7話 チャトラン スパルタ教育
◇
「なるほどにゃ〜〜」
チャトランは高い木の上で、器用に足を上げて毛づくろいをしながら、アタシの泣き言を聞いていた。
せっかく魔獣を増やそうと森に入ったのに、近所の奥さん(メス魔獣)ばかりが集まって女子会が始まっちゃうこと。そして、なぜかオスの魔獣が全く寄ってこないという悩みを打ち明けたのだ。
「そもそも、アヤ殿。最初のフィールド選びからして『甘え』だにゃ」
「フィールドが甘え?」
「ゼノムさんの家の裏山なんかで探したって、そりゃあオスの魔獣は一匹も捕まらないにゃ。だってそこ、ゼノムさんの縄張りだし、何よりあのフェンリルさんの庭だにゃ?」
「……そういうもんなのかなあ?」
アタシはイマイチ、ピンときていなかった。魔獣の男社会なんて言われても知ったこっちゃない。
「近くに超獣まで成り上がった完璧超人のフェンリル先輩がいるんだにゃ? アヤ殿が狙ってる普通のオス魔獣からしたら、そんな場所に行くのは劣等感の塊でしかないにゃ。男のプライドがバッキバキに折れるから、絶対に近づきたくないはずだにゃ」
「フェンリルさんとゼノムさんは、特別じゃないの」
「チッチッチ! これだからオス心がまるで分かってないにゃ〜〜! アヤ殿、さては向こうの世界でも大してモテなかったでしょ?」
「はあああ!? ちょっと何言っちゃってんのよ、生前はこれでもそれなりにモテてましたよっ! バブルの残り香の時代なんだから!」
(……嘘。本当は二十代の後半にちょっと数人と付き合っただけで、あとはずっとワンオペ育児の戦場だったわよ。でもここで引き下がったら負けた気がするじゃない!)
「そうにゃ? ならいいがにゃあ〜〜」
チャトランはアタシの必死の虚勢をさらりと流すと、クルリと木の上で身を翻し、森のさらに奥へと手招きをして合図をした。
「ちょっ、ちょっと!? どこへ行くのよ?」
「この森を抜けた先に、年中極寒の『雪山エリア』があるにゃ! ゼノムさんの影響が届かない過酷な環境で、ハングリー精神剥き出しのイケメンオス魔獣をハントしに行くにゃ!」
◇
森を数キロほど歩き、ようやくチャトランの言っていた雪山の麓へと辿り着いた。
鬱蒼とした森の境界線を抜けた途端、周囲の空気が一気に牙を剥くように冷たくなる。
吹雪いているわけではない。けれど、どんよりとした灰色の空からは、細かな雪がパラパラと容赦なく落ちてきていた。足元にはすでにうっすらと雪が積もっており、一歩歩くたびに靴の裏でザク、ザク、と冷たい音が鳴る。
遠くに見える険しい山脈は、上へ行けば行くほど白く霞んで消えていた。
「さっ、む……!!」
アタシは支給されたマントの前を両手でキツく閉じ、首をすくめた。
ピチピチの若い身体に若返ったとはいえ、寒いものは寒い。吐き出す息は真っ白で、早くも鼻の頭までキンキンに冷たくなってきた。
「アヤ……。これ、僕もちょっと堪えるなぁ……」
隣を歩いていたミルが、全身の三毛柄の毛を限界まで丸く膨らませながら、ブルブルと小刻みに震えている。手のひらサイズに縮小した今の身体では、余計にこの極寒が身に染みるのかもしれない。
「ほらミル、おいで」
アタシがその場にしゃがんで両腕を広げると、ミルは待ってましたとばかりにアタシの胸元へ向かって飛び込んできた。
けれど、抱きとめたその身体は思った以上に冷え切っている。
「うわっ、アンタ、めちゃくちゃ冷え冷えじゃないの!」
アタシは慌ててミルをしっかりと抱きかかえ、上からマントを被せて覆い隠した。
マントの隙間から、三毛柄の頭だけがひょこっと飛び出す。
「こうしておけば、お互いの体温で少しはマシでしょ? 即席の猫だんごよ」
「……うん、すごく暖かいね」
ミルは嬉しそうに目を細め、アタシの胸へとふにふにと頬を押しつけてきた。
(まったく、こうして甘えてくると、普通の可愛い飼い猫と変わらないのよねぇ……)
「ふふん! それじゃあ早速、ハングリーなオス魔獣でも探しますかにゃ〜〜!」
この寒さなど微塵も気にしていないのか、前を行くチャトランは雪の上を信じられないほど軽い足取りでサクサクと進んでいく。
あんなに薄着なのに、身震い一つしていない。長い茶トラの尻尾だけが、積もった雪を避けるように左右へ優雅に揺れていた。
「探すって、一体どこをどうやって探すのよ?」
アタシが後ろから尋ねると、前を歩いていたチャトランの足がピタリと止まった。
頭の上の獣耳だけが、ギチッと不自然にこちらへと向く。
しばらくの不気味な沈黙のあと、チャトランはゆっくりと、こちらの顔を振り返った。
「――転生者殿は基本、ただのバカなのですかにゃ?」
「はっ? な、なによ唐突に!」
チャトランは腰に両手を当て、心底呆れたように首を傾げた。
「さっきから聞いてりゃ、どこ? なぜ? どうすれば? ……質問ばっかりだにゃ」
「それは……仕方ないじゃない! アタシはこの世界のことを、まだ何一つまともに教えてもらってないんだから!」
「おお、出たにゃ!『だってしよ〜がないじゃニャ〜い』って顔!」
アタシの必死の弁明を見た途端、チャトランは突然腹を抱えた。
「ニャハハハハハ!!!」
そのまま雪の上へと容赦なくしゃがみ込み、片手で地面の雪をパンパンと叩きながら大爆笑し始める。
笑うたびに舞い上がった白い粉雪が、チャトランの腕や尻尾へと付着していく。
(かーーーッ!! 性格わるーーーーーーいッ!!)
