6,5話どろぼ〜♪どろぼ〜♪
ひと月ぶりに召喚者のテラ、そしてトラの二人と対面した。
どうやらアタシの成長度合いを査定するのもコイツらの仕事に入っているらしく、とにかく早く新しい魔獣(もちろん即戦力になるオス)を手に入れろ、と急かされている。
「アヤ殿、ほれ。これでも喰らってみよ」
テラがそう言うと、何の前触れもなく突然、禍々しい何かをアタシに向かって投げつけてきた。
「危ないっ!」
「えっ」
どん、と背中を押された衝撃。気づいた時には、アタシは数メートル離れた安全な場所へと移動していた。
直後、部屋の奥でカシャン! と、激しく何かが粉砕される音が響く。
「ミ、ミルが……動いたの?」
振り返ると、ミルが少し息を荒くしながらゆっくりと頷いた。戦えない不人気種のはずなのに、アタシの危機には恐るべき俊敏さで反応するのだ。
「ふん。最弱のメスフレイヤを捕まえたとて、やはり全然成長させておらんの。これでは実戦など到底無理じゃ」
テラはそう吐き捨てると、手をパンパンと横柄に叩いた。すぐにドアからメイドさんたちが数人現れて、割れた不穏な破片を手際よく片付けてゆく。
「アヤさん……。実感ないかもしれないんですけど、僕たちの世界も崖っぷちなんです。最長でもあと一年で、あなたは確実に戦争に駆り出されるんですよ……」
いつになく、トラは真面目な目をしている。
だけどねぇ、そんなのはそっちの勝手な都合でしょーが!
見知らぬ異世界に放り出されて、新しい生活に慣れるだけでもこっちは必死なのだ。新入社員の研修期間もなしに最前線に放り込もうとするなんて、どんな超絶ブラック企業よ。コイツらときたら、現場の大変さを何一つ分かっていない。
◇
イライラが収まらない帰り道、アタシはミルと初めて出会ったあの森へ寄り道することにした。
「ねえ、ミル。ミルはこの森に、知り合いの『オスの魔獣』とか心当たりない?」
「知り合いかぁ……。知り合いって言われると、ちょっと難しいんだよなぁ」
「そうなの?」
「うん。言葉を喋っているオスの魔獣はもちろん見たことあるけど、基本みんな群れを作ってて縄張り意識が強いからね。僕はあんまり関心を持たれてないんだ」
はぁ、とため息が出る。
しかし、さっきの館であんなクソガキ(神様)に憐れみの目を向けられたのは、アタシの四十二年の人生プライドが黙っていない。
(舐めるんじゃないわよ。オスの一匹や二匹、おばちゃんの営業手腕でチョチョイと契約してやるわよ!)
「でも、アヤが困ってるなら僕も協力できるよ!」
「えっ? なになに!?」
アタシは途端に目を輝かせた。「待ってました!」という魂の叫びが、きっと全面的に顔に出ていただろう。
「僕は他の魔獣と言葉が通じるからね。ここから大声で呼んでみるよ! ――おーい! 喋れるオスの魔獣、集まれー!って」
「……あ、うん。呼び方めちゃくちゃストレートだね?」
一抹の不安を覚えつつも、ミルが「魔獣師さんが来たよー!」と何度も森の奥に向かって声を張り上げる。
すると、最初は遠くの茂みがガサガサ、と怪しく揺れた。
アタシは「ついに逞しいオス魔獣のお出ましだ!」と背筋を伸ばし、魔獣師らしくキリッと身構える。
ところが――木陰からおずおずと顔を出したのは、ふわふわした可愛い尻尾を揺らす、どう見ても小柄なメスの魔獣だった。
さらにもう一匹、ガサゴソと姿を現す。これまた目がクリッとした、可愛いメス。
また一匹。
気づけば頭上の枝の上、岩陰、足元の草むらからも、次々と可憐な顔が覗き始める。
(あれ……? ちょっと待って……これ、全員メスじゃない……!?)
