1話 飛べるけど歩かない魔法使い
アタシは川辺で拾い集めた太めの枝を何本も並べ、その上へ細い枝を重ねていった。乾いていそうなものを選び、何度も組み直しているうちに、いつの間にか小さな台のような形になっていた。
その様子を少し離れたところで見ていたチャトランさんが、不思議そうに首を傾げる。
「何してるにゃ?」
「火葬用の薪よ。アタシの国では、こうやって薪を組んで荼毘に付すの」
「……食べてやらないのか?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
でも、チャトランさんの真剣な眼差しを見る限り、冗談を言っているわけではないらしい。
「そうね……自然では、そういうこともあるのかもしれないけど」
アタシは横たわっているフジへ目を向けた。
もう身体は完全に冷たくなっている。さっきまであんなに元気よく、アタシの声を呼んでくれていたのに。今はどれだけ名前を呼んでも、耳も尻尾もぴくりとも動かない。
「……アタシは嫌だわ」
それ以上は、声にならなかった。喉の奥が震えて、言葉が詰まってしまう。
ネネネさん、チャトランさん、ミルは何も口を挟まず、ただ黙って見守っている。
アタシはフジの身体をそっと抱き上げた。
(軽い……)
腕の中に残る重みは、生きていた時よりずっと、ずっと軽く感じられた。
魂が抜けてしまうだけで、こんなにも頼りなくなってしまうなんて。
「ごめんね……フジ。守ってあげられなくて、ごめんね……」
薪の上へそっと寝かせ、乱れていた灰色の毛を手で整える。顔についた泥を指で拭い、最後に大好きだった頭を何度も、何度も撫ぜた。まだ柔らかい毛並みが、余計に胸を締め付ける。
ミルが近づき、フジの鼻先へ自分の鼻をそっと触れさせると、しばらくそのままでいたあと、何も言わずアタシの足元へ戻ってきた。その小さな背中も、悲しみに耐えているように見えた。
「ネネネさん……」
「はい」
「下から、火をお願いできますか」
ネネネさんは少しだけ目を伏せると、黒龍の杖を薪へ向けた。
「……分かりました」
杖の先に小さな炎が灯る。
最初は細かった火が乾いた枝へ移り、パチパチと音を立てながら徐々に大きくなっていく。橙色の光がフジの輪郭を鮮やかに照らし、夜の川辺へゆらゆらと切ない影を落とした。
やがて炎は薪全体を包み込み、熱気がこちらまで届くほど大きく燃え上がった。
アタシはその場から一歩も動けなかった。
視界が涙で歪んでも、目を逸らすことなんてできなかった。今ここで目を閉じたら、フジの姿を永遠に見失ってしまう気がしたから。
けれど、無情にも炎の向こうにいるフジの姿は、陽炎のように少しずつ、少しずつ霞んでいく。
「フジ……ッ」
名前を呼んだ途端、せき止めていたものが決壊した。
視界が完全に滲み、大粒の涙が頬を伝って顎からボロボロとこぼれ落ちる。それを拭う気力さえ、今の温もりを失ったアタシには残っていなかった。
「長になるんじゃなかったの……っ」
「みんなで、おっきな群れを作るんじゃなかったの……!」
果たされることのなかった約束が、頭のなかを駆け巡る。フジと過ごした楽しかった記憶が、今目の前で灰になっていく。
燃える薪が崩れ、火の粉が爆ぜて夜空へ高く舞い上がった。
まるでフジの魂が、遠くへ駆けていくかのように。
その光を追いかけるように見上げながら、アタシは血がにじむほど強く唇を噛んだ。
炎は激しく燃え続け、フジの身体を優しく、そして残酷に包み込んでいった。
夜の闇の中、フジは燃え盛る炎と、アタシたちの枯れることのない涙に包まれながら、静かに、本当に静かにアタシたちの前からいなくなっていった。
「フジ……」
「さみしいよ……」
アタシの絞り出すような声は、パチパチと薪がはぜる音と、静かな川のせせらぎにかき消されていった。
◇
夜が明ける頃には、川辺を覆っていた薄い霧も少しずつ晴れ始めていた。
昨夜フジを見送った場所には、まだ焼けた薪の匂いが僅かに残っている。
