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ノルディアから最初の船が出る朝。


港には、普段より多くの人が集まっていた。


積み込まれているのは、ノルディア製の魔道具だ。


小型の照明器具。


給水装置。


厨房用の加熱器。


そして、貴族向けに作られた冷却魔道具。


木箱には一つ一つ、外国語で書かれた説明書が同梱されている。


「積み込み、完了しました!」


港湾管理の職員が声を上げた。


「魔石の予備も?」


「三箱あります!」


「修理部品は?」


「確認済みです!」


「外国語の仕様書は?」


「こちらに!」


次々と報告が飛び交う。


その中心にいるリリアーナは、最後の書類を確認していた。


「……これで大丈夫ですね」


「ええ」


隣に立つエドワードが頷く。


「では、行きましょうか」


リリアーナは顔を上げた。


「本当に、私たちも乗るんですね」


「第一陣ですから」


「駐在員の人たちだけではなく?」


「最初だけは、僕たちが直接見たほうがいいでしょう」


エドワードは船を見上げた。


「どんなに準備しても、実際に行ってみなければ分からないことがあります」


「……そうですね」


二人は船へ乗り込んだ。


ノルディアの港が少しずつ遠ざかっていく。


リリアーナは甲板から街を眺めた。


工房。


学校。


市場。


倉庫。


街道。


すべてが小さくなっていく。


「帰ってきたら、何か変わっているでしょうか」


「きっと変わっていますよ」


エドワードが笑う。


「僕たちがいない間にも、ノルディアは動き続けますから」


「……そうですね」


リリアーナも笑った。


船は、海の向こうへ進んでいった。


◆


目的地の港町――アルセリア。


王国から船で二日半。


海運によって栄えた大きな港町だった。


港へ入った瞬間、リリアーナは目を丸くした。


「……大きい」


石造りの倉庫が並んでいる。


色鮮やかな帆を張った船が何隻も停泊している。


市場からは、聞き慣れない言葉が飛び交っていた。


「ここが、これからノルディアの魔道具を売る街です」


エドワードが言った。


「まずは商館を借りています」


「もう?」


「海外展開をするなら、先に場所を押さえておかないと」


やはり、この人は抜け目がない。


リリアーナは少し笑った。


「エドワードさんらしいです」


「褒めています?」


「もちろんです」


アルセリアに到着してから、十日ほどが過ぎた。


ノルディア商会の仮店舗には、連日多くの客が訪れていた。


その理由は、店の奥に設置された一台の魔道具だった。


「本当に……涼しい」


最初に試した商人は、驚いたように声を漏らした。


アルセリアは、一年を通して暑い。


昼になれば太陽が容赦なく照りつけ、石造りの建物でさえ熱を持つ。


貴族の屋敷では冷却魔法を使える魔術師を雇ったり、氷を輸入したりして暑さをしのいでいるが、どちらも決して安くはない。


そんな国に、ノルディアのクーラーが持ち込まれた。


「こちらの魔石一つで、これだけ冷えるんですか?」


「はい。部屋の広さにもよりますが、この大きさなら一般的な応接室に対応できます」


リリアーナが説明すると、客は何度も頷いた。


「しかも静かだ……」


「家具のように置けるのもいい」


「操作も簡単ですね」


クーラーには、「弱」「中」「強」の三つしかない。


複雑な魔法操作も必要ない。


魔石を入れて、スイッチを押すだけ。


「これは売れるぞ」


最初の商人がそう呟いた。


その言葉は、あっという間に広がった。


翌日には二組。


その翌日には五組。


さらにその翌日には、貴族の使いが店を訪れた。


「こちらが、ノルディアの冷却魔道具ですか?」


「はい」


リリアーナが答える。


「旦那様が一度、実物を確認したいと」


「もちろんです」


その貴族を店の奥へ案内する。


クーラーを動かす。


しばらくすると、暑さで火照っていた客の顔から、みるみるうちに汗が引いていった。


「……これは素晴らしい」


貴族は立ち上がった。


「三台注文しよう」


「ありがとうございます」


「いや、五台だ」


「五台、ですか?」


「寝室にも必要だ」


それを聞いていた別の客が口を挟む。


「では我が家も四台」


「うちは六台だ」


「我が家にも!」


一気に注文が増えた。


リリアーナは目を丸くする。


「……エドワードさん」


「はい」


「これ、思っていた以上ですね」


エドワードは笑っている。


「常夏の国ですから」


