10話 ベルン越境事変 3
レグナスさんが剣を横へ振ると、それまで一斉に攻撃を繰り返していた高天原の部隊が動きを変えた。
「弓隊、第三列まで後退! メイジは左右へ展開してください! シーフ隊は追撃を中止!」
号令が飛ぶたび、兵士たちは迷うことなく動き、さっきまでミルとチャトランさんに引っ掻き回されていたはずの隊列が、あっという間に組み直されていく。
◇
「うそ……もう?」
「アヤ!」
ミルの声に振り向くと、左右へ展開した弓兵たちが一斉にこちらへ弓を向けていた。
「ミル、【逃がす】!」
次の瞬間、アタシの身体が後方へ飛び、直前まで立っていた場所へ何本もの矢が突き刺さる。
「ちょっと! 今のアタシ狙い!?」
『違う! 僕だよ!』
「え?」
ミルが駆け出すと、その後ろを追いかけるように矢が次々と地面へ突き刺さり、一直線に土煙が上がっていった。
「弓隊、あの三毛猫を前へ出させるな! メイジは進路を塞いでください!」
遠くからレグナスさんの声が響く。
(ミルを狙ってる!?)
弓兵だけじゃない。左右へ散ったメイジたちまでミルの進路を潰すように魔法を撃ち始め、地面が凍り、炎が立ち上がったところへ、さらに矢が降ってくる。それでもミルは小さな身体を左右へ振り、兵士たちの足元を潜り抜けながら走り続けていた。
『アヤ! これじゃ盗めない!』
「一回戻って!」
『分かった!』
無理に続けさせても意味がない。ミルがこちらへ戻ろうと方向を変えた、その瞬間だった。
「今です。前衛、穴を塞いでください!」
高天原の兵士たちが一斉に動き、さっきまでミルが引っ掻き回していた場所へ盾を持った兵士たちが入り込む。その後ろへ弓兵とメイジが下がったことで、僅かに開いていた道が完全に塞がれた。
「あっ……」
ようやく分かった。ミルを捕まえようとしていたんじゃない。前へ出られないよう追い払われたんだ。
そして、その意味にネネネさんもすぐ気づいた。
「チャトランさん、戻ってください!」
「分かってるニャ!」
敵陣へ食い込んでいたチャトランさんが振り返ったものの、来た時には開いていたはずの道はもうない。盾を構えた兵士たちが壁を作り、その向こうから槍や魔法が次々と飛んでくる。
「ニャッ!?」
チャトランさんは身を捻って槍をかわし、そのまま別の兵士の肩を蹴って飛び上がった。
「囲め! 猫獣人は生け捕りにしろ!」
「冗談じゃないニャ!」
チャトランさんと一緒に飛び込んだ山賊たちも足を止められ、前へ進むどころか退くことさえ難しくなっている。
「ネネネさん!」
「分かっています!」
黒龍の杖が振り上げられ、黒炎がチャトランさんの退路を塞いでいた前衛へ飛ぶ。しかし、その前へいくつもの盾が並んだ。
「防御!」
盾の表面が一斉に光り、黒炎がぶつかった瞬間に大きな爆発が起こる。何人もの兵士が後ろへ押し込まれたものの、それでも隊列は完全には崩れない。
「くっ……!」
ネネネさんがもう一度杖を構えた瞬間、今度は左右から人影が飛び出してきた。ネネネさんを捕らえるため、最初から用意されていたシーフ系の兵士たちだ。
「行かせるかぁぁぁ!」
ギソンさんが巨大な盾を横薙ぎに振るうと、放たれた衝撃波が地面を走り、右側から迫っていた数人をまとめて吹き飛ばした。反対側から飛び込んできた猫獣人には盾そのものを叩きつけ、その勢いのまま身体ごと押し返す。
「ネネネ! 前だけ見てろ!」
「お願いします!」
ネネネさんは振り返らず、チャトランさんの退路を開くために黒炎を撃ち続ける。その背後へ迫る敵だけを、ギソンさんと周囲の山賊たちが食い止めていた。
「ギソンさん、左!」
「おう!」
「右からも来てます!」
「分かってる!」
けれど、相手の動きは明らかに山賊たちとは違う。真正面からギソンさんへ挑もうとはせず、左右へ散らばりながら狙うのはネネネさんだけ。次から次へと押し寄せる相手への対応に追われ、ギソンさんの位置が少しずつ後ろへ引っ張られ、その分だけ正面が薄くなっていく。
