↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国大掾家繁盛記 ~戦国時代に転生した姉の未来知識を弟が形にしていたら、常陸の大勢力になっていました~  作者: 社長


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/7

二話

 翌朝。


「姉上」


「んー?」


「俺は昨日、何と申した?」


「何って?」


「一つずつ話せ、と言ったよな?」


「言ったね」


「ではこれは何だ」


 俺は目の前に積まれた紙を指差した。


 畑に水車、肥溜めに何やら棒のような物。


 そして桶と竈らしきものに井戸、さらに俺には用途すら想像できない奇妙な図。


 明らかに昨日より増えている。


「昨日寝る前に色々思いついちゃって」


「寝ろよ!」


「寝たよ!」


「いつだよ!」


「ちゃんと夜中には!」


「それは寝たとは言わない!」


 朝から頭が痛い。


 父上が亡くなって八日。


 大掾家当主となって二日目。


 俺が当主として最初にやっていることが、姉上に睡眠の大切さを説くことになるとは思わなかった。


「そもそも姉上、昨日自分で言ってただろ。一気に全部はできないって」


「だから今日は農業だけ」


「農業だけでなんでこんなにあるんだよ」


「農業って広いんだよ?」


「知ってるよ!」


 俺が声を上げると、姉上は不満そうに頬を膨らませた。


 十五にもなってその顔はどうなんだ。


 顔立ちがいいから辛うじてマシだが、弟からすると姉のその顔はキツいものがある。


「信幹ちゃんは細かいなあ」


「俺が細かいんじゃなくて姉上が雑なんだよ」


「そんなことないもん」


「ある」


「ない」


「ある」


「ない!」


「……若殿」


 横から低い声がした。


 俺と姉上は揃ってそちらを見る。


 額賀常陸介が無表情で座っていた。


「そろそろ始めてもよろしゅうございますかな」


「……すまぬ」


「ごめんなさい」


 今日、集めてもらったのは領内で農事に詳しい者達だ。


 府中近くの村を取りまとめる名主が三人。


 長年田畑を耕してきた老農が二人。


 さらに、農具の修繕を担う鍛冶師が一人。


 常陸介の勧めで、最初から大勢を集めることはしなかった。


 姉上の話が本当に役立つものかも分からぬうちから、大々的に触れ回る必要はない。


 それに。


 当主になったばかりの十三の俺が、突然百姓達を城へ呼びつけて、


『姉が妙なことを申しておるゆえ意見を聞かせよ』


 では、向こうもたまったものではなかろう。


 実際。


「…………」


「…………」


「…………」


 皆、ものすごく緊張している。


 そりゃそうだ。


 名主達はまだしも、老農二人など先ほどからほとんど顔を上げない。


 鍛冶師に至っては、何か粗相でもしたと思っているのか顔色が悪い。


「そう固くならずともよい」


 俺が声をかけると、六人全員がさらに頭を下げた。


「は、ははっ!」


「……いや、そういう意味ではないのだが」


 困ったな。


 昨日までの俺なら、城下で会えば普通に声をかけることもあった。


 だが今日から俺は大掾家当主。


 向こうからすれば、もう気軽に話せる若君ではないのだろう。


「若殿」


 常陸介が小声で呼んだ。


「何じゃ」


「御当主としてのお立場がございます。あまり気軽に———」


「分かっておる」


 分かってはいる。


 だが、それでは困る。


 今日呼んだのは、俺が一方的に命じるためではない。


 彼らの知恵を借りるためなのだ。


「面を上げよ」


 改めて言う。


 恐る恐る、六人が顔を上げた。


「此度呼び立てたのは、何か咎めようという話ではない」


 まず安心させる。


「姉上から、田畑の実りを増やすための話をいくつか聞いた。ただ、俺も姉上も実際に長く田を耕してきたわけではない」


 横から、


「私は未来知識担当だからね」


 という小声が聞こえた。


 無視する。


