ。色んな意味で」
美咲は頭の上にクエッションマークが出てると言わんばかりに首を傾げた。
こうも距離感がバグっていると持ちネタなのかと思えてきた。
「美咲……あのさ、今みたいに簡単に異性に服の貸し借りするのってよくないと思うな。あとさっきのは状況が状況で仕方ないけど、おぶさってもらったりさ……」
距離感が近過ぎると男子はどう足掻いても意識してしまうのだ。美咲みたいな芸能人顔負けレベルならば尚更。
男の勘違いがエスカレートして、悪質なストーカーにでもなったら警察沙汰だ。美咲に危険が及ぶような事態にはなってほしくない。
「え? なんで? あたし陽也くんにだけだよ? こういうことするの」
「〜〜っ!」
悶絶しながら枕に顔を埋めた。
「だって男子の知り合い陽也くんしかいないし」
「……」
落胆しながら枕から顔を離した。
その言い方だと僕は友達って括りですらなく、知り合いってことになりそうなんだけど、追求したら立ち直れなさそうだからやめておく。
「どしたの? 疲れちゃった?」
「今ものすごく疲れた」
実を言うと直前のやり取り抜きに、ホテルの個室に入ってから疲労感が一気に押し寄せている。
なんならこのまま横になっていたらスリーカウントで眠ってしまいそうなくらいに。
遠征の時に眠れなかったのが嘘のように本能が睡眠を求めている。
「じゃあそろそろ寝よっか。電気消すね」
『カチっ』という音がして電気が消えると、少しもしないうちに呼吸が規則的に変わっていく。
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しばらくして僕のベッドからモゾモゾと音がした。
「ね。もう寝ちゃった?」
「み、美咲? なに……?」
頭がポーッとして声も半分寝ている。
「……ねえ陽也くん。このまま二人でどっか遠くに行こうよ」
「なに言ってんだよ。お金ないだろ」
身体全体が後ろから何かに包まれる。
暖かくて、心地よくて、なのにどこか寂しい。
「お金はお父さんに頼んでみるよ。ね?」
「寝ぼけるなら寝てからにして……早く寝ようよ」
「どっちがだっての……あたし、やっぱりこわいんだ。これ以上傷つきたくない。陽也くんならわかってくれるよね? いいでしょ? 野球も全部投げ出してあたしと逃げよ?」
「……だめ」
「なんで? どうして?」
悲しい声。
泣いているようにも聞こえる。
「……栞も美咲も救われないから」
「……」
「野球もやめない……僕が頑張ってるとこ見せないと……美咲達に勇気づけられない」
言葉を紡いでるつもりでも意識がどんどん遠のいていく。
「じゃあ……その代わりに」
「うん……」
「陽也くんは傍にいてね」
耳元で囁かれたことの意味を確かめる余地もなく、僕の意識はそこで途切れた。




