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女魔獣師が召喚された理由  作者: 凛1129
一章 ため息と共におぎゃあ
10/26

8話 オス魔獣との契約


 ◇


「子どもを食うって……あんたが言ったのかい?」


 群れの中でもひときわ大きな狼が、雪を踏みしめながら、ゆっくりとチャトランへ近づいた。


 肩まで三メートルはあろうかという巨体。

 見上げるほどの質量から放たれるプレッシャーは凄まじい。

 吐き出される息は白く凍り、地鳴りのような低い声だけで周囲の空気がビリビリと震える。


「へっ?」


 アタシは状況が掴めず、巨大な狼とチャトランの顔を何度も交互に見るしかなかった。


「あー? そうそう! あたし、あたし」


 当のチャトランは、悪びれる様子もなくひょいと手を挙げる。

 この緊迫した空気の中で、完全に緊張感がゼロの態度だ。


「親衛隊の方が、なんの冗談ですかい。勘弁してくだせぇよ」


 巨大狼が、あきれたようにふんと鼻を鳴らした。


「ん? だって普通に呼ぶの面倒じゃん?」


 狼は深く、長いため息をつくと、今度はゆっくりとアタシの方へその恐ろしい顔を向けた。

 金色の鋭い眼光が、まっすぐにアタシを射抜く。


「……で、この方が魔獣師さんですな」


「そう! 魔獣師が魔獣に襲われねぇって仕様、完全に忘れてんだよ。この元おばちゃん!」


「おばっ……まあ……そうですけど……!」


 元おばちゃんだけど、今は一応ピチピチ(?)の若返りボディなんだから、そこを強調しないでほしい。


「んなことより早く交渉しろよぉ。焦れってぇなぁ〜」


 チャトランは大きく欠伸をしながら、早く行けとばかりに手をひらひらと振る。


(全部、元はと言えばアンタのせいでしょーが!)


 心の中で激しいツッコミを入れながら、アタシは雪を蹴って一歩前へ出た。

 ここで怯んだら元スーパーのチーフの名が廃る。


「あ、あの……実はですね。コホン。ええと、オスの魔獣を探してまして――」


「なんだあ? 弱そうだぞ、コイツ」


「ちゃんと戦えんのかよ」


「見た目は若いけどさ、なんか……加齢臭するな」


「ギャハハハハ!」


 周囲を取り囲んでいたコボルトウルフたちが、前足で雪を叩きながら好き勝手に笑い始めた。


(はぁぁぁあ!?)


(加齢臭だとぉぉぉおおお!?)


(完全にキレたわ! いま、この場でスーパーのタイムセールを修羅場に変えてきた『おばちゃんパワー』の恐ろしさ、骨の髄まで叩き込んでやるわよーい!)


 

「はい! 今、そこのコボルトウルフくん!」


 アタシは勢いよく、さっき煽ってきた狼を指差した。


 突然名指しされた若い狼が、耳をピクリと動かして身構える。


「おお? 一応、アタシらの種族名は知ってんのか」


(ふふん、事前に勉強しておいて良かったわ……!)