風が吹くたび、かすかに香るその匂いが、フジがもういない現実を突きつけてくるようで胸が痛い。
誰も、その場所を直視しようとはしなかった。
ネネネさんは河原の平らな石の上へ地図を広げると、風で飛ばされないよう四隅へ小石を置いた。それから、すっと黒龍の杖の先で地図の一点を指し示す。
「現在いる河原が、この辺りです」
その声はいつも通り冷静だったけれど、どこかアタシを気遣うような、柔らかい響きが含まれている気がした。
「高天原方面へ戻ることはできません。ガルド帝国側へ向かうのも論外ですから、中立地域を南へ抜けます」
アタシも引きずられるようにして地図を覗き込んだ。
涙を流しすぎて、まだ視界が少しぼやけている。道らしい線はあるけれど、現在地から南へ向かうほど等高線が密になり、山が増え、その先には幾つもの深い森まで広がっていた。これからの道のりの険しさを予感させる、暗い緑色のインクがじわリと目に刺さる。
「我々と関わりのない場所で、一番近い町がここです」
ネネネさんが指した場所は、地図で見ても現在地からかなり離れていた。
「名前は《ザルド》山賊たちが統治している町です」
「山賊……?」
思わず聞き返した。
ただでさえフジを失って心に余裕がないのに、次に向かうのがそんな危険そうな場所だなんて、不安が頭をもたげる。
横ではチャトランさんも、露骨に嫌そうな顔をしながら耳を伏せ、地図を覗き込んでいる。
「こんな所に行って大丈夫かにゃ〜? ただでさえアタシたち、今はいろいろギリギリなのににゃ……」
チャトランさんが呟いた「ギリギリ」という言葉に、胸がズキリとした。フジという大きな存在を失ったばかりの、アタシたちの精神状態のことを言っているのだと分かったからだ。
すると、ネネネさんは地図からそっと杖を引き、アタシの顔をじっと覗き込んできた。
「アヤさん」
「……はい」
「ザルドは治安が良いとは言えませんが、大国の目が届かない唯一の避難所です。……ですが、もし体調が優れない、あるいはまだ気持ちの整理がつかないのであれば、数日ここで身体を休めてからでも遅くはありません。無理に今すぐ歩き出さなくてもいいのですよ」
ネネネさんの黒い瞳が、そっとアタシの心を包み込むように揺れていた。普段は厳格な隊長が見せた、不器用で、けれど真っ直ぐな優しさだった。
アタシの足元では、ミルが心配そうにクンクンと鼻を鳴らし、アタシの脛にそっと身体を寄せてきている。みんな、アタシを心配してくれている。
「……ありがとうございます、ネネネさん。でも、大丈夫です。ここで立ち止まっていても、何も変わらないから……行きましょう」
アタシが無理に笑顔を作って答えると、ネネネさんはそれ以上無理強いせず、ただ「分かりました。ですが、決して無理はなさらないでくださいね」と優しく頷いてくれた。
「それ以前に、そこまで辿り着くのが大変そうにゃあ〜」
チャトランさんの鋭い爪が、現在地からザルドまでのルートを地図の上でゆっくりとなぞっていく。
深い森を抜け、その先には幾重にも重なる険しい山々がそびえている。
確かに、道だけ見ても楽な旅には思えなかった。フジを失い、心も身体はボロボロの今の状態で、この過酷な道のりを踏破できるのだろうか。自然と不安が胸をよぎる。
「そうだな。しかし、ここは力を合わせて――」
そこまで言ったネネネさんが、ふと顔を上げた。
「……ん?」
アタシとチャトランさんが、揃ってネネネさんをじっと見つめていたからだ。
「なんだ? なぜ二人して私を見る?」
「いや、アヤもどうかと思うけど、た〜いちょ〜殿もこんな所まで歩いて行くの大規模(大丈夫)かにゃ〜って思ってにゃ〜」
「バカにするな! これでも私は第一親衛隊長だぞ!」
「戦う話じゃないにゃ〜」
チャトランさんが、ネネネさんの頭の先からつま先までを遠慮なく値踏みするように眺める。
「その格好で山越える気かにゃ?」
「何か問題でもあるのか?」
「問題しかないにゃ。隊長殿が山道歩いてる姿、一回も見たことないにゃ」