(なによコイツ! クソ猫獣人だな! 今日からアタシの脳内あだ名は『クソ猫獣人』に決定よ!)
「何がおかしいのよ、真面目に言いなさいよ!」
「いやあ、ごめんごめん。別に良いんだよ……『今は』それで」
チャトランはまだ喉の奥に笑いを残したまま立ち上がり、身体についた雪をパッパッと雑に払った。
しかし――さっきまで子供のようにはしゃいでいたその顔から、瞬く間に笑みが消え失せていく。
「でもさ……?」
「――なによ」
チャトランの視線が、アタシを通り越して、静まり返った山の斜面へと向けられた。
白く霞んだ木々の奥深くから、ミシッ……と、何かが太い木の枝をへし折ったような、鈍く重い音が響く。
アタシの胸元で、ミルの耳がピンと鋭く直立した。
チャトランの尻尾も、ピタリと動きを止める。
「ここで、何も分からないまま突っ立って、誰かが手取り足取り教えてくれるのを待っていたら――」
ヒョオォォ……と冷たい突風が吹き抜け、アタシの頬を細かな雪が痛いほど叩いた。
チャトランが、再びアタシに視線を戻す。
その双眸には、さっきまでのふざけた色が、塵一つほども残っていなかった。
「それで真っ先に死ぬのは――お前だにゃ」
「!?」
胸元で、ミルの小さな身体が、恐怖でわずかに強張るのが伝わってきた。
「いっ……」
「にゃ?」
「いーーーってやろうじゃないのよ!! 誰の助けも借りずに、アタシ自力で最高のオスをハントしてやるわよ! 『先生』って言うからちょっとは頼りになるかと思って期待してたけど、とんだ性悪のクソ猫獣人じゃない!」
アタシが一切怯まずに怒鳴り返すと、チャトランは一瞬だけ驚いたように丸く目をみはった。
けれど、すぐにその口元をニィッ、と意地の悪そうな三日月型へと吊り上げる。
(あんな性格のねじ曲がったクソ猫の手を借りるくらいなら、おばちゃんの意地にかけても自力でやってやるわよ!)
「ほうほう。そこまで大きな口を叩いちゃって、本当に良いんだにゃ?」
「言ったわよ! 二言はないわ!」
「おっけーだにゃ。じゃあ、そこから先は好きに探すといいにゃ〜〜」
チャトランは両手を頭の後ろで気楽に組むと、ササッと雪を踏みしめて、アタシたちから少し離れた岩の上へと飛び乗った。
本当に、これっぽっちも手助けする気はないらしい。
(覚えてなさいよ……。絶対に最高のイケメン魔獣を見つけ出して、そのニヤケ面をギャフンと言わせてやるんだから!)
「ねえ、ミル。アタシたちだけで行くわよ」
「うん! アヤがそう言うなら、僕も全力で鼻を利かせるよ!」
胸元から顔を出したミルが、心強い相棒の目でアタシを見つめ返してくれた。
よし、まずはさっきの『木が折れる怪しい音』がした方向から、索敵開始よ――!
