第51話 私に吐き出しちゃいなよ
冷たいお茶を流し込んで、揚げ物で脂っこくなっていた口の中をさっぱりと潤す。
キッチンカーで販売していた日替わり弁当は、ソースカツがメインの食べ応え満点の商品だった。こだわりソースの甘辛さとカツのジューシーさがまた絶妙で、空腹状態の僕にはこれ以上ないご馳走だった。
それにしたって、ご飯を食べた後の冷たいお茶は何故こうも美味しく感じるのだろう。身体が純粋に求めているのか、全身に隅々まで浸透していくようだ。
「ふう……」
「美味しかったね」
「日替わりって書いてあったけど、他の日はどんなのお弁当なんだろ? 今日のも美味しかったからすごい気になる」
「また一緒に買いに来る?」
「僕はいいけど、なな……こっちまで来るの大変じゃない?」
「あー。またそういうこと言う」
『ノンデリだ』と続け様に指摘される。僕としてはここまで来る手間を気遣ったつもりなんだけど、中々どうして上手くいかない。
桜が咲き誇っている園内を見回す。僕と三崎綾香はこうして近場の公園で昼食を取ることにしたのだけど、時期も場所も申し分ない所謂ベストプレイスってやつだ。
北口の方と比べて居酒屋やお店が多い賑やか街並みなだけあって、利用者に成人が多いためか、園内に遊具という遊具が全く見当たらない。
ふと目に入った『日下部英語塾』と書かれた錆びれた看板が、桜の花びらの鮮やかなピンク色と何ともアンマッチ。だがそれはそれで風情があると僕は思う。
もしこっち側に住んでいたら、この塾に通っていたのかもと勝手な想像が膨らむ。実際英語は苦手なので、塾に通っていたら苦手意識も持たなかったのかもしれない。
しかし、そうなったら今までの出会いも出来事も全部無くなって、僕の過去も未来も大きく変わってしまったんだと思う。
「……」
「あ、ごめん! ぼーっとしちゃってて」
「ううん、気にしないで。私も陽也君見てたからお互い様」
「え? あ、うん」
サラッと流してしまったけど、もしかして僕、結構恥ずかしいところを晒しちゃってたんじゃないか?
「小鳥遊さん」
「……っ」
不意に出てきた名前に胸の内側が小さくざわつく。
僕が犯した最悪の裏切りの後、家に来るどころか連絡すら取らなくなった幼馴染。
当然と言えば当然だ。如何なる理由があっても僕がしたのはそういう行いだ。まさか卒業式の後に会うとは思わなかったけど……。
「なんか変だったよね小鳥遊さん」
言いながら三崎綾香はスマートフォンを取り出し、華奢な白い指で操作を始めた。使っているところをほとんど見かけなかったから違和感が半端ない。家族に連絡でもしているのだろう。
「変って何が? 手を振り返さなかったのはいつものことだよ」
「あ、違う違う。小鳥遊さん自身じゃなくて、陽也君と一緒にいない小鳥遊さんがって意味」
「なんだよそれ……気のせいだよ」
実際僕と麻央は中学じゃ二年以上疎遠だったんだから。
「そう? 学校でもずっと一緒にいたから私は違和感だらけだったなぁ」
「そんなのすぐに慣れるよ」
言い終えた後、なんだか自分に言い聞かせているようにしか思えなかった。
これまで疎遠になってもクラスは一緒だった麻央と完全に決別をした。胸に大きな穴が空いてしまった喪失感を抱えているのもちゃんと自覚している。
でも僕には他に道がなかった。選ばざるを得なかったんだ。
「陽也君にまだ訊いてないことあった」
「僕の答えられる範囲でなら」
「どうして葵空を受けたの? 前まではずっと泉谷だったのに」
「そりゃ進路の幅が広がるからだよ。勧めてくれたのは他でもない君じゃないか」
「ぷ……くく。ねえねえ、その『君』てなんとかならない? 陽也君には似合わないってば」
「話を逸らさないでくれ……僕は真面目に答えてんだからさ」
「で、でもさあ……くふふっ」
「あーもう! 揶揄ってるならもう何も答えない!」