「失礼な! 歩くくらいどうということはない!」
「いつも飛んでるにゃ」
その指摘は、完全に図星だったらしい。
ネネネさんは何か言い返そうと口を開けかけたものの、すぐにきゅっと唇を結んだ。そのままバツが悪そうにすっとアタシたちから視線を逸らし、手元にある地図の端を無意味に指先で弄り始める。
アタシも記憶を思い返してみる。
戦場では黒龍の杖を振るえば遠くの敵まで焼き払い、城では第一親衛隊長として堂々と胸を張って歩いている。
でも、山道を汗だくになって泥にまみれながら歩いているネネネさんは、どう頑張って想像してみても頭に浮かんでこなかった。
「ネネネさん……山登りしたことあります?」
アタシの問いかけに、ネネネさんは「あるに決まっているだろう!」と、普段よりいっそう声を張って胸を張った。
「いつにゃ?」
容赦のないチャトランさんの追及に、ネネネさんは一瞬だけ泳ぐように視線を泳がせ、それから蚊の鳴くような声でボソリと呟いた。
「……幼少期だ」
「何年前にゃ?」
「殺すぞ」
凄みの利いた声と共に、ネネネさんがギロリとチャトランさんを睨みつける。
「ほらすぐ魔法で解決しようとするにゃ!」
あまりにも分かりやすい動揺っぷりに、胸の奥にたまっていた重苦しい空気が一瞬だけ弾け、思わず吹き出しそうになった。
「アヤ! お前まで笑うな!」
ネネネさんが頬をわずかに赤くして、怒ったようにアタシを見る。
「いや、ごめんなさい。でもアタシも人のこと言えないし……」
アタシが苦笑いしながら肩をすくめると、ネネネさんはふっと表情を和らげた。怒ったのは、アタシの暗い顔を晴らすための彼女なりの不器用な芝居だったのかもしれない。ネネネさんはアタシの顔をじっと見つめ、そっと静かな声で語りかけてきた。
「アヤさん。……山道は私たちが思う以上に過酷です。もし体力的につらい時や、立ち止まりたくなった時は、いつでも私を頼りなさい。荷物を持つくらいなら、魔法を使わずともやってみせますから」
その真っ直ぐな言葉と優しさに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「そうにゃ。山道に関しては二人とも戦力外にゃから、お互い助け合わなきゃにゃ」
感動的な空気を台無しにするように、チャトランさんが腕を組んで偉そうに頷いた。
「なんでアンタが仕切ってんのよ!」
「アタイ猫にゃ」
「猫なら山登り得意って理屈なの!?」
「少なくともお前らよりマシにゃ〜」
チャトランさんは得意げに尻尾をピンと立てると、地図の上を爪でトントンと叩いた。
「だから〜、聞きません?」
「はっ? 誰に?」
チャトランさんは肉球のある丸い手で、アタシの鼻先を指差した。
「魔獣さんたちに」
「え?」
「この辺の道を知ってるヤツもいるだろうし、何なら大きい魔獣に乗せてもらえないか聞いてみたらいいにゃ」
ネネネさんは僅かに目を細め、感心したように深く頷いた。
「たまには、まともなことを言うのだな」
「失礼だにゃ!」
二人のやり取りを見ているうちに、久しぶりに、ほんの少しだけ張り詰めていた心が緩んだ気がした。
アタシは地図から顔を上げ、周囲に広がる深い森へ目を向ける。
朝靄に煙る木々は静かだけれど、そこには確かに無数の命の気配があった。
人間の道が分からないなら、この辺りで暮らしている魔獣に聞けばいい。水場も食べ物も、山を越える安全なルートだって知っているかもしれないし、運が良ければザルドの近くまで乗せていってくれる気のいい魔獣だっているかもしれない。
(……魔獣師って、こういう時は結構便利なんじゃない?)
今まで、この力は戦うことばかりに使うものだと思い込んでいた。
けれど、魔獣と心を通わせ、話せるという力は、戦場だけで振るう武器じゃない。過酷な旅を生き抜き、仲間を守るための、大切な繋がりなんだ。
フジを失って、その圧倒的な喪失感のなかで初めてそんなことに気づいた自分が、少しだけ情けなく、愛おしくもあった。