◇
雪山へと続く険しい斜面を歩いていると、道の脇に小さな岩山が見えてきた。
黒っぽいゴツゴツとした岩がいくつも重なり、その根元には、大人が何人か入れそうなほど奥行きのある洞穴がぽっかりと空いている。
(あそこで一度休まないと……マジで体力が持たないわ……)
いつの間にか積雪は靴の甲の高さまで達しており、一歩足を上げるだけでも重りをつけているように重かった。
手袋なんて支給されていないため、指先は真っ赤に変色し、足先も冷えきって感覚が完全に鈍くなっている。マントの中にいるミルだけは少し温かいけれど、その分、冷たい風が首元から吹き込むたびに、身体がガタガタと大きく震えた。
「ミル、ちょっとだけ……あそこで休憩しよう」
「うん。アヤ、さっきから歩き方が完全におかしくなってるよ」
「大丈夫、大丈夫よ。ちょっとだけ足がアタシの言うことを聞かなくなってるだけだから」
「それ、人間界じゃ『大丈夫じゃない』って言うんだよ……!」
どうにか這うようにして洞穴まで辿り着き、冷え切った岩壁へと手をついた。
中は外よりずっと暗かったけれど、冷たい風が直接入ってこないだけでも随分マシだった。天井から、溶けた雪の雫がポツン、ポツンと一定の間隔で冷たく地面へ落ちている。
アタシがマントを開くと、ミルが胸元からするりと飛び降りた。
すぐにアタシの足元を心配そうに一周し、感覚の消えかけた靴へと鼻を近づける。
「アヤ、本当に大丈夫? 倒れない?」
「大丈夫よ。おばちゃんだった頃はね、冷えた足を温めるのだけは得意だったんだから」
「どうやって温めるの?」
「熱いお風呂に入ったり、靴下を二枚履きしたり、布団の中で足をこれでもかってくらい擦り合わせたりよ」
「……ここじゃ、どれも一つもできないね」
「……そうね」
自分で言っておきながら、異世界では一ミリの役にも立たない虚しい主婦の知識だった。
呆れて、しゃがんでミルをもう一度抱き締めようと手を伸ばした――その時だった。
ミルの耳が、ピンと鋭く直立する。
そのまま身体を限界まで低くし、暗い洞穴の、さらにその奥の闇へと顔を向けた。
「アヤ! 奥になにかいる! 警戒してっ!!」
「えっ――?」
暗闇の奥深くから、ゴゴゴ……と低い地鳴りのような唸り声が響いた。
グルルルルルルルル――ッ。
お腹の底へ直接響くような、圧倒的な捕食者の波動。
奥の漆黒の闇の中に、パチッと二つの不気味な光が浮かび上がる。
爛々と輝く、獰猛な黄色の目だ。
「あら……お決まりの……狼さん、かなぁ……?」
情けないほどに、声が激しく震えた。
慌てて後ろへ下がろうとしたけれど、完全に冷え切ったアタシの足は、金縛りに遭ったようにビクリとも動かない。
「おっ! アヤ殿、本当に有言実行だったにゃあ!」
「チャトラン……!?」
驚いて洞穴の入口へ目をやると、チャトランが岩壁に気楽に背を預け、ニヤリと楽しそうに笑っていた。
いつの間につけてきていたのか、その身体には雪一つ付いていない。
「笑ってないで助けてよ! ヤバいの! 奥に狼的な、絶対肉食の何かがいるの!」
「バカだにゃあ! 本当に」
「はあぁ!?」
「自分で見つけたではないか! よし、ターゲット捕捉だにゃ。ゆくぞ、こうやるのだ!」
「えっ? やるって、何を――」
チャトランはアタシの言葉を無視して洞穴の正面へと躍り出ると、両手をメガホンのように口元へ当てた。
そして――。
「おらぁぁぁ! クソ雑魚子ども狼どもォォ! 一匹残らず食っちまうぞおおおおおおお!!!」
山全体、いや雪山全体を激しく震わせるような、鼓膜を引き裂くほどの大声だった。
「耳元でうるっっっっっさいわねぇぇぇ!!!」
耳の奥がキーンと激しく鳴り、アタシは思わず両耳を必死に塞ぐ。
ミルも頭を地面にこすりつけ、前足で器用に耳を押さえてうずくまっていた。
――次の瞬間、頭上で凄まじい雪崩の音が響いた。
岩山の上から、灰色の巨大な影が、次から次へと地響きを立てて飛び降りてくる。
ズゥゥンッ!!
ドサッ!!
ザザザザッ――!!!
激しく舞い上がった新雪によって、視界が一瞬で白一色に染まる。
やがて、その白い雪煙がゆっくりと収まった時――。
アタシたちの周囲を完全に包囲するように、数匹の巨大な狼の群れが立ちはだかっていた。
一番中央にいる大きな個体は、背丈だけでも優に三メートルは超えている。一番小さい個体でさえ、ミルが元のサイズに戻った時と同じか、それ以上の体躯がある。
白、灰色、漆黒。
毛色はそれぞれ異なるが、その全ての獰猛な眼光が、中央の獲物へと一点に注がれていた。
裂けた口元から覗く牙は、一本一本が肉切包丁のように長く、鋭く、白くギラついている。
(あ、終わったわ……)
さっきまでの足の冷たさなんて、一瞬で消し飛んだ。
恐怖のあまり全身の血の気が引き、身体が完全に硬直する。
息の仕方さえ忘れてしまい、アタシはただ、絶望の中で狼たちを見返すことしかできなかった。
「ほらほらアヤ殿、なに突っ立ってんだにゃ?」
隣を見ると、クソ猫獣人は楽しそうに雪の上で足をバタバタさせ、意味不明なダンスを踊っている。
「そんなところで白目向いてないで、ほら、交渉、交渉!」
「こんな四面楚歌の包囲網で、一体何をどう交渉すんのよぉぉぉぉぉぉーーーっ!!!」