「そうでした」


その日の夕方。


商会の帳簿を整理していたリリアーナは、机いっぱいに並んだ注文書を見つめていた。


「……三十二台」


「はい」


「今日だけで?」


「三十二台です」


「昨日までの分を合わせると?」


「五十七台」


リリアーナは黙り込んだ。


クーラーはノルディアで作っている。


当然、完成した製品は船に積んで運ぶ。


ところがアルセリアは海の向こうだ。


輸送には時間がかかる。


さらに、クーラーは魔石を使う。


問題はそこだった。


「エドワードさん」


「何でしょう?」


リリアーナは注文書の一枚を手に取った。


「魔石のことなんですが」


「はい」


「アルセリアで使われている魔石って、ノルディアのものとは少し違いますよね」


「品質も産地も違います」


「だったら……」


リリアーナは机に広げた地図を見る。


ノルディア。


海。


そして、その向こうにアルセリア。


「クーラーだけ、アルセリアで作ってはどうでしょう?」


エドワードの手が止まった。


「現地生産ですか?」


「はい」


リリアーナは地図を指差す。


「クーラーは、他の魔道具よりも魔石の消費量が多いです」


「輸送するたびにノルディアから魔石を送るとなると、かなりの負担になります」


「それに、注文がこれだけ増えるなら、完成品を船で運ぶより、現地で組み立てたほうが早い」


エドワードは黙って考え込んだ。


リリアーナは続ける。


「ノルディアでは、設計と魔法陣、それから重要な部品を作る」


「アルセリアでは、外装と組み立てをする」


「そして、アルセリア産の魔石を使って動かす」


「そうすれば、輸送するのは小さな部品だけで済みます」


エドワードの表情が変わった。


商人の顔になっていく。


「現地の工房と提携すれば、人材も確保できます」


「はい」


「魔石の調達も現地でできる」


「はい」


「注文を受けてから組み立てれば、納期も短縮できます」


「そう思います」


「修理拠点も同時に作れますね」


「……そこまで考えていました」


エドワードが笑った。


「やっぱり、あなたはすごいですね」


「そんなことありません」


「ありますよ」


エドワードは地図を見つめた。


「ノルディアの技術をアルセリアで作る」


「はい」


「そして、アルセリアで使われる魔道具をアルセリアの人たちが作る」


「そのほうが、この国に根付きます」


リリアーナは頷いた。


「ノルディアで全部作って、外国へ売り続けるだけでは限界があります」


「だから現地に工房を作る」


「はい」


「……新しい街が生まれるかもしれませんね」


「工房一つから始めるんです」


「その工房で働く人が増えて、修理店ができて、魔石を扱う商人が増えて……」


「学校も必要になるかもしれません」


リリアーナが言うと、エドワードは吹き出した。


「もう学校まで考えているんですか?」


「ノルディアで分かったんです」


リリアーナは笑った。


「技術だけ作っても、人がいなければ続きませんから」


「確かに」


二人はしばらく地図を眺めていた。


やがてエドワードが言った。


「では、明日から調べましょう」


「何をですか?」


「アルセリアの魔石鉱山」


「工房候補」


「職人」


「土地」


「それから、現地の法律」


リリアーナは頷いた。


「忙しくなりますね」


「ええ」


「また休めなくなりそうです」


「……その代わり」


エドワードが少し笑う。


「今日のところは仕事を終わりにしませんか?」


リリアーナは時計を見る。


すでに夜だった。


「そうですね」


「せっかくアルセリアに来たんですから」


エドワードが立ち上がる。


「夕食くらい、ゆっくり食べましょう」


「……はい」


二人は注文書を片付けた。


机の上には、まだ大量の仕事が残っている。


けれど、明日から始める新しい計画のことを考えると、不思議と疲れは感じなかった。


ノルディアで生まれたクーラー。


それは今、海を越えてアルセリアへ渡った。


そして今度は――。


アルセリアの人々の手によって、この国の暮らしを変えようとしていた。


リリアーナは店を出る前に、もう一度クーラーを振り返った。


静かな音を立てながら、冷たい風が店内を満たしている。


「……ノルディアだけの魔道具じゃなくなるんですね」


「ええ」


エドワードが隣で答える。


「それでも、最初に作ったのはノルディアです」


「はい」


「だから、きっと大丈夫です」


その言葉に、リリアーナは微笑んだ。


海の向こうで始まった、新しい挑戦。


