11話 それでもやらなくては、ならないのだから
◇
「今日で、ここも卒業じゃな」
「ゼノムさん、フローラさん……今まで本当にありがとう」
アタシは二人に思いきり抱きつき、涙交じりの別れを告げると、その足でゼノムさんのタクトを握りしめて高天原城へと向かった。
アタシの配属先は、なんと『第一親衛隊』
案内役を務めるのは、あのクソ猫獣人――もとい、第一親衛隊副隊長のチャトランさんだった。
(第一親衛隊って、もしかしてアタシ、いきなり大出世しちゃったんじゃない!?)
そんなことを考えて鼻歌交じりで浮かれていたのも、城の重厚な門をくぐるまでのことだった。
すれ違う親衛隊の面々は、誰一人として笑っていない。
誰もが凍りついたような真剣な面持ちで、黙々と愛用の武器を研ぎ、防具の紐を締め直している。その張り詰めた空気だけで、ここが命のやり取りをする戦場の一歩手前なのだと思い知らされた。
「さすが、バカは気楽でいいにゃあ」
詰所へ向かう廊下で、チャトランさんが開口一番、肩をすくめてそう吐き捨てた。
「……どういうことよ」
「簡単に言えば、アタシらは『特攻部隊』一歩間違えれば、全員あっさり死ぬ仕事ってことだにゃ」
チャトランさんの目が、一瞬だけ獣特有の冷たい光を宿す。
「今回の任務は、八雲ヶ原奪還作戦。三年前にガルド帝国へ奪われた、高天原の重要な領土を取り戻す。失敗は許されないにゃ」
そのまま案内された第一親衛隊の詰所には、部屋の中央に大きな作戦机が置かれ、その上には八雲ヶ原周辺の詳細な地図が広げられていた。
◇
地図を囲んでいるのは、第一親衛隊長ネネネさんを中心に、総勢十人ほどの精鋭隊員たち。
アタシが部屋へ足を足を踏み入れた瞬間、浮ついた気持ちは完全に消し飛んだ。
「全員揃いましたね」
ネネネさんは燃えるような紅い髪を揺らし、黒龍の杖の先端を地図の南側へと向けた。
「これより作戦を説明します。目的は八雲ヶ原の奪還。手順は大きく分けて三つです」
隊員たちの視線が、一斉に地図の川へと集まる。
「一つ。まずは南側を流れる水路から町へ潜入。中央で身を隠している潜入工作員二十名と合流します。第一親衛隊ほどの少数精鋭だからこそ、使える隠し通路です」
杖の先が、今度は町の東側にある大きな門へと動いた。
「二つ。合流後、見つからないよう帝国兵の巡回を静かに排除しながら進み、東門を制圧。外で待機している高天原の親衛第二部隊を町の中へと引き入れます」
「あの……質問です」
アタシはおそるおそる手を挙げた。
「隠密に殺していくって言っても、もし途中で死体が見つかったらどうするんですか?」
「もちろん、いずれは見つかります」
ネネネさんは冷徹に即答した。
「ですから、敵に発見される前に、一秒でも早く東門を落とす。敵が異変に気づいた時点で、静かな潜入は終わりです」
横で聞いていたチャトランさんが、ニヤリと八重歯を覗かせる。
「そこからは、ド派手な強行突破にゃ!」
ネネネさんは頷き、最後の印を指し示した。
「三つ。東門を開いて第二部隊を突入させると同時に、工作員たちが町中へ散り、帝国に虐げられていた高天原の民へ一斉に蜂起を呼びかけます。住民が立ち上がれば、西側から進軍してくるガルド帝国の本隊を、この町の中で迎え撃つことができる」
ネネネさんの凛とした声を聞きながら、アタシの頭の中で全てのピースが繋がっていく。
水路からの潜入。
工作員との合流。
暗殺を交えた東門の制圧。
門を開放しての第二部隊の突入。
そして、町の人々の蜂起と、敵本隊の迎撃。
「どれか一つでも失敗したら?」
アタシが尋ねると、チャトランさんが笑いながら、首を真横に切るジェスチャーをした。
「当然、全員まとめてエンジェルになるにゃ」
でも、その場で笑っていたのはチャトランさんだけだった。
他の隊員たちは誰一人として声を漏らさず、ただ覚悟を決めた目で地図を凝視している。
この命懸けの戦いの中で、アタシに課せられた役割は、新しく手に入れたタクトの力を使い、ミルとフジを縦横無尽に走らせて、仲間たちの窮地を助け、連絡を繋ぎ続けること。
(この一年の特訓は、この日のためにあったんだ……!)
