第53話 名前で呼んで
解散したのは太陽がほとんど落ちかけていて、夕焼けが空を赤く染め上げていた頃だった。
仕事帰りの麻央のお父さんがたまたま通りかかって、麻央のついでに橋田と野上君を車で乗せて帰って今に至る。
「小鳥遊さんってお父さんに全然似てないね」
「麻央はお母さん似なんだよ」
「ふーん……それにしても橋田君はすごい驚き様だった」
「まあ、初めて麻央のお父さんに会ったなら仕方ないよ。体格もスケールも日本人離れしてるし」
僕は幼稚園に入る前から家族同然だったから慣れてるけど、いきなり百九十センチ越えの巨漢が現れたらそりゃ驚くさ。
「そうだ。そろそろ訊いていいかな?」
「なあに?」
慣れ親しんだ南口側の街通りを歩く。
歩道橋の下を抜け、もの静かな住宅地を二人で歩幅を合わせて歩く。足元をついてくる黒い影は、少し前に一緒に歩いた時と同じようで形が違う。彼女の変貌は影にも少なからず影響を与えていた。
「どうして僕にずっと黙ってたの? その……みさきちゃんだってこと」
「私がみさきちゃんじゃないから」
「はぇ!?」
「あははは! 冗談だってば」
「いやいやいや全然面白くないから」
マジであり得そうだから一ミリも笑えない。
「ね。そんなに大事かな?」
「そりゃせっかく再会できたと思ったのに、やっぱり『人違いです』てなったら驚くよ」
「じゃあ仮に私がみさきちゃんの親戚とか妹だったらどうしてた?」
「え……えーっと……」
「大事なことなんでしょ?」
三崎綾香は両手を後ろで組んで顔を覗き込んでくる。仕草に時折、七海綾香の時の面影が残っているのに、見た目がこうも違うと与えてくる印象も全然違う。
以前みたいに接したくてても、こうして距離が近づくと顔を逸らしてしまう。
「そ、そんなの分からないよ」
「……ごめんなさい。ちょっと意地悪だったね」
「僕の方こそごめん。色々事情があるはずなのに踏み込んじゃって」
「ううん。陽也君は謝らないで」
少し間を空けた後、三崎綾香は寂しそうに笑って距離を元に戻した。
「……そうだなあ。幾つか理由ははあるんだけど……怖かったんだ」
「怖かった?」
「うん。あの映画の主人公と一緒だよ。本当はすぐに陽也君に教えたかったけど、忘れられてたら私馬鹿みたいだもん」
「そんなことない! 僕は一度だって忘れてない!」
思い出として終わらせようとしたことも何度もあった。でも終わりにしても、お別れをしても忘れられなかった。
「そうかなぁ? 私に全然気づいてくれないし、いつまで経っても私に気づかないし。あ〜んなに近くにいても卒業まで気づかないし」
「う……」
気づかなかったのを相当根に持ってらっしゃる……。
「挙句の果てに急に幼馴染の小鳥遊さんとイチャイチャしちゃってさあ……」
「し、してない!」
「さっきも長々とおしゃべりしてましたね」
「いや、だってあれは君が手回ししたんだろ?」
「誰もあそこまで長話してとは言ってません。言い訳しないでください」
「そんな無茶な……」
そういえば野上君と橋田も知ってたみたいだけど、あの二人とも協力してたのか? だとしたらいつの間に……。
「でも中々言い出せなかったのは本当にごめんなさい」
「いいよ。僕だって気づけなかったんだから
「それはそう」
「うぅ……」
「どうせ私の存在感の無さが悪いんですけどね〜」
わざとらしく拗ねた演技をすると、三崎綾香はいつぞやの時と同じように小石を蹴飛ばした。スカート丈が以前より大分短いからヒヤヒヤする。
「あ。ところでさ、卒業式の日まで大人しい格好してたのって、やっぱりさっきのが理由?」
「そう。話した通りだよ。些細なことでも目立てば『調子に乗ってる』とか『うざい』とか。昔小学校でもあったんだよ。それからああいう格好するようになったの」
