英雄は黒竜と相撃ちになるのだが。
「……というわけで、ただいま」
「「ナハル!!」」
リアノンがおれの首筋にぎゅっとしがみついてきた。
「ナハル……。ナハルぅ……」
リアノンの顔は涙でくしゃくしゃだ。
でも。
ああ。暖かい。
首に回された腕も、押し付けられた胸のふくらみや身体の柔らかさも、すべてが愛おしい。
その脇ではアシュリンが涙をぬぐっている。
「もう、この大ばか者! あとでぶん殴ってやるから、覚悟しときなさいよ!」
ほんのわずか離れていただけなのに、今はこのふたりが、その存在そのものが、愛おしくてならなかった。
生きててよかった。心底そう思えた。
だが。
まだやらなければならないことがある。
「ブラックドラゴンはどうした?」
リアノンに助けてもらって、おれは身を起こした。
黒竜はいまだ健在。だが必死の善戦の甲斐あって、さすがの黒竜も無傷とはいかず、だいぶ弱っているようだ。
しかしそれ以上に、人間の方が限界だった。戦士は剣や槍を支えに立っているのがやっとの状態。魔法使いは魔力を使い切って倒れ伏している。正面切ってドラゴンと戦える者はもはやほとんどいなかった。
かく言うおれだってまだ傷が癒えず、剣を振るうのもおぼつかない。
「まったく、生き返ってみても憂き世には憂さばかりだな」
おれはマジックポーチの中を探った。このまま魔族を勝ち誇らせておくのも癪にさわる。絶対にひと泡吹かせてやる。
ポーチから出て来たのはいくつかの魔法石、転移石、投げナイフ。なんとかなるか。
「ニール」
おれは魔法使いの若者に声をかけた。
「まだ魔法力はあるか? この魔法石に魔力を込めてくれ。爆裂でも炎熱でも、何でもいい」
魔法石を受け取った彼の表情を見ても、すでに限界なのはわかる。
「頼む。あと一発でいい。がんばれ」
ニールの肩を叩いてから、ゴルビーを探す。
「力は戻ったか?」
「……なんとか」
座り込んだゴルビーの脇にはペトラが付き添っている。彼女が回復してくれたのだろう。
「よし。じゃ、あとひと仕事だ。おれをドラゴンの口に放り込め」
「なんですって?! どういうこと?」
驚いたゴルビーが言うより早く、リアノンが叫んでおれの肩を掴んだ。
「おれの生まれた国には『バンザイ・アタック』って伝統があってな。奴の腹の中に飛び込んで、この魔法石を炸裂させるんだ」
みな、息を呑んだ。リアノンは震えて立っていられない。両手で口をおさえた。顔色は真っ青だ。
代わりにかみついてきたのはアシュリンだった。
「あんた、ばか? なにをつまらない前世の記憶ひけらかしてんのよ?! そんなにまでして英雄になりたいの!?」
「落ち着け、アーシュ」
今にも掴みかからんばかりのアシュリンの肩を抱いて宥める。
「死ぬわけじゃない。この転移石でちゃんと脱出する。危険だけど、大丈夫だ」
おれは左手の転移石を見せた。右手でニールから魔法石を受け取る。
「心配するな。おれだってまだ人生を楽しみたい。それにはあいつを退治しないとな」
誰も何も言わなかった。おれは何も自爆するとか刺し違えるとか、そんなことを言っているわけではない。だがそれにも等しい危険な行為であることは誰の目にも明らかだった。
そんなことをさせるわけにはいかない。だがほかに手がない。
誰もが逡巡している中、おれは自分の剣を外した。
「ノーラン! いるか?」
「?」
いきなり名前を呼ばれて、おどおどと前に進み出たノーラン。よかった。まだ比較的元気そうだ。
おれは剣を差し出した。
「おれの剣を貸してやる。伝説の聖剣フラガラッハだ。これでこの場を仕切れ」
「えっ?」
驚いたのはノーランばかりではない。
おれを支えていたリアノンが、泣きそうな顔で言う。
「やめてナハル! まるでこんな……」
「形見分けみたいか? ばか言うな」
おれは笑って、リアノンの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「こいつにはこれから、おれのために突破口を開いてもらうんだ。おれより危険な仕事だぞ。
