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実験で出会ったのは少女なのだが。


 翌日。


 おれたちは黄昏の谷を訪れていた。


 辺りに人影はない。ダンジョンがあった辺りは元の「パズル」に戻っていて、岩肌に魔法式が刻まれているだけだ。他にろくなものはなく、用事がある人間などいるはずもない。


「できたわよ」


 アシュリンが立ち上がる。地面には魔法石らしきものが置かれていて、その回りを魔法陣が囲っていた。


「さて、じゃ試してみるか」


 荷物を担ぎ上げて、おれは魔法陣の中に立った。

 これからダンジョンの中に跳ぶ。それができるかどうかのテストだ。

 念のため行くのはおれひとり。大して問題はないと思うが、アシュリンには外に残ってもらって事の成り行きを監督してもらう。


「真ん中の石を触れば転移できるわ。向こう側でも同じことをすれば、戻ってこられるはずよ」

「わかった」

「気をつけて」


 少し不安そうなリアノン、アシュリン、ペトラにおれは笑いかけた。


「心配するな。すぐ戻る」



 ◇



 目に映る光景が一瞬で切り換わり、おれはダンジョンの中にいた。


「うまくいったな」


 ひとり呟いて、壁の岩肌を見上げる。魔法陣のような文様が刻まれているそこは、どう見てもただの岩壁だった。入口があったようにはとても見えない。

 これを内側から開ける人間、いや、魔族がいるだろうか。それはわからない。

 だが、手を打つなら早い方がいい。それもできるだけたくさんだ。


 そう思いながら振り返って、


「うわ」

「ひゃん」


 誰かとぶつかりそうになってバランスを崩し、しりもちをついた。

 慌てて飛び退こうとする。今ここにいる人間はおれひとり、それ以外にいるとすれば……それは魔族しかいない。背中を戦慄が走り抜け、夢中で剣を抜こうとして。


 すんでのところでその動きを思いとどまった。


 目の前にいるのは、同じようにへたり込んでいる女の子。リアノンやペトラよりさらに背が低く、少し幼い感じがする。

 気づかれないように、おれはゆっくりと息を吐き出して力を抜いた。即時戦闘に突入、という事態は避けられたようだ。

 だがおれは気を抜いてはいなかった。可愛らしい女の子ではあるが、その頭の両側にはくるりと巻いた角、そして尻尾らしきものが見えた。間違いない、魔族の女の子だ。


 さて、なんと話しかけたものだろう。


「あ、ええと、怪我はないか?」


 なんとも間の抜けた問いだと自分でも思ったが、他に思いつかない。


「あ……はい、大丈夫です」

「驚かせたらすまない。ちょっとわけありなことをやっていたものだから」


 少女を助け起こしてやると、彼女は礼を言って岩壁を見上げた。

 両手を組んで、一心に見上げている。何を思っているのだろう。


「あなたは……人間ですよね? この壁の向こうから来たのですか?」

「……そうだ」


 少し逡巡して、おれは正直に答えた。今さら隠しても無駄だろうし、ともかくもこの少女と繋がっておきたかった。


「少し前、ここが開いたと聞いたのですが、また閉じてしまったのですね。この向こうはどうなっているのでしょう?」

「それは……」


 おれは言葉に困った。たぶん、人間界のことを訊いているのだと思うが、ひと言で説明するのは難しい。


「この向こうはただの荒れ地だ。少し行くと人間の村がある」

「そこに人間が住んでいるのですね。どんな人たちなのです?」

「平凡な人間だよ。特に強くも優秀でもない、気のいい連中だよ」

「そうなのです?」


 少女はちょっと意外そうな顔をした。


「鬼や魔物のような、おっかない者たちがたくさんいると聞きました」

「そんなことはないよ」


 おれは苦笑いして答える。


「確かにそんなのもたまにいるが……大部分は『普通』だよ。特に怖くも凶暴でもない」

「相手が魔族でも?」

「もちろん。みんな優しくて気のいい連中さ。おれたちはむしろ、魔族こそ凶暴な、おっかない者たちだと思っている」

「そんなことないです!」


 少女が両手に力を込めて反論してきた。


「魔族だってみんな優しい、いい人たちばかりです。それに弱いです。凶暴なんてこと全然ありません」

「そうなんだな」


 お互いがお互いの主観だから、本当のところはわからない。

 でも、それほど違いはないんだろうな、となんとなく思った。


 少女は岩壁に手をついてため息をついた。


「ああ、この向こうへ行けたなら……人間と会って、話をしてみたいです」

「……行ってみるか?」

「行けるのです?!」


 少女の眼がぱっと輝いた。



 ◇



「遅かったじゃない。心配したわ……」


 アシュリンの言葉は途中で消えた。

 おれが一人じゃないことに気がついて、いっせいに身構える。

 武器に手を伸ばそうとしている気配を察して、おれはそれを眼で制した。