アタシがそれに気づいた時には、もうレグナスさんが動いていた。白い鎧が高天原の兵士たちの間を抜け、その後ろでは中央に残っていたウォリアーたちが一斉に前へ出る。
「正面、前進!」
「ギソンさん!」
「分かってるけどよぉ!」
けれどギソンさんは動けない。正面へ戻ればネネネさんを狙うシーフたちを通してしまい、このまま守りに残れば、今度はレグナスさんたちに正面を突破される。
ミルを追い払ったことでチャトランさんを敵陣に取り残し、その救援にネネネさんの攻撃を向けさせる。さらにネネネさんへシーフを送り込み、ギソンさんまで守りに縛りつけたうえで、空いた正面へレグナスさん自身が出てきたのだ。
「アカネさん!」
アカネさんが地面を蹴り、走りながら身体を一気に若返らせた。高天原の兵士たちの間を抜け、そのままレグナスさんの懐へ飛び込む。
「ほいっと」
掌が鎧へ触れた瞬間――凄まじい衝撃波が炸裂した。
ドォォォンッ!
周囲にいた兵士たちまでまとめて吹き飛ばされ、高く舞い上がった土煙の中からレグナスさんの姿が現れる。胸元の鎧には、アカネさんの掌の跡がはっきりと残っていた。
「ほほう……やはりウォリアーとヴァンガード、両方の資質を持っとるのか。こりゃまた厄介な生まれじゃの、召喚者よ」
「驚きました。今のは、まともに受ければ危なかったですね」
レグナスさんは鎧についた土を払いながら、相変わらず穏やかに笑っている。
「……ほぉ。ワシのを受けて、その程度か」
「貴公の仰る通り、ヴァンガードも修めていますので」
「神獣を囲め!」
高天原側から声が上がり、左右から矢が飛んでくる。アカネさんが飛び退いたところへさらに魔法が降り注ぎ、レグナスさんとの間へ炎の壁が立ち上った。
「アカネさん!」
「来るな!」
思わず走り出そうとしたアタシを怒鳴りつけ、アカネさんは飛んできた矢を杖で叩き落とす。
「お前まで前へ出たら誰がワシらを動かすんじゃ! ミルを戻せ! 猫も助けにゃならんじゃろ!」
そこでようやく、まだチャトランさんが敵陣の中にいることを思い出した。
「ミル!」
『いるよ!』
いつの間にか戻ってきていたミルが、アタシの足元へ滑り込んでくる。
「チャトランさんのところまで行ける?」
ミルは敵陣へ目を向け、僅かに間を置いてから答えた。
『……行ける』
「本当に?」
『アヤがちゃんと指示してくれれば』
胸がドキッとした。でも、迷っている時間はない。
「じゃあ――」
言いかけたところで轟音が響き、見るとアカネさんの身体が宙を舞っていた。
「アカネさん!」
空中で身体を捻って着地したアカネさんが口元を拭う。
「ったく……硬いのぉ」
その正面でレグナスさんが剣を振ると、刃から放たれた衝撃波が地面を裂いた。アカネさんは横へ跳んでかわし、そのまま再び距離を詰めようとする。
「近づかせなければいいだけでしょう?」
「ほざくのぉ!」
だが、その進路へ弓と魔法が集中した。
「邪魔じゃ!」
さすがのアカネさんも足を止める。レグナスさんは自分一人の強さだけで戦っているんじゃない。周囲の兵士まで使いながら、自分が有利に戦える距離を保っている。
そのままアカネさんへ向かうのかと思ったが、レグナスさんは突然方向を変え、アカネさんを無視して走り出した。
「ネネネさん!」
ネネネさんもすぐに気づき、黒龍の杖をレグナスさんへ向ける。
「【黒龍】!」
杖から放たれた黒い炎の龍が一直線に走る。レグナスさんは避けず、剣を身体の前へ構えた瞬間に全身を薄い光が包み、そのまま黒龍が直撃した。
轟音とともに黒炎が膨れ上がり、レグナスさんの姿を完全に飲み込む。
それでも炎の中から、白い影が前へ出てきた。
「嘘……」
「おおおっ!」
その進路へギソンさんが割って入り、巨大な盾と白い剣が激突した。
ガァァァンッ!