◇
「あの〜……」
一体の可憐な魔獣が、おずおずと木陰から話しかけてきた。
「あっ、はい? なんでしょう?」
「やっぱり……オスじゃないと、お話してもらえませんか……?」
「あっ、いやいや! 滅相もない! どうぞどうぞ、大歓迎ですよ!」
「あら、そうなの?」
「えっ!?」
アタシの返答を聞くや否や、反対側の木の陰からも、また別のメス魔獣がひょっこりと顔を出した。
「いや〜、私もねぇ、人間の魔獣師さんと一度じっくりお話してみたかったのよぉ〜」
「そ、そうですよねぇ〜。アタシなんかで良ければ、いくらでもど〜ぞ〜」
その気軽な一言が、完全に引き金となった。
堰を切ったように、周囲の草むらからメス魔獣たちが一斉にワラワラと這い出てくる。
「ねぇねぇ、人間の町って今どんなものが流行ってるの?」
「その服、可愛い! 動くとき暑くないの?」
「魔獣師って本当に私たちの言葉、全部理解できるのね!」
気づけばアタシは、きれいに半円を描くようにして集まった、十匹近いメス魔獣たちに完全に包囲されていた。
もちろん、誰一人として敵意などない。
むしろこれ――近所の奥さんたちが平日の昼下がりに集まって、井戸端会議(お茶会)を始めたときの空気そのものだ。
「っていうかさ、隣の森のスレイプニルさんのところの旦那、最近どーなのよ?」
「も〜〜聞いてよ! 優しいのは最初だけ! 今じゃすっかり狩りから帰るのも遅いし、家事も手伝いやしないんだから!」
「うわ、分かる分かる〜〜! オスって釣った魚にエサやらないタイプ多いよねぇ!」
あちこちで、ケタケタと高らかな笑い声が上がり始める。
アタシに質問攻めをしていたかと思えば、いつの間にか話題は魔獣同士の身内ネタへと高速で飛び、さらに別の魔獣が「ちょっと聞いてよ!」と割り込んでくる。
(……あれ? アタシ、完全にただの聞き役になってない?)
(まあ、現実世界でも女子のほうが、こういう時の横の繋がりとイケイケ感は凄まじいもんねぇ……)
ファミレスでドリンクバー一つで四時間粘る主婦グループの執念を、アタシは今、異世界の森の中でひしひしと思い出していた。
ゼノムさんは「メスの魔獣はすぐ死ぬ」なんて恐ろしいことを言っていたけれど。
この凄まじいバイタリティとコミュニケーション能力を見る限り、精神的な戦闘力だけなら、絶対にオスよりこっちのメス集団のほうが上だと思うわ……
◇
(身体はピチピチの二十代に戻ったっていうのに……。集まる魔獣まで近所の奥さん(おばちゃん)ばかりって、どういう因果よ……)
そんな益体のないことを考えながら、道具屋のパート業務で商品の棚卸しをしていた時、その事件は唐突に起こった。
「ドロボーーーーッ!!」
バックヤードから、グレッタさんの悲鳴にも似た絶叫が響き渡る。
直後、大きな体躯の男が、アタシのいる棚に向かって猛スピードで突っ込んできた。
「わわわわわっ!?」
男と肩が激しくぶつかり、アタシの身体は無様にヨロヨロとよろめいた。危うく大事なポーションの棚をなぎ倒すところだった。
「アヤちゃん捕まえて! アイツ、うちの最高級の万能薬を箱ごと持って行きやがったよぉー!」
最高級の、万能薬。
――その仕入れ値、いったい何万ジェルすると思っているのよ。
「ミル! 行くわよっ!」
完全にパートのプロとしてのスイッチが入ったアタシは、反射的に店を飛び出していた。
城下町の人混みを強引にかき分け、必死に逃走するドロボーの背中を追いかける。けれど、さすがに男の足は早い。どんどん距離が離れていく。
「ミル! あの男が抱えてる万能薬の箱だけ、力ずくで引っぺがして!」
「わかった、任せて!」
アタシの足元を並走していたミルが、一瞬で縮小化を解除して元の巨体へと戻る。
凄まじい脚力で一気に男との距離を詰めると、すれ違いざま、男の手から万能薬の箱をガブリと口で奪い取った。
想定外の衝撃を受けた男は、そのまま勢いよく石畳の道へと突っ込んで派手に転倒する。
だが、男はすぐに執念で起き上がり、血走った目で振り返った。
「ミル! 深追いしなくていい! こっちへ戻って!」
ミルは箱をしっかりと咥えたまま、猫らしい軽やかな身のこなしでアタシの元へと駆け戻ってくる。
「ふざけんな、そいつは俺のも――」
男が逆上してミルに手を伸ばそうとした、その瞬間だった。
――ヒュンッ!
突如、頭上の屋根の上から、風を切る茶色い影が一直線に降ってきた。
影は男の背中へと音もなく正確に着地すると、全身のしなやかな筋肉をバネのようにしならせる。
陽の光を浴びて、その鮮やかな茶トラ模様の毛並みが艶やかに輝いた。
猫……?
いや、人間……!?
