3話 まさかの魔獣と契約しちゃう
ゼノムさんの家に来てから、二日目。
昨日の夕方、ついにゼノムさんの「愛しいカミさん」こと、フローラさんと対面した時の衝撃は、未だに忘れられない。
『よく来たねぇ、お嬢ちゃん。狭い家だけど、ゆっくりしていきな』
そう言って、マッチ箱みたいな小さな平屋から、文字通り「這い出る」ようにして現れたフローラさん。
ゼノムさんの2倍はあろうかという見上げるほどの巨体に、ドレスの袖を引き裂かんばかりの圧倒的な筋肉量とボリューム。
あの5メートル超えの白狼スエキチンの背中を、おにぎりでも握るような手つきでガシガシと豪快に撫で回していた。
(巨人族が住んでるのかと思ったアタシの直感、半分当たってたじゃないの!!)
最初は恐怖で硬直したけれど、フローラさんは見た目の大迫力(物理)とは裏腹に、もの凄くおっとりした聖母のような大聖人だった。
そんな規格外のデコボコ夫婦の元で、早速、魔獣師としての本格的な訓練が始まった。
「いいかアヤ。まずは余計なことは一切考えんでいい。ワシらの言葉を理解し、まともな『対話』ができる知性を持った魔獣を、自力で一匹見つけてくるんじゃ」
出がけにゼノムさんから受けた指示はそれだけだった。
キセルを燻らせる目はギラギラと鋭く、一流の風格が漂っている。
「魔獣師のジョブ特性のおかげで、基本的には野生の魔獣から襲われることはない。じゃが、中にはジョブの理が通用せん狂暴なハズレ個体もいる。その場合は見栄を張らずに全力で逃げなさい」
(いや、逃げろって言われたってさぁ……。ゼノムさんのスエキチンみたいな化け物サイズにエンカウントしたら、逃げる間もなく即死よ、トホホ……)
そんなわけで、アタシは朝から遮二無二、草原を歩きっぱなしだ。
風は現世の田舎みたいに気持ちいいけれど、目印になるものが少なすぎて、自分が一体どこまで歩いてきたのかさえ分からなくなってくる。
ゼノムさんの家だって、テラたちから貰った地図を見ながら必死に探したのに、なかなか辿り着けなかった方向音痴のアタシだ。遭難の恐怖がじわじわと胃をチクチク突き刺す。
最終的にはこの国の戦争に行かなきゃいけないっていうのは、頭では分かっている。
けれど、ゼノムさんは「まずは基礎じゃ」の一点張りで、大戦の詳しい情勢や説明をちっともしてくれない。
(いや、この世界(高天原)の人は、どいつもこいつも説明不足が過ぎるのよ! チュートリアルくらいしっかりやりなさいよね!)
スマホも時計もないので正確な時間は分からないが、体感でもう六時間は魔獣たちに話しかけ続けている。若返った身体のスタミナだけが今の唯一の救いだ。
アタシは途中で何度も草の上にへたり込んで休みながら、テラたちから渡された『翻訳の魔導メガネ』の位置を直した。
一応、アタシより前に現世からこの国へ召喚され、大出世して高名な学者になった先人がいるらしい。
その人が開発したという、魔獣の言語を日本語に変換してくれるメガネをかけ、ペラペラの魔獣図鑑を片手に片っ端から声をかけているのだが――。
「ねぇ、そこの緑のトカゲさん、アタシの声聞こえる?」
「……あー、今日も今日とてダルい。ずっと寝てたい」
「じゃあ、そっちのタヌキみたいな可愛い君は?」
「あいつの肉、美味そう。じゅるり」
一向に会話にならない。
昨日、森の中で聞いた野生動物の愚痴と同じで、この開けた平地にいるのんびりした魔獣たちも、まあ好き勝手な欲望しか口にしないのだ。
草を食べながら「あー、ハラへった」と咀嚼音を響かせる牛。
木陰でゴロゴロしながら「眠い、動きたくない」としか言わない犬。
羽を広げたまま「今日は風が気に入らんから絶対に飛びたくない」と空に向かって文句を言っている鳥。
こちらの問いかけに対して一切のレスポンスがなく、みんな自分勝手な独り言(欲望)をスピーカーで流しているだけ。
(基本、どいつもこいつも本能と文句しか喋らないじゃない……。このままじゃアタシのほうが精神的にノイローゼになりそうだわ)
深く重いため息をつきながら、生い茂る青草を踏みしめる。
この安全な平地をどれだけ回っても、知性のある魔獣なんて見つかりそうにない。
(……ちょっと怖いけど、あっちの森のほうに行ってみるしかないか)
アタシは意を決して、草原の端に広がる未知の森へと足を進めた。
近づいてみると、意外にも木々は適度な間隔で生えており、思っていたほど薄暗くはなかったのが、ビビりなアタシにとっては唯一の救いだった。
地面にはふかふかと落ち葉が積もり、歩くたびにカサッ、カサッと心地いい音が響く。木漏れ日も綺麗に差し込んでいて、想像していたようなおどろおどろしさは一切ない。
(それでも、これ以上奥へ進む勇気なんて微塵もないんだけどね)
ヘタレなアタシは森の境界線ギリギリをなぞるようにゆっくり歩いていた。すると、一本の立派な大木の根元で、優雅に毛づくろいをしている「とんでもなく大きな三毛猫」が目に入った。
(ちょっと待て、デカッ!!)