それは単なる海外販売ではない。


ノルディアの技術が、別の国の人々の手に渡り、その土地に合わせて姿を変えていく。


その最初の一歩が――。


常夏の国アルセリアで始まろうとしていた。


二人は毎日のように働いた。


商談。


市場調査。


修理業者との打ち合わせ。


魔石の品質確認。


現地の法律の確認。


そして駐在員たちへの引き継ぎ。


最初はリリアーナ自身が説明していた魔道具の扱いも、少しずつ現地スタッフに任せるようになった。


「この部分は、こう説明してください」


「はい」


「故障した場合は、まずここを確認します」


「分かりました」


「それから、こちらの部品はノルディアから定期便で送ります」


駐在員たちは真剣にメモを取っている。


ある日の夕方。


リリアーナは商館の帳簿を閉じた。


「……思ったより、大丈夫ですね」


エドワードが顔を上げる。


「何がです?」


「私たちがいなくても、ここが回りそうです」


「僕もそう思っていました」


エドワードは窓の外を見る。


「最初は僕たちがいなければ何も進まないと思っていました。でも違った」


「駐在員の人たちが、ちゃんと判断できるようになっています」


「ノルディアで育てた人材が、ここでも仕事を始めている」


リリアーナは頷いた。


「なら……」


「ええ」


エドワードが笑う。


「少しくらい、仕事を忘れてもいいんじゃないですか?」


「……少しくらい?」


「一日くらい」


リリアーナは考えた。


「一日だけですよ」


「もちろん」


その翌朝。


二人は商館を出た。


仕事用の服ではない。


リリアーナは淡い色のワンピース。


エドワードも、普段より少しだけラフな服装だった。


向かったのは、アルセリアの海辺だった。


白い砂浜。


青い海。


海岸沿いには小さな店が並び、観光客や地元の人々で賑わっている。


「綺麗……」


リリアーナは思わず足を止めた。


「気に入りました?」


「はい」


海を見るのは久しぶりだった。


ノルディアにも海へ続く道はある。


けれど、ここは違う。


遠くまで広がる海を見ていると、自分たちが本当に国境を越えてきたのだと実感する。


「少し歩きませんか?」


エドワードが尋ねた。


「はい」


二人は並んで歩き始めた。


しばらくすると、小さな露店が目に入った。


「これは……?」


「貝細工ですね」


エドワードが答える。


店先には、小さなペンダントや髪飾りが並んでいた。


リリアーナが一つの髪飾りに目を留める。


青い貝殻を使った、小さな花の形。


「可愛い……」


「買いましょうか?」


「いえ、大丈夫です」


「欲しそうでしたけど」


「見ていただけです」


「では」


エドワードは店主に話しかけた。


「これを一つ」


「えっ?」


リリアーナが振り向く。


「エドワードさん?」


「今日の記念です」


「でも……」


「海外初出張の記念」


そう言われると、断りにくかった。


「……ありがとうございます」


受け取った髪飾りを手のひらに乗せる。


「帰ったら、大切にします」


「帰ってからも?」


「もちろん」


エドワードは何も言わず、少しだけ笑った。


昼には海辺の食堂で食事をした。


魚料理。


焼きたてのパン。


見たことのない香辛料を使ったスープ。


「美味しいですね」


「よかった」


「エドワードさんは食べないんですか?」


「食べていますよ」


「さっきから私が食べるのを見ているだけじゃありません?」


「……ばれましたか」


リリアーナは笑った。


「変な人ですね」


「リリアーナさんが美味しそうに食べているので」


「それ、理由になっています?」


「僕にとっては十分です」


不意に言われて、リリアーナは黙った。


頬が熱くなる。


エドワードも少し気まずそうに水を飲んだ。


「……仕事の話をしましょうか」


「今、休んでいるんじゃなかったんですか?」


「そうでした」


二人は顔を見合わせて笑った。


その日の午後。


海岸に沿って歩きながら、リリアーナはぽつりと言った。


「楽しいです」


「僕もです」


「仕事をしているときも楽しいんですけど」


「はい」


「こうして何も考えずに歩くのも、いいですね」


エドワードはしばらく黙っていた。


やがて、静かに言う。


「僕は、こういう時間がもっと欲しいと思っています」


リリアーナが横を見る。


「ノルディアに帰っても?」


「はい」


「でも、忙しいですよ?」


「知っています」


「学校もありますし、工房もあります。海外展開も続きます」