「ゆえに、そなたらの話を聞きたい。おかしなところがあれば、おかしいと申してくれて構わぬ」


 六人が顔を見合わせた。


 一番年長の名主が、恐る恐る口を開く。


「されど……若殿のお考えに異を唱えるなど」


「俺の考えではない。姉上の考えじゃ」


「信幹ちゃん?」


「事実だろ」


「そうだけど!」


 思わずいつもの調子で返してから、俺は咳払いした。


「……ともかく、よい。俺が聞きたいのだ」


 少し間があった。


 やがて老農の一人が、しわだらけの顔を上げる。


「ほんに……申してもよろしいので?」


「構わぬ」


「怒られませぬか」


「怒らぬ」


「牢へ入れられたりは」


「せぬ」


「首は」


「取らぬ!」


 どれだけ恐れられているんだ。


 俺はまだ十三だぞ。


 いや、当主なら年など関係ないのか。


「では始めよう」


 俺は姉上を見る。


「姉上」


「任せて!」


「待て」


「何?」


「俺が話す」


「ええ!?」


 当然だ。


 姉上に任せたら最初の一刻で全員を置き去りにする。


「まず、今年使う種籾についてじゃ」


 俺は昨日姉上から何度も聞き直した内容を頭の中で整理する。


「皆、種籾はどのように選んでおる?」


 一人の名主が答えた。


「良き穂から取ったものを残しております」


「粒の大きなものを選ぶこともございますな」


「ふむ」


 やはり何も考えずに種にしているわけではない。


 姉上の話を聞いていると、まるで未来人だけが何でも知っているように思えてしまうが、この時代の人間だって何百年、何千年と田を作ってきたのだ。


 当然、経験から知っていることは多い。


「姉上の話では、それに加えて水へ種籾を入れて選ぶ方法があるらしい」


「水へ?」


 老農達が怪訝な顔をした。


「軽い籾は浮き、身の詰まった籾は沈む。沈んだものを種に使うという話じゃ」


「へえ……」


 一人が興味深そうな声を漏らした。


 一方でもう一人は首を傾げる。


「されど若殿、籾は皆同じような重さでは?」


「俺もそう思った」


「信幹ちゃん、そこはもうちょっと私を信じてよ」


「だから試すんだろ」


 姉上へ返してから、俺は再び皆を見る。


「ゆえに、まず試す。ここへ籾を持ってきてもらえるか」


 常陸介が合図すると、控えていた小者が籾の入った桶を持ってきた。


 さらに水を張った桶を置く。


「入れるぞ」


「若殿御自ら!?」


「見るだけじゃ分からぬだろう」


「されど、そのようなことは我らが」


「よい」


 俺は一掴みの籾を水へ入れた。


 ぱらぱらと水面へ落ちる。


 しばらく待つ。


「……お」


 確かに違う。


 沈むものもあれば、水面近くに浮くものもある。


 姉上が得意げに胸を張った。


「ほら!」


「まだ分からないだろ」


「もうちょっと褒めてくれてもよくない?」


「実際に育ってからな」


「慎重すぎる!」


 だが老農達はすでに桶へ顔を近づけていた。


「なるほど……」


「確かに浮いておりますな」


「虫に食われた籾も浮きやすいのではないか?」


「ならば悪いものを弾くには使えそうじゃ」


 俺と姉上では気づかなかった話がすぐに出てくる。


 俺は思わず身を乗り出した。


「虫に食われたものもか?」


「はい。中が空けば、当然軽くなりましょう」


「なるほど」


 姉上を見る。


「姉上、そこまで考えてた?」


「……まあ、結果的には?」


「考えてなかったな」


「知識として知ってたの!」


「はいはい」


 老農達の顔から、少しずつ緊張が消えていた。


 いい、いいぞ。


 これなら話せる。


「ただ、水だけでは見分けにくい籾もあろう」


 そこで俺は次の話へ進む。


「姉上は塩を溶かした水を使えば、よりよく分けられると申しておる」


「塩でございますか?」


 今度は皆の顔が険しくなった。


 やはりそうなるか。


「……やはり高いか」


「塩は食うにも要りますゆえ」


 名主の一人が申し訳なさそうに答えた。


