第8話 うぜー
慣れないネクタイを締め直し、深い紺色のブレザーの袖に目を向けた。
ちょっと大きめに作った高校の制服、三年後にはそれに見合った成長を僕はしているのだろうか。
今日は葵空高校の入学式で、こうして最初のホームルームが終わった後も誰もが新しい環境に胸を躍らせている。
紺色を基調としたチェックのネクタイは、男子のスラックス、女子のスカートとも全く同じ柄をしていて、一本だけ入っている葵色のラインが控えめながら特徴的だ。
学ランが嫌いだったからブレザーは早速気に入っているのだけど、ネクタイはどうにも窮屈に感じる。
入学初日にして周りも全然知らない顔ぶればかり、あまり悪目立ちしないのが当面の目標——。
「陽也! 野球部の見学行こうぜ!」
「部活見学は明日からだって言ってただろ」
「んなこと言ってたな。まあ細かいことはいいだろ、見学行こうぜ」
「……そんないい加減でよく葵空に受かったな」
「まあな!」
「褒めてないんだけど」
「そう照れんなって」
「うっざ」
肩をがっしりと組み、やたらと高いテンションではしゃぐ短髪で少し日焼けした男子。
このうるさい男子の名前は橘遙馬。残念ながら入学早々新しい友達ができる青春チックなスタートではないと断っておく。
「なんだよ陽也。小学生の頃はもっと素直だったのに、冷めた大人になりやがって。反抗期か? 反抗期なんだな」
「疑問形にしといて秒で結論づけんなよ……」
そう。このうるさい奴、橘遙馬は僕と同じ小学校に通っていた。中学校で別々になって、まさか高校で再会するとは思わなかった。
一応人生で初めて出来た男子の友達だ。昔と全然変わってなくて安心したような、もう少し大人しくなってても良かったような……。身長はしっかり伸びてるのが憎たらしい。
「でもそっかぁー。見学明日からか。陽也、今日はキャッチボールでもするか?」
「やらない。一度に複数の話題を押し込んでくるな」
会話のキャッチボールでボールが二つや三つに増えた気分だ。もっとも勝手に喋り続けるなら遙馬のお手玉って感じだ。
「なんだ? 調子わりいの? 確かに元気ないよな」
「だーかーら! 答える前に勝手に決めつけんなよ。普通に元気だよ」
「元気ならキャッチボールしようぜ」
「自分に都合のいいとこだけ拾うな」
「オレも元気いっぱいだぞ」
「聞いてない。見れば分かる」
数年振りの再会とはいえ、ずっとこの調子だと元気も萎れてしまいそうだ。遙馬の声が大きいせいなのか、妙に周りから視線を感じる。
再会できたのは素直に嬉しいけど、入学早々こんな感じでは先が思いやられる。
「でも明日から楽しみだな。部活」
「言っとくけど野球部には入らない。見学も行かないからな、絶対」
「はー!? 何言ってんだよ陽也!!」
「何も無いよ。野球は中学で辞めたんだ」
「並風でやってたんだろ!? 怪我でもしたのか!?」
「いや全く」
「だったら野球部入れよ! ありえねーって!」
元々リアクションの大きい奴だったが、一際大きな声を出されたせいで周りの視線が更に集まる。あまり目立ちたくないのだが、遙馬と一緒では不可能に近い。
「並風だろうと何処だっただろうと関係ない。野球部には絶対に入らない」
キャッチボールぐらいなら付き合えるけど、部活動としてやるのもチームに入るのもごめんだ。冬にあった出来事を抜きにして考えても、今後野球に打ち込むことはない。僕の野球少年の心は中総体を最後に冷め切っているのだ。
「事情はわかった」
「いやいや、まだ何も話してないから」
「今は陽也にその気がなくても、オレが必ず野球に連れ戻してやる」
マジトーンになって拳を握り締める遙馬。スポーツ少年らしく様になってるとこ申し訳ないんだけど、他のとこに労力を割くべきだと思う。
誘いも心遣いも嬉しいのだけど、やはり僕の心の中に野球はもう無い。中学では同じことの繰り返しの毎日だったから、高校では全く違うことをやってみたい。
遙馬は僕から離れると、すぐに後ろの自分の席に戻った。話の区切りがついたと思っていいだろう。多分明日も明後日も同じように誘われるだろうけど、僕の考えは絶対に変わらない。
「陽也陽也」
「なんだよ。まだ何かあんの?」
「話変わるんだけどさ、七海綾香とは話したことないの? 同じ並風だろ?」
「……っぅ」
油断していた。触れて欲しくないとこにしっかり小声で触れてくる。葵空は一学年四クラスと比較的人数が多いのだが、七海さんとも運よく同じクラスになれた。
と言っても今日だって顔を合わせるのも久しぶりで、同じクラスで嬉しいはずなのに、気まずさが邪魔をしている。
話しかけようにも目も碌に合わせてくれなかった。
僕が悪かったとはいえ、この嫌われ様は中々辛いものがある。
「そりゃあるけどさ……ちょっとだけだよ。挨拶とかそんな程度」
ああ……喋ってて辛いなあ。
「いいなーいいなあ〜。やっぱ並風って可愛い子多かったんだな。誰か紹介してくれよ」
「紹介できる人がいたらな」
クラスメイトがまだ教室内にいるってのに、よくもまあこんな話できるよな。
「あとさ結城美咲! ヤバくね!? オレは葵空ナンバーワンあると思うぜ!」
「なんのだよ……」
小声で叫ぶなんて妙にトリッキーなテクニック披露しやがって。
「何って可愛さに決まってんだろ?」
「ああ……そう」
県内屈指のお嬢様学校に通っていただけあって、美咲も当然のように葵空に合格していた。
まさか同じクラスになるとは思わなかったけど……。
「マジでやばい。他のクラスの奴らも噂してたし、明日には先輩達も見に来るかもな」
遙馬のノリに乗っかるわけじゃないけど、僕も七海さんと美咲が頭ひとつ抜けてるとは思う。学校中の女子の顔を把握していないから断言はできないが。
その二人から現在進行形で嫌われてる僕。これは知られたら指名手配されると考えるべきだろう。迂闊な発言や行動が学校生活を終わらせかねない。
「こうしちゃいられないな! 急げ! 陽也!」
「は?」
僕が素っ頓狂な声を上げた直後に教室のドアが開いた。
「ぁ……」
「……っ」
教室に入って来た七海さんと目が合った矢先——
「良いタイミング! ちょっといい?」
「え? 私?」
何を企んでいるのか、遙馬が七海さんに声をかけた。この状況なら僕は知らんぷりを決め込むのがベターな選択だろう。遙馬、悪いが骨も拾ってやらんからな。
「結城美咲〜。ちょっとこっち来れる?」
「呼んだ? てかなんでフルネーム?」
「……っ」
「っ!」
一瞬明らかに空気が凍ったような……七海さんと美咲の間で。
「あのさー! 陽也が二人に話あんだって!」
「ちょ……!!? はああああ?! 遙馬! マジでふざけんな! 何余計なことしてんだ!!」
小学生以来に再会した橘遙馬。僕の高校生活は、こいつのせいで前途多難な幕開けになりそうだ。
その日の夜、二週間ぶりに美咲からメッセージが届いた。溜まっていたものを吐き出すように『うぜー』と数十分にわたって送られてきた。