 大丈夫。問題はない。

 そう伝えた意志を、仲間たちは察して緊張を緩める。


「……これが人間界……なのです?」

「まあごく一部だけどな。そしてこれがおれの仲間だ」


 魔族と人との邂逅。

 それはごくごくのんびりした雰囲気で始まった。

 もちろん相手は魔族のいち少女に過ぎないし、こちらもごく一般的な庶民だ。それでも、大きな一歩には違いなかった。


「はじめまして。エイリースと申します」


 少女は折り目正しく、スカートをつまんで深々と頭を下げた。つられて仲間たちも頭を下げる。


「人間の方々と会えて光栄に存じます。扉が閉じてしまって会えないと思っていましたので」


 嬉しそうな少女に笑顔で答えながら、アシュリンがおれの胸ぐらをつかんでぐいと引き寄せる。


「ねえ、大丈夫なの? 連れてきちゃって」

「大丈夫さ。多分」


 ささやくアシュリンに同じくささやき声で答えた。いろいろ不安材料はある。だがとにかく、話してみないことには先に進まない。

 その間もリアノンやペトラが、緊張しながらも親しげに話しかけている。


「わたくしはダンジョン近くの村に住んでいるのです」


 魔族の少女エイリースは言った。

 ダンジョンは生活の糧を得る貴重な場だという。その果てに新しく扉が開いたらしいと聞いて確認しに来た。

 ところが扉は既に閉じられたあとで、途方にくれているところにおれが飛び出してきた、というわけだ。


「幸運でした。人間の方々とこうしてお話しできて、とてもうれしいです。わたくしたちも人間をよく知らないので、とても興味があったのです」

「そうか。どうだ? 会ってみた感想は?」


 エイリースは、ちょっと考え込んだ。そのしぐさが愛らしい。

 やがてゆっくりと微笑んで、


「もっと怖いものかと思っていたけど、違ったのです。ちょっと安心したのです」

「そう思ってもらえると、おれたちも嬉しいよ」


 よかった。内心ほっとため息をつく。

 見知らぬ魔族の少女とのファーストコンタクトは和やかな雰囲気でいけそうだ。


「そう言えばきみは……魔王を知っているか?」

「魔王……ですか?」


 つとめてさりげなく訊いたつもりだった。だがエイリースの声は思った以上に硬かった。


「……会ったことはありませんが」

「そうか。ぜひ会ってみたいんだがなあ」

「……会ってどうするのです? 討伐するのですか?」

「まさか」


 おれは努めて単純に見えるよう、笑い飛ばした。


「ただ話してみたいだけさ。案外気のいい奴かも知れないだろ?」

「そう……なのです?」


 エイリースの声は少し意外そうだった。


「人間は魔族を見るなり狩ってしまうものかと思っていたのです」

「そうだな」


 おれは腕を組んだ。


「確かに、見知らぬものは怖い。だからこそ、知る努力は必要なんじゃないかな、お互いに」


 それからおれは少女に笑いかけた。


「そしたら意外とうまくやっていけるかもな。そう思わないか?」

「そう……ですね」


 エイリースの笑いは、ぎこちなかった。でも決して暗い笑いでも、作り笑いでもなかった。


(何かが通じるといいんだがな)


 すぐに結果が出なくてもいいさ。無駄なことなんてひとつもない。


「そうだ! いけない!」

「どうした?」

「わたくし、黙ってキャンプをはなれてきてしまったのです。きっとみんなが心配しているです。急いでもどらないと」

「そうか。じゃ、送ろう」


 おれはエイリースの手を取って魔法陣の真ん中に立った。


「ではみなさま、ごきげんよう」

「うん、また会いに来てね」

「次はもうちょっとゆっくり話したいわね」

「待っているわ」

「はい。また来ます」


 お互いにあいさつを交わしたあと、おれは再びダンジョンの内側に跳んで、エイリースを送り届けた。


「ありがとう。びっくりしたけど、嬉しかったです」


 エイリースはおれに笑顔を向けてくれた。とても嬉しそうで、それだけでも来た甲斐があった、という気になる。


「ひとつお願いがあるんだが」

「なんなのです?」

「ここで外に転移できることはみんなには内緒にしてほしい。騒ぎになるとお互いに困るだろ?」


 今はまだ魔族に、外へ出る手段を知られたくなかった。切り札は切り札として温存できると有り難いのだが。


「わかりましたです。ここのことは誰にも言わないのです」

「ありがとう。助かる」


 頭を下げるおれに、少女は笑いかけてくれた。


「わたくしもここには中々来られませんが、また会えると嬉しいのです」

「そうだな。また会おう」

「あの……ナハル?」

「ん?」

「今日はとても勉強になったのです。今日のことはきっと、魔王にも伝えます」

「ああ。そうしてくれると嬉しい」


 おれたちの非公式のファーストコンタクト、それは実に友好的に終えられたのだった。




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