2
春になったノルド村には、以前にはなかった光景が広がっていた。
朝から工房の煙突から煙が上がり、魔道具を積んだ馬車が何台も行き交う。
工房の前では職人たちが図面を広げ、商人たちが注文書を確認している。
「水汲み装置、二十台!」
「隣町から追加注文だ!」
「魔法灯は五十本!」
「暖房器具の部品が足りないぞ!」
一年ほど前まで、静まり返っていた村とは思えない。
リリアーナは工房の奥で、新しい設計図と睨み合っていた。
「……ここをもう少し小型化できれば」
「また新しい魔道具ですか?」
背後から声がした。
振り返る。
そこに立っていたのは、一人の商人だった。
名は、エドワード・ハルト。
王都と地方を行き来している商人で、ノルド村へ何度も買い付けに来ている人物だ。
最初に来た時から、彼は少し変わった商人だった。魔道具の価値を理解している。
だからといって、無茶な値下げを要求しない。
「この品質なら、この値段で売ってください」
「でも、少し高すぎませんか?」
リリアーナが心配すると、エドワードは首を振った。
「いいえ。安くしすぎると、作る側が続きません」
「……」
「良いものを作る人間が、きちんと利益を得る。それが商売です」
そう言って、彼は必ず適正な価格で買っていった。
さらには
「この装置は王都より地方都市のほうが需要があります」
「この型は農家向けに小型化すると売れます」
「魔法灯は宿屋向けに明るさを落とした廉価版を作るといい」
商売の話だけではないく、市場の情報まで教えてくれる。だからリリアーナは、エドワードが来る日を楽しみにするようになっていた。
「今日は何を持ってきたんですか?」
「新しい市場情報です」
エドワードが笑う。
「それと、王都で流行している菓子を」
「……お菓子?」
「ええ。設計ばかりしていて、また食事を忘れているでしょう?」
「……」
図星だった。
「どうして分かるんですか?」
「もう何度も来ていますから」
エドワードは笑った。
「あなたのことも、少しは分かります」
その言葉に、なぜかリリアーナの胸が少しだけ跳ねた。
けれど、その穏やかな日々は、一台の馬車によって終わりを告げた。
◇
「王太子殿下がお見えになりました!」
村人が駆け込んできた。
工房内が静まり返る。
「……王太子?」
リリアーナは眉を寄せた。
窓の外を見る。
王家の紋章を掲げた馬車。
その後ろには騎士たち。
そして、馬車から降りてきたのは。
アルベルトだった。
「リリアーナ」
「……アルベルト殿下」
一年ぶりだった。
けれど、リリアーナの胸に懐かしさはなかった。
「久しぶりだな」
「そうですね」
「ずいぶん変わったようだ」
アルベルトは村を見渡した。
「一年でここまで発展させたのか」
「村の皆さんのおかげです」
「そうか」
アルベルトは頷いた。
そして、当然のように言った。
「ならば、王都へ戻れ」
「……え?」
「お前の才能が分かった」
アルベルトは胸を張る。
「王都には魔法技術局がある。そこで働け」
リリアーナは黙ってアルベルトを見る。
「国のために、お前の力が必要だ」
「お断りします」
即答だった。
アルベルトの顔が固まる。
「……何?」
「王都へ戻るつもりはありません」
「なぜだ?」
「私はもう、ここで暮らしています」
「だが、王都のほうが設備も整っている」
「必要ありません」
「お前は国のために働くべきだ」
その言葉に、リリアーナの表情が少しだけ曇った。
彼女は静かに言った。
「一年ほど前、私は王都で、役立たずだと言われました」
アルベルトが黙る。
「魔法が使えないから、王太子妃には相応しくないと」
「……」
「だから私は追放されました」
「それは……」
「今さら」
リリアーナはまっすぐ彼を見る。
「必要だから戻ってこいと言われても、私は戻りません」