前衛でバチバチに戦えないアタシにも、やるべきことは山ほどある。
ぎゅっとタクトを握るアタシの手のひらに、じっとりと冷たい汗がにじんだ。
◇
作戦決行までの三日間、時間の流れるスピードが恐ろしく遅かった。
その日が来てほしいわけじゃない。むしろ、永遠に来ないでくれとすら願っているのに、時計の針は無情に、かつじっとりとアタシの精神を削るように進んでいく。
小さくなったミルを壊れ物みたいに抱きしめては離し、今度はフジのもふもふの頭を何度も撫で回す。
部屋の中を意味もなく歩き回っては座り、またすぐに立ち上がる。
何をしても、どうしても心が落ち着かなかった。
生前も、こんな風に心臓が口から出そうな夜があった気がする。
大事な試験の前日。新しい命を迎えるための、長くて苦しい出産の夜。
でも、あの時は少なくとも、その壁を乗り越えた先に「希望」があった。
今回は、まるっきり違う。
アタシを待っているのは、ただの泥沼の戦争だ。一歩間違えれば、この子たちもアタシも、冷たい死体になるだけの場所。
支給された古びたタクトを何度も握り直し、カバンの中の荷物をひっくり返しては、また最初から確認する。
そんな不毛なことを繰り返しているうちに三日間が過ぎ、結局、一度もまともに眠ることはできなかった。
◇
そして――初陣の夜が来た。
詰所の中には、不気味なほどの静寂が満ちていた。
隊員たちは誰一人として口を開かない。黙々と黒い装備を身につけ、刃を確かめ、言葉の代わりに互いの目を見て小さく頷き合うだけ。
冗談を言う者も、引きつった笑いを浮かべる者すらもいない。
衣類と鎧が擦れる硬い音だけが、静かな夜の空気に小さく響いていた。
◇
ヒヤリとした冷たい水が、容赦なく膝の高さまで浸かってくる。
ネネネさんを先頭に、アタシたちは一列になって暗い地下水路を進んでいた。
誰も余計な音を立てない。立ててはいけない。
ちゃぷん……。
ほんの僅かな水音が響くだけで、それが自分が立てたものではないかと心臓が跳ね上がる。
緊張のせいで、耳が完全におかしくなっていた。
不気味に反響する水の流れる音。
前を行く隊員の、湿った足音。
金属の鎧がかすかに触れ合う音。
そして、耳元で早鐘を打つ、自分のドクドクという身の毛もよだつ鼓動。
そのすべてが、頭蓋骨の裏側で大音量で鳴り響いている。
――視線を感じる。
気のせいだと思おうとしても、暗闇のどこかで、誰かがアタシたちをじっと見下ろしている気がしてならない。
恐怖に耐えかねて何度も立ち止まり、闇の奥へと目を凝らす。
……やっぱり、誰もいない。
それでも、アタシの防衛本能だけは、暗闇の向こうに「誰かがいる」と、喉の奥がカラカラに乾くほどの警告を叫び続けていた。
◇
地下水路の出口をようやく抜けると、アタシたちは人気のない深夜の民家の陰へと、滑り込むように身を潜めた。
衣服も装備も冷たい水でずぶ濡れだったけれど、誰一人として身じろぎすらしない。全員が限界まで呼吸を殺し、じっとネネネさんの次の合図を待っていた。
だが、その静寂は最悪の形で破られた。
「――誰だっ!?」
物陰から不意に現れたのは、夜間巡回中の帝国兵だった。
アタシの心臓がドクンと跳ねた、その瞬間。
視界の端で、チャトランさんの小柄な姿が掻き消えるように消滅した。
次の瞬間には、五十メートルほど先の闇の中で、銀色の鋭い軌跡がシャッと一閃する。
二人の帝国兵は、悲鳴を上げる間さえ与えられなかった。
喉元を深く裂かれ、血飛沫を上げながら、糸が切れた人形のようにその場へドサリと崩れ落ちる。