「種籾を選ぶためだけに多く使うとなれば、村では嫌がる者もおりましょう」


「そうだよな」


「でも塩水って濃さによっては使った後に煮詰めれば———」


 姉上が言いかけたので、俺は振り向いた。


「姉上」


「何?」


「それ、ちゃんとできる?」


「たぶん」


「なら後で試す」


「はい」


 よし。


 この人は時々「できる」と「たぶんできる」を同じ勢いで言うから危ない。


「ひとまず、最初は水でよかろう」


 俺は決めた。


「塩を使う方法は、塩を無駄にせず済むことが確かめられてからじゃ。今年は村の一部で、水に沈んだ籾と、今まで通りに選んだ籾を同じ田へ植えて比べる」


「同じ田へ?」


「田が違えば、土地の良し悪しで比べられぬかもしれぬ。隣り合うように植えれば分かりやすかろう」


 老農が感心したように頷いた。


「それならば、確かに」


 姉上が横から俺の袖を引いた。


「信幹ちゃん」


「何」


「ちゃんと実験になってる」


「実験?」


「あー……試し比べ?」


「最初からそう言え」


「それぐらい分かれよー」


「未来の言葉なんて分かるわけないだろ!」


 全く、姉上は平気で未来の言葉を使ってくるから大変だ。


 流石に13年も一緒にいるので色々と未来の言葉は覚えたが、いまだに慣れない。


 そして俺達が話していると、鍛冶師が少し困ったような顔でこちらを見ていることに気づいた。


「どうした?」


「はっ」


 びくりと身体が跳ねた。


 取って食おうってわけじゃないのにな。


「何かあるなら申してみよ」


「されば……この話に、鍛冶の某は何ゆえ呼ばれたのでございましょう」


「あ」


 そうだった。


 この人、ずっと何をさせられるのか分からず座っていたのか。


「すまぬ。次の話じゃ」


「姉上」


「うん!」


 姉上が紙を広げる。


 そこに描かれていたのは、見慣れた鍬に少し手を加えたような農具だった。


「未来の農具っていうより、今あるものをちょっと変えられないかなと思って」


「姉上」


「何?」


「皆に分かる言葉で」


「……鍬をもっと使いやすくしたいです」


「最初からできるじゃないか」


「細かい説明しようとすると無理なの! これぐらい単純なら私にもできる!」


 何を威張っているんだ。


 俺は図を鍛冶師へ見せる。


「例えば、鍬の刃の形や柄の長さを変えれば、もう少し楽に土を起こせぬかと思ってな」


 鍛冶師は図をしばらく見ていた。


「若殿」


「何じゃ」


「これは……誰が描かれたので?」


「姉上」


「……左様でございますか」


 何だ、その何とも言えない顔は。


 俺も分かるけど。


「絵そのものは気にせぬでよい」


「信幹ちゃん!?」


「要は、今の農具に不便があるなら、それを直せないかという話じゃ」


 すると先ほどまで緊張していた老農の一人が、すぐ口を開いた。


「されば、鍬の柄がもう少し短い方がよいものもございます」


「ほう?」


「田と畑では使いやすいものが違いますゆえ。土の重いところでは刃が大きすぎても疲れます」


 もう一人も続く。


「山に近い畑ならば、石へ当たった時に刃が欠けぬよう厚い方がよい」


「待て」


 俺は慌てて紙を引き寄せた。


「一つずつ申してくれ」


 姉上が吹き出した。


「何じゃ」


「昨日の信幹ちゃんみたい」


「誰のせいで慣れたと思ってるんだ」


 でも、面白い。


 姉上が未来の農具をそのまま作らせる必要などないのだ。


 今使っている人間に、


「何が不便か」


 と聞けばいい。


 それを鍛冶師に直してもらう。


「鍛冶師よ」


「はっ」


「今の話を聞いて、作れそうか?」


「大きく形を変えるのでなければ。まずは刃や柄を少し変えたものをいくつか打ち、それを試していただくのがよろしいかと」


「よし、それでいこう」


 俺が即座に答えると、常陸介が眉を上げた。


「若殿」


「何じゃ」


「銭は?」


「……あ」


 忘れていた。


 姉上が小声で、


「爺や強い」


 と呟く。


 まったくだ。