アルベルトの顔が険しくなる。
「王命に逆らうのか?」
その瞬間だった。
「王太子殿下」
背後から声がした。
村長だった。
「ここはノルド村です」
アルベルトが振り返る。
「だから何だ?」
「リリアーナ様は、この村の大切な仲間です」
村人たちが次々に集まってくる。
鍛冶屋。
大工。
農夫。
工房の職人。
そして、商人たちまで。
「リリアーナ様がいなければ、俺たちは今の生活を手に入れられませんでした」
「俺たちに技術を教えてくれた」
「仕事を作ってくれた」
「この村を変えてくれた」
声が重なる。
アルベルトは苛立った。
「彼女は王国民だ。国のために働く義務がある」
「でしたら」
エドワードが一歩前へ出た。
「王太子殿下」
「お前は?」
「商人です」
「商人が口を挟むことではない」
「いいえ」
エドワードは穏やかに笑った。
「商人だからこそ、申し上げます」
そして、王太子の目をまっすぐ見た。
「リリアーナ様を王都へ連れていかれれば、ノルド村だけではありません」
「……何?」
「現在、彼女の設計した魔道具を扱っている商会は、私の知る限り二十を超えています」
「……」
「農村への導入も進んでいます」
エドワードは続けた。
「彼女が王都へ行けば、ここで働いている職人たちの仕事はどうなるのでしょう?」
「それは……」
「材料を供給している商人は?」
「……」
「魔道具を買っている町や村は?」
アルベルトは言葉を失った。
エドワードは微笑んだ。
「リリアーナ様は、もう一人の令嬢ではありません」
「…………」
「この村と、数多くの商人と、職人と、農村を繋いでいる方です」
その時、鍛冶屋が腕を組んだ。
「つまりだ」
「……」
「殿下がリリアーナ様を連れていくなら、俺たちも一緒に行くぞ」
「俺もだ」
「私も」
「俺も!」
次々と声が上がる。
アルベルトは目を見開いた。
「お前たち……」
村長が笑った。
「殿下」
「……何だ」
「悪いですが」
村長は深々と頭を下げた。
「お引き取りください」
「なっ……」
「ここは、リリアーナ様の居場所です」
「……」
アルベルトは何も言えなかった。
結局、王太子の馬車は誰一人連れ帰ることなくノルド村を去ることになった。
その背中を見送りながら、エドワードが小さく呟いた。
「……すごいですね」
リリアーナが隣を見る。
「何がですか?」
「村中から愛されています」
「私だけの力ではありません」
「ええ」
エドワードは笑った。
「だからこそ、でしょうね」
リリアーナは少し照れた。
「……変なことを言いますね」
「本当のことですよ」
その一言に、また胸が跳ねた。
◇
王都へ戻ったアルベルトを待っていたのは、歓迎ではなかった。
「殿下」
王国宰相が書類を机に置く。
「ノルド村の件について、お尋ねしたいことがあります」
「何だ?」
「なぜ、リリアーナ嬢を追放されたのですか?」
アルベルトは眉をひそめた。
「魔法が使えなかったからだ」
「ですが」
宰相は一枚の報告書を取り出した。
「現在、彼女が設計した魔道具は、王国各地で使用されています」
「……」
「農業生産量の向上」
「……」
「井戸設備の改善」
「……」
「夜間照明の普及」
「…………」
「そして、ノルド村周辺では雇用が大幅に増加しています」
アルベルトは黙った。
宰相は淡々と続ける。
「それだけの才能を持つ人物を」
書類を机へ置く。
「魔法が使えないという理由だけで追放した判断について、陛下も疑問を持たれております」
「父上が?」
「あれだけの才能を国外へ流出させる可能性があったのですから」
アルベルトの顔が青ざめる。
さらには、
「王太子としての人材登用能力に問題があるのではないか」
そんな声まで上がり始めた。
貴族たちは噂する。
「有能な令嬢を追放した?」