高さは優に一メートルはある。普通の猫なら「おいで〜」と両手で抱き上げられるサイズだが、この子の場合は、アタシが全力で胸に抱きつく側のスケール感だ。
それでも、前足をペロペロと舐めて顔を洗う仕草は、現世の実家の近所をのんびりうろついていた野良猫と何ら変わりない。
「こんにちはー。猫ちゃん。こんなファンタジーな森にも、人間界の猫みたいな動物がいるのねぇ」
アタシが翻訳メガネの位置を直しながら何気なく話しかけると、三毛猫はピタリと毛づくろいをやめ、ゆっくりと顔を上げた。
息を呑むほど美しい、宝石のような紫色の瞳が、まっすぐにアタシの顔を射抜く。
「……猫? なにそれ。ボクをその辺の有象無象と一緒にしないでくれる? ボクは高位魔獣のフレイヤ種だよ」
「っ!?」
(えっ!? 今、完全に会話のキャッチボールが成立したわよね!?)
アタシは喜びのあまり、その場ですっ転びそうになりながら「マジで!?」「まさかの一日で大当たりの知性派を引いちゃった!?」と現世のバーゲンのタイムセールに遭遇した主婦さながらにキャーキャーと騒ぎ立ててしまった。
しかし、一メートル超えの三毛猫は、そんなアタシの狂喜乱舞っぷりを見ても怯むことなく、ただ冷ややかな目で小さく首を傾げた。
「うるさい人間だな……。君、一応は魔獣師でしょ? なんでそんなに義務教育を受けてないみたいな騒ぎ方をしてるの」
「えっ、どうしてアタシが魔獣師だって分かったのよ」
「魔獣なら匂いや気配で一発で分かるよ。……もっとも、君の纏っている魔力は、ボクが今まで見た魔獣師の中でも驚くほどペラペラで薄っぺらいけどね」
(あらやだ、すんごい口が生意気ねこの子! 誰がペラペラよ! 現世じゃ中年太りでそれなりの厚みはあったのよ!)
心の中で激しく毒づきながらも、アタシは営業用の笑顔を作って一歩近づいた。
「アタシはアヤっていうの。よろしくね。君、フレイヤ種ってことだけど、なんて名前なの?」
「はぁ? 本気で言ってる? これだから新米の魔獣師は……」
三毛猫は呆れたように深いため息をつくと、前足を綺麗に揃えて座り直した。
「ボクたち魔獣はね、魔獣師と魂の『契約』を結んで、名前を与えられない限りは名無しなんだよ。名前っていうのは、ボクたちが次のステージへ進化するための、特別なトリガーなんだから」
「あ、そうなのね……。ちょっとアタシ、一昨日この世界に無理やり引っ張られてきたばっかりで、ぜーんぜんシステムが分かってなくて。ごめんなさいね」
アタシが素直に頭を下げると、三毛猫は長い尻尾を身体の前にくるりと巻き付け、どこか値踏みするような目でアタシを見つめた。
魔獣は、生まれた時から人間の言葉を流暢に話せるわけではないらしい。
何十年、何百年と長く生き、色々な魔獣や人間を観察して、ようやく人間の言葉の概念をマスターするのだという。
「へぇ……。じゃあ君、見た目は大きな可愛い三毛猫ちゃんだけど、中身は結構なお年寄りなわけ?」
「人間の尺度で歳を聞かれても困るよ。ボクたちの時間は君たちとは違うんだ」
猫のくせに、喋り方には妙な落ち着きと冷徹さがある。アタシがどれだけ騒いでも眉一つ動かさないのは、現世の何倍もの時間を生き抜いてきた絶対的な余裕があるからなのだろう。
(うわぁ……いつの間にか、とんでもない大先輩と話をしてる気分。いや、実際に遥か年上なんだろうけど、猫に上から目線で説教されてるの、なんか主婦として非常に複雑だわー)
「でも、驚いたな」
三毛猫は紫色の瞳をわずかに細め、森の奥を見つめた。