「鍛冶師よ。試しに作る分だけなら、いかほど要る?」


「手持ちの鉄を用いれば、それほどは。ただ、数を増やすとなれば———」


「まずは二つか三つでよい」


「それならば」


「常陸介」


「その程度ならば、御家の支出として問題ございませぬ」


「よし」


 危ない。


 当主になって二日目で、金を考えず物を作らせるところだった。


 父上は毎日こんなことを考えていたのか。


 俺には無理かもしれない。


 ……いや。


 無理では困る。


「他には?」


 俺は名主達へ尋ねた。


「田畑で困っておることがあれば、この際申してみよ」


 名主達が互いを見る。


 最初は遠慮していた。


 しかし一人が口を開くと、後は早かった。


「水が足りぬ田がございます」


「逆に雨が続けば水が抜けず、稲が傷むところも」


「用水を直したいのですが、人手が足りませぬ」


「猪が畑へ入りまして」


「肥が足らぬ村もございます」


「種籾も毎年良いものが取れるとは限りませぬ」


「待て待て!」


 俺は慌てて止めた。


 一気に来た。


 姉上が隣で嬉しそうに笑っている。


「いっぱい出てきたね!」


「嬉しそうに言うな! 全部俺が考えないといけないんだぞ!」


「私も考えるよ?」


「姉上の場合、さらに増えるんだよ!」


「失礼な!」


「……若殿」


 常陸介が声をかけてきた。


 また叱られるかと思ったが、その顔はどこか穏やかだった。


「何じゃ」


「すべて若殿御一人で考える必要はございませぬ」


「……え?」


 常陸介は老農達を見た。


「水のことなら、その地を知る者に聞けばよろしい。猪なら猟師がおりましょう。肥ならば百姓自身が日々工夫しております」


 そして俺へ視線を戻す。


「若殿は、皆の話を聞き、どれを試すかお決めになればよろしいのです」


 俺は少し黙った。


 昨日、自分で思ったことと同じだ。


 父上のように全部を一人で背負うことはできない。


 ならば。


「……そうじゃな」


 俺は頷いた。


「俺が知らぬことは、知る者に聞けばよい」


「左様にございます」


「姉上」


「何?」


「姉上もな」


「え?」


「未来にあるからって、全部正しいとは限らないだろ。この時代、この土地で使えるかは、皆に聞きながら決める」


 姉上は少しだけ驚いた顔をした。


 それから。


「うん」


 珍しく素直に頷いた。


「それがいいと思う」


「……そこは反論しないんだな」


「私だって何でも知ってるわけじゃないよ」


「昨日までの態度を思い返してみろよ」


「知ってることはいっぱいあるもん!」


「はいはい」


「また子供扱いした!」


「姉上が姉らしくしてから言ってくれ」


「してるじゃん!」


 そのやり取りに。


「ぶっ」


 誰かが吹き出した。


 老農の一人だった。


 本人もすぐ気づき、青ざめる。


「も、申し訳ございませぬ!」


「いや」


 俺は首を振った。


「構わぬ」


 むしろ、ようやく普通に話してくれた気がした。


 それが嬉しくて、少し顔が綻んだ。


「俺はまだ若い」


 六人を見る。


「田のことも、鍛冶のことも、商いのことも、知らぬことばかりじゃ」


 父上なら、こんなことは言わなかったかもしれない。


 当主が己の無知を見せるな、と叱られるかもしれない。


 それでも。


「ゆえに、教えてほしい」


 頭を下げるほどではない。


 だが、真っ直ぐ彼らを見る。


「我が家を豊かにしたい。田畑の実りを増やし、民が食うに困らぬようにしたい。そのために、そなたらの知恵を貸してくれ」


 六人は呆然としていた。


 やがて最年長の老農が、ゆっくり頭を下げる。


「若殿が……そのように仰せならば」


 その隣も、さらにその隣も。


「我らで分かることであれば」


「何なりと」


「お願いいたします」


 そう言ってくれた。


 俺は息を吐いた。


 これでいいのかは分からない。


 でも、少なくとも何も知らぬ俺が、知ったふりをするよりはずっといい。


     