「しかも、本人がいなくなってから才能に気づいたのか?」
「王太子は人を見る目がないのでは?」
「将来、国を任せて大丈夫なのか?」
アルベルトが気づいた時には、問題はリリアーナ個人の話ではなくなっていた。
王太子としての資質。
人材登用。
国益。
そして。
王位継承。
「……廃嫡」
その言葉が、ついに一部の重臣たちの口から出始めた。
まだ正式な決定ではない。けれど、一度口にされた言葉は、王宮の中を静かに広がっていった。
◇
一方。
ノルド村では。
いつものように仕事が続いていた。
「この魔道具なんですが」
リリアーナはエドワードに設計図を見せていた。
「少し大きすぎると思いませんか?」
「そうですね」
エドワードは図面を眺める。
「でも、今の市場なら、この大きさでも売れます」
「本当ですか?」
「ええ」
「もっと小さくしたほうが便利では?」
「便利ですが、価格が上がります」
「……なるほど」
エドワードは別の場所を指した。
「むしろ、こちらを小型化してみては?」
「ここを?」
「はい。家庭向けにするなら、この部分はそこまで大きくする必要がありません」
リリアーナの目が輝いた。
「……それなら」
彼女はすぐに別の紙を取った。
「こうして……」
「そうです」
「でも、そうすると魔力の流れが」
「こちらの歯車を――」
二人は顔を寄せて図面を覗き込んだ。
気づけば、肩が触れそうな距離だった。
「…………」
リリアーナが顔を上げる。
エドワードも顔を上げた。
目が合う。
「……近いですね」
「……そうですね」
二人とも。
なぜか同時に少し離れた。
「す、すみません」
「いえ」
沈黙。
リリアーナの耳が赤くなる。
エドワードは咳払いをした。
「……そういえば」
「はい?」
「王都の菓子を買ってきました」
「またですか?」
「ええ」
箱を開ける。
甘い香りが広がる。
「最近、忙しいでしょう?」
「ありがとうございます」
リリアーナが一つ取る。
「……おいしい」
「それならよかった」
エドワードは笑った。
その笑顔を見て、リリアーナは思う。
――この人と話していると、楽しい。
商売の話だけではない。
設計の話。
村の話。
これから作りたいもの。
王都の市場。
知らない土地の話。
気づけば、エドワードが来る日を、心待ちにしている自分がいた。
「リリアーナ様」
「はい?」
「次に来る時、新しい市場の資料を持ってきます」
「本当ですか?」
「もちろん」
「……楽しみにしています」
そう言って笑った瞬間。
エドワードの表情が、ほんの少し柔らかくなった。
「私もです」
「……何がですか?」
「あなたと話すのが」
「…………」
リリアーナの顔が真っ赤になった。
「そ、そういうことを平気で言わないでください!」
「すみません」
エドワードは笑っている。
けれど、彼の耳も少し赤かった。
◇
その夜。
リリアーナは一人、自室の窓辺に座っていた。
王都にいた頃。
婚約者のために何かを考えることはあった。
けれど、いつも義務だった。
今は違う。
誰かが来るのが楽しみ。
話をするのが楽しみ。
一緒に図面を見るのが楽しい。
「……変なの」
胸に手を当てる。
どくん。
心臓が跳ねる。
「私……」
名前を口にするだけで。
少し嬉しくなる。
「エドワードさんのこと……」
そこまで言って。
リリアーナは慌てて首を振った。
「……まだ分からない」
けれど。
窓の外には。
月明かりに照らされたノルド村が広がっている。
工房の灯り。
家々の明かり。
働く人々の声。
ここは、彼女が自分の手で作り上げた居場所。
そして今、その場所で新しいものが生まれようとしていた。
魔道具ではなく、もっと大切で、少しだけ怖い。
そんな感情が、ゆっくりと。
リリアーナの胸の中で芽を出し始めていた。