「魔獣師はとっくに絶滅したと思ってた。ボクら魔獣がもう一度『進化』の可能性を掴むためには、魔獣師との契約が不可欠だからね」
「ゼノムさんのところにいた、あの大きな白い狼も?」
「あれはフェンリル種だよ。もう普通の魔獣じゃなくて、超獣と呼ばれている」
「超獣……」
昨日、アタシの頭の上を軽々と飛び越えていった白い巨体を思い出す。
(……あれ以上に成長したりするのかしら。家より大きくなったら、トイレとかどうすんのよ。片付ける方の身にもなってほしいわ)
「野良の魔獣が、自分の力だけで超獣になることは、ほとんどないんだ」
三毛猫はそう言いながら、地面に落ちていた葉を前足でぽてぽてと押さえた。
爪を立てるわけでもなく、ただ退屈そうに触っている。
「でも、魔獣師の人と契約したら、戦争とかに行かなきゃいけなかったりするでしょ? 魔獣さんたちには、あまりメリットがないように思うのよねえ」
「そりゃ、より良い子孫を残すためさ」
「子孫?」
「そうだよ。魔獣師と絆を結んで自分が進化すれば、格が上がる。そうすると、優秀な子が生まれやすくなるんだ」
「なるほど、婚活市場でのステータス上げみたいなものね。……いや、アタシがイケメンを探し求めてるのも、本能レベルでは同じことなのかしら?」
「多分、似たようなものじゃないかな。見栄えが良いのは遺伝子的に強い」
三毛猫は、さも当然といった風に頷いた。
人間も魔獣も、結局考えていることはそれほど変わらないらしい。
「でも……我々フレイヤ種は、魔獣師にあまり人気がなくてね。種族自体も、すごく減っているんだ」
「えっ、そうなの? こんなに可愛いのに、なんで?」
「戦闘系のスキルを全然覚えないらしい。あと、打たれ弱くて体力もない。要するに、戦場で役に立たないんだよ」
三毛猫は特に悲しそうな顔をするでもなく、自分の種族の「不人気ぶり」を淡々と話している。
でも――魔獣師と契約しなければ、魔獣は進化できない。
進化しなければ、良い子孫も残せない。
(それって、種族としての絶滅危機じゃない……!?)
本猫はあっけらかんとしているけれど、これ、アタシが思っている以上にヘビーな問題を抱えてるんじゃなかろうか。
(あー! アタシだって、若い頃に比べたら人気ないわよ!)
「じゃあ、アタシが契約しようか?」
三毛猫の耳が、ピクリと跳ね上がった。
「い、いいのかい?」
声はさっきまでと変わらない。至って冷静だ。
けれど、身体の前に几帳面へと巻いていた尻尾の先が、バンバンバン! と激しく左右に動き、周囲の土埃を派手に立てまくっている。
(猫って、こんな犬みたいな喜び方したっけ……?)
「なんか君とは気が合いそうな気もするし、そちらこそ良かったら」
「ありがとう! 遂にこの日が来たって感じだよ」
落ち着いていた声が、初めて少しだけ嬉しそうに弾んだ。
(ふふ、やっぱりめちゃくちゃ嬉しいんじゃない)
「それで、どうやって契約をするの?」
「お互いに触れて、心が一致していること。それからアヤが僕の名前をつけると、魔獣師としての契約が成立するんだ」
「わかった。なんか呼んでほしい名前ある?」
「それも僕からは決められないんだ。魔獣師が呼びたい名前を口にすることで、初めて契約の楔が完成するからね」
(うわ、悩むな……。空の時は、もっとちゃんと名前つけろって、本人にめちゃくちゃ怒られたことあったしなぁ……)
「なに食べたい?」
「なんでもいいよ。任せるわ」
なんか、あの不毛なやり取りに似てる。
アタシ、人生であれが一番苦手なやつだー!