 話し合いが終わる頃には、日はかなり高くなっていた。


 決まったことは多くない。


 今年の種籾の一部を、水に沈むものと従来の方法で選んだものに分け、同じ田で育て比べる。


 鍬を数種類だけ試作し、実際に百姓に使ってもらう。


 水利や獣害については、それぞれ詳しい者から改めて話を聞く。


 たったそれだけだ。


「思ったより少ないね」


 姉上が不満そうに言った。


「初日なんだからこれでいいだろ」


「もっと一気に改革しても」


「しない」


「即答!?」


「姉上に任せたら一年で領内全部ひっくり返しそうだからな」


「いい意味で?」


「悪い意味で」


「ひどい!」


 廊下を歩きながら言い合う。


 常陸介は少し後ろを歩いている。


「しかし」


 俺は立ち止まった。


「何?」


「今日のは面白かった」


「でしょ?」


「姉上の話じゃなくて、皆から色々聞けたことが」


「そこは私って言ってよ!」


「姉上がきっかけなのは認める」


「よし!」


 それで満足するんだ。


「でもな」


「うん?」


「俺、今まで父上が何をしてるか分かってるつもりだった」


 父上が評定を開く。


 家臣が報告する。


 父上が決める。


 そんな姿を何度も見た。


「でも、全然違った」


「何が?」


「決めるって、思ったより面倒くさい」


「そこ?」


「銭も、人手も、時期も考えないといけない。良さそうだからやる、じゃ駄目なんだな」


 姉上は俺の顔を見た。


「……信幹ちゃん」


「何」


「昨日より当主っぽくなったね」


「一日しか経ってないぞ」


「でも昨日は葬儀終わった瞬間、疲れたって爺やに愚痴ってたじゃん」


「なんで知ってるんだよ」


「聞こえてた」


「姉上!」


 最悪だ。


 常陸介を見ると、目を逸らした。


 爺も知っていたのか。


「まあまあ」


「誰にも言うなよ!」


「葵には言った」


「もう言ってるじゃないか!」


「琴にも」


「姉上!」


 俺が追いかけると、姉上は笑いながら逃げ出した。


「捕まえられるもんなら捕まえてみろー!」


「廊下を走るな!」


「信幹ちゃんも走ってる!」


「姉上を止めるためだ!」


「若殿!」


 後ろから常陸介の怒鳴り声。


「廊下を走ってはなりませぬ!」


「ほら信幹ちゃんも怒られた!」


「姉上のせいだろ!」


 父上が亡くなってから、府中城はずっと静かだった。


 いや、沈んでいたという方が正しいのかもしれない。


 けれど姉上の声が響くと、少しだけ以前の城に戻った気がした。


 父上はいない。


 それは変わらない。


 俺が当主になったことも、大掾家が苦しいことも、敵が多いことも何一つ変わっていない。


 それでも。


「待て姉上!」


「やだ!」


「子供か!」


「十五歳!」


「十分子供だろ!」


「十三歳に言われたくない!」


 こうして。


 大掾家の領国改革は、まず一桶の水と、一握りの種籾から始まった。


 後から振り返れば、俺達が変えようとしていたのは、田畑だけではなかったのだと思う。


 当主が決め、家臣が従い、民は命じられた通りに働く。


 それだけだった大掾家に、身分に関係なく、知っている者が知恵を出す。


 試して、失敗し、また考える。


 そんなやり方が、この日初めて生まれた。


 もっとも、その時の俺は、そんな大げさなことなど何一つ考えていなかった。


 ただ一つ、今日一日で、はっきり分かったことがある。


 父上。


 当主って、思っていたよりずっと大変でした。

ここまで読んでくださりありがとうございます!

ブックマークや評価をしていただけると励みになります!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。