第二話 体育という教科は、そも何を求めて産み出されたのか?
そもそも体育という教科が産み出された目的は、一体何だったのだろうか?
私がインターネットで得た情報によると、体育の目的は『全ての子どもたちが、生涯に亘って運動やスポーツに親しむために必要な素養と、健康かつ安全に生きていくために必要な身体能力や知識を身に付けることを狙いとするもの』らしい。
他にも何やらぐちゃぐちゃと小理屈を述べていたが、私に言わせれば、『体育という教科の本来の目的は、それらではない』。
そう。本来の体育の目的とは…
『上位者が自身に対して強要する理不尽を甘んじて受け入れる能力』ともう一つ、『皇軍の兵士として、お国のため、天皇陛下の赤子として、天皇陛下の御為に殺して死ぬ』、そのための能力を鍛えるための教科である。
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子どもの頃に運動が得意であった諸賢は、体育の授業にあたって不愉快極まりない気分を味わわせられた経験が一再ならずあったと思われる。
そう。かの音楽クリエイターや私のような、『体育が苦手な子どもたち』に引き摺られて、自身は全く責められるべき瑕疵はなかった筈だのに、私たちに付き合わされて罰ゲーム紛いの『懲罰』を受けさせられるハメに陥った経験が。
まさにそれこそが、体育という教科の本質なのである。
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話が微妙にずれるかもしれないが、軍隊の新兵教練について説明させて頂きたい。
軍隊の新兵教練に当たって必要なことは、『落ちこぼれを造らない』ということ、この一事に尽きるのである。
軍隊の行動に当たっては、小さくは小隊から大きくは師団に至るまで、団体行動を基本とする、このことは諸賢もご理解頂けることと思う。
そして、団体行動を遺漏なく遂行するためには、その団体に所属する人員が悉く必要最低限の能力を持っている必要があること、これもまた諸賢にはいとも容易くご理解頂けるだろう。そうでなかったら、唯一人の『落ちこぼれ』のために彼が所属する団体、部隊に留まらず一個師団すら壊滅しかねないためである。
さてその中に、かの音楽クリエイターや私のような者どもがいたとしたら…
当初は新兵の教練に当たる教官たちも、これらの者どもを『落ちこぼさない』ように尽力努力するだろう。…だが、彼らの努力も空しく実らなかったとしたら…
そのオチは、かの巨匠スタンリー・キューブリックの代表作、『フルメタルジャケット』にて、ご確認頂きたい。
新兵の教練に従事する教官たち、所謂『鬼軍曹』たちは、その『落ちこぼれ』どもを彼らが所属しているコミュニティから排斥しにかかるのである。
教練の過程で課された課題をこなすことができなかった『落ちこぼれ』だけではなく、その者が所属しているグループの全員に対して、『連帯責任』とかいう冷静かつ客観的に考えたら意味不明な理由で、懲罰を課するのだ。
さてそのようにして、自身には全く瑕疵がないにも拘らず『出来損ない』に引き摺られるようにして懲罰を課された者たちがどのような感情を抱くか…
最早、それは愚問という奴だろう。
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自分には全くの瑕疵がない筈だのに、ただ『一匹』の『出来損ない』の為に自分たちまで懲罰を与えられるのだ。その『出来損ない』に対して、彼らがどのような感情を抱くか…それはもう、凌遅処死の刑罰を与えても飽き足らぬほどの怨憎を抱くことは、全く以て想像に難くない。
そのオチは、『悪い夢だと思え、デブ野郎』って奴だ。
それがどういうものであるかは、私の拙い文章でぐちゃぐちゃと説明を垂れるつもりはない。一体それがどのようなものであるか、それについてはYoutubeで動画がアップされているので、興味のある諸賢は一度ご閲覧頂きたい。
…まぁ、結構閲覧注意な代物であることは事前に申し述べさせて頂く。
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まぁ何が言いたいかってぇと、体育という教科の本質は『一個の兵士たるに足る人材を育てるため、そのために子どもたちを教練する』、ということである。
そう考えると、『出来の悪い者たちの醜態を衆目に晒して笑い物にする』ことと、『団体競技において出来の悪い者に引き摺られて不本意な成績に終わった者たちに対して連帯責任という形で懲罰を課す』理由がすとんと胸に落ちるだろう。
そうすることによって、旧帝國陸海軍の新兵教練にあたる教官たちは、『出来損ない』どもを『物理的に消してきた』のである。
大体人間なんて代物は、肌や目の色、それに信仰する宗教など、本人に咎のない部分でも他者と異なるものを持つ者たちを排斥し、弾圧し、虐げてきた。体育という教科は、その人間の唾棄すべき本質を大いに満足させてくれる教科なのである。
何しろ問題となるのは『排斥・弾圧の対象になる本人の能力』なのだ。
『あいつが下手で無様だから笑っただけだ』『あいつが下手なせいで、俺たちまで巻き込まれて罰ゲームをやらされるハメに陥った』
いじめのターゲットにするには、十分すぎる理由である。
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体育という教科によって発生するいじめの弊害についてだが、これについては全く考慮する必要はない。
一人の生徒をスケープゴートにすることによって、他の生徒たちの団結や教室内の秩序を保つことができるのである。
このことに起因する『不幸な犠牲者』が出たとしても、『学校としてはいじめの事実は確認できなかった』とか適当こいて頬っ被りしていればいい。
こう考えると、体育という教科は『学校側』としては全く以ってメリット尽くしの教科である。廃止する理由は、全くないと言っていいだろう。