「アヤさん!」
ネネネさんが振り返り、押し殺した、しかし緊迫した小声でアタシを呼んだ。
「敵の死体が発見される前に移動します! チャトラン副隊長を、今すぐここへ戻してください!」
「えっ……あ、あっ、はいっ!」
慌ててタクトを突き出すと、アタシの胸元から縮小化していたミルが勢いよく飛び出した。
「ミル、――【逃がす】!!」
ミルの小さな前足が空を払うと同時に、淡い魔力の光が遠くのチャトランさんを優しく包み込む。
次の瞬間、死体のそばにしゃがみ込んでいたはずのチャトランさんが、アタシたちの隊列の真ん中へと、音もなく瞬時に「転移」して戻ってきた。
「ふぅ。ありがとにゃ。よし、まだ他の連中には気づかれてないにゃ」
チャトランさんは息一つ乱さず、何事もなかったかのように短剣にべっとりと付着した赤黒い血をひらひらと払う。
周囲の隊員たちが素早く移動を開始する中、アタシだけが、兵士たちが倒れたあの暗がりの場所から、どうしても目を離すことができなかった。
(人が……本当に、人が殺されたんだ……)
さっきまで確かに生きて動いていた人間が、一瞬で物言いたげな肉塊に変わる理不尽。
これが、ゼノムさんの元を卒業したアタシがこれから生き抜いていかなきゃいけない、「戦争」という舞台の本当の姿だった。
◇
深夜の民家の裏手をいくつもすり抜けた先、使われなくなった古い倉庫が闇の中に佇んでいた。
アタシたちが足を踏み入れた室内は、湿った石壁に囲まれた、カビ臭く薄暗い空間だった。
すべての窓は分厚い木の板で厳重に塞がれ、外へ僅かな明かりも漏らさぬよう、隙間という隙間にボロ布がこれでもかと詰め込まれている。
アタシたちが中へ潜り込むと同時、部屋の物陰から、影が滲み出るように次々と男たちが姿を現した。
一見すると、どこにでもいる商人の服を着た者。
職人らしい油の染みついた分厚い前掛けをつけた者。
擦り切れた服を着た、ただの荷運び人のような格好をした者。
見た目こそ町で普通に暮らしている頼りなさげな住民たちだったけれど、彼らの服の隙間からは、鈍く光る短剣や細かな鎖帷子がしっかりと覗いていた。
彼らこそが、数年前からこの八雲ヶ原へ深く潜伏し、息を潜めて機会を窺い続けていた高天原の工作員たちだった。
男たちは、先頭に立つネネネさんの凛々しい姿を認めた瞬間、それまで凍りついていた厳しい表情を僅かに緩めた。
「隊長……! ご無事で!」
「長い間の不自由な潜入、本当によく耐えてくれました。ご苦労様でした」
「いえ、すべては我が国を、この町を取り戻す任務ですから」
工作員のリーダーらしき先頭の男は、噛み締めるようにそう答えると、ネネネさんに向かって深く深く頭を下げた。
その後ろに静かに並ぶ者たちの顔には、長年の二重生活による色濃い疲労が刻まれていた。
ネネネさんは潜入工作員たち一人ずつの顔を、その胸中に刻み込むように見回したあと、持っていた黒龍の杖をドンと床へ突いた。
「時は来ました。数年間の屈辱に終止符を打ち、我々の地を、この手に取り戻します」
「はっ……!」
男たちは一列に整列し、長年隠し持っていた剣や斧、槍を一斉に天へと掲げた。
薄暗い倉庫の中で、手入れの行き届いた鋭い刃だけが鈍く不気味に光る。
「ただし――作戦を一部変更します」
ネネネさんの不意の言葉に、男たちは張り詰めた様子で武器を下ろした。
「今回の奪還作戦には、魔獣師のアヤさんが加わりました。東門へと続く道には敵の『警鐘』が三か所ありますが……そのうちの『南側の警鐘』の防衛を、アヤさんとフジさんに一任します」