衝撃で地面まで震える。
「また貴殿ですか」
「悪ぃな! 俺の後ろには行かせねぇって決めてんだ!」
「素晴らしい……ですが、貴殿一人ではありませんよ」
その言葉と同時に、ネネネさんを狙っていたシーフたちが再び左右から押し寄せる。
「くそっ!」
ギソンさんの視線が一瞬だけ逸れた隙を逃さず、レグナスさんの剣が盾の脇を滑り抜け、そのまま肩へ叩き込まれた。
「ぐあっ!」
「ギソンさん!」
血が飛んだ。それでもギソンさんは倒れず、巨大な盾を振り回してレグナスさんを無理矢理押し返す。
「ネネネ! 下がれ!」
「ですが――」
「いいから下がれ!」
ネネネさんが後退しようとしたものの、その先にも敵がいた。いつの間にか回り込んでいた猫獣人たちが退路を塞ぎ、完全に囲まれている。
「……やられましたね」
ネネネさんが小さく呟くと、レグナスさんはギソンさんと距離を取り、剣についた血を振り払った。
「元第一親衛隊長である貴女を、甘く見るつもりはありません」
「随分と買ってくださるのですね」
「もちろんです。かつては私の上官だった方ですから」
ネネネさんの顔から表情が消える。
「ですから――」
レグナスさんが一気に踏み込んだ。
「ネネネ!」
ギソンさんが盾を上げるより早く、その横を白い影が抜ける。レグナスさんの剣がネネネさんへ迫り、黒龍の杖が辛うじて受け止めた。
甲高い音が響き、ネネネさんの身体が後ろへ弾かれる。
間髪入れずに次の剣が来た。杖で受けるたびに後退させられ、魔法を撃つための僅かな間すら与えてもらえない。
(まずい……距離が近すぎる!)
メイジにとって最も危険な距離へ、ウォリアーであるレグナスさんが完全に入り込んでいる。
「ネネネさん!」
何ができるかなんて考えていなかった。ただ、目の前でネネネさんが殺されそうになっているのを見ていられず、気づけばアタシも走り出していた。
その目の前で、レグナスさんの剣が黒龍の杖を大きく弾く。
「しまっ――」
ネネネさんの身体が無防備になり、レグナスさんは剣を返した。
「投降してください、隊長」
「お断りします」
「……そうですか」
レグナスさんの剣が振り上げられた、その時だった。
「おい、色男。戦闘中にお喋りとは随分余裕じゃの?」
「なっ――」
横からアカネさんが飛び込んだ。
「アヤァァ! 【掌波】の指示ぃぃぃ!」
「ア、アカネさん?」
一瞬だけアカネさんと目が合い、何をしようとしているのか分かった。アタシはレグナスさんを睨みつけ、タクトを強く握る。
「アカネさん――【掌波】!」
ズドゥゥゥゥン――!
超至近距離から放たれた掌波がレグナスさんの頭部へ直撃し、その衝撃はネネネさんやギソンさんを含めた周囲の人間までまとめて吹き飛ばした。
「うっ……!」
同時にアタシの中から精神力が一気に抜け落ち、膝が地面につく。僅かに揺れる視界の中、それでも意識が残っていることに気づいた。
(意識……まだある……)
一ヶ月前なら、アカネさんに一度能力を使わせただけで気を失っていた。でも今は、倒れていない。
荒い息を吐きながら顔を上げると、そこにはレグナスさんの身体だけが残っていた。
首から上は、もうなかった。
「魔獣師の指示まで乗りゃ――」
アカネさんはパンパンと衣服の砂埃を払いながら、首のないレグナスさんを見た。
「生粋のヴァンガード召喚者でもなきゃ、ワシの間合いでは持たんじゃろ」