「え……そうなんだ……」
『大人しい格好も好きだけどね』と三崎綾香は明るい調子で付け加えたが、彼女は僕が思っていたよりもずっと長い間苦しんでいたのかもしれない。
それなのに僕は黙っていたことばかり気にして……。自分の小ささが嫌になる。
「あ、違うよ? そんな顔しないで。陽也君が思ってるほど悩んでないから! これは本当! ただ鬱陶しかったってだけで窮屈だったの」
「それがさっきの解放されたって意味?」
「うん。髪型もそうだし眼鏡もいらない。人の目を気にして目立たないふりもしなくていい、スカートも好きな長さにしてもいい。好きに喋っていい。好きな事できる。ね?」
「でもさ、孤立した時は流石に堪えただろ?」
「全然? だって仲良くしたくなかったもん。あんな目障りな人達」
「え? とは言っても学校の中ではさ……」
「あーもう……くどい。なに? 陽也君は私にはあんな人達がお似合いって言いたいの?」
「ご、ごめん! そんなつもりはないんだ」
迂闊な気遣いが逆効果になってしまった。
「とにかく私は今この瞬間が一番良いの。この話はこれでおしまい」
「今か……」
「そう。陽也君と一緒の……あ! そうだ! 陽也君いつになったら私のこと名前で呼んでくれるの?」
トタトタと足早に前に出て三崎綾香が立ち塞がる。
「や……ちょっとまだ勇気とか情報が」
「ないない。名前呼ぶのに情報とか絶対いらないから。さっき惜しいのあったでしょ? 『三崎綾香』って」
「あれは勢い余ったっていうかさ……」
「小鳥遊さん絡みだったのは複雑だけど、そこから『三崎』を取っちゃえばいいんだよ。ほら」
「『ほら』と言われましても……まさか今呼べと?」
「当然です」
言って三崎綾香は両手を広げた。試しに右に抜けようとすると右にずれるし、左に抜けようとすると左にずれてくる。可愛らしい通せんぼだ。これでは終わるまで帰ってくれそうにない。
「言っとくけど、今日私を誘ったのは陽也君ですからね? 勝手に帰ろうとしても無駄ですから」
「まだなんも言ってない」
微妙に見透かされてる。
「……ところで、『三崎』と『七海』どっちが本当の名前なの?」
「いらないいらない。そういう前置きとか今本当にいらない『ところで』じゃないから」
無感情を極めたらこんな声になるのかと感心する。ゼロテンションの声音で捲し立てられた。結構大事だと思うんだけどなあ。
それにしたって当時の僕もとんだ勘違いをしたものだ。まさか『みさき』が名前じゃなくて苗字だったなんてさ。それならそれで初対面の時に指摘してくれればよかったのに。
今もたまに意地悪な態度を見せるけど、案外昔からそういう一面があったのかもしれないな。
「じゃあさ、今度でもいいから教えてよ……あや……」
「あや〜?」
「綾……」
「もう少し! 頑張れ頑張れ!」
「綾香」
「〜〜っ」
「……綾香さん」
「うわ……最低この男」
「やっぱ僕にはまだ無理だよ〜!」
顔中が熱い。
「小鳥遊さんはいつも名前呼びでしょ! このノンデリ男! ばか!」
顔の周りが火照って熱い。僕だって自然に名前で呼べたらいいと思っているのに、麻央と同じ様にいかなくてもどかしい。七海さんの懸命な応援を貰ったものの、残念ながら気恥ずかしさに負けてしまった。
これから先も関わっていくのだから、少しずつ呼べるようになればと僕は思っているのだけど、どうやら彼女は今すぐにでもってスタンスらしい。
ところで、あまりにも違和感がなかったら気にしていなかったけど、三崎綾香も僕を名前で呼んでる。理由が気になるとこだけど、教えてもらおうにもタイミングが極めてよろしくない。『ところで』はいらないと一蹴されそうなので、それはまたの機会にさりげなく訊いてみるとしよう。