「ええっ〜!? ア、アタシですか!? 無理ですよ、そんな大役!」
突然名前を呼ばれ、アタシは情けない声を上げて思わず一歩後ろへ下がった。
「心配はいりません。工作員の中から、手慣れた潜伏兵十五名を同行させます」
「フジ……と、アタシで、十五人を……?」
「はいっ! アヤさんの足手まといにならないよう、全力でやらせていただきますっ!」
アタシがガタガタ震えている隣で、フジは金色の尻尾をビチビチと勢いよく振りながら、これ以上ないほど満点な返事をした。
「フジぃ……あんたはやる気満々だけどさぁ……」
本当に大丈夫なのだろうか。おばちゃんの本能が「やめとけ」と全力でアラートを鳴らしている。
ネネネさんは壁に広げられた八雲ヶ原の簡易地図へと杖の先を向けた。
東門へと続く大通りには、侵入者を知らせるための巨大な警鐘が三か所に設置されている。
北、中央、そして南。
このどれか一つでも鳴らされれば、町の西側に駐屯しているガルド帝国軍の本隊に、こちらの奇襲がすべて筒抜けになってしまう。
「北側の警鐘は、私が単独で担当します。遠距離から警備兵を確実に排除しつつ、東門への同時攻撃も行いましょう」
杖の先が、北側から中央の印へと滑る。
「中央はチャトランさん。潜伏兵五名と共に、警鐘へ向かう敵を何が何でも阻止してください」
「ガッテンだにゃ!」
チャトランさんは両手の爪をパチンと鳴らし、不安げなフジへとニヤリと不敵に笑いかけた。
「おいコボルトウルフ、南側にも注意は払ってやるが、もし押し込まれて危なくなったら、プライドなんか捨ててすぐアタイを呼べにゃ! ニャハハハハ!」
「はいっ! ありがとうございます!」
フジは元気よく敬礼するように耳を立てた。
ネネネさんは、最後にアタシとフジへ真っ直ぐな視線を向ける。
「南側のアヤさんたちは、敵を完全に殲滅する必要はありません。ただの一人も警鐘へ到達させず、こちらが東門を開門するまで、泥臭くても持ち堪えてください。それが、あなたたちの任務です」
「持ち堪える……」
工作員二十名のうち、実に十五人という大所帯がアタシとフジの周囲へと集まってきた。
残る五名は、チャトランさんと共に中央の死守に向かうらしい。
「隊長は相変わらず、一人で一番キツい北側担当にゃあ〜。無茶するにゃあ」
「私のことは構いません。今は東門を開くことだけを考えてください」
ネネネさんは全員を見回すと、黒龍の杖を高く掲げた。
「敵に気づかれた時点で、即座に強行突破へ移行します。では――健闘を祈ります。神のご加護があらんことを」
「「「「おおおおお……!」」」」
低く、地鳴りのように抑えられた雄叫びが、倉庫の湿った壁を震わせる。
直後、工作員たちは三つの組へと鮮やかに分かれ、それぞれの持ち場へ向かって闇の中へと走り出した。
気がつけば、アタシの周囲には十五人の見知らぬ男たちが残されていた。
その誰もが、アタシの指示を待つように、武器を強く握り締めながらこちらをじっと見つめている。
(えっ……嘘でしょ? アタシ、このガチの戦士十五人を率いて、南側を死守しなきゃいけないの……!?)
前世のスーパーで、タイムセール時のパートさんたちを人員配置していたのとはワケが違う。一歩間違えれば、この人たち全員を死なせてしまうのだ。
急激に、胃の奥が雑巾みたいにギュッと縮んだ。
「アヤさん、行きましょう! アタシたちの戦場へ!」
フジだけが何の迷いもない純粋な瞳で、南側へと続く暗い路地をじっと見つめていた。
アタシは冷たい汗を拭い、タクトを強く握りしめて、その小さな背中に続いた。