身長は百五十センチほど。小柄な女の子の体躯だ。
お尻から伸びた長い尻尾が、機嫌よさそうに左右へビターンビターンと揺れ、頭の上の獣耳がぴくぴくと小気味よく動いている。
何よりアタシの目を奪ったのは、その両手だった。
指先から鋭く伸びた五本の鉤爪が、太陽の光を反射して冷たく銀色にギラリと光る。
伊達や酔狂の飾りじゃない。あれが、あの肉体そのものが凶悪な武器なのだと、一目で理解できた。
「はい、犯人ゲーーーっト!!」
茶トラの獣人は、倒れた男の背中の上でぴょんぴょんとお手玉のように飛び跳ね、まるで祭りでも始まったかのように無邪気な喜びの舞を踊り始めた。
「ぐえっ!?」
「ごふっ、がはっ!?」
一歩踏まれるたびに、超重量の衝撃が加わるのだろう。男が肺の空気をすべて搾り取られたような情けない悲鳴を上げる。
周囲の兵士たちはというと、止める様子すら微塵もなく、
「ああ、また始まったぞ……」
「嬉しいと毎回真っ先に飛び乗っちゃうんだよなぁ、あいつ」
と、慣れた様子で苦笑いしながら眺めていた。
「これ、それくらいにしてあげなさい。チャトラン」
凛とした、低く澄んだ女性の声が広場に響き渡る。
その一言だけで、喧騒に包まれていた広場の空気がピリッと一瞬で静まり返った。
集まっていた人混みが、まるでモーセの海割りのように自然と左右へと割れていく。
その中央を、一人の女性がゆっくりと歩いてくる。
燃えるような、鮮烈な紅い長髪。
漆黒を基調とした、厳格な礼装を思わせる美しい軍服。
頭上には王冠とも兜とも違う、鋭く天へと突き出した金色の豪奢な装飾。
ただ歩いているだけだというのに、周囲の視線が磁石のように吸い寄せられ、道行く商人も、さっきまで苦笑いしていた兵士たちも、静かに、だが最敬礼の角度で頭を下げていく。
(うわ……。とんでもない大物が来ちゃったわね……)
チャトランと呼ばれた茶トラの獣人は、男の背中から軽やかに飛び降りると、
「はーい!」
と元気よく返事をして、気絶しかけている犯人を兵士へと引き渡した。
任務完了、とばかりにパンパンと手を払うと――今度はアタシのほうへと、一直線に歩いてくる。
「アタシはチャトラン! よろしくね!」
満面のプロ級の笑顔で、肉球のついた手をバッと差し出された。
(チャトラン……。見た目そのまんまやないかい!)
アタシが脳内で激しくツッコミを入れていると、チャトランはアタシの顔をのぞき込み、ニカッと牙を見せて笑った。
「君だねぇ? 噂の『転生者』のおばちゃんって!」
「あっ、はい。そうですけど……」
「やっぱり! よろしくねーー!」
ガシッ! と力強く両手を握られたかと思ったら、そのままぶんぶんと腕ごと激しく上下に振り回された。
「わっ、ちょっと、わわわっ!?」
「あはは! ギルドから館へ会いに行く途中だったんだけど、向こうから歩いてきてくれて手間が省けちゃった!」
アタシの言葉に耳をぴこぴことせわしなく動かし、長い尻尾も嬉しそうに左右へとビチビチ揺れている。
人懐っこい大型犬……いや、文字通り超巨大な甘えん坊の猫だ。
にしても、見た目の小柄さに反して信じられないくらいの超怪力である。ちょっと油断したらおばちゃんの貧弱な肩関節が脱臼してしまう。
「そこまでにしなさい、チャトラン。初対面の方に対して非礼です」
先ほどの紅い髪の女性が一歩前へ出ると、アタシの目をまっすぐに見つめ、流れるような所作で静かに一礼した。
「高天原第一親衛隊長、ネネネと申します」
「あっ、アタシは……アヤです。どうも、ご丁寧に……」
「あなたのことは、すでに上層部から伺っております。我が国に魔獣師として新たに召喚された、地球の方ですね」
鼓膜に心地よく響く、落ち着き払った声だった。
隣で「わーい!」とはしゃぎ回っているチャトランとは、完全に正反対。
片方はひたすらに騒がしい太陽のようで、もう片方はすべてを焼き尽くす一歩手前の、静かに揺らめく業火のようだった。
「あの、それで……第一親衛隊長なんて偉い方が、どうしてアタシなんかを待ち伏せして……?」
アタシが恐る恐る尋ねると、チャトランが「待ってました!」とばかりにケラケラと無邪気に笑う。
「あはは! それ、アタシたちの口から言わせちゃうかなぁ!」
「……?」
「簡単に言えばねぇ! 召喚士たちから直々に頼まれた、君の『地獄の修行』のお手伝いってこと!」
チャトランは牙を覗かせてニカッと笑うと、今度こそ千切れんばかりに尻尾をぶんぶんと振り回した。
(修行のお手伝い……?)
その瞬間、アタシの主婦の直感が、最大級の危険信号を脳内でピコンピコンと鳴り響かせた。
この無邪気な野生児と、一分の隙もないエリート軍人。
これから始まるというその修行が、おばちゃんの柔な肉体をコテンパンに叩き直す「超ゴリゴリのスパルタ」であることは、火を見るよりも明らかだった。