「さっき、アタシのこと弱そうって言ったよね?」


「ん、ああ。言ったが?」


「じゃあ聞くけど、強かったらどうするの? 一生、誰かの下について、ただ命令を待って終わるだけ?」


 その言葉に、狼たちの下品な笑い声がピタリと止まった。


「本当の君たちの夢は何? ただ魔獣師の奴隷になること?」


「いや……そんな夢なんてねぇよ。だから人間と契約なんかしてねぇんだろ」


「そう!!」


 アタシは大きく頷き、雪を踏みしめて一歩迫る。


「それも立派な生き方! 群れを守るのも、子どもを育てるのも、絶対に間違ってない! 立派な人生よ!」


 狼たちは気圧されたように、黙ってアタシの言葉に耳を傾けている。

 よし、タイムセールの呼び込みで鍛えたマイクパフォーマンス(生声だけど)の効果は抜群だ。


「でも!」


 アタシはぐるりと周囲の群れを見回した。


「逆に――自分がこの群れの『長』になりたいってヤツは、一人もいないの!?」


 雪山に、しんと冷たい静けさが落ちる。


「自分の旗を掲げたいヤツ。もっと強くなって世界を見たいヤツ。そんな熱い夢があるなら、アタシが全力で力を貸してあげる!」


 狼たちは、ざわざわと互いに顔を見合わせ始めた。

 完全にこっちのペース。


 しばらく重苦しい沈黙が続いた、そのとき――。


「あの……僕じゃ、駄目でしょうか?」


 消え入りそうな、控えめな声が響いた。


 視線を向けると、群れの連中の足元をすり抜けるようにして、一匹の小柄なコボルトウルフがおずおずと前へ歩いてきた。


 他の狼の肩の高さほどしかない、小さな、まだ子供のような身体。


「おお……! オスなら願ったり叶ったりだよぉ!」


 アタシはさっきまでの威圧感をかなぐり捨ててしゃがみ込み、そのもふもふの頭を優しく撫で回した。


「大丈夫! おばちゃんが責任持って、あんたを最強にしてあげるから!」


 思わずぎゅっと抱きしめて頬ずりすると、小さな狼は耳をぺたんと寝かせて、照れくさそうに身体をすり寄せてくる。

 可愛い。最高。


「……いや、小さくね?」


 横から、チャトランが実に呆れたような声を差し込んできた。


「黙れ、このクソ猫獣人が!」


「はいはい、お幸せに〜」


 チャトランはひらひらと手を振り、肩をすくめる。


「あ、ちなみに……僕って言ってるけど、ちゃんとオスよね?」


 念のため、隣にいたミルの顔を覗き込むと、何だか少しムッとした顔をされた。

「オスだよ。ほら、見てみな」


 すると、小さなコボルトウルフは恥ずかしがる様子もなく、その場で後ろ足でぴょんと立ち上がった。


「わっ、分かった! 分かったから! アタシの負け! しまって!」


 アタシは真っ赤になって慌てて両手を振る。


 それを見た周囲の狼たちから、一斉にドッと大きな笑い声が沸き起こった。

 張り詰めていた雪山の張り詰めた空気が、ようやく少しだけ、温かく和らいだ。

 

 ◇


「フジ! 早くおいで!」


「はいっ、今行きます!」


 あれから、あの小柄なコボルトウルフの子と正式に契約を交わした。

 名前は『フジ』と名付けている。


(四十代の元おばちゃんが、雪の岩山で見つけたウルフ。これもう、名前は『フジ』一択でしょ? 異論は認めないわ)


 このフジ、とにかく素直で良い子だった。


「フジ、これ運んでくれる?」

「はい!」


「そこで少し待っててね」

「はい!」


「危ないから、アタシの後ろに下がって!」

「はい!」


 とにかく返事だけはいつでも百点満点。

 何事にも一生懸命についてこようとする姿は、見ているだけで「よしよし、おばちゃんが美味しいもの食べさせてあげるからね!」と貢ぎたくなる魅力がある。


 契約を終えた後、『テラとトラの館』でフジのスキルを調べてもらった。

 そこで判明した、フジが最初に覚えたスキルは【虎咆】(こほう)


 自身の咆哮を強烈な衝撃波へと変えて放つ、強力な遠距離攻撃スキルだ。


 なんでも、魔獣が最初に覚えるスキルは、契約直前に受けた【強い経験や記憶】が色濃く反映されるらしい。


 つまり、フジがこのスキルに目覚めた原因は――。


(……あのクソ猫獣人の、山をも揺るがした大絶叫のせいよね?)


 チャトランが情け容赦なく叫んだあの声が、巡り巡ってフジの強力なスキルになったらしい。


(めちゃくちゃ役に立つスキルなんだけど……なんか、すっごく癪に触るわ……!)

 

一方、ミルの方にも大きな変化があった。


【逃げる】→【逃がす】

【縮小】

【盗む】


 泥棒から万能薬を奪い返した経験によって【盗む】を覚え、あの洞穴でアタシを逃がせなかった後悔から、【逃げる】が【逃がす】へと進化したらしい。


 【逃がす】は、触れた相手をアタシのそばまで瞬時に転移させる補助スキル。

 【盗む】は、相手が身につけている物や所持品から、狙った物を一つだけ確実に奪い取るスキル。


(うん、めちゃくちゃ役に立ちそう……なんだけどさ)


(というかアタシの相棒、犯罪の匂いしかしないスキルばかり覚えてない!?)


 現在はゼノムさんと一緒に、それぞれのスキルの限界値を調べているところだった。


「フジ、虎咆(こほう)じゃ」


「はい!」


 フジが深く息を吸い込む。


「ガアアアアアッ!」


 周囲の空気が強烈に震え、目に見えるほどの衝撃波が地面を這うように一直線に駆け抜けた。


 ドォンッ!