「え〜? ちょっとだけならいいじゃない」
「いーやーだ!」
「どうしたの? 子供みたいになっちゃって。大丈夫? お姉さんにヨシヨシされたいの?」
「うるさーい! 子供扱いするな!」
「ふふっ! かーわいい!」
「うるさいったらうるさーい!」
思うに女の子が男子に言う『かわいい』は絶対にプラスの感情を含んでいないと思うんだ。実際に今小馬鹿にされてるわけだし。
「あははっ。ごめんごめん、可愛がりすぎちゃったね」
「はあ……とにかく僕が葵空を受けたのは成績が上がったからであって、由緒正しい至極真っ当な理由だよ」
まだ茶化し足りないのか、三崎綾香は目を少しだけ細めて顔を覗き込んできた。ここで顔を逸らすとまた何か隙を与えそうなので負けじと返す。
「……そうだよね。だって陽也君が葵空を受けたのは小鳥遊さんのためだもんね」
「〜〜っ!」
心臓が大きく音を立てて跳ね上がり、言葉どころか息が詰まりかける。ただ一言『違うよ』と冗談めいた口調で答えればいいのに、僕は押し黙ってしまった。
「ほんっとうに小鳥遊さんが大事なんだね」
「違う……言ったじゃないか。葵空の方が選択肢が増えるって。そう教えてくれたのは……」
「でも陽也君は乗り気じゃなかったじゃない」
「気が変わったんだよ」
「そうかな? 私には全然そんな素振り見せてくれなかったくせに。これでも結構落ち込んでたんだよ?」
「……ごめん」
「それなのにいきなり葵空受けるなんて、小鳥遊さん絡みしかないと思ったんだ」
「別に……他にも理由はあるよ」
麻央だけじゃない。それは確かなのに、学校に行かなくなった僕を毎日気にかけてくれた麻央の寂しそうな姿が何度もフラッシュバックする。頭の中がどんどん埋め尽くされて、用意していた言い分があっという間に白く塗りつぶされる。
「陽也君はさ、本当は守りたかったんでしょ? 小鳥遊さんのこと」
「違うって言ってるだろ!」
「いいじゃない。もう受験も終わったんだよ? 今更取り消すこともやり直すこともできないんだからさ、この際私に全部吐き出しちゃいなよ」
みっともなく声を荒らげてしまったのに、三崎綾香は全く臆せず僕に寄り添ってきた。
「絶対に勘違いしてるよ。僕はいい加減うんざりしてたんだ。勉強も散々邪魔されたし、君もよく知ってるだろ?」
「うん。でもその程度で嫌になるなら、陽也君はとっくに小鳥遊さんと縁を切ってる」
「今まで我慢してただけさ」
「陽也君は優しいから小鳥遊さんを傷つけたくないんだよ。巻き込みたくなかったんでしょ?」
「あのさあ……さっきからまた人のこと……」
何から何まで当たってて本当に嫌になる。僕の考えなんて簡単にお見通しで、浅はかだって突き付けられてるみたいだ。意地を張ろうとしても、すぐに言葉に詰まってしまって逃げ道がなくなる。
「知ってるよ。小鳥遊さんみたいにずっと一緒にはいられなかったけど、私が陽也君のこと一番知ってる」
決意で固めた殻の隙間に、彼女の暖かい声音が入り込んで強張りを解いていってしまう。
「陽也君は本当に優しい……けどね、臆病で脆い優しさなんだよ。だから人を遠ざけて嫌われるやり方を取っちゃう。私にしようとしたみたいに」
「違うって言ってるだろ! 良い加減にしろよ! 三崎綾香!」
「違わない。違わないよ」
「ちがっ……!」
否定しきれなかった。
でもそれの何がいけない?
僕の取れる方法なんかこれくらいだろ?
他の手段が取れないから、君のことも本当の意味では助けられなかったんじゃないか。
「もー。あんまり聞き分けないとさっきみたいにぎゅーで分からせちゃうよ? 小鳥遊さんはそれでいいのかな?」
「……は?」
何言ってんだ?
なんで麻央の名前が——
「ハル……」
桜の木の影から姿を現したのは、頭に花びらをたくさんくっつけた麻央だった。




