第3話 人魚姫曰くかわいい彼女です
「か、かのじょ……?」
確かに前に一度、美咲がふざけて『かわいい彼女です!』と言っていたような気もする。七海さんに勉強を教えてもらうより、麻央が家に来るようになったのよりずっと前。そう、まだ美咲と連絡先を交換すらしていなかった頃だ。
覚えている必要すらなさそうな、軽いやり取りの中での『冗談』と頭についている軽口。
そんなのを普通この場で持ってくるか?
目を見開いて固まっている七海さんとは対照的に、美咲は両手でVサインを作っていた。
「いえーい」
「……っ」
「ねーねー。あたしからも訊きたいんだけど、陽也くんとどんな関係?」
「美咲、僕と——」
「陽也くんには訊いてない」
「な……」
美咲の視線は呆然としている七海さんにだけ向けられている。僕が答えても問題ないはずなのに、なぜか美咲は絶対に邪魔させないと言いたげに制してきた。
「き……」
「は?」
「嘘つき!」
「っ!?」
心の奥底から噴き出したような言葉は、美咲ではなく僕に向けられていた。
「な……え………? 僕?」
「〜〜馬鹿っ!」
「ま、待って!」
「知らない!」
『嘘つき』の意味も怒っている理由も教えてくれないまま、七海さんは立ち去ろうとする。僕の呼びかけも聞き入れず、美咲に一瞥もくれずに。
僕が反射的に追いかけようとすると、腕を引っ張られて行手を阻まれる。
「ねー。どこ行くの?」
「どこって、見りゃ分かるだろ。追いかけないと」
「こっち」
「いや違うだろ。今はそんなことしてる場合じゃないだろ」
「っ!」
「ちょ!? 美咲!? 何すんだ!」
美咲は七海さんとは真逆に向かって歩き出した。
「痛っ! 美咲痛いって!」
「うっさい。いいからこっち来て」
「意味わからん……いたっ……! 自分で歩くから離せって!」
「うっさい!」
人通りが殆どない時間帯の住宅街だったからよかったものの、腕を引っ張られて連れていかれる僕は、側から見たら悪さを働いて捕まったように見えたのかもしれない。
七海さんが怒った理由も、美咲がこんな行動を起こす理由も全然理解出来ない。
僕が男子で二人が女子だからなのか、単純に僕の察しが悪いのかは今の段階では知ることはできない。だけど、美咲も七海さんも普段とは違ったように感じた。
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「美咲、もういいだろ……」
「はあ……はあ……はぁ」
暫く連れ歩かれたところでようやく美咲の足が止まる。七海さんはおろか、自分達がどの辺りにいるのか見当もつかないとこまで来てしまった。
僕を引っ張っていたせいなのか、美咲は肩で息をしている。
「なんのつもりだよ。こんなとこまで連れてきて」
「はあ? こっちのセリフなんですけど?」
「あのな、連絡返せなかったのは僕が悪いけど、事情はさっき説明したろ」
「なに言ってんの? 全然噛み合ってないし」
「ふざけてんなら僕は戻る。いい加減にしろ」
「ねえ! 話まだ全然終わってないんだけど! 何帰ろうとしてんの!?」
「っつ! なんなんだよ! さっきから! 何がしたいんだよ!?」
無理矢理引っ張り回された挙句、話の要領がまるで得られない。そのうえ当たり散らされまくれば僕だって語気が荒くなる。
「ねえどこ行こうとしたの? ねえ?」
「うるっさいんだよ! そんなの決まってるだろ! いちいち訊くなよ!」
「……うざ」
思わず大きな声を出してしまい、ハッとなった僕。そこに美咲の言い放った一言はすんなりと耳に入ってきた。日頃から美咲が使っている言葉ではあるけど、同じニュアンスとは一概に言い切れない。何か意味合いが違うと感じた。
「あいつのとこ行くの?」
「……関係ないだろ」
「はっ……意味わかんねー。なにキレてんのこいつ」
美咲の口調がいつもより荒い。所々に違和感を感じてならない。
「あぁそうかい。じゃあ僕のことなんか放っといて好きにすれば?」
「あいつ? 委員会で陽也くんと仲良くしてた女子」
一度振り払ったはずなのに、知らないうちに腕を掴まれていた。
「……そうだよ。だったらなんだよ」
「別に? どうでもいい。あたしがいないのいいことに、ずっとコソコソしてたんだなって思っただけ」
「コソコソなんかしてないだろ。学校で一緒なんだから」
「はいはいそうですねー。悪くないですねー」
口調とは裏腹に美咲の手はギリギリと力を込めている。
「陽也くんさ、あたしが言ったこと覚えてる?」
普通に答えれば何かとケチをつけられそうなので、僕は首を傾げるだけの曖昧な返事をした。
間違いだと気づくのにそうかからなかった。どちらかというと言葉尻を捉えてくるのはもう一人の方で、美咲には絶対やっちゃいけない行動だった。
「マジかこいつ……やっべー」
怒っているようで、馬鹿にしているようで、そのどちらとも違うのは分かっているのに、美咲の心情が見えてこない。ここまで出てきているのに出てこないもどかしさをよそに、間違った代償は重みを増していく。
「他の女の子と話さないでって言ったの覚えてない?」
「……そんなこともあったけどさ、でも無理なのはわかるだろ。美咲だってそこまで本気じゃないだろ」
「いやいやいやいやマジでない。つーかさ、あたしの知らないとこで他の子と仲良くしてるの気に入らないって言ったのになんでするかな」
勝手な言い分極まりないのに、僕は何も言い返せないでいた。
「大体さ、あいつ何? なんなの? 陽也くんと何してた? あたしずぅっと陽也くんのこと探してたのに」
「普通に話してただけだよ」
「絶対違うから。ムカつくから適当言わないでくれない?」
「僕はそうとしか答えようがない」
「じゃあ教えて。あいつ陽也くんの何?」
「……っ」
口から出かけたところで言葉は嘘みたいに消えて無くなった。七海さんと僕の関係を一言で『友達』と答えるのは僕が嫌だった。何か違う、どこか特別を求めてしまったのが美咲にも伝わってしまったのか、目つきが鋭利なものに変わっていく。
「……七海綾香さん。僕と同級生の」
「そんなの訊いてない」
普通を考えれば初対面の相手を紹介するのならば正しいはずだが、美咲はそれを求めていない。
「……ちっ。マジでムカつく」
「美咲……」
「なにその顔。あいつマジでいきなり睨んでくるし、あたしのこと無視するし、陽也くんにキモいことするし、麻央ちゃんはともかく、あいつと一緒にいるのやめた方いいんじゃない?」
美咲の胸の内が分からないうちはやめておこうと思っていたが、反射的に僕は口を開いていた。
「違うだろ。美咲が割って入ったのが全ての原因だろ」
「……はぁ?」
言い終えた後、僕は全部気づいてしまった。
「やっぱりあいつの味方すんじゃん」
美咲の声音に悲しみが宿る
「……意味わかんない。ずっと連絡してくれなくて、サイン返してくれなかったのは陽也くんなのに、なんであたしが悪いの? 久しぶりに会えて嬉しかったのに、喜んで何が悪いの……」
「美咲! いや……ちが——!」
言い終える前に僕は言葉を失った。
「……っ」
涙を目にいっぱいに溜めて美咲は僕の手を離した。
こんな時だけ僕は美咲の気持ちを理解できた。
理解……違うかもな。
美咲は何も言わずに気持ちだけをぶつけてきたのだ。
そして僕がどれほど酷いことをしてしまったのかも思い知らされた。