「アヤ……大丈夫?」
そんなことを考え、頭を抱えて一人で悶絶していたら、猫にものすごく心配そうな目で見つめられた。
「……コホン。手……でいいのよね?」
「前足だけどね」
「あら、そうでした」
アタシがしゃがんで右手を差し出すと、三毛猫も大きな前足を持ち上げた。
アタシの掌より、一回りずっと大きい。
鋭い爪がちゃんと引っ込んでいるのを確認してから、ふかふかの肉球へ、そっと手を重ねる。
(あ、柔らかい……)
大きさは全然違うのに、触った感じは普通の猫と変わらなかった。
少し緊張するけれど、この世界にいる以上、魔獣師として生まれ変わったからには進むしかない。
アタシは目を瞑り、その温もりを感じながら、ふと思いついた名前を口にした。
「ミル……なんてどうかな?」
「ミル」
三毛猫が、確かめるようにその名を繰り返した。
――その瞬間。
世界から、すっと音が消えた。
重なり合った掌と肉球の隙間から、じわり、と純白の光が染み出してくる。
「うわたっ!?」
慌てて手を離そうとしたが、遅い。
光の奔流はアタシの腕を凄まじい勢いで駆け上がり、一瞬でミルの巨体を包み込んだ。
ドォン!! と鼓膜を揺らすような地鳴りと共に、白い光柱が天高くへと突き抜ける。
木々の隙間を、森を、そして雲をも割るようにして、空へと昇っていく光。
それまで穏やかだった周囲の空気が一変し、暴風となって吹き荒れた。
髪が容赦なく顔へと張りつく。
「ちょっ、なにこれ!? ただの名前付けじゃないの!?」
足元の落ち葉が一斉に巻き上がり、視界が白一色に染まる。
アタシはなんとか踏ん張ろうとしたけれど、あまりの風圧に地面の土で足を滑らせ、そのまま後ろへ派手に尻もちをついた。
「痛ててて——」
やがて、突風が嘘のようにピタリと止んだ。
恐る恐る、目を開ける。
光の残滓がキラキラと粉雪のように舞い散る中、そこには、さっきと変わらない三毛猫が静かに座っていた。
いや――変わらない、はずなのに。
その毛並みはまるでシルクのように気高く輝き、一瞬だけ、その背後に巨大な獣の影が揺らめいた気がした。
「終わったよ、アヤ」
「……もう?」
「うん。これで僕は――ミルだ」
ミルは自分の名前をもう一度愛おしそうに口にすると、今度は満足そうに、ピンと真っ直ぐ尻尾を立ててみせた。
◇
一度、小屋に戻ろうとしていると、遠くから突如として風を切る凄まじい音が聞こえてきた。
見上げると、どこまでも高い青空を、白い影が一直線にこちらへ向かって猛スピードで降下してくる。
「うわっ!? なにあのデカいの!」
その影はみるみるうちに視界を埋め尽くし、フェンリル種『スエキチン』がアタシたちの目の前へと降り立った。
「アヤ! 離れて!」
そう叫んだミルが、アタシの服の襟を咥え、一瞬にして数メートル後ろへと引き下がった。
猫らしからぬ、恐るべき反応速度。
直後――ズシーン……!!
大砲でも落ちたかのような衝撃が走り、地面が大きく揺れて小石が弾け飛ぶ。
思わず膝をグッと曲げて、必死に足場を踏ん張った。
(相変わらず凄い振動だわぁ……心臓が止まるかと思った……)
「アヤ、お前まさか……契約したのか!」
スエキチンの背から飛び降りたゼノムさんは、アタシの返事も待たずに血相を変えて駆け寄ってきた。
アタシの姿を一目見るなり、次はミルの姿を凝視する。
そして額に手を当てると、天を仰いで大きく息を吐き出した。
(おおお……前世の記憶がなくても分かるぞぉ……。こ、これは……アタシが何かを完全にやらかした時の顔だ……!)
「あのぉ、ゼノムさん。なぜアタシが契約したって分かったんですか?」
「空を見りゃ、素人でも分かるだろうが……」
さっきまで吹き荒れていた風は止み始めていたけれど、禍々しい黒い雲がまだ空の一部にべっとりと残っていた。
天を割るほどの光柱があれだけ派手に上がったのだ。そりゃあ目立つに決まっている。
(昼間なのに急に暗くなって暴風……うん、そりゃそうだわぁ)
「しかも……お前、よりによって……」
ゼノムさんは言葉を切ると、ゆっくりとミルへ視線を向けた。
そのまま何かを言いたそうに口を開きかけ――結局、本日一番の重いため息だけが漏れる。
「そんなに……フレイヤ種って不人気でしたか?」
アタシは少し気まずくなって、ミルの背中をそっと撫でながら聞いた。
ミルは気持ち良さそうに喉を鳴らし、目を細めている。
「人気不人気以前の問題だ。まず、百歩譲って……せめてオスのフレイヤだったら、まだなんとかなったかもしれんが……」
「あ〜! それならご安心ください、ゼノムさん! ミルはオス猫……じゃなかった、オスのフレイヤですよ! ねーっ、ミル!」
アタシはホッとして、満面の笑顔で振り返る。
しかしミルは、すっと綺麗に目を逸らした。
(えええええ!? ミルまで目を逸らすのかーいっ!)
ゼノムさんは無言のまま、被っていた帽子を深くかぶり直し、完全に目元を隠してしまった。
その肩が、微かに絶望で震えている。
(えっ……なんなの? その絵に描いたような落胆ぶり。その沈黙……)
(よく分からんけど、メスはダメなの? メスのフレイヤ種って、まさか……まさかの……?)
「ミルはっ……! ボクっ子フレイヤだっただとーー!?」