「分かっています」


「きっと、また朝から晩まで仕事です」


「それでも」


エドワードは足を止めた。


リリアーナも立ち止まる。


「仕事が終わったあとに、こうして一緒に歩けたら嬉しいです」


海風が二人の間を通り抜けた。


リリアーナはしばらく黙っていた。


そして、小さく笑う。


「……私もです」


「本当ですか?」


「はい」


「では、帰国したら」


「はい」


「また誘っても?」


リリアーナは頷いた。


「仕事じゃない日に」


「もちろん」


二人は再び歩き出した。


肩が近い。


けれど、以前のように少し離れて歩くことはなかった。


◆


さらに数日後。


二人は商館の最後の会議を終えた。


「駐在員への引き継ぎ、完了しました」


「こちらも問題ありません」


現地の責任者が頷く。


「ノルディアとの連絡も週二回行います」


「何か問題があれば、すぐ連絡してください」


「承知しました」


リリアーナは商館を見回した。


最初に来たときは、何も分からなかった。


けれど今は違う。


現地の商人がノルディアの魔道具を知っている。


駐在員が商談をしている。


修理担当者が育っている。


倉庫には商品が並んでいる。


「……任せても大丈夫ですね」


リリアーナが言った。


エドワードも頷いた。


「ええ」


二人は、翌日の船で帰国することを決めた。


◆


帰りの船。


甲板から海を眺めながら、リリアーナは髪に手を添えた。


あの日買ってもらった青い貝細工の髪飾りをつけている。


「似合っていますね」


後ろから声がした。


「ありがとうございます」


「大切にしてくれているんですね」


「はい」


少しだけ振り返る。


「約束しましたから」


エドワードは嬉しそうに笑った。


船はゆっくりとノルディアへ向かっていく。


◆


二日半後。


ノルディアの港。


「お帰りなさい!」


「無事だったか!」


「海外はどうだった?」


「注文は取れたんですか?」


港には多くの人が集まっていた。


二人が戻った瞬間、質問が飛び交う。


「ちゃんと売れましたよ!」


リリアーナが笑って答える。


「駐在員たちにも仕事を任せてきました」


「海外の商人とも契約できました!」


歓声が上がる。


その日の夜には、商業組合で報告会が開かれた。


海外市場の状況。


売れた魔道具。


改善点。


今後の輸送計画。


駐在員の活動。


次の出荷予定。


話しているうちに、気づけば夜が更けていた。


「今日はここまでにしましょう」


エドワードが言う。


「そうですね」


リリアーナも書類を閉じる。


外へ出る。


ノルディアの街には、いつもの明かりが灯っていた。


学校から帰る子どもたち。


市場を片付ける商人。


工房へ向かう職人。


宿へ入っていく旅人。


何も変わっていない。


けれど。


リリアーナには、少しだけ違って見えた。


海の向こうにも、ノルディアの魔道具を待っている人たちがいる。


そして――。


隣には、いつものようにエドワードがいる。


「明日から、また忙しくなりますね」


リリアーナが言った。


「そうですね」


「海外からの注文も増えるでしょうし」


「駐在員から報告も届くでしょう」


「仕様書も改訂しないと」


「次の魔道具の開発もあります」


二人は顔を見合わせた。


そして、同時に笑った。


「……いつもの日常ですね」


「ええ」


海外へ行っても。


海辺で一日を過ごしても。


帰ってくれば、やっぱり仕事は山積みだ。


けれど、以前とは一つだけ違っていた。


「では、また明日」


「はい」


別れ際。


エドワードが少しだけ振り返る。


「リリアーナさん」


「はい?」


「今度の休み――」


そこで一瞬、言葉を選ぶ。


「海ではなくても、どこかへ行きませんか?」


リリアーナは笑った。


「仕事ではなく?」


「もちろん」


「……考えておきます」


そう答えながら、彼女の頬には小さな笑みが浮かんでいた。


二人はそれぞれの家へ帰っていく。


明日になれば、また忙しい一日が始まる。


海外からの注文。


新しい魔道具。


学校の問題。


工房の改善。


次々と押し寄せる仕事。


けれど、リリアーナはもう知っている。


その忙しい毎日の中にも――。


仕事とは別に、一緒に笑える時間があることを。


そして、その時間を。


少しずつ楽しみにしている自分がいることを。

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