そのために聖剣を預けるんだ。剣の名声とおまえの力で、仲間を奮い立たせてみろ」
ノーランはうつむいたままだった。重すぎる任務を言い渡しているのはわかっている。
だが男なら、冒険者として上を目指すなら、戦わなきゃいけない時がある。今がその時だ。
おれがそう言おうとしたとき。
「顔を上げな、ノーラン」
口を開いたのはリアノンだった。
「あんたは勇者になりたいんだろ? あたしを捨ててまで上に行きたかったんだろ? 今戦わなきゃ、すべて無駄になる。あんたは一生、ただの卑怯者だよ。それでいいのかい?」
リアノンの言葉は熱く、重かった。吐き出された言葉に込められた、その何倍もの思い。それを踏み越えて、まっすぐノーランを見るリアノンの眼に、おれまで胸が熱くなった。これに応えなかったら男じゃない。
ノーランが、きっと顔を上げた。
よし。
「リア。剣を授けてやってくれ」
おれはリアノンに剣を渡した。芝居じみていると思わないでもない。だが士気というものには、そういう手順が必要なのだ。
「剣士ノーラン。剣士ナハルより聖剣フラガラッハを託す。我らを率い、ブラックドラゴンを打ち倒せ」
「承知した」
ノーランは片膝をつき、うやうやしく剣を受け取る。そして剣を授けるリアノンは、神々しかった。野戦服ながら一国の姫君のような威厳があった。おれは思わず見とれてしまう。
「頼んだよノーラン。男を見せろよ」
リアノンが笑いかける。ノーランが立ち上がった。
声にならない熱気が一気に盛り上がった。
◇
剣を抜き放ち、ノーランが叫ぶ。
「立て! 戦士たちよ! 勝利の秘策はわれにある! 聖剣のもとに集え! 戦士たちよ!」
高々と剣を掲げる姿は実にさまになっていた。おれは昂ぶる心を押さえ切れなかった。悔しいがこんな真似はおれにはできない。
「だけど無理はするなよ、ノーラン。死んだら終いだからな」
「はい!」
ノーランが仲間を伴って駆けていく。
おれはリアノンに支えられ、黒竜ににじり寄っていた。
「やれやれ、あれだけ啖呵を切っときながら、このざまか」
「啖呵切ったのはあたしだし」
リアノンは赤い顔をしたまま、目を合わせない。
「それにさっきのナハル……かっこよかったよ」
「そいつは嬉しいな」
だが本番はこれからだ。
喚声が上がる。黒竜が吼える。
腕を振り回して竜が近づいてくる。大きな口を開けて吼えた。
「今だ! ゴルビー!」
ゴルビーがおれを引っ掴んで、雄叫びとともにぶん投げた。
狙いはどんぴしゃり、黒竜の口だ。頼むから噛まずに飲み込んでくれよ。
◇
暗い。
ぬるぬるする。
生臭い。
うねうねとうごめく壁の中心を、下へ下へと進んでいく。
とある所で行き止まった。ここが胃袋か。思ったより小さい。
苦労しながら身じろぎして魔法石を取り出した。ここで爆発させると、かなり危ないかも知れない。
生臭い空気の中でひと息ついて、おれは気を落ち着かせる。
右手に魔法石を持ち、左手の手甲をかざす。手甲には自分の宝玉がはめ込まれている。サリヴァンに作らせた特注品だ。
「『倍加・威力』」
そう唱えてから魔法石を肉のひだの間に押し込む。
「『付与・時間遅延』」
自分自身に時間制御の魔法を付与した。これで脱出までの時間が少しは稼げる。
転移石を取り出す。こいつを砕くと同時に魔法石を発動、脱出。それで完了だ。簡単なお仕事。これで英雄になれるなら楽なもんだ。早くリアノンとアシュリンと一杯やりたいな。
「『付与・爆裂』」
自分に魔法を付与して、爆裂魔法を発動する。と同時に転移石を握りつぶす。
「?!」
しまった。
あまりに身体が傷つき過ぎて、握力が足りない。
転移石が壊れない。脱出できない。
魔法石が炸裂した。目の前が真っ白になる。
なんて幕切れだ。
ふと笑いがこみ上げた。
ああ、こんな終わり方があるなんてな。