 少し離れた位置にあった巨岩に命中し、砕けた石礫と砂埃が派手に舞い上がる。


「もう一発」


「はいっ!」


 二発。

 そして三発。


 フジが四発目を撃とうと身構えた、そのときだった。

 アタシの足元が、急にぐらりとふらついた。


「うっ……」


 頭の芯を強引にかき回されたような、強烈な眩暈。

 視界が急激に歪み、アタシはその場に膝をついた。


 フジ自身はまだ全然動けそうなのに、アタシの方の身体が、もう限界を訴えている。


「ふむ、今日は三発が限界じゃな」


 ゼノムさんは手帳に何やらペンを走らせながら、淡々と頷いた。


「少し休んでから、次はミルじゃ」


 アタシは地面に座り込み、酷い息苦しさと眩暈が治まるのをじっと待った。


「……もう大丈夫か?」


「多分……さっきよりは、少し」


「ではミル、これを盗んでみい」


 ゼノムさんは懐からひょいと木の実を取り出すと、自身の手のひらの上に載せた。


「うん」


 ミルの姿が一瞬だけ、陽炎のように霞む。

 次の瞬間にはゼノムさんの手から木の実が消え去り、ミルの小さな前足にしっかりと挟まっていた。


「あっ、凄い!」


「二回目」


 またしても、一瞬で消える。


「三回目」


 さらにもう一度。


 ゼノムさんが四回目を命じようとした瞬間、今度はアタシの目の前が完全に真っ暗になった。


「ちょっ……待って、限界……っ」


 全身からすうっと力が抜け、アタシはその場へ派手に尻もちをついた。


「アヤ!」


 ミルとフジが、慌てた様子で同時に駆け寄ってくる。


「なるほど。【虎咆(こほう)】を三回使ったあとでは、【盗む(ぬすむ)】も三回が限界というわけか」


 ゼノムさんはアタシを心配する素振りすら見せず、やっぱり淡々と手帳にデータを書き込んでいる。


(いや、おじいさん、少しくらいはアタシの心配をしてよ……!)


「同じスキルであっても、その日の体調や精神状態によって使える回数は細かく変動する。そして限界を超えて使えば、今のように術者自身が倒れることになる」


 そうなのだ。

 魔獣がスキルを使うたびに消耗するのは、魔獣の体力ではなく、指示を出す術者――つまりアタシの『精神力』だった。


 精神力が尽きれば、アタシは意識を保てなくなる。

 そうなれば魔獣に指示を出すことも、スキルを使わせることもできなくなるのだ。


 フジとミルがどれだけピンピンしていても、好きなだけ戦わせられるわけではない。


 自分たちがあと何回スキルを使えるのか。

 どの能力を、どの順番で発動させるのが最適なのか。


 それらを正確に把握することもまた、魔獣師にとって最も重要な訓練の一つだった。

 

 ◇


 一通りの訓練を終え、ゼノムさんと別れて家へと戻る帰り道。


 フジはアタシの半歩後ろを、雪を蹴る静かな足音だけを響かせてついてきていた。

 だが、不意にその歩幅が緩む。


「アヤさんは人間ですから、僕たちの話は、少し変に聞こえるかもしれません」


 前を見据えたまま、フジがぽつりと呟いた。


「ん? 何が?」


「僕たちコボルトウルフ(魔獣)の群れでは、(おさ)の命令は絶対なんです」


「……そんなに厳しいの?」


 フジは迷いなく、小さく首を縦に振った。


「もし、それぞれが自分の考えで勝手に動き始めたら、群れは群れじゃなくなります。一瞬で壊れてしまう」


「でも……もし、その命令が明らかに間違ってたら?」


「それでも、従います」


 返事はあまりにも早かった。

 迷う素振りも、綺麗事を探すようなさえもない。それが当たり前だと、魂に刻み込まれているかのように。


「例えば、子どもが崖から落ちそうになったとします」


「うん」


「でも、長が『動くな』と言えば、僕は動きません」


 あまりに淡々とした言葉に、アタシの足がピタリと止まった。

 振り返ると、フジの金色の瞳がじっとアタシを見つめていた。


「……助けないの? 目の前で子どもが死にそうでも?」


「助けたいです。心が引きちぎれそうになります」


 フジは俯きもせず、真っすぐアタシの目を見て答える。


「でも、一匹が情に流されて飛び出せば、二匹目も飛び出します。三匹目も続いてしまう」


 フジは視線を、遠くの白銀の雪原へと向けた。


「そうして、群れ全体が崖崩れに巻き込まれて全滅する。それが一番やってはいけないことです」


 冷たい風が、アタシとフジの間をヒュウと吹き抜けた。

 その声には、迷いも後悔も、冷酷さすらもなかった。ただ、過酷な自然を生き抜くための、絶対的な生存戦略。


「一匹を助けようとして、群れ全部を失う。長は、みんなの代わりにその責任を背負って、嫌われ役になります。間違っていても、恨まれても、群れを生き残らせるためなら、絶対に命令を曲げないんです」


(群れ……家族……組織……)


 フジの言葉が、アタシの胸の奥を重く打つ。

 規模はまったく違うけれど、前世のスーパーでチーフをやっていた頃、パートさんたちの生活やお店の利益を守るために、心を鬼にして非情な決断を下さなきゃいけなかった時の感覚が、一瞬だけ脳裏をよぎった。


 誰かを守るための『長』の重圧。それを、この小さな身体でフジは理解しているのだ。


「――だから」


 フジはアタシの前に回ると、ピシッと背筋を伸ばして頭を下げた。


「今はアヤさんが、僕の『長』です! アヤさんの命令なら、僕は命を懸けます。これから、よろしくお願いします!」


 向けられたのは、純粋で、あまりにも重い信頼。

 ただの可愛いペットを飼うのとは違う。アタシはこの子たちの命を預かる『長』になったのだ。


 おばちゃん、ちょっと身が引き締まっちゃうじゃないの。


「いやいや……うん! 頼りにしてるよ、フジ。アタシも全力で頑張るから!」


 アタシは精一杯の笑顔を浮かべ、フジの頭をくしゃくしゃと撫で回した。

 絶対に、この子たちを死なせたりはしない。心の中でそう強く誓いながら、アタシたちは再び、家路へと歩き出した。

